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翼を広げる時

◇◇

 慶長11年(1606年)2月ーー

 大いに盛り上がりを見せた豊国祭礼から、早くも二年の歳月が流れると、俺、豊臣秀頼は、十三歳となった。

 こっちの世界に来てから六年経過したことになる。

 ところが、俺のこっちの世界での目標である、「戦国の世を満喫する」ということは、全く達成されていない。

 なぜなら大阪城内でひたすら剣や学問の鍛錬に励んでいるからで、実のところ未だに大坂城の外に出ることすら許されていないのが現状であった。

 その鍛錬について、最初のうちは嫌で嫌で仕方なかったのだが、それでも毎日続けていれば、慣れてしまうのだから不思議なものだ。


 この日も何も考えずに、まだ寒さが残る朝の中庭で、一人剣の素振りに精を出した。


 史実において、豊臣秀頼公がどのような鍛錬をされてらしたのかは、分かるよしもなかったが、今の俺、豊臣秀頼は、毎日の厳しい鍛錬と、間食の節制もあってか、余計な贅肉も付かず、引き締まった筋肉質の体であった。



「よし!ここまでにしておこうか」



 と、一人で切りの良いところで素振りを終えると、火照った体を手ぬぐいで丁寧に拭く。


 そして衣服を整えると、表情を引き締めた。

 最後に、パンと一つ両手で頬を叩いて、この日の気合いを入れるところまでが習慣である。


 ところがここ最近、もう一つの習慣が加わった。


 それは…



「はいっ!秀頼様!お水をお持ちしました!」



 という、千姫の無邪気な笑顔を見ることだ。



「毎朝ありがとう!朝早くて大変ではないのかい?」



 いつも通りに俺は、水を受け取ってそれを一口含んでから、優しい声を彼女にかける。



「いえ、秀頼様とともに起きる事が出来て、千は幸せにございます!」



 彼女のはにかんだ様子を見て、



「ありがとう!」



 と、彼女の頭を優しく撫でるまでが、ここ最近の習慣となっていたのだった。



 ここだけを切り取ると、幸せで穏やかな日が続いているように、誰しも思うであろう。


 しかし、歴史の歯車は確実に「その日」に向けて動き続けていたのだ。


 豊臣家主催の豊国祭礼が大盛況のうちに終了したことに、危機感を募らせた徳川幕府は、その年のうちに、関ヶ原の合戦以降に徳川に忠誠を誓った大名たち全員に対して、江戸に出来た大名屋敷に彼らの家族を住まわせた。それは、言わばていの良い人質である。


 さらに俺が指示をした大坂から京への舟による航行を見て、その造船技術を抑制するつもりであったのであろう。徳川幕府は五百石以上の大規模な船を各大名から取り上げるとともに、さらにその建造を禁じた。


 そして…


 その権力をより強固なものとすべく、徳川家康は将軍を辞職すると、それを徳川秀忠に譲ったのであった。


 すなわち、俺たちの仮初めの幸せの裏では、豊臣家は徐々に逆境へと追い込まれているのだ。



 しかし、俺を最も焦らせていたのは、それらが全て史実の通りに進んでいるという事実であった。


 黒田如水がその命をかけた大博打の九州の戦いを起こそうとも、その歯車は寸分違わずに、その回転を加速させていく。


 こうなると行く先は一つ…


 豊臣家と徳川家の最終決戦である、大坂の陣…


 その決戦の敗北による、豊臣家の滅亡と、大坂城の炎上だ。


 そして、俺に課せられたその大きな使命は、この大坂城にいる全員の笑顔を守り、その生活を豊かにすること。


 すなわち…



 大坂の陣に勝利すること。



 今日こそは、その第一歩とせねばならない。


 もうこの背中にある大きな翼を暖める時間は終わりにしよう。


 いよいよ豊臣秀頼が、逆境から這い上がる始まりの日にしなくてはならないのである。


 そんな強い決意のもと、朝げを終えた俺は剣の稽古場へと歩を進めたのだった。




………

……

ーーわらわに剣の勝負で勝ったその日から、自由に大坂城の外に出てよいこととする!


 これは、俺が師匠である甲斐姫から厳しい稽古をつけられることになった初めての日に言われたことである。


 そして今日こそ、その日とするつもりでいた。


 すなわち…俺は甲斐姫と、剣の勝負を挑んだのである。



「ほう…今日は随分と目つきが違うじゃねえか」



 白い道着に身を包んで、凛とした声を甲斐姫が上げる。

 長く伸びた髪は上で束ねられ、相変わらず色艶のよい美しい顔立ちだが、その目はさながら獲物を狙う肉食獣のように鋭く光っている。

 稽古を始めたばかりのその頃は、この視線だけで萎縮してしまったものだ。

 しかし今は違う。

 俺はギロリとその視線を跳ね返すように、甲斐姫を睨みつける。

 春にはまだ先のひんやりとした道場は、俺と甲斐姫の闘志で、にわかにその温度を上昇させていた。


 この立会いには、木村重成、大野治徳(おおのはるとく)、堀内氏久の三人の俺と同年代の親友であり稽古仲間でもある少年たちはもちろんのこと、俺の母親である淀殿、千姫、さらには明石レジーナと真田幸村も姿を見せていた。



「まるでわらわが、秀頼様に負けるのを見にきたような雰囲気だねぇ。

しかしそう簡単にいくかな?

返り討ちにされて、後で恥をかくのは秀頼様だぜ」



 甲斐姫は余裕の笑みを浮かべる。

 俺はあくまで真剣な表情を崩さずに返した。



「たとえ負けても後悔はいたしません。

しかし今日の勝負は必ず勝つのだという強い覚悟を示す為に、皆さんを呼びました」



「ほう…言うようになったじゃねえか。

じゃあ、早速始めようか」



「はい…」



 と、俺は木刀を正面に構える。そして静かに甲斐姫の間合いの手前まで歩を進めた。


 それを見て甲斐姫は木刀を上段に構える。


 いつの間にか俺の背丈は、甲斐姫を上回っていた。

 それでも彼女のその構えは、まるで俺を飲み込みそうな強い威圧感が感じられて、俺は心に強い意識を込める。


 じりじりとした睨み合いが続いた。


 もし足の指が一本でも前に出た瞬間に、甲斐姫の強烈な振り下ろしの一刀が俺の脳天を捉えるであろう。


 俺は剣先を細かく動かし、甲斐姫の出方をけん制する。



「やぁっ!!!」



 と、甲斐姫から気迫のこもった声が稽古場を震わせる。



「やぁぁっっ!!」



 と、俺も負けじと突き抜けるような声を上げた。


 両者ともに中々踏み込めない、もどかしい時間が続いた。

 その間に立ち会いに参加した人々は声も上げずに、固唾を飲んで俺たちを見守っている。



 …と、次の瞬間であった。


 この緊張感に耐えきれなくなったのは…



 千姫だった!



「秀頼さまぁぁぁ!!頑張って!!」



 静寂の中で彼女の声がこだますと、みなその声の持ち主の方に鋭い視線を向けた。


ーー声を出したらダメでしょ!!


 という声なき声で全員で千姫を注意するが、当の本人は真剣な表情で、鼻を膨らませて顔を赤くして、俺の事を後押ししようと熱い視線を送っている。


 俺はその視線をちらりと見ると、思わずくすりと笑顔が漏れる。


 ところがその隙を甲斐姫は見逃さなかった。



「てぇぇぇぇい!!」


 雷鳴のような声が響いたかと思えば、さながら電撃のごとき速さで剣が振り下ろされてくる。


 しかし…


 千姫の事に気を取られたのは、俺にしてみれば誘いであったのだ。


「せぇぇぇいっっ!!」


 俺は甲斐姫に負けない気迫を声に込めると、彼女の剣を受け止める。



ーーカンッ!!



 と木刀同士がぶつかり合う乾いた音がしたその瞬間、俺は一歩踏み込んで返した剣を彼女の胴に滑らせた。


 彼女の表情は、自分の攻撃が止められたことにより一瞬驚きを浮かべたが、すぐに元の余裕の顔に変わった。


 俺はその表情に嫌なものを覚えるが、その剣筋を変えずにそのまま彼女の胴を斬り抜かんと、腕を振り抜こうとした。


 しかし次の瞬間ーー


ーードンッ!!


 と、甲斐姫は一度殺された前進の勢いを強引に戻して、体ごと俺にぶつけてきた。


 俺の一閃は完全に止められると、甲斐姫と俺の顔の距離がまさにくっつく寸前までに近づく。


 そして彼女は俺ににやりと笑って話しかけた。



「気を取られた振りとするとは、なかなかやるじゃねえか」



 俺も強がって口元を緩ませる。



「甲斐殿こそ、俺の渾身の一撃を打たせないなんて…さすがでございます」



「言ってくれるわ。お主に返し胴を何度も鍛錬させたのは誰だと心得る」



「ははは…それはそうでした。俺の剣はすべて甲斐殿によって作られたものでございます」



「そういうことだ!!」



ーードカッ!!



 と、甲斐姫は俺を突き飛ばすようにして、距離を取ると、再び剣を高く振り上げた。


 俺は基本的な構えを取る。



 そして…



 覚悟を決めたーー


 

 それは彼女との勝負に勝つ為に、勇気を持って一歩踏み出すこと。


 そして、豊臣家が滅亡へと進む道からあがなうこと。



 いくら俺が未来を知っていようが、歴史はそう簡単には変えられないことは、今までの数々の経験で身に沁みて分かった。



 だからこそ、俺はここ数年間、大阪城でこの背中の翼を温め続けてきたのだ。


 それは、基本となる『型』を学ぶ為。


 剣だけではない。


 作法、書、政治、経済、外交、兵法、人間関係…


 この戦乱の世をかたどる全ての『基本の型』を徹底的に体と頭に叩き込んできたのだ。


 そして、俺はこの日から翼を広げる。


 それは逆境という厚い雲に覆われた大阪城に一筋の光をもたらすため。


 その為には、『型』にとらわれてはならない。

 

 そう確信している。


 すなわち、俺は…



 『型』を破るーー



 俺は…


 基本の構えから…


 剣を左手だけで持つと、それをだらりと下にさげた。

 それは教えられた『型』にはない構え…



「やあぁぁぁぁ!!!」



 という甲斐姫の気合いの声。再び一撃必殺の振り下ろしが俺に襲いかかる。


 何度も何度も練習してきた相手の飛び込んでくる振り下ろしへの対処の『型』。

 それは剣で受け止めてから、胴を抜くか、引きながら面を打つ。


 しかし俺は知っている。

 それでは『甲斐姫』という、『歴史の体現者』に絶対に勝てぬことを…


 彼女は試しているのだ…


 俺が徳川家康という歴史を味方につけた怪物に対峙できるだけの器であるか…

 決して『型』にはまっていたままでは勝てぬ相手に、勝つ為に『型破り』を行えるだけの器か…


ーーそうでなければ、自分が守ってやる


 そう悲壮な決意を持って俺の矢面に彼女は立ち続けるだろう。


 俺の『剣』となってーー


 言いかえればそれは俺への、いや豊臣家への深い愛情。

 その愛情を今、彼女は渾身の一撃に変えて、俺に襲いかかってくる。


 これを自分の剣で受けるのが、いわゆる『型』だ。


 

 しかし…



 俺は剣を動かさない。



 そして彼女の鋭い踏み込みに対して、一歩左によけた。


 彼女の振り下ろしが空を切る。

 しかし、一撃がかわされることくらいでは、彼女にとっては手の内。

 なぜなら相手の剣に対して、『受ける』のと同様に、『かわす』は、言わば基本となる『型』であるからだ。


 彼女は、そのまま返す刀で、俺の胴を逆に薙ぐ。


 しかし…


 俺はそれを許さなかった。

 

 彼女との距離はほぼない。


 彼女が引きながら逆の胴を払おうとしたその瞬間…


「やあぁぁぁぁっ!!!」


 と、俺は気合とともに空いた右手で手刀を彼女の軸となる右手首に飛ばした。


ーーパンッ!!


 という高い音が響いたかと思うと、彼女の表情が驚愕に変わった。


 彼女の剣はまるで時計の針が止まったかのように、ぴたりとその動きを止める。


 俺はその時にはすでに振り上げていた左手…すなわち剣をそのまま振り下ろす。


 彼女のガラ空きになったその額に向けてーー




 静寂があたりを包む。



 

 俺の剣は、甲斐姫の額の寸前で止まっている。


 それを見つめた彼女は、小さい声で俺に問いかけた。



「まさか『受ける』『かわす』という基本から外して、『当てる』でわらわの剣を止めるとはな…

いつそんなことを覚えた?」



「自分で考え抜き、何度も鍛錬しておりました。甲斐殿に言いつけられた朝の素振りにて」



「型を磨き、それを破る型を身に付けおったか…見事だ」



 その瞬間ーー



ーーわあぁぁぁぁぁ!!!



 と、重成、治徳、氏久、それに千姫が歓声を上げて俺の元に駆け寄る。


「秀頼さまぁ!!すごいです!!」


 と、千姫が抱きついてくれば、


「秀頼様!!お見事にございました!」


 と、重成が頭を下げる。

 そして、


「秀頼様!!俺はやってくれると信じておりましたぜ!!」


 と、治徳は腹を抱えて笑い、


「秀頼様、すっげぇぇぇ!」


 と、氏久は感動していた。



 そして…


 俺はその翼を大きく広げた。


 型を破らねば変えられぬこの歴史の歯車。


 変えてやる!この手で!


 強い決意を胸に秘め、甲斐姫の額の寸前で止めていた剣を引いたのだった。



「甲斐殿…いや、お師匠殿。ありがとうございました」


 俺が頭を下げると、甲斐姫は俺に対して、小さく礼をして、すぐに頭を上げた。



「勘違いするなよ。まだまだ鍛錬は続けるからな。

しかし、約束は約束だ。

今日より大坂城からの出入りは自由!

ただし、必ずお供とともに行動し、日没前には帰ってくること。

それでよろしいかな?

淀殿?」



 傍らで穏やかな表情で見つめていた母の淀殿が、こくりとうなずく。

 俺は、そんな母に向かって、あらためて一礼した。


 そして大きな声で皆に言ったのだった。



「これからもよろしくお願いします!!」



 まだ空気は寒さの残る季節。

 それでも暖かな春の日の訪れはすぐそこまで迫っている。


 木々に色づいてきた花のつぼみと、大坂城の未来を、俺は重ねていたのであった。





 …と、その時…



 一人興奮もせずに見ていたレジーナが、つかつかと俺に近づいてくる。

 俺がけげんに思って、眉をしかめたのも束の間、彼女は無表情のままぼそりと言った。



「…秀頼様…素敵」



「は?」



 次の瞬間…



ーーチュッ…



 と、俺の頬に柔らかい感触がしたかと思うと、レジーナが口づけをしたのだった。


 固まる周囲…


 そっと離れたレジーナは、ニコリと笑いながら告げた。



「型は破らねば、恋にも勝てぬ」



 そう言い残すと、稽古場をつかつかと後にしていったのだった…



 俺の顔は俺の意識とは関係なく真っ赤に染まっている。


 全員があっけに取られて動けぬ中、一人だけわなわなと震えている者の存在に、俺はようやく気付いた。


 …が…


 その時はもう遅かった…



「な、な、何をそのように嬉しそうに顔を赤くされてらっしゃるのですか…?」


「ま、まて!!お千!!今回ばかりは俺は悪くない!!」


「いえ!!甲斐殿の強烈な一撃をかわせて、どうしてレジーナの口づけはかわせないのですか!!!」


「いや!それは…!!ふいをつかれたというか!!」


「問答無用!!!秀頼さまなんて…」


 俺の苦し紛れの言い訳など、もはや通用するような状態ではない。


 千姫の右の拳に空気が収縮されていくと、それは鉄のような硬さに変っていく。


 そして…


「秀頼さまなんて、だいっきらいじゃぁぁぁぁぁぁ!!!」



「ぐわぁぁぁ!!!」



 という俺の悲鳴とともに、先ほどは柔らかい唇に触れた俺の左頬は、今度は鉄のように硬い千姫の拳を受けたのだった…




  太閤の見た夢

  ~逆境からはじめる豊臣秀頼への転生戦記~

  第二部 開幕








大変お待たせいたしました。


いよいよ第二部の開始になります。


読者の皆様の心に届くような物語を作れるように、精一杯頑張っていきたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします!



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