想いを乗せて!踊れ!豊国祭礼【終幕】
第一部最終回になります。
約三話分のボリュームになりますが、何卒ごゆっくりとご堪能くださいませ。
◇◇
慶長8年(1603年)7月28日 昼過ぎ――
本来であれば、つつがなく婚儀が進んでいるはずの時であったが、主役の一人の失踪により、大坂城は大混乱の真っただ中にあった。
婚儀が執り行われる部屋は乱れ、右往左往する人々で城内は溢れかえっていたのである。
そしてそんな大坂城の様子に、千姫の付き添いとして出席していた徳川家の者たちは、荒れ狂う部屋の片隅で静かに腰をおろしていると、
――こんな様子では、豊臣家の行く末は暗いな…
と、深いため息をつくとともに、冷ややかな目で見ていたのである。
しかし…
そんな豊臣家の人々の前に、一人の男が姿を現すと、その様子を見て大笑いしたのであった。
「はははっ!!滑稽なり!滑稽なり!!」
その男こそ…
この婚儀のもう一人の主役である、豊臣秀頼であった…
その大笑いを、鬼の形相で睨みつけた甲斐姫が、秀頼に怒声を浴びせる。
「秀頼様!!今まで部屋で引きこもっていた分際で、この状況を笑い飛ばすとは何事であろうか!!」
普段であれば、この甲斐姫の一喝で、秀頼は顔を青くしてしまうのであろうが、この時の秀頼は違った。彼は、余裕の表情で甲斐姫の怒りを受け流すと、その場にいる全員に聞こえるような大声で一喝した。
「皆の者!!!静まれ!!」
その声に、驚愕の表情を浮かべた人々は、全員が秀頼の顔を覗き込み、その手足の動きを止めた。
「よいか!!これより四半刻(約30分)の後、俺が千姫をここに連れてまいろう!!
ついては、その頃より婚儀が始められるよう、城内を整えるように!!
且元!!!」
「ひゃ…ひゃいっ!!」
あまりの秀頼の剣幕に、名前を呼ばれた片桐且元は、思わず声が裏返ってしまったようだ。
しかし、そんな事を気にする様子もなく、秀頼は続けた。
「お主に全ての支度を整える責任者を命ずる!!
この婚儀、必ずや成功させてみせよ!!よいな!!」
「はっ!!御意にございます!!」
と、その堂々とした秀頼の態度に、且元は冷静さを取り戻すと、深くお辞儀をして、すぐにその場を去っていった。
そして秀頼は、徳川家の人々の前まで足を運ぶと、彼らの前に腰を下ろすと、深々とお辞儀をした。
「こたびはお見苦しいところをお見せしてしまい、失礼いたしました」
かつては天下人とあがめられた豊臣家の棟梁が頭を下げたことに、慌てふためいた徳川家の人々は、声も出せずに互いに目を合わせていた。
そして、顔を上げた秀頼は、笑顔で言ったのだった。
「これもこの豊臣家では日常の演劇のうちの一つでございます。
ついては、彼らが大騒ぎしているこの演劇を、客人の徳川家の方々には、存分にお楽しみいただきたく…」
この天地のひっくり返ったような大坂城の様子を『演劇』と言い切った秀頼に対して、徳川家の人々は驚きを隠せなかった。
「え…演劇?」
「はい、演劇にございます!もちろん演じている彼らは、本気で大騒ぎしているのですが、われから言わせれば、これも天下が舞わせている踊りでございます。
徳川家の方々をお迎えするに、ふさわしい余興であると、かの太閤殿下も、雲の上にて腹の底から笑いこけていることでしょう」
なんと豊臣秀頼は、この騒ぎを『問題』とはせずに、徳川家を迎える『余興』としたのである。あまりに苦しい言い訳としか聞こえないその言葉も、こうまではっきりと断言されると、本当にその言葉のように思えるのだから不思議なものである。
徳川家の人々は、互いの顔を合わせると、その代表者が秀頼に頭を下げて言った。
「では、この余興の行く末を、われらは見守りましょう」
「ありがたき幸せ。では、われもその演者の一人となりますゆえ、ここで失礼させていただきます」
と、言い残すと秀頼は、本当に舞うような、軽やかな仕草でその場を後にしたのだった。
「…なんなのだ…あのお方は…」
「解せぬ…」
と、実直で知られた徳川家の人々は、みな首をひねらざるを得ないのであった。
………
……
豊臣秀頼が、混乱を極めた人々の前に姿を現したその頃、千姫は、誰もくるはずもない、暗い部屋に一人でうずくまっていた。
その場所を教えてくれた人を彼女はあまり覚えていないが、
――ここに隠れていれば、誰に見つかることもないよ
と、教えられたその場所で、一人で膝を抱えて泣きべそをかいていたのである。
「秀頼さまの馬鹿…」
彼女が姿をくらました理由…
それは至極単純なものであった。
「秀頼さまは、千と夫婦になりとうないのじゃ…」
そう、それは豊臣秀頼が、自分との婚儀に全く乗り気ではないことに、ひどく落胆していたのであった。
周囲からは歓迎されているこの結婚も、肝心の夫である秀頼が後ろ向きであることに、彼女はどうしても許せなかった。
――どうにかしてこの婚儀をないものに出来ないか…
こんな風に思っていたところに、見たこともない女に、この場所を教えられて、彼女は侍女の目を盗んで部屋を出ると、この場所に隠れることにしたのであった。
彼女は、一人で声を殺してずっと泣いていた。
「千は…千はこんなにも秀頼さまのことをお慕いしておりますのに…」
わずか七歳の少女のその胸の内にある「お慕いしている」という感情は、決して大人の男女が持つような恋愛感情ではないであろう。それはもっと純粋で、単純な好意だ。
ものごころついた頃から、親元を離れて、さながら人質のように扱われてきた彼女の人生であったが、周囲が思うほどに彼女は不幸とは感じていなかった。
母親代わりである淀殿は、自分の事を本当の娘のように接してくれているし、明石レジーナらの同年代の少年や少女は、彼女のことを親友として、わけへだてなく共に過ごしてくれていた。
そして何よりも、本来ならばこの日に夫婦となるはずの豊臣秀頼は、時には冷たく突き放すような仕草を見せるものの、その心の深いところから感じる愛情に、彼女はこの上ない幸せを感じて、日々を過ごしてきたのだった。
しかしそれは黒田如水の死の報せが届けられたその日から変わってしまった。
秀頼は何をしても、いつになっても上の空のまま…
その瞳には、彼女の姿が映ることがなかったのである。
彼女はそんな秀頼を見続けて、彼が感じた苦悩と同じように、その幼い心を痛めていた。
それでもこの婚儀が近づけば、秀頼の心は自分に向いてくれるだろうと、信じてやまなかったのである。
いや、もはやこの大坂城の他には逃げ場のない彼女にはそう信じるより他なかったのだ。
しかし…
秀頼はついに変わらなかった…
彼女の辛抱強いその心はついに折れてしまい、今この部屋で膝を抱えるにいたったのであった。
ふと耳を傾ければ、つい先ほどまでこだましていた「千姫様!!どこにおられるのですか!!」と、自分の名前を呼ぶその声さえも聞かれなくなってしまっていた。
「とうとう誰も千のことに見向きもしてくれなくなったのじゃ…」
と、彼女は卑屈な苦笑いを口元に浮かべて、より心を閉ざそうと膝を抱える手の力を強めた。
それでも人間の体は、素直なようで、彼女の腹は「くぅ」という可愛らしい音を立てて、彼女を部屋の外に出そうと努力をしている。
しかし、彼女はそんな腹の虫には負けまいと、口を真一文字に結んでいた。
それでも、少女の言葉だけは素直に漏れる。
「おなか空いたな…」
…と、その言葉を発した、その時であった。
「えっ…??」
目の前に突如して現れたその光景に、千姫は目を丸くした。
それは…
小さな手…いや、千姫にしてみれば、とても大きな手。
その上には、数粒のコンペイトウ――
そして優しい声が、まるで天から降り注ぐようにかけられたのである。
「お腹が空いているのなら、これを食べるかい?」
その手の持ち主の会を見た、その瞬間――
ーーうわぁぁぁぁぁん!!!
と彼女は泣きだしてしまった。
そして、その手の持ち主の胸元に、思いっきり飛びこんだのである。
彼女の突然の行動に、その手からコンペイトウが落ちる。
しかし、バラバラというその音を、彼女とその手の持ち主は、意識を向けることなどなかったのであった。
そして…
その手の持ち主は、彼女に再び優しい声をかけたのだった。
「待たせたな… お千…」
それは…
彼女が、ずっとこの部屋で待ち焦がれていた相手…
豊臣秀頼その人であった――
「馬鹿!馬鹿!秀頼さまの馬鹿!!どれだけ千を待たせるのですか!!」
「すまぬ、お千。許しておくれ」
「許しません!!千は絶対に許しません!!」
「それでは困るのだ…お千…どうしたら許してもらえるだろうか…」
その言葉に、千姫は秀頼の胸元から離れた。
涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、千姫は答えた。
その口調は、彼女の果てしない願いがこもっているのが、秀頼にもよく伝わるほどに、切なくて、か細いものであった。
「千と…千と夫婦になることを喜んで欲しい…千と同じくらいに…」
その切なる願いに、秀頼の鼻の奥につんとした痛みが走ると、胸のうちから熱いものがこみ上げてきた。
それでも何とか感情を抑えると、彼はかみしめるように、彼女に向けて語りかけたのであった。
その言葉も、何も飾りはない。秀頼の純粋な想いを込めたものであった。
「お千よ…
俺は正直、夫婦というものが一体どんなものなのか、まるで分からない。
元よりお千と俺の結婚は、俺たちの知らないところで決められたもので、決してお千が自分で望んだものではないはずだ」
その言葉に、一度は引いた千姫の涙が、再び溢れてきた。
彼女は、やはり秀頼が自分との結婚を望んでいない、自分の事を江戸にいる父の徳川秀忠のもとへと送るつもりなのではないかと思ったのだ。
秀頼は泣きじゃくる彼女に向かって続けた。
「しかし、俺がお千と共に過ごしてきた日々で、一つ気付いたことがある」
「な…なんでございましょう…?」
何とか言葉にして問いかける千姫。しかし彼女の心はもう壊れかけ寸前であった。
次の言葉を聞くまでは…
そして、秀頼は大きく息を吸い込むと、覚悟を決めたように、凛々しい顔をして千姫の瞳を見つめながら言った。
「俺は、お千の笑顔が好きだ。
その笑顔をずっと側で見たいと思っておる」
再び涙が止まる千姫。
顔はぐしゃぐしゃのまま、その大きな瞳を見開いて秀頼を見つめていた。
そして、秀頼は少し照れたように顔を赤らめながら続けた。
「そして…俺は、お千のことを、いつも笑顔にして見せたいと、心の底から思っておるのだ」
みたび千姫の瞳からは涙が溢れてきた。
しかしその涙は、今までの涙とは全く異なり、暖かいものであった。
「だから…俺と夫婦となって、この先も俺の側で笑っていてはくれまいか。
この通りだ…」
と、秀頼は千姫に対して、深く頭を下げたのだった…
涙を抑えきれない千姫であったが、彼女にはそれをこらえなくてはならない理由が出来た。
それは…
「秀頼さま…お顔を上げてください…」
その言葉に顔を上げた秀頼に対して、
「千を、これからもよろしくお願いします!」
と、まるで春を思わせるような、満面の笑みを見せる為であった。
その笑顔を見た秀頼も笑顔になる。
そして…
――ふわり…
と、秀頼は彼女の肩に、一枚の着物を羽織らせた。
「やはり、お千には笑顔と、この淡い桃色の着物がよく似合う」
………
……
一方その頃…
片桐且元は、痛む腹をさすりながら、徳川家の人々の前で頭を下げていた。
その頃、大坂城内はすっかり落ち着きを取り戻し、あとは主役の二人の帰還を待つばかりだったのである。
「もうすぐ約束の四半刻が経ちますが、未だに二人とも顔を出されないとは…
豊臣は一体何を考えているのですか!?」
と、且元に対して徳川の代表者が詰問している。
「ま…まあ、もう少しお待ちいただき…」
「もう十分に待った!!このことは上様(徳川家康のこと)にも、右大将様(徳川秀忠のこと)にも、よぉくお伝えしておきます!!」
「あ…いや…どうかそれだけは…」
と、且元は脂汗を額に浮かべながら、弁解にならない弁解でその場を濁らせている。
その様子に冷たい視線を浴びせたのは、甲斐姫であった。
「ねちねちと五月蠅い方々だねぇ!?何かい!?徳川の人は全員、肝っ玉の小せえ輩ばかりなのかね!?」
その甲斐姫の挑発に、徳川の面々が顔を真っ赤にしていきり立った。
「何だと!!?無礼者め!!この場で斬り捨ててくれよう!!」
「ああん!?やれるものならやってみよ!そんなへっぴり腰の刀など、かすりもせぬわ!」
一触即発のその雰囲気の中…
「はははっ!!!みなのもの!!揃っているな!!大儀である!!」
と、ようやく待ちかねた豊臣秀頼が、傍らに顔を赤くしてうつむく千姫を伴ってやってきたのだった。
その姿は婚礼の儀にはそぐわず、普段と全く変わらない着物姿…
特に千姫に至っては、桃色の鮮やかな着物を羽織っているではないか…
その様子に、徳川の養育係にあたる女性が、甲高い声で千姫を叱責した。
「千姫様!!かようなお姿で婚礼の儀にのぞまれるおつもりですか!!非常識にもほどがあります!!」
その叱責に、千姫は怖がったのか、秀頼の背後に隠れるように身を潜めた。
すると、その声を上げた女性の方を向いた秀頼が、余裕の笑顔を浮かべたまま答えた。
「はははっ!!徳川のお家は伝統を重んじるようで、何よりである!!
しかしここは豊臣の家。
何事も型にはめるのが大嫌いであった、太閤殿下が築いた大坂城の中である!!
婚礼の儀に相応しいかどうかは、伝統が決めるものではない!
本人が本当に望む姿で臨むことが一番であると、われが決めた!
さあ、お千よ!言っておくれ!
お千はどのような格好で、婚礼の儀に臨みたいのだ?」
すると恐る恐る千姫は前に出てくると、小さな声で言った。
「千は…秀頼さまに選んでいただいた、この着物でのぞみたいのじゃ」
その言葉にざわめく一同…
しかし顔を赤くした徳川の女性は、きつい言葉で反論した。
「かような事を上様と右大将様がお許しになるとでもお思いですか!!
豊臣家は、徳川家の姫が嫁ぐにはふさわしくないお家であると、申しつけますぞ!!
天下の徳川を怒らせたくないのであれば、今すぐに白無垢に御着替えなさい!!」
その言葉に、秀頼は笑顔から、凛々しい顔に変えると、透き通った大声で、まるで頬を思いっきり張り飛ばすように言い放った。
「かような事なら、いくらでも言いつけるがよい!!!
たかだが花嫁の衣裳一つで、怒るようなお家の女であれば、この秀頼から願い下げである!!
その時は即刻江戸にお千をお送りいたそう!!」
「な…な…なんですと…」
開いた口が塞がらないといった徳川の女性に、秀頼は追い討ちをかけるように言った。
「われの大坂城には、この婚儀で笑顔になれぬ者は、居る資格などない!!
即刻ここから立ち去るがよい!!
そしてその事も徳川家康殿に言いつけるがよろしい!
さらに言い加えるなら、その言いつけを聞いた家康殿が、お怒りになるのか、それとも愉快に笑い飛ばすのか、この秀頼が楽しみにしておったと、付けくわえておくれ!
さあ、客人のお帰りだ!且元!!すぐに見送りをつけよ!!」
「はっ!!」
そう言うと、且元はその女性の前に立って
「お帰りはあちらにございます…今日は、城内の全員が婚儀に参加されますゆえ、おひとりでお帰りくだされ」
と、抑揚のない声で言った。しかしその目は痛快そうに笑っているのが、誰の目にも明らかであった。
しかし…
一人の女性がその秀頼の言葉に異を唱えたのである…
それは…
千姫であった。
「秀頼さま!!!それは千が許しませぬ!!!」
その千姫の大声に、再び部屋の中はざわめく。
そんな彼らを尻目に千姫は続けた。
「たとえ、おじじ様やお父上がお怒りになられても、千は秀頼さまの元を、絶対に離れません!!
もしおじじ様が、それに反対しようものなら、千がおじじ様を叱ります!!
だから、千を江戸に送るなど、絶対にさせませぬ!!」
その強い言葉に、しばらく沈黙が支配する…
その沈黙を破ったのは…
今まで黙って全てを聞いていた淀殿であった。
「お千よ!よくぞ申しました!!その言葉こそ、豊臣家に嫁ぐ姫としてふさわしいものです!!
さあ、皆さま!!大変お待たせしました!!
早速婚儀を始めますよ!!」
――わぁぁぁぁぁっ!!!
一斉に部屋の人間たちの歓声で、大坂城が揺れた。
こうして…
豊臣秀頼と千姫の婚儀は、大幅に時間をずらしたものの、前代未聞の歓声に包まれたまま、執り行われたのであった…
………
……
慶長8年(1603年)7月29日早朝――
俺、豊臣秀頼は、いつもの起床の時間に目を覚ました。
昨晩は、深夜まで俺たちの結婚の祝宴が続いていたようだが、俺と千姫は、疲労困憊だったこともあり、途中で退出してそのまま二人で寝入ってしまった。
しかし、習慣とは恐ろしいものだ。
いくら疲れていても、夜が遅くても、いつもと同じ時間に目が覚めてしまったのだった。
その俺の隣には、幸せそうな寝息を立てて熟睡している千姫がいる。
彼女の顔を見て、俺はくすりと笑った。
「良い夢でも見ていてくれているかな…」
そして、彼女を起こさないように、その部屋を後にすると、大坂城の中庭の方へと足を運んだ。
この場所は、いつも起床した後に訪れる場所だ。
俺は木刀を手にすると、いつも通りに素振りを始めた。
この素振りは、甲斐姫から言いつけられているもので、俺はほぼ無意識のうちに、朝稽古に身を委ねていたのである。
そんな俺に、声がかけられた。
「おはやいですね。しかも、いつも通りに朝稽古されるとは…恐れ入りました」
その穏やかな声の持ち主の方を見ると、そこには真田幸村の優しい笑顔があった。
「お主のほうこそ早いのう。昨晩は、加藤清正殿らと飲み明かしていたのではないか?」
「ふふ、当主の秀頼様が朝稽古を始めておられるのに、家臣であるそれがしが寝ているわけにはございませぬ」
「はははっ!その言葉に、俺の方が恐れ入ったわ!」
と、しばらく二人で顔を合わせて笑いあった。
そして、俺は素振りを再開すると、顔を幸村には向けずに言った。
「あの女にまた会ったぞ…」
俺の『あの女』という言葉に、顔を見ずとも幸村の心に波が立ったのが分かる。
「そうでしたか…その女は何をしに秀頼様の前に現れたのでしょう?」
口調こそ変わらないが、その声には警戒心が感じられた。
俺は素直にその事について答えた。
「…お千の隠れ場所を教えてくれたのだ…」
「なんと…」
「どうやらお千の前にも現れて、誰にも見つからぬ隠れ場所を教えたらしい…」
「そうでしたか…」
「一体何を考えているのやら…」
そこで言葉を切ると、俺は振る刀に力を込めた。
しばらく二人の間に沈黙が続いていたが、その沈黙を幸村が破った。
「ところで、その女は秀頼様に千殿の隠れ場所を教える際に、何か条件をつけてはこなかったでしょうか…?」
その言葉に…
「ゲホッ!!ゲホ!!」
と、俺は驚きのあまりに思わず咳きこんでしまった。
「ひ…秀頼様!?大丈夫ですか!?」
背中を幸村にさすられて、落ち着きを取り戻した俺は、
「ああ…大丈夫だ…心配をかけてすまなかった。
それに…条件など特になかったぞ」
と答えた。
しかし…
それは真っ赤な嘘であった。
――彼女に貴方の本心を話して、彼女を笑顔にする…そのように約束してもらえるなら、彼女の居場所をお教えしましょう。いかがですか?
それが、その女の出した『条件』であったなんて、口が裂けても言えたものではない。
なぜならそれは…
元いた時代で言えば、「プロポーズ」にあたるものなのだから…
俺は、これ以上この事について話しを続けていては、いつかぼろが出るに違いないと判断し、話題を変えるにした。
「ところで幸村。今日から、例の件の準備を開始する」
「例の件…?はて…一体何の件にございましょう…」
俺はその問いかけに、口元を緩めて答えた。
「馬鹿者!亡き太閤殿下の七回忌の件を忘れおったのか!?
例の件と言えば、ここでは来年に執り行う、七回忌の祭礼のことじゃ!」
その俺の言葉に、幸村ははっとした表情を浮かべた。
「これは、失礼いたしました!では、早速取り掛かりましょう!」
「はははっ!!そうじゃのう!!日の本一の祭りにしようではないか!!」
そう大笑いをした俺に対して、幸村も笑顔を浮かべている。
そして俺は一つの事を幸村に告げた。
「俺は如水殿の書状の通りに、今目の前にいる人々を笑顔にしたい!
そして皆の生活が豊かになるようにもしたい!
欲張りであろうか!?」
「ええ、とても欲張りにございます。
しかし…
その『夢』をそれがしも秀頼様とともに、追いかけとう存じます」
「そうか、ありがたいのう!」
と言うと、俺は幸村に右手を差し出した。
すると幸村も右手を差し出す。
俺はその右手を強く握ると、幸村は優しく握り返してくれた。
「握手…でございますね」
「覚えていてくれてうれしいぞ!
さあ、まず手始めに、京の街の全員を笑顔に…
いや、堺の連中や貿易にやってきた異国の人も含めて、全員を笑顔にしようではないか!!」
「御意にございます!!」
夏の太陽は顔を出すのも早ければ、登っていくのも早い。
既に俺の頭上にはその顔をのぞかせて、まるで激励するように照りつけていた。
その太陽は、黒田如水であろうか…それとも豊臣秀吉であろうか…
いや… 俺には二人と、もう一人…竹中半兵衛と呼ばれたその人が、三人で肩を組んで、俺の事を励ましているように思えてならなかった。
「父上!如水殿!そして半兵衛殿!!
この日の本に、豊臣の底力を見せてしんぜましょう!!」
◇◇
時は流れ、豊臣秀頼と千姫の婚儀から、ちょうど一年たった。
慶長9年(1604年)8月14日――
後世にその壮大な様子を屏風で残す「豊国祭礼」が、京にある豊国神社で始まった。
初日である8月14日は、形式的な豊臣秀吉公の七回忌の法要が執り行われると、翌日の8月15日から、本格的な祭りが始まったのである。
そして…
堺、大坂、河内和泉…畿内と呼ばれたその地域から、人が消えた――
いや、正確には、そのほとんどが京へと行き、大祭礼に参加したのである。
大阪から京への道は人で溢れかえったが、長宗我部盛親やその元家臣たちで作られた警備隊の活躍によって、さしたる混乱は起こらなかった。
もちろん交通整理がいかに円滑に行われていたとはいえ、それだけで溢れる人をさばけるものではない。
それを見越した俺は、津田宗凡を通じて安井道頓に大坂から京への水路を整備してもらい、その上で堀内氏善と大谷吉治が二人で開発した舟で、多くの人を、片道わずか半日たらずで運んだのだ。無論舟の数は無数と思われる程に水路を覆い尽くすほどに用意し、むしろ陸路で京を目指す人の方が少ない程であった。
そして京で振舞われる料理は、学府が担当した。
この頃既に西洋の職人たちや料理人たちも学府に抱えていたため、彼らが腕をふるってその料理を考案したのである。もちろんそれを調理したのは寺子屋の面々、そして材料となる野菜などを提供したのは、大坂城の南の開発を担当していた一領具足たちと、桂広繁と甚兵衛、弥兵衛の兄弟であった。
祭礼に参加される公家たちへの対応は、高台院(北政所のこと)と石田宗應が担当し、町民たちへの踊りの指南は、木村重成らの少年たちが担当した。
祭礼の最中に具合が悪い者が出れば、学府の医療担当と大崎玄蕃、それに明石レジーナがその看護にあたったのである。
さらに…
「おおい!!秀頼様!!おれらも参加するぜ!!!」
と、祭礼への参加を「暗黙の了解」で禁じられていた加藤清正が、福島正則や浅野幸長を伴ってやってきたのだ。
それはこの日は「各大名は伏見の屋敷の掃除に精を出すように」と徳川家康からのお達しによって、屋敷から出て祭礼に参加することは自粛するように呼びかけられていたにも関わらず、彼らはそれを破ってやってきたのだった。
これは史実にはないことであり、俺は大いに驚き、笑顔で彼らを迎えた。
しかも、それは彼らだけではなかった…
島津忠恒や、結城秀康といった面々も駆けつけたのであった。
こうして…
全員の力が一つとなって、
その大祭礼は幕を上げた
「みなのものぉぉぉぉぉ!!!踊れぇぇぇ!!!」
――うぉぉぉぉぉぉ!!!
俺の大号令によって、「豊国踊り」が始まる。
甲斐姫を始めとする、太鼓隊の音がかき消されるほどに、人々は熱狂していた。
京だけではない。
日本中が震えているような、それほどの大音響と、振動がその場にいる全員を、興奮のるつぼへといざなったのである。
そこには…
笑顔!笑顔!笑顔!
全ての人が笑顔であった。
俺も、そして目の前の千姫も、淀殿も笑顔だ。
ああ…
如水殿よ!
届いているだろうか!!
今、京は笑顔に包まれております!!
この想いが届くように、俺たちは今、その汗を輝かせて踊っております!!
そう眩しい太陽に、心のうちで語りかけると、太陽は確かにより輝きを増し、京の人々を熱く照らした。
そして、俺は心で言ったのだ…
ずっと言えなかった最後の言葉を…
――さよなら!!!天下一の軍師、黒田官兵衛!!!
◇◇
京から離れたとある山中…
「今日も暑い日だなぁ…暑さに弱い草花の面倒をよく見てやらなきゃなんねえな」
と、その少女はつぶやいた。
「今頃、京では秀頼様が中心となって、大きな祭りが開かれているとのことらしいのう…お前はいかなくてよいのかい?」
と彼女の祖父がたずねる。
すると彼女は顔を上げて答えた。
「あざみは行かねえ…この畑を守るって、秀頼様と約束したからな!」
彼女のその顔は…
愛くるしい笑顔ーー
輝く太陽と同じくらいに眩しいものであった。
◇◇
所変わって伏見城――
徳川家康は、一人の赤ん坊を抱いて、とろけるような笑顔であやしていた。
その傍らの本多正純が、家康に報告をした。
「加藤清正ら、複数の大名たちが、京の祭礼に参加されているとのことにございます。
上様、いかがなさいましょうか?」
その問いかけに、家康は全く興味を示さずに答えた。
「どうでもよい…見ての通り、わしは竹千代をあやすのに忙しいのだ。さしたる用もないのなら、早く下がれ!」
そう言いつけられた本多正純は、軽く頭を下げると静かにその場を後にした。
徳川家康があやしていたこの赤ん坊こそ、徳川秀忠の嫡男であり、後の徳川三代目将軍、徳川家光である。
その家光は幼名として、「竹千代」を与えられ、今は伏見で祖父である徳川家康と共に過ごしていた。
そして…
この徳川家光の誕生によって、徳川家康の様子が、ごくわずかではあるが変わっていた。
そのわずかな違いであっても、鋭い本多正純は逃さなかった。
「上様も危ういかもしれぬ…ククク…」
と、不気味な笑顔を浮かべて本多正純は伏見城をあとにしたのであった。
◇◇
京に舞台を戻すと、そこに一人の少年と男が、祭りの会場に到着していた。
「おお!!長安!!すごいのう!!」
と少年が無邪気な笑顔で、祭りの様子に感動していた。
するとその様子を見た長安と呼ばれた男が言った。
「ふふふ、金のかけ方がまだまだ甘いですな。俺なら、もっと派手な祭りを催してみせましょうに…」
「なんと!?長安なら、これよりも凄い祭りを開けると言うのか!!?」
「ええ…上様がお望みとあれば…」
「父上がお望みであれば…か…」
その『父上』という言葉を発したとたんに、その少年の顔が曇った。
そう、この少年はまだ十二歳であったが、彼の父からは理由も分からずに遠ざけられていたのである。
そんな顔を曇らせる少年に向けて、長安は言った。
「大丈夫ですよ。いつか、上様と殿が仲良くなれるように、この長安が何とかしてみせましょう!」
その言葉に、少年の顔がぱあっと輝いた。
「本当であるか!?長安!!」
「ええ、本当です」
「よし!!ではこれからも頼んだぞ!」
「お任せくだされ…」
そう言った長安であったが、その笑顔は明らかに作られたものであった。無論、その少年がその事に気付くはずもないが…
その少年の名は、松平忠輝という…
彼の父の名は…徳川家康。
そして、長安と呼ばれたこの男の名は、大久保長安。
この頃、徳川家の所有するほとんどの金山と銀山の管理を任され、さらにこの幼い忠輝の家老を兼任している者であった…
そして…
もう一人、歴史の風雲児が祭りの会場に到着した。
虎柄の上掛けを羽織り、大混雑する京の街並みを、まるで我が物のように、堂々と闊歩しなが進んでくる様に、町民たちは皆自然と道を開けた。
そんな彼の背後には、彼と同じように派手な格好をした屈強な男たち。その顔はみな精悍で、若い女性などは、一目で黄色い歓声を上げる。
その先頭の男が大きな声で笑いながら言った。
「ははは!この独眼竜と伊達男たちを置いて、日の本一の祭礼など、片腹痛いわ!!
この伊達政宗が、この祭りの華となってやろう!!
野郎ども!!踊れ!!
そして京の全ての民の目をその身に集めるのだ!!」
ーーオオッ!!
その号令に、伊達男たちは、周囲が思わず踊る手を止めてしまうような、情熱的な踊りを始めたのだった。
………
……
時を同じくして、京の街に二人の少女が姿を現した。
しかし、この二人だけは、祭りが終わるその時まで、ついに笑顔になることはなかったのである。
一人の少女は、ずっと怒っていた。
そして、遠目で豊臣秀頼の姿を見つけると、目を鋭く光らせながら呟いたのである。
「やっと見つけた…今度という今度は許さないんだから!!覚悟しなさい!太一!!」
もう一人の少女…いや、年齢からするともう若い女性とした方が適当であろう。
しかしその見た目はまだ幼く、細くて小さなその体を見れば、誰しもが少女と言ってしまうであろう。
そんな彼女は、祭りの会場のど真ん中にいたのだが、踊ることもせずに、焦点の合わない目で、ただひたすら哀しみに打ちひしがれていた。
そんな彼女に、一人の青年が心配そうに声をかけた。
「杏殿…いかがでしょう。この料理など絶品ですぞ!
」
と、洋風の魚料理を、その女性に差し出す。
しかしその女性は、横に首を振ると、はらはらと涙を流し始めた。
「父上…おばば様…」
青年…大谷吉治は困ったように、彼女に手拭いを差し出す。それさえも拒絶した彼女は、伏見城の方を指差して、吉治に問いかけた。
「今、伏見の大名屋敷には、全国の大名がおられるのでしょうか…」
「ええ、そう聞いております」
「では…」
と、そこで言葉をきった女性は、みるみるうちに顔を歪めた。
「豊前国五十万石の大大名の大友義統もおるのでしょうか…」
その表情を見た吉治は、ぞくりと背筋を冷やすと、その問いかけには答えなかった…
◇◇
そして…
日本から遠く遠く離れたイタリアのとある街で、明石全登は空を眺めていた。
「どうしマシタ?空に何かあるデスカ?」
相変わらず可笑しな調子でオルガンティノがたずねる。
「…いや、何でもありませぬ。何か強い希望のような光を感じた気がしましたもので…」
そんな風に穏やかに笑顔を見せた全登に対して、オルガンティノも笑顔で返した。
「きっと秀頼様たちがまた大阪城で笑っているのデス!」
「ああ…きっとそうでしょう…
では、次の協力者候補のところへ向かいましょう。
お次はどなたでしょう?」
そう全登が問いかけると、オルガンティノは満面の笑みで答えた。
「ガリレオ・ガリレイ…というお方です」
「…ふむ…初めて聞く名であるが、上手くいくとよいな…」
「きっと上手くいきマス!」
そんな二人に遠くから声が聞こえてきた。
「おおい!!これ食ってみろよ!美味えぞ!!」
全登がその声の方を向くと、後藤又兵衛が、何やら大量の魚料理を抱えて、笑顔で走ってくるのが見えたのだった。
◇◇
こうして、各々の笑顔がそれぞれの想いを乗せて、豊国大祭礼は続いていく…
それは、多くの困難や壁に当たりながらも、人々を笑顔にすることに向き合った一人の少年の、歴史の大海原への航海の始まりを祝うものであったのだった――
逆境から始まる、豊臣秀頼の転生戦記は、こうして始まったのだった。
太閤の見た夢
~逆境からはじめる豊臣秀頼への転生戦記~
第一部 完
これで第一部が終了となります!
多くの読者様にご愛顧いただきまして、誠にありがとうございました!!
春先になりましたら再開する予定でございます。
私の活動報告にて、再開についてはご案内いたします。
また、時折幕間(真田昌幸の件など)をはさむ予定でもございますので、
これからもどうぞよろしくお願いいたします。




