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第二次柳川の戦い㉕ 大友義統の生き方

◇◇

 飛岳で立花宗茂と本多忠勝が、伝説に残る一騎打ちを繰り広げている頃、久留米城の目の前では、こちらも壮絶な激突が空気を熱くしていた。

 言わずもがな、道を塞ぐ反徳川勢の吉弘統幸に対して、徳川勢の藤堂高虎と加藤嘉明の軍勢が、襲いかかっていたのである。

 しかし、吉弘軍の兵は千人に対して、藤堂と加藤の兵は合わせて四千。その数は四倍も差があり、いかに統幸が戦上手で知られていたと言えども、その軍が敗れるのは時間の問題であった。

 ただし、彼には勝算があった。

 それは、事前の打ち合わせによって、大友義統が率いる五千の軍勢が、藤堂らの背後を叩くことを知っていたのである。


「もう少しだ!!もう少しで殿が来られる!!それまでは耐えろ!!」


 と、懸命に兵たちを督戦し、守りを固めて彼らを食い止めていたのだった。


 一方の藤堂と加藤は背後を突かれることを覚悟で吉弘軍にぶつかっており、ここで時間をかける訳にはいかない。


「敵は寡兵!!一気にひねりつぶせ!目標はその先の大友軍である!!右大将殿をお助けいたすのだ!!」


 と、息もつかせぬほどの波状攻撃をしかけて、吉弘軍を一気に削りにかかっていたのであった。

 その勢いは凄まじく、じりじりと押され出す吉弘軍。それでも彼は希望を捨ててなどいない。

 孫娘といってもおかしくはない程に歳の離れた同僚の吉岡杏との「戦が終わったら一献酌み交わしましょう」という、小さな約束を胸に秘め、「ここが反徳川勢の勝負どころ」と、その戦線をどうにか維持している。


 統幸自身も槍を振りながら兵たちを励ますほどに、大乱戦に陥ったその時…


「来たぁぁぁ!!!殿の馬印じゃぁぁぁ!!!」


 という一人の兵の大声が吉弘軍の中にこだました。


――おお!!殿がこられたぞ!!

――これで安心じゃ!!


 と、吉弘軍は安堵に包まれる。一方の藤堂、加藤の軍は、焦燥感にとらわれ始めていた。


 しかし、心の余裕は、戦い方の余裕も生むようで、押されていた吉弘軍は徐々に押し返し、その戦線を久留米城付近まで押し上げたのだった。


 大友軍の進撃に、さすがの藤堂高虎も肝を冷やすと、


「このままでは背後からまともに攻撃を食うだけだ!!一旦態勢を立て直す!!」


 と、吉弘軍から少し離れて大友義統軍と吉弘軍の両方を睨むような位置まで軍を動かした。それに加藤軍もならう。


――オオオオオ!!


 自然と吉弘軍からは歓声が上がる。

 その被害は甚大で、無傷な者など吉弘統幸も含めて誰一人いないような満身創痍の状態であったが、それでも彼らはさながら戦に勝った時のような、喜びに包まれていたのであった。


 藤堂、加藤の両軍が離れたのを見た吉弘統幸は、早速動ける兵たちをまとめると、大友義統の軍と合流せんと、進軍を開始する。

 そしてその陣頭に立っていた吉弘統幸は、笑顔で義統に対して大声をかけたのだった。


「殿!!!お待ちいたしておりました!!」


 留め置いた馬にまたがって義統に近づく統幸。


 しかし、義統に笑顔はない。


 その瞳には悲哀さえも浮かんでいることに、統幸はいぶかしく思わざるをえなかった。


 …と、その時であった…


――パァン…


 と、乾いた鉄砲音がこだました。


「え…」


 と、驚きに短い言葉を発した統幸であったが、次の瞬間、体に力が入らず、そのまま馬から「ドウッ」と大きな音を立てて崩れ落ちた。


「が…は…」


 統幸の口から血が溢れだす。


 そして大友義統から、驚愕の一言が発せられたのだった。


「狙いは吉弘統幸の軍!!一斉に!うてぇぇぇ!!」


――ドドドドッ!!!


 強烈な破裂音とともに、無防備で義統の軍に近づいてきていた吉弘軍の兵たちは、次から次へと斃されていく。


「足軽隊!!残りの兵を殲滅せよ!!」


 と、続けて非情なるかけ声が辺りに響いたかと思うと、義統の軍勢は一斉に、残りわずかとなった吉弘軍に突撃を開始し、あっという間にそのほとんどを討ち果たしたのである。


 一体何が起こったのか全く理解できないのは、この時すでに意識が混濁していた吉弘統幸だけではなかった。藤堂高虎も加藤嘉明も、状況が飲み込めずに、ただ口を開けて、大友義統の軍の一方的な蹂躙を見つめていた。


 ふと見れば、その大友軍の背後には、池田輝政の軍を示す旗印がはためいており、驚くことに義統のすぐ横にはその池田軍の大将である、池田輝政の姿があったのだった。


 そして大友義統は、藤堂、加藤の両軍の兵たちにも届くほどの大声で語り出した。


「われは大友家当主、大友義統である!!

こたびは徳川内府殿より密命を帯びて、天下反覆を企む反逆者たちの動きを監視し続けていた!!

これがその証となる、徳川内府殿からの書状である!!」


 と、馬上のまま右手で書状を高々と掲げた。

 もちろん藤堂高虎も加藤嘉明も、離れた場所からではその書状の真偽を確認する術などなかったが、何よりもその大友義統と駒を並べて池田輝政がいることが、その書状よりも義統が徳川勢の敵ではないことを物語っている。


「ここに斃れる吉弘統幸は、立花宗茂、島津義弘そして黒田如水といった、反逆者どのも手先となり、徳川右大将殿の背後をつかんとしていた輩である!!

よって徳川内府殿に忠誠を誓ったこの大友義統が成敗したまでだ!!」


 既に瀕死の吉弘統幸ではあるが、その意識はまだ失っていない。

 義統の心ない物言いに彼は怒りよりも悲しみが増して、涙が溢れてきた。


「次は右大将殿の背後で虎視眈眈とその隙をうかがっている吉岡杏の軍勢と、その右大将の行く手を阻まんとしている黒田如水の軍勢を屠ってくれようではないか!!

天下泰平の為、この大友義統、藤堂殿、加藤殿、池田殿と力を合わせて右大将殿をお助けいたす所存である!!

疑いたくば疑うがよい!!

われの背中はいつでも空けておこう!

もしわれの軍に反逆の動きあれば、その背後を突くがよい!そしてわれの隣にいる池田殿の太刀によって、われも果てようではないか!!」


 この義統の言葉に、藤堂高虎も加藤嘉明も、彼を信用せざるを得なかった。


 なぜならもしここで彼の事を攻撃したとして、本当に徳川家康からの密命を帯びていたとしたならば、彼らが罰せられることもありえるからだ。

 それに彼は、既に徳川秀忠の背後を狙う者を破るという手柄を目の前で挙げた。しかもそれは彼の家臣であった者だ。そんな彼を疑ってその背中を襲おうものなら、それこそ世間の笑い者になるだろう。

 そして、もしこのまま彼を信用せずに行動を共にしなかったなら、反徳川勢の影の総大将とも言える黒田如水の軍勢をも、彼は池田輝政の二人で蹴散らすだろう。そうなれば、多くの犠牲を払って九州までやってきた藤堂らの手柄は全くなくなると言っても過言ではない。


「大友め…上手くやりおったな…」


 と、野心家の藤堂高虎は、その唇を悔しさのあまりに噛みしめていたのであった。


 そんな高虎の表情を知ってか知らずか、大友義統は、その口元に笑みを浮かべると、その場にいる全員に対して大声で告げた。


「皆の者!!目指すは右大将殿の陣である!!邪魔をする反逆者を蹴散らし、九州に平和をもたらそうではないか!!」


――おおおお!!!


 と、どの軍の兵からも自然とかけ声が上がる。


「全軍、進めぇぇ!!!」


――おおおおお!!!


 その義統の号令によって、大友、藤堂、加藤、池田の、合わせて一万以上の大軍は、一斉に動き始めたのだった。


………

……

「池田殿…少しやり残したことがあるゆえ、先に進んでおいてくだされ。すぐに戻るゆえ…」


と、大友義統は横の池田輝政に声をかけると、その場で馬を止めた。輝政はこくりとうなずくとその場を離れた。


 一万の大軍が一斉に進んでいく中、その流れに乗らずにその場にしゃがみこんだ義統。


 その視線の先には…



 仰向けに倒れている吉弘統幸の姿があった。



 義統は彼の口元に顔を近づける。


 まだかすかに息がある…


 しかしその両目は既に光を失い、もはや意識が残っているかもあやしい。


 それでも義統は統幸に声をかけた。


「これも…乱世のならいだ…恨むなよ…」


 すると…


――ガッ…!!


 と、義統はその右手を掴まれる。


 義統の顔は驚きに青くなり、その手の持ち主…吉弘統幸を見つめた。


「と… との…」


 かすれる声で統幸は、最後の力を振り絞って義統に呼び掛ける。義統はそれには答えず、黙って彼の次の言葉を待った。


「お… おおともを… お守り… くだされ…」


 その言葉を聞いた義統は、その瞬間…震えた…


 この戦の始まる前から罪悪感に押しつぶれそうだった義統。


 悔しさのあまりに眠れぬ夜をいくつ過ごしたことか…


 それでも「大友を守り、大きくするため」という大義に縛られざるを得なかった。


 苦楽を共にしてきた者たちの命をこの手で奪うことに、心の中では血の涙を流していたのだ。


 それを…


 吉弘統幸は、全て理解していた――


 それは、義統の手をしっかりと握る統幸のその手から痛いほど伝わってきた。


 思い起こせば、義統にとって統幸は、さながら彼の父のような存在であった。


 たとえ義統が敵前で逃亡しようとも、国を捨てて逃げようとも、酒におぼれて落ちぶれようとも、決して義統を見捨てることはしなかった。


 時に励まし、時に叱り、時に共に喜び…


 まさに義統にとっては、家族そのものだったのだ。


 それなのに…義統はその彼の屍を踏み台にしてまで、大友の家を大きくすることを選択せざるを得なかった。

 それはひとえに、彼が泰巌という存在に、抵抗することが出来ない弱さゆえのことだった。


 そんな自分を、義統は責めた。


 悔しい…情けない…


 国を追われていた頃と何も変わらない、卑屈な自分が憎い。


 焦土となって、嘆き悲しむ人々を見ても何も出来なかったあの頃の自分と何も変わらない、無力な自分が憎い。


 とめどなく涙が流れる。嗚咽も止められない。


 統幸が掴むその手の力は徐々に弱まっていくのは、彼の命の灯が消えゆくことを意味していた。


「すまぬ… すまぬ… すまぬ…」


 何度も繰り返すその言葉。これ以上の言葉は飾りに過ぎないと義統は知っている。この後に及んで、自分の弱さをさらけ出すことに、義統は何の抵抗があろうか。


 そんな彼に、統幸は振り絞るように声をかけた。


「と…の… それがしは…」


「もうよい!これ以上しゃべるでない!!」


 その義統の心の底からの声に、統幸はかすかに首を横に振った。



 そして… 続けた…



「とのに… おつかえできて…



しあわせに…ございま…し…た…」



 わずかに微笑む統幸――



 そして…


 彼はこと切れた…



「すまぬっ!!!!」



 義統は、これ以上その場にいる事は出来なかった。馬にまたがると、逃げるようにしてその場を後にしたのだった。



 それも彼の弱さであろうか。


 彼は確かに弱い。

 時代を動かしてきた織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった英雄たちに比べれば、ひどくちっぽけな存在であろう。


 しかし、その自分の弱さを認めている者がこの世にどれほどいようか。


 強者によって、泥の中に顔を抑えつけられる屈辱を味わい、傀儡として操られ、家族同然の者の命をその手で奪うほどに追い詰められる…

 そんな汚いものでまみれた人生と知りながら、それでも一歩前に出る彼は、本当に弱いだろうか。


 そして、吉弘統幸は全て理解していたのだ。


 大友義統という男は、それでも前に進む…ということを…

 自分の犯した全ての罪を背負い、強者に頭を踏みつけられながらも、彼は決して足を止めないことを…

 心は傷だらけになり、背負うものはどんどん重くなる。

 それでも彼は這ってでも進むことを…


 そんな彼の生き方に、統幸は惚れていた。そんな自分の気持ちを…

 そこにはなんの理由などないことを…



 逃亡、挫折、失敗、屈辱…義統の今までの人生を憧れる者など後世に現れることはないだろう。


 それでも彼の側にいられた事、彼を助けて、彼とともに這いつくばり、それでも共に一歩ずつ進んだ自分の人生は幸せに満ちていたと、統幸は胸を張ってこの世を去った。


 そんな吉弘統幸の人生は、果たして笑い物と言えるであろうか…



 大友義統は進む。



 この先に待ち受ける彼の人生は、果たして栄光か挫折か、そんな事は彼にとってはどうでもよい。

 

――とにかく前へ…


 彼はそうやってこれからも生きていく。


 それが大友義統という男の生き方だからだ。





様々な登場人物が拙作の中には出てまいりましたが、私は彼が好きです。



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