3通の書状
俺の脳の動きは再び音を立てて動き出していた。
それはまるでガソリンを得たエンジンのようだ。
フル回転する為の脳内の回路は全て繋がっている。次に打つべき手の為に、俺は霧隠才蔵を側に置き、再び思考の海へと入っていった。
まず目標のおさらいだ。
大きな目標は、関ヶ原の合戦開始前に徳川家康と石田三成を和睦させること。その仲介を豊臣が行うことだ。
次に俺が出来ないことと、出来ることの確認。
まず出来ないことは、大坂城の外に出ること。それに大名たちへの下知。大人たちと自由に話をすること。字を書くこと、ただし墨付きを与えることくらいなら可能だ。さらに東西どちらかへの加担の表明…
「意外と出来ないこと多いな…」
と、深いため息をつく。
しかし嘆いていても仕方ない。
次に出来ることだ。
それは霧隠才蔵の使役。
ちなみに彼は、俺が本物の秀頼ではなく「中身」が入れ替わっていることを知らない。
その代わりに、俺には歳には似合わない思考力、時代への理解と先見の明がある、ということになっているらしい。なんだか都合が良すぎるような気もするが、忍者である彼にとっては主人である真田信繁の命令が絶対であり、俺が何者であっても「秀頼を助ける」ということに全力を尽くすとのことだ。
さてでは、その彼が出来ることは何か。
書状を書く。つまり俺の言葉を書にしたためることができる。
次に諜報活動だ。霧隠才蔵は、真田信繁の家臣でありながら、忍者の組頭でもある。
つまり複数人を同時に異なる場所へと送ることが可能だ。
この辺りが俺が出来ることの全てだろう。
では和睦への道を考えてみる。
まず絶たれてしまった道だ。
石田三成への交渉。
これは先の会談の結果、不調に終わってしまったのは記憶に新しい。俺が千姫から思いっきり殴られた、という痛々しい結果しか残らなかったとは…
悔やんでも悔やみきれない。
すると残された道は二つ。
東の総大将である徳川家康か西の「名目上の」総大将である毛利輝元を動かすことだ。
まず手っ取り早いのが毛利輝元への直談判だが、それは残念なことに当の本人から「会いたくない」と突っぱねられてしまっている。しかも理由が「時間の無駄」であるから取り着く島もない。
その輝元に書状を書くということも出来なくもないかもしれないが、淀殿の目を盗みながら、それを届けるのは困難だ。仮に書状が届いたところで、淀殿の目にとまらない事自体が考えにくい。
なぜなら俺からの書状は淀殿が書き、俺は単に墨付きするだけと考えるのが普通なのだから。
毛利が困難…となると残された道は一つだ。
しかし現実的に考えると、残された徳川家康への働きかけは無理難題のように思える。
なぜなら書状を届けようにも、江戸に通ずる道には西軍で溢れ、例え一流の甲賀忍者である霧隠才蔵の忍者であっても突破は困難だ。
万が一西軍の者に使いが捕まり、俺が東軍に取りなそうとしているのが露見したら、大坂城にいる俺の立場は非常に危うくなる。
リスクが大きすぎる。
そして何よりも俺からの書状があっても簡単に徳川を動かせるか不明だ。
その書状を盾に俺を揺さぶってくる可能性だってあるだろう。
「せめて伏見城の戦いの勃発前であれば…」
そう俺は自分の運命を嘆くように、虚空を見上げる。
八方ふさがり…まさにそんな状況だ。
結局俺に出来ることはないのか…
無念さに心の内に黒い雲が漂ってくるのが分かる。
…と、その時だった。
俺の見上げた視線の目の前に洋風のガラスのコップが差し出される。
「ん?これは?」
「水でござる。殿下の気分が悪そうでしたので、思わず差し出してしまいました。不都合でございましたかな?」
と、顔を覆っていた黒い布地を外した才蔵が、心配そうに俺の顔を覗きこんでいる。
「ありがとう。それと意外と優しい顔しているんだな…」
「カカカ!拙者を鬼か何かだと勘違いしているのではござらんか?」
俺のささやきにも似たつぶやきも聞きもらさずに、笑い飛ばしてくれている。
そこにはいくつもの死線を潜り抜けてきたであろう修羅の一面ではなく、どこにでもいそうな気のいいおっさんそのものの顔だ。
俺はあらためて安心して、差し出されたコップを手に取った。
水をグイっと一気に飲みほす。相変わらず温くてまずい。しかしその喉越しと才蔵の機転によって、俺の黒い雲に覆われた気持ちが少し晴れた気がしてきた。
そして何気なしにふと疑問に思ったことを口に出す。一見するとすごく失礼なことではあったのだが…
「忍者って、命じられたこと以外でも行うんだな…」
そんな俺の疑問に一瞬だけ驚いたように目を丸くした、才蔵であったがすぐに笑顔になり、再び笑い飛ばした。
「カカカ!殿下はやはり拙者の事を鬼だと勘違いされているようだ。しかし残念ながら拙者も人間でござる。心が動けば、行動に移しますぞ」
「そ、そうだよな…すまん」
そうか、そりゃそうだよな。人間だから心が動けば行動に出るよな…
そんな当たり前のような事を思いながら、俺は一旦かけていた椅子から立ち上がって、部屋を周回し始めた。
ふと先ほどのことが心にひっかかり続けていることに気付いた。
「人間なら心が動けば行動に出る…」
その時、このひっかかりが鍵となって俺の思考の扉を開ける音がした。
電撃のように様々なシナリオが頭の中を巡る。
思考に疲れてうつろだった瞳が、その衝撃によって見開かれた。
「これだ!!もうこれしかない!!」
そして一つのシナリオにいきついた。
間に合うのか?
不自然ではないか?
という不安要素など、蹴散らすように一息に外へと追いやっている。
正確にはそんな事を考えている場合ではないのだ。
もうこれに賭けるしかない!
俺は強い決意を持って、才蔵に指示をした。
「才蔵!書状を代筆せよ!宛先は3名だ!」
いよいよ俺が歴史を動かす。
その時が音を立てて近づいているのが、俺の心の耳にもはっきりと聞こえてきていた。
やっと物語を動かし始めました。
果たして史実を変えることは出来るのでしょうか。
次回は1通目の書状の宛先です。
(書状の為の紙と筆と墨はどこにあったの?という疑問は持たないでいただけると嬉しいです。その部屋にあったのです。ひっそりと)