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『人』であるがゆえの葛藤

◇◇

 豊臣秀頼が甲斐姫との剣術勝負に勝った時より1年前――

 すなわち、慶長10年(1605年)4月下旬のこと。


 その月に、徳川秀忠が征夷大将軍に任じられ、新たな将軍となったばかりのことだ。


 その秀忠は、その側近である大久保忠隣、忠常の親子らとともに、江戸で政権基盤を固めていったのに対して、将軍職を辞任して「大御所様」と呼ばれるようになった徳川家康は、なおも伏見に残って各大名たちや異国との外交を担当していた。


 この頃の本多正信と正純の親子は、江戸にはおらず、伏見の家康の側にて政務にあたっている。

 息子の正純は家康の補佐として、父の正信は伏見と江戸の間を取り持つ調整役としての役割を担っていたのである。

 

 そしてこの日、伏見のとある茶室で、徳川家康と本多正純、本多正信の三人が茶を共にしていたのであった。

 


「ふぅ…何か肩の荷が下りると、一気に老けた気がするのう」



 こう言葉を漏らしたのは、徳川家康。どしりとした体つきの彼は、猫背になりながら、重いため息をついた。

 彼は既に齢六十を超え、すっかり頭は白く染まっているし、顔には深い皺がいくつも刻まれている。

 その姿だけを見てしまえば、誰しもが先ほどの家康の言葉に、首を縦に振って同意するであろう。

 

 ところが、そんな家康を見て、同じく見た目はすっかり年老いた本多正信が、驚くように声を上げた。

 

 

「おや!つい二年前に鶴千代丸様(後の徳川頼房で、家康の十一男)がお生まれになられたばかりでございますので、まだまだ精力絶倫かと思っておりましたが、それがしの勘違いでございましたか!?」



 そんな正信の言葉に、家康は顔を赤くして正信を睨みつけた。

 

 

「ふん!お主もその減らず口を叩けるようであれば、まだまだ若い者たちと同じくらいに働けるということじゃな!」



「ややっ!これは失礼いたしました。それがしの場合は、口だけは達者でございますが、体の方はどうにも言う事を聞かぬゆえどうぞご勘弁を」



「ふん!そう言われても、お主にはまだまだ働いてもらわねばならんからのう!覚悟しておけ!」



「やれやれ…自業自得とはこの事でございますな…」



 本多正信はそう言って額の汗をぬぐうと、余計な事は言うまいと口を引き締めた。

 しかしこの正信の皮肉は、この場の空気を少しでも明るくしようという気遣いであることは、誰の目にも明らかであり、家康は特に追及することもなく、再び口を閉ざした。

 

 

 するとしばらくの間、沈黙が続く…

 

 

 外は初夏を感じさせる陽気で、小鳥たちのさえずる声は眠気をさそう子守唄のようだ。

 三人は言葉を発することもなく、外の世界を遮断した小部屋の中で静かに時を過ごしていた。

 

 そんな沈黙を破ったのは、本多正純であった。

 

 

「ところで大御所様。今日はこのような誰にも見られず、誰にも聞かれる心配のない場所に呼ばれた事に、何か深い意味があると思っていたのですが…」



 いつもの澄まし顔のまま、正純は茶碗から家康の方へと視線を映す。

 その穏やかな口調は、春の日の爽やかさを感じさせるものではあるが、その奥底には彼の本質である冷酷さをも秘めているようで、初めてその声を耳にした者は、何か言い得ぬ気持ち悪さを感じるものであろう。

 ところが、家康にしてみれば、そんな彼の口調など聞き飽きるくらいに耳にしており、気に留めるほどのものではない。

 

 

「ふん!親子そろって回りくどい!素直に『今日は何用か』と聞けんのか?」



「ふふ、そう聞けと命じられるのであれば、そのようにうかがいますが…」



「ふん!今更もうよいわ」



 家康は顔を逸らすと、言葉を切って黙ってしまった。

 

 しかしそれは決して、正純の言葉にへそを曲げたからではない事は、この場にいる正信も正純も重々に理解していた。

 

 

 家康は、何か言いづらい事を言おうとしている…

 

 その決心がつかないのだ…

 

 

 その様子を察知した正信は、大きく息を吸い込むとぐっと腹に力を込めて家康に問いかけた。

 

 

「秀忠様の後継者のこと…でございますかな?」



 その正信の言葉に、家康はさっとその顔を青くして、正信の方を見つめた。

 正純は澄まし顔のままであるが、眉をぴくりと動かす。

 

 徳川秀忠の後継者…

 

 つい先日、その秀忠は家康に代わって将軍職についたばかりである。

 にも関わらず、早くも家康は、秀忠の次の将軍の事を気にしているのではないか、と正信は問いかけたのである。

 

 その真意とは…

 

 しかし家康は心の内を隠すように言った。

 

 

「な、なんでわしが秀忠の後継者のことを気にかけねばならんのだ!?

それはあやつの問題。

あやつの判断で決めればよかろう!」


 その口調は上ずっており、明らかに動揺が感じられる。


 正信も正純も、家康のその反応で、正信の問いかけの事で呼びつけたことが図星であると直感した。そして、二人とも強情に首を横に振る家康に対して、少し困ったような表情を浮かべた。

 

 

「大御所様。大御所様こそ回りくどいのではございませんか?」



 正純が家康の気持ちなど推し測らずに、ずけずけと問いかけると、家康は不機嫌そうに右親指の爪を噛んだ。

 そして正信の方が、家康の気持ちを代弁するように言ったのである。

 

 

「殿は竹千代様に将軍職を継いで欲しいと願ってらっしゃるのでございましょう」



 竹千代――

 

 それは昨年、つまり慶長9年(1604年)に生まれたばかりの、徳川秀忠の嫡男である後の徳川家光のことであった。

 普段は伏見から滅多に動かない家康であったが、徳川家の世子(せいし)となるべき竹千代の誕生に、わざわざ江戸まで足を運ぶほどの喜びようであった。

 実は、慶長6年(1601年)に竹千代の兄、すなわち秀忠の長男である長丸という子が誕生したのだが、この時既に亡くなってしまっていた。

 そんな悲劇もあってか、家康の竹千代に対する思い入れと、その愛情の注ぎ方は尋常でなかったのである。

 

 その竹千代に、いつしか秀忠の跡を継いで将軍職を与えてあげたいというのが、言わば家康の溺愛から生まれた欲望であったのだった。

 

 正信の問いかけにもなかなか答えようとしない家康をじっと見つめていた正純は、父の正信に対して分かりきった事をあえて問いかけた。

 

 

「将軍様は、いつしか豊臣秀頼殿が立派に成長されたその暁には、将軍職を秀頼殿にお譲りする…とお考えだったかと記憶しておりますが、それはいまでも変わらないでしょうか?」



 家康が再び右親指の爪を噛む。

 明らかに正純の言葉にいらつきを覚えているようだ。

 もちろんそんな事は正信らは分かっていたが、素知らぬ振りをして正信が息子の問いかけに答えた。

 

 

「それは今でも変わっておられないでしょうな。あれほど曲がった事が嫌いで、我が道を真っすぐに歩まれる方でございます。

たとえ大御所殿が、後継者のことに口を出されてようとも『徳川家の跡継ぎの事と、将軍職の後継は別の話にございます』と言って聞かないかと…」


――ギリッ…!


 正信の言葉の瞬間に、家康は強く歯ぎしりした。

 そしてその額には青筋が立っている。

 しかし、正信と正純のこのやり取りの内容は、まさに秀忠の性格を言い当てたものであり、家康がどんなに胸の内にいら立ちを覚えようとも、そのぶつけ先がなかった。

 

 その様子に正純は、澄まし顔のまま淡々とした口調で、話しを切りこませたのだ。

 


「では…豊臣秀頼様が自ら、将軍職をお望みにならねば…その後継者は竹千代様になる…ということでございましょうか」



 再び家康の顔色が変わった。

 

 それは自分の気持ちに自分でも戸惑っているような複雑な表情だ。

 

 正信は家康が何か口にする前に、間髪いれずに次の言葉を発した。

 

 

「そういうことになるでしょうな。

しかし、秀頼様が自ら将軍職を望まれない…すなわち豊臣家の天下を拒むことなど…ありえるのかのう?」



 その父の含みのある言葉に、正純は口角を上げた。

 

 その表情は、家康が好まない、彼の残虐さを映したような醜いものであった。

 しかしそれでも家康は何も口にしなかった。いや、彼の竹千代への溺れた愛情が口を挟ませなかったのである。

 

 

 大御所、徳川家康と言えども…

 

 人の子…

 

 自分の幼い頃と同じ名前をつけさせた孫に「自分の持っている全てを残してやりたい」という気持ちは、もはやいかんともしがたいものまで膨れ上がっていたのであった。

 それは、かつて鶴丸という待望の長男を亡くした後に、秀頼を授かった晩年の太閤秀吉に近しいものであったのかもしれない。

 しかし、家康にとって幸いであったのは、我が孫を想う愛情を映した美しい欲望から、溺愛からの専横的な醜い欲望に堕ちる手前のところで、それをせき止める周囲の人間の献身的とも言える支えがあったことであろう。

 それは、誰の威圧からも己の意志を曲げない強さもった徳川秀忠であったり、自らの手を汚れに染めることにむしろ喜びを覚える本多正純の存在であり、そして、どんな時も家康の良き理解者であり彼の背中を支え続けた本多正信であった。

 

 この時、本多正純の醜く歪んだ笑顔に対して、今までの家康であれば激怒してそれを諌めていたのだが、この時はむしろ喜ばしい高揚感が生まれそうであったことに、家康は胸を裂かれる程に悔しい思いにかられていたのであった。

 

 そんな家康の苦悩を知ってか知らずか、周囲に誰もいない事を分かっていながら、正純は控えめな声で言った。

 

 

「近頃、淀殿は豊臣家の安泰と秀頼殿の安全の為に、淀殿自身が頼りとしている人々を大坂城に招いておられるようですね」



 正信もそんな息子の歪んだ笑顔の意味など、とうに見抜いている。

 しかし、それでも家康の念願をかなえるべく、彼もまた心を鬼にして正純に問いかけた。

 

 

「ほう…それがいかがした?」



「ふふ、父上もお人が悪い。もう分かっておられるでしょう。その招かれた人々がどのような方々か…」



「淀殿のご親族の方々…と」



「それに近頃は、大野治長殿の母上でおられる大蔵卿も、色々と口を出されてらっしゃるとか」



 ここまで正純と正信のやり取りを、黙って聞いていた家康は、ようやくその重い口を開いた。

 

 

「いい加減結論を言え、正純。お主は何を考えておる」



 その鋭い家康の言葉に正純は笑みを消して、研ぎ澄まされた刃のような表情で答えた。

 

 

「豊臣秀頼殿に、徳川家に臣下の礼を取っていただきましょう。

さすれば、いかに将軍様と言えども、自身の将軍職を配下の者にお譲りにはなられますまい…ということにございます」



 その正純の言葉は、この部屋に入る前から三人とも頭の片隅にあったものに違いない。

 しかしその「豊臣秀頼に臣下の礼を取らせる」という、言わば天下の順逆を冒すともとらえかねないその行為を口にすることは、はばかれて仕方なかったのである。

 それでも正純がそれを口にしたのは、彼が喜んでその汚れ役を買って出たことに他ならなかったからだ。

 

 

 そう…

 

 本多正純という男は、人を陥れる事にこの上ない喜びを得る…という猟奇的な嗜好の持ち主なのだ。

 

 そして、徳川家康は…

 

 その事を利用し、それを頼みとした。

 

 己の愛情を満たす為に…

 

 そんな家康の事を誰よりも理解していると自負している本多正信は、その家康の苦しい胸の内が手に取るように分かっていた。

 

 徳川家康という人は何よりも「和」を大事にしている。

 その為に、人の道に外れるような事を何よりも嫌ってきた。

 天下の行方は、平和な世を作るだけの力を持った人間に委ねられるべきだと思ってきた。

 

 それが今…

 生まれたばかりでその力があるかどうかも分からない、しかし可愛くて仕方のない孫に、その天下を委ねたくて仕方がない。

 

 この家康の心の葛藤に、正信は、自分だけは何があっても彼の味方であり、絶対的な忠誠心を持って、彼の心を支えようと誓っていたのであった。

 

 再び家康の口が堅く閉ざされると、正信が代弁するように正純に問いかけた。

 

 

「その為に、お主は何をすればよいと思っているのだ?」



「大坂城内のご意見が、『徳川に臣下の礼をとるべし』となればよいと思っておりますゆえ、大坂城内に調略をかけてはいかがでしょう」


 正純の表情は変わらない。

 全く温度のない、冷たい、冷酷とも言える表情。

 この表情をした時は、必ず彼の周囲から人が一人、二人と消えていくことを家康も正信も知っている。

 しかし、それでもあえて彼を自由にさせている。

 

 家康は、自分に代わってなおも口を開こうとする正信を抑えるようして、自らの口で正純に問いかけた。

 

 

「具体的に誰を調略するのだ?」



「淀殿の頼みの綱… すなわち…」



 そこで言葉を切った正純。

 

 そして次の瞬間、再び歪んだ笑みを浮かべると、濁りきった瞳で答えたのだった。

 

 

「すなわち…織田…そして、大蔵卿…

もっとも大蔵卿の方は、既に阿茶の局殿の方で動かれてらっしゃるようでございますが…」



 と…

 

 

………

……

 本多正純が、自身の提案した任務を遂行する為に茶室を出たその後、徳川家康と本多正信の二人は、そのままその小部屋に残って、わずかになった茶碗の中の茶をすすっていた。

 

 

 しばらく重い沈黙が部屋を支配する。

 

 

 そんな中、家康が先に口を開いた。

 

 

「すまん…つらい役目を、お主の息子に背負わせてしまったわい…」



 背中を丸めて、茶碗に視線を残したまま家康は正信に言った。

 そんな家康の様子を見て、正信はなぜかほっとして、口元を緩める。

 


「殿も老けましたな…」



「だから先ほどから老けたと言っておろうに」



「しかし、今の殿は、何だか『人』になられたようで、それがしはなぜか安堵しております」



「どういう意味じゃ?わしは生まれた時から『人』であろう」



「ほほ、確かにそうですな。おなごと子供が大好きな『人』でございましたな」



「ふん!また余計な事を…」



 と、どこか家康も肩の力が抜けたように、憎まれ口をたたく。

 

 そして次の瞬間、家康は正信に頭を下げた。

 

 

「ありがとう。これからも『人』であるわしを支えてくれ」



 これが徳川家康。


 どこかはにかみながらも、真剣な表情で一家臣に対して頭を下げるその光景は、正信にとって初めてのものではない。

 何か大きな決断をする時には、いつも見せていたその姿を見て、

 

ーー殿は最初から『人』であったか…

 

 と、正信は自分で言葉にしたことに、少し反省した。

 

 そして彼もまた頭を下げて言った。

 

 

「これからも殿の側で、微力ながら天下の為、徳川家の為に尽くさせていただきたく、お願い申し上げます」



 ようやく春らしい陽射しが部屋の中に入っている事に、家康は気付いた。

 彼は鼻の奥に熱いものがこみ上げてきているのを、なんとか抑えて、残りの茶を一気に飲み干したのだった。

 



読んでいただきありがとうございます。


徳川家康公の葛藤について、自分でも書いていながら苦しくなりました。


1603年…家康公が征夷大将軍に就く

1604年…徳川家光公が誕生

1605年…家康公が征夷大将軍を辞任し、徳川秀忠公が将軍となる


という一連の歴史の流れに、ある種の違和感を感じていた為、このような家康公の葛藤を物語といたしました。


その違和感の中でも最も大きかったのは、

1603年に征夷大将軍となった時点で、わずか2年後にそれを秀忠公に譲る事を計画していたのか、

ということにございます。


当時の赤子は生まれてから3年以内の死亡率が高かったのではないかと思いますが、それでも家光公の誕生が、家康公の辞任に何らかの影響を与えたのでは…



さて、次回は正純の調略の相手となった「織田」の話になります。


また重い空気感になりそうですが、どうぞよろしくお願いいたします。


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