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想いを乗せて!踊れ!豊国祭礼③

◇◇

――千姫様を見なかったか!?

――どのお部屋にもおられません!!

――まさか…人さらいであるか…

――いやぁぁぁぁ!!千姫様!!!

――取り乱す出ない!!いいから探すのだ!


 慶長8年(1603年)7月28日は、豊臣秀頼と千姫の婚儀を祝う和やかな空気から、主役である千姫の失踪によってさながら戦場の中のような緊迫した空気に包まれていた。


 彼女の失踪は、はじめは一部の侍女たちの間で内密にされていたのだが、ことの重大性に気付いた淀殿によって、大坂城につめている家臣や小姓たちだけではなく、祝賀に訪れていた大名や商人たち、さらには徳川家の人々も巻き込んでの大騒動にまで発展した。

 その表情はみな一様に青ざめ、中には悲惨な末路を予想して涙を浮かべる者まで出始めていたのであった。



 そんな喧噪すら届くこともない天守閣の最上階の部屋で、俺は一人で黒田如水から送られた書状にその目を奪われていた。


――秀頼様へ わしが大坂城を発ってから、早くも季節は移り変わり、朝夕は寒さが身に沁みる日々となりましたが、お変わりはございませんでしょうか…


 この出だしから始まるその書状。この頃ようやく多くの字を読めるようになった俺は、その流れるように美しい字体を見た瞬間、(すさ)んでいた心の中に、一筋の清流が現れた気がした。

 そして、この場にいるはずのない黒田如水が、まるで横に立って、耳元で書状の内容を声に出して読んで聞かせてくれているような感覚に陥っていたのだ。


――まず初めに、秀頼様にお詫びしなくてはならぬことがある。

ご存じの通り、わしは九州取次として、秀頼様の名代に尽力を注いできたわけじゃが、時勢はこの如水の思惑通りに事を進めることを良しとはせんかった。その為、この任務を完遂させることは出来そうにないことを、どうかお許しくだされ。そして、のうのうとこのまま大坂に戻り、何食わぬ顔をして秀頼様にお会いするというのは、わしにはどうしても出来んのじゃ。

ついては、この書状を持って、任務終了の報告とさせていただくことをお許しくだされ。


 おれはここで一旦書状から目を離し、横にいる如水に心の中で語りかけた。


――許すも許さぬもない…例え九州に豊臣の味方を作るその任務に失敗したとしても、生きて元気な顔を見せてさえしてくれれば、それでよかったのに…


 しかし、如水はそんな俺の言葉に返事などせずに、その穏やかな顔を変えずに続けたのだった。


――そして、残念じゃが、人にはそれぞれの寿命の尺がある。

 どうやらわしの尺は、もうすぐそこまで来ているようじゃ。秀頼様がこの書状に目を通しているその頃は、その尺は尽きておろう。

 それが黒田如水という男の、もはや避けられぬ命運なのじゃ。

 別れの挨拶もせずに、先にいってしまう事…誠に申し訳ない…


――前から体調を崩していたのだろうか…それならそうと言ってくれれば、無理をさせることなどなかったのに…


そんな沈痛な面持ちの俺を尻目に、如水は続ける。


――わしは結局、秀頼様に何も残してやることは出来なかった…それだけが無念でならん

…そのことも、どうかお許しいただきたい


 書状の中でなおも謝罪する如水に対して、俺は心の中で声を張り上げた。


――そのような事などない!!如水殿の存在が、どれほど俺の心のよりどころになっておったか!だから…もう謝らないでおくれ…


 俺がその顔を涙で濡らそうとも、横にいる如水の表情に変わりはなく、彼は次の言葉を続けるのだった。


――わしは今、無念のうちにおる。しかし、それは自分の人生に悲嘆しているわけではない。これより先、秀頼様のお側にいることがかなわないことが、無念でならないのじゃ!


――ならば…! ならば戻ってきておくれ!如水殿!!


 絶対にかなうはずもない願望を、心のうちで願う。


 すると…


 横にいる如水の目から涙が流れてきた。


 そして明らかにそれまでとは違う口調で、続ける。


 強く、激しい口調で。


――わしはこの目で見たかった!

 秀頼様と千姫様の、晴れ姿を!婚儀に沸く大坂城を!


 俺の心に、太い釘のようなものが突き刺さったような、鋭い痛みが走る。

 絶句している俺の正面に立った如水は続ける。


――わしはこの目で見たかった!

 太閤殿下の七回忌の祭礼で、舞い踊る人々で京の街が揺れる姿を!!


――やめろ…俺は…俺は…


 その悲痛な如水の叫びに、俺の顔からは血の気が引き、俺は思わず耳を塞いだ。

 それでも如水は滂沱として涙を流しているその顔を紅潮させて続ける。


――わしは見たかったのじゃ!!

 豊臣秀頼という偉大な男が、日の本の全ての民の生活を豊かにするその姿を!!



「やめろぉぉぉぉぉ!!!」



 俺は思わず、本当に口に出して絶叫した。


 そして目の前の黒田如水の幻影につかみかからんばかりに、その胸のうちをさらけ出したのだ。


「お前に…お前に俺の何が分かるのだ!!

好き勝手に願望を押し付けるようなことを言いやがって!!

俺は、俺なんかに出来るはずもないのだ!!

俺は普通の人間だ!!

豊臣秀吉でもなければ、徳川家康でもないんだ!!

どこにでもいるような、普通の男なんだよ!!

一人の大切な人の死にびびり、失敗を恐れ、全てを諦めた俺なんかに何も出来るはずなどないのだ!!」


 しかし、如水は逃げない。


 まるでそのように俺が苦悩するのを予感していたかのように、如水は続けた。


――秀頼様はまだ若い。

 それまでの道のりに迷うこともあれば、逃げだすこともあるであろう。

 でもそんな事、さしたる事ではない。

 秀頼様のお父上…太閤殿下などは、何度も道に突き当たり、時には引き返し、そしてわしの知っている限り、十回以上は逃げ出して、行き先に待ち受ける恐怖に涙を流しておった…


「それでも父上は…太閤殿下は前に進んだじゃないか!!

俺は前になんか進めない!!俺はその一歩を踏み出す勇気などないのだ!!」


――そして太閤殿下は決して前ばかりを向いておられるお方ではなかった…


「嘘だ!!俺の知っている豊臣秀吉という人間は、どこまでも前向きで、諦めることなく、天下人になるまで走り抜いた人間であるはずだ!!」


――わしは太閤殿下ほど、臆病で、すぐ逃げ出す人間を見たことはない!


「ではなぜ天下人にまで登りつめたのだ…なぜ…」


 俺の声の調子が落ちる。


 そして、如水は今まで以上に大きな声で言い放った。


――それでも太閤殿下が天下人になられたのは…



――目の前にいる人間を笑顔にすることを、諦めないお方だったからじゃ!!!



 その言葉に、俺の心の中の何かが音を立てて割れた…


 理由など分からない。


 その言葉が、俺の心の奥底に眠り続けていた何かを叩き起したような気がしたのだ。


 俺は震える声でたずねた。


「目の前にいる人間を笑顔に…?」


 もちろんそんな疑問に答えるはずもない如水。

 それでも彼は俺の心に、決して消えることのない火をつけようと、懸命に言葉をつないでいた。


――太閤殿下は、わしが知る限りは、どこにでもいる普通の男であった。

 しかし一つだけ他人とは違うところを挙げよと問われれば、それは『他人を笑顔にすることを絶対に諦めないところ』と、わしは答えるであろう。


「他人を笑顔にすることを諦めない…」


――太閤殿下は、まず寧々様…すなわち奥方様を笑顔にしようと必死に働かれた。その結果、国持ち大名となられた。

 次に自分を慕う、わしのような家臣たちを笑顔にしようと必死になられた。その結果、大きな所領を持つ、織田家の有力武将となられた。

 そして最後に日の本にいる全ての民を笑顔にしようと必死になられた。その結果、天下人となられたのじゃ。

 全ては目の前にいる人を笑顔にしたいと願い、その『夢』を決して諦めなかった結果じゃ!


 この言葉に、一度はその姿を潜めた卑屈な自分が、再び顔を出してくる。


「そんなこと…そんなことが、俺に出来るはずもなかろう…」


 しかしそのことさえも見通していたのか、如水は言葉を続けた。


――秀頼様… 秀頼様は気付かれていないかもしれませぬが、秀頼様にはそれが出来る力があると、わしは見込んでおる。

 それは決して権力ということではない。

 単純に、秀頼様が備え持っておられるお力じゃ。


 俺はその言葉にも、なお最後の抵抗をするかのように、首を横に振った。


「適当な事を申すな!お前に俺の何が…」


 しかし、如水は俺の言葉を待たずして続けた。


 そしてその最後の言葉が、ついに俺の心に翼を与えたのである…



――まずは、お一人… 目の前で秀頼様を待ちわびてらっしゃる方を笑顔にしてみてくだされ!

 そこから始めてくだされ!!

 この黒田如水。

 例えこの命が尽きようとも、秀頼様が一人でも多くの方を笑顔にして、秀頼様自身が笑顔になることをお祈りしておる!!

 そしてそれが出来ると信じておる!!

 それが例え歴史を変えることにならなくとも、秀頼様の周囲には笑顔の花が満開となるその景色を、わしは見守っておる!!

 それまでどうか…どうかお達者で!!

では、さらばじゃ…


 そこで目の前の如水は、その姿を消した。


 部屋に再び一人になると、静寂に包まれる。


 俺は如水の言葉の余韻に、しばらくの間浸っていた。


如水の言葉に飾りなどなかった。

自分の意図通りに他人を動かそうという謀略など、微塵も感じられない。

そこには…



 純粋に俺の未来に願いを込めた、大きな愛情しか感じられなかった。



 俺はそんな如水の言葉を繰り返した。


「目の前の一人を笑顔にするところから…か…」


 自分でも不思議だった。


 翼の生えたその心はどこまでも軽く、どんな場所にも飛んでいけそうな気がする。


 つい先ほどまで「元の時代に帰りたい」と願っていた自己嫌悪の塊のような、醜い姿はもうない…


 いや…近い未来のうちに、何度も自己嫌悪に陥るような出来ごとは、俺が豊臣秀頼である以上は、何度も訪れるであろう。

 もしかしたら、仮に元の世界に戻ったからとしても、今度は逃げ場のない痛みが俺を襲うかもしれない。


 それでも俺は、この如水の言葉を思い出せば、前を向ける気がしていた。


「目の前の誰かを笑顔にすることだけを考える人生…それも悪くないかな…」


 そう心に決めた俺は、既にベッドから出ていた。

そして、今するべきことを果たす為に、自分の部屋の襖を勢いよく開けると、一歩踏み出したのであった。



 …と、そんな俺の目の前に、一人の人が姿を現した。


 いや…それは本当に『人』なのであろうか…


 それすら怪しい…


 そしてその『人』は、俺に話かけたのであった。


「お久しぶりね… お元気だったかしら?」


「お…お前は…」



 俺の目の前に姿を現したのは…



 フードをかぶった謎の女――



 俺をこの世界にいざなったその人であった…





次回がいよいよ第一部の最終回となります。


多くの方の暖かいお言葉に支えられて、ようやくここまでたどり着きました。

誠にありがとうございます。


では、どうぞこれからもよろしくお願いいたします。



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