豊臣秀頼様謁見大作戦① 私は誰!?
◇◇
「お伊茶!おい、お伊茶や!」
と、私の知らない名前が、私の耳元で呼ばれている。
その声で、私、八木麻里子は、悠久の時の旅が終点を迎えたことに気づいた。
ゆっくりと目を開けると、目の前には髭面の細身のおじさんの姿。
もちろん私の知らない人…
そして私自身のことも同じ。
どうやら「お伊茶」という名前のようだけど、それ以外のことは全く分からない。
もう一つ分かっている事があるとすれば、随分と私は若そうだ。
もちろん元の時代の私だって、女子高生だったわけで、自分で言うのも変だけど若い。
しかし今の私はそれ以上に若い…むしろ幼いと言った方がよさそう。
体感的には…小学四年くらい…つまり十歳くらいかな…
でも、私にとって自分自身のことすら、どうでも良いの!
なぜなら…私のすべき事は、たった一つだから!
そしてそれを達成する為に、最も近道を取ることにしたのだ!
「たっちゃん…いや、豊臣秀頼って人に会いたいの!!」
と、私は目の前の髭面のおじさんに大きな声で頼み込んだ。
ところが…
「は…?」
と、そのおじさんの顔は、あまりの驚きに固まってしまい、言葉すら出てこないご様子…
どうやら、私の「豊臣秀頼に会いたい」というのは、あまりに突拍子もないお願いだったようね…
それがなぜだかは分からないけど。
ちなみに私は、たっちゃんと違って、日本史は中学の頃から全くの苦手で、なんと「豊臣秀頼」なる人も、どこかで名前を聞いた気はしているが、実際に誰なのかは全く知らない。
同じ豊臣でも、豊臣秀吉なら知ってるんだけどなぁ…
とは言え、その秀吉さんのことも、織田信長って人の跡を継いで天下を取った人、くらいしか知らないのだけど…
そんな風に私が逡巡しているうちに、目の前の髭面のおじさんは、震える声で私に言った。
「お伊茶…おめえやっぱり今朝は変だ…
もう少し、横になってな…
父は奉公に行ってくるから」
と、おじさんは、元気一杯の私を、半ば強引に布団に寝かせて、固まった表情のまま部屋を出て行ってしまった。
「あのおじさん…自分の事を『父』って言ってたわ。
どうやらこの時代の、私のパパみたいね」
と、布団にくるまりながら独り言を言う私。
「はぁ…なんか道のりは果てしなく長そう…」
と、たっちゃん…いや、豊臣秀頼なる人に会うまでに、どれ程時間がかかるのやら…ということを思うと、急に気が重くなってきた。
ーーぐるぅぅぅ…
気が重くなると同時に、お腹がなる。
「お腹空いたなぁ…そう言うところは、元いた時代と変わらないのね…」
私は前の時代と変わらぬ自分の食欲の旺盛さに辟易して、ひとまず布団とこの部屋から出ることにしたのだった。
………
……
さてと…
布団から出て部屋の外に出てみると、意外と廊下が長いのにびっくりだわ。
どうやら結構大きいお屋敷みたいね。
ということは、私はいわゆる「お嬢様」なのかもしれない。
そんな事を考えると、思わず顔がにやけてしまう。
きっと美味しいもの食べたり、素敵な着物や髪飾りも…
「ところで何部屋あるのかしら?」
ひい、ふう、みい…と数えると、どうやら五部屋くらいはありそう。
中はいちいち確認はしなかったのだけど、私のママに当たる人も、どこかの部屋にいるのかなぁ。
と考えているうちに、再びお腹がぐるぅぅぅと鳴る。
「ひとまずは、食べ物ね!」
私は長年の「鼻」を頼りにして、屋敷の中をずんずんと進んでいった。
そしてついに台所を見つけたのだ!
そこには屋敷の使用人らしき、若いお姉さんが何やら一生懸命に動いている。
「何をしているの?」
と、私が問いかけると、そのお姉さんは、
「わぁ!伊茶様!?驚かせないでくださいな!」
と、顔を青くして飛び上がった。
少しぽっちゃりしたそのお姉さんは、いかにも人が良さそうな顔つきをしている。
このお姉さんなら頼りになりそう!
という根拠のない私の直感が、ビビッと頭の中を駆け巡った!
そして早速その直感が正しいかを試してみることにした。
「お姉さん!何か食べる物をちょうだい!」
そんな私のお願いに、お姉さんが目を丸くしている。どうやらまた私のお願いは突拍子もないものだったのかしら…
そんな風に不安になると自然と髪の毛をいじってしまう癖も、こっちに来ても変わらないよう。
ところが…
「ふふふ、伊茶様はお腹が空かれてここまで来られたのですね」
なんとお姉さんが人懐っこい笑顔を私に向けてくれてるではないか!
やはり私の直感は正しかった!
それを証明するように、お姉さんは
「ちょっとお待ちくださいな」
と告げると、なにやら大きな甕に手を突っ込むと、大きな蕪を取りだした。
「天王寺蕪の粕漬けにございますよ」
そう言うと、お姉さんはそれをまな板の上に置くと、トントンとそれを包丁で切っていく。
その間に私はお姉さんに気になることを聞いた。
「お姉さん、お名前は何と言うの?」
その問いかけにお姉さんの手が止まると、私の方を振り返ってけげんそうな顔をしている。
やっぱりそうよね…急に名前を聞くなんて、不自然過ぎるもの…
しかしどこまでも人が良いお姉さんなのだろう。
不思議そうな顔を浮かべながらも、
「今日のお伊茶様はどこかおかしいですね?梅ですよ。われの名前は梅と申します。昨日は『梅!梅!』と元気よく声をかけてくれていたではありませんか」
と、丁寧に教えてくれた。
もうこうなったら、打ち明けられるところまで、この梅さんに打ち明けて、力になってもらうしかない!
そう私は決意して、うつむきながら正直に話した。
「ごめんなさい…今朝起きたら、何か記憶があいまいで…」
「まあ!それは大変!旦那様と奥様にご相談しなくては!!」
「梅さん!パパ…いえ、父と母には黙っておいてくれないかしら!?余計な心配はかけたくないの!」
と、私が強い口調で懇願すると、梅さんは「はぁ」と肩を落として、
「分かりました…ではお伊茶様が今何をご存じなのか教えていただけますでしょうか。梅でよろしければお力になりましょう」
と、苦笑いを浮かべてそう言ってくれた。
私はその言葉を聞いた瞬間に、自然と笑顔がもれる。
「梅さん!ありがとう!」
大きな声でお礼を言うと、思わず梅さんに抱きついた。
「ちょっと!お伊茶様!!そんな事をされては、お伊茶様の着物が汚れてしまいますよ!」
と、大慌ての様子の梅さん。
でも私は、右も左も分からない中で、自分の事に耳を傾けてくれる強い味方が出来たことが嬉しくて、そんな梅さんの大きな腰からしばらく離れなかった。
ただ…
それでも梅さんに全てを話すことは出来ないだろうな…
私が今からずっと先の未来から来たこと。
それにこの世界に来た目的が、豊臣秀頼に会うこと。
さらにその中に入っている幼馴染とともに、元の世界に戻ること。
そんな事を話しても絶対に信じてくれないだろうから…
………
……
「この蕪おいしい!!」
私は思わず大きな声で驚いた。
元いた時代では、朝食と昼食はパンだったし、夕食も洋食が中心。
漬物なんて家族旅行で温泉宿に行った時くらいしか食べないから、こんなに蕪の漬物が美味しいなんて思いもしなかった。
「ふふ、天王寺蕪は、この辺りの特産ですからね!自慢の一品にございます!」
梅さんは、まるで自分がその特産を作ったかのように、得意げに鼻を鳴らしている。
でも、そんな事が気にならないくらいに、私はこの漬物に惚れてしまった。
そんなとろけるような顔をして漬物をほおばる私に対して、梅さんは、
「ところで、お話しの続きでございますが…
お伊茶様は、豊臣秀頼様にどうしても会いたい、ということにございますね」
と、問いかけてきたので、私は、「うん」と言わんばかりに大きくうなずく。
すると梅さんは「はぁ」とまた大きなため息をついて、眉をしかめた。
ちなみにこの時までに、私と私の家族について梅さんは色々と教えてくれていた。
どうやら私のパパは、渡辺五兵衛というお名前。大坂城で勘定方というお仕事をしているらしいのだけど、そのお仕事が何なのかは、梅さんも『帳簿をつけるお仕事』くらいしかしらないらしい。
そしてママは、お糸ってお名前で、病気がちで今も床に伏せているみたい。
このお屋敷はパパの職場の大坂城の近くだそうだけど、その大坂城に入るには、大きな城門があって、お仕事をしている人やお客様以外は、絶対に通してくれないらしい。
私の名前は、お伊茶。パパとママの一人娘で、十一歳。今は特にどこかに奉公に出されているわけでもなく、この家のお手伝いをしながら過ごしているよう。
そして、梅さんは、やはりこの屋敷の使用人。年齢は…教えてくれなかったけど、早くに夫と死に別れて、私のママが声をかけてここで奉公しているのだそうだ。
子供はいないけど、病弱なママに代わって、私の養育係も兼ねているようなの。
この梅さんが良い人で、本当に良かったわ。
さて…さっきの私の質問に、しばらく考え込んでいた梅さん。
私はその答えに期待しながら、蕪を次々と口に頬張っていた。
しかし…
「それは無理なご相談にございます。お伊茶様」
その言葉に驚いた私は、ほおばった蕪を喉に詰まらせてしまった。
「ゴホッゴホッ!!」
「ちょっと!お伊茶様!大丈夫ですか!?」
梅さんは私の背中をさすりながら、近くの甕から水をすくって飲ませてくれた。
私は息を整えると、再び懇願するような目で梅さんを見つめる。
「どうしても会えないの?」
その私の目を見た梅さんが、明らかに動揺しているようだ。
顔を赤くして私から目をそらすと、
「どうしても会えません!」
と、自分に言い聞かせるように答えた。
その逸らした目を追いかけるように、私は梅さんに顔を近づける。
「本当にどうしても?」
「会えません!」
「本当に、本当に、本当にどうしても?」
「会えません!!」
どうやらここまでかたくなに「会えない」というのだから、本当に会うのが難しいのだろう…
しかし私をこの時代にいざなったあの女の方は「彼に会わせてあげる」と私に言っていたのだから、何か手段があるはずなのだ。
でも…どうしたら…
そんな風に困って、髪の毛の先を右手でいじっていると、梅さんが私に言い聞かせるように言った。
「お伊茶様。そもそも豊臣秀頼様がどういったお方か、ご存じですよね?」
「ん?名前は聞いたことはあるような気がするのだけど、全然知らないわ」
「ええぇぇ!!?な、なんですって!?」
梅さんが驚愕のあまりに、両手を上げて後ろに飛びのく。
その様子に私は頬を膨らませた。
「ふん!何も知らなくて悪かったわね!」
「お伊茶様。さすがに豊臣秀頼様と徳川家康様のお二人の事くらいはご存じでないと…」
「あ!徳川家康って名前は聞いたことあるわ!江戸幕府を作った人でしょ!」
「江戸幕府?聞いた事がないお名前でございますが…
でも確かに昨年、徳川様は征夷大将軍に任じられて、江戸を中心とした世をお作りになられるようですね。
しかし、お伊茶様はそれをご存じなのに、豊臣秀頼様をご存じでないのですね」
「うん…ははは…でも昨年の出来事くらいなら覚えてるのかも…」
私は笑ってごまかしたのだけど、梅さんはますます不審そうに首をかしげた。
そして…
次の瞬間…
私にとって衝撃的な事を口にしたのだった…
「だって、豊臣秀頼様が千姫様とご結婚されたのも昨年ですのに…
それは覚えてらっしゃらないのですね?」
け…結婚…!?
た…たっちゃんが…!?
あまりの衝撃に私の思考や理性が粉々に砕かれていく。
そしてその奥から、何かふつふつと沸き上がる溶岩のような灼熱の感情が私の心を風船のように膨らませていくと…
一気にそれが爆発した――
「たっちゃんが結婚!!!そんなのありえない!!!」
私は大声で叫ぶと、台所の側にある玄関から、はだしのまま外へと飛び出した。
そのすぐ目の前には、雄大なお城が見える。
あれが大坂城に違いない!!
私はその城に向かって一直線に駆け出した!
すると、背後から梅さんの焦った声がこだましてきた。
「ちょっと!お伊茶様!!どこに行かれるのですか!!?」
「決まってるでしょ!!たっちゃんのいる所…大坂城よ!!」
「ええええええっ!!!お待ちください!!お伊茶さまぁぁぁぁ!!」
たっちゃんが結婚だなんて絶対に許さない!
どういう事か、問いただしてやるんだから!!
その一心で、私の目には大坂城しか映っていないのであった。




