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第二次柳川の戦い【幕間】 季節外れの花吹雪

◇◇

 戦国の世に「天下無双」と豊臣秀吉から称された二人の男がいた。


 東の天下無双は、本多忠勝。

 西の天下無双は、立花宗茂。


 史実では相対することのなかった二人であったが、時代を狂わす者の出現によって、まるで歴史が忘れ物をしたのを思い出したかのように、二人は『一騎打ち』という形で、その雌雄を決することとなったのである。


 しかし、この二人。その心には戦とは直接関係のない「濁り」を抱えていた。


 一方は、新たな世に必要とされず、それでも意固地になって『最強』という名にしがみついていた。自分の存在を認めて欲しくて、声にならない声を発し続けた。それでもなお、時代は見向いてくれない。そんな彼はますます何かにしがみついて、頑固になってしまうのだった。なぜならそのしがみついているものこそ、彼は彼自身の存在を証明するものであると、信じていたからである。


 そしてもう一方は、愛する者の「死」に向き合うことが出来なかった。永遠の別れに目を背け、言えなかった一言を胸に秘めて生きていた。それを言わないことで、いつか愛する者と再び会えるような妄想を信じていたからである。


 後世の伝説である「天下無双」もまた人間。


 彼らは彼らなりの心に葛藤を秘めて、今その斬り合いに身を投じていたのだった。



 久留米の空から、さながら冬の訪れを感じさせるような冷たい雨が落ち始めたその頃、飛岳の麓は、二人の男たちによって、さながら真夏を思わせるような、蒸し暑い熱気に包まれていた。


「はぁはぁ…だいぶ息が上がっておるようですな、本多殿。さすがの天下無双と言えども、お歳には勝てぬのかな?」


 と、額に汗を光らせながら、爽やかな笑顔で立花宗茂がたずねた。その左腕には、槍がかすめたであろう切り傷が刻まれており、そのせいか刀を持つ手が怪しく震えている。


「ぜぇぜぇぜぇ…な…何を言うかと思えば…な…なんのこれしき…それより、わしの一撃で受けたお主のその腕の傷…かなり深いのではないか?先ほどから刀を持つ手が震えているようですぞ…」


 と、槍にもたれかかるようにしながら、本多忠勝は宗茂と同じく笑顔で強がった。しかし、もはや立っているのも辛そうで、その両膝は震えている。


 刀と槍との打ち合いは既に何合にも渡っており、互いに一撃必殺の攻撃を繰り返してきたことにより、二人とも立っていること自体が不思議なほどに消耗しきっている。しかし二人とも共通しているのは、心の底からこの一騎打ちを楽しんでいるということだ。

 いつの間にか降り出した雨にうたれて、彼らの体からは熱い湯気が立ち込めている。そんな二人の壮絶な打ち合いを、周囲の両軍の兵たちは、しばし争いをやめて、固唾を飲んで見守っていた。

 すなわちそこには、血生臭い命の取り合いは止み、高潔とも言えるような純粋な力比べが、たった二人の男によって繰り広げられているだけであった。


 ただし、二人とも脆い人間であることには変わりない。その体力はとっくに限界を超えており、次の一合が最後となることは、共通して予感しているようだ。


 二人の目がぎらりと飢えた野獣のように鋭く光る。


 二人は最後の気力を振り絞ると、それぞれの武器を構えた。


 本多忠勝は、愛槍の蜻蛉切。

 立花宗茂は、左手に長光、右手に雷切の二刀。


 じりじりとした間合いの取り合いが続く中、本多忠勝の蜻蛉切の間合いを示す、目には見えぬ空間に、立花宗茂が足先少しだけ入った。


 その一瞬を忠勝は見過ごさなかった。


「せいっ!!」


 という空気を震わす忠勝の咆哮がこだましたかと思うと、槍と忠勝の両腕が一本の細い線となって宗茂に向かって一直線に伸びてくる。


 その先に触れれば最後。例え分厚い鎧であったとしても、貫かれるであろうその一撃を目前にしても、宗茂は口元に微笑を携えたまま微動だにせずに、肩の力を抜いてだらりと立っている。


 そしてその穂先が胸元の目前まで迫ろうかとしたその瞬間、宗茂の目はかっと見開かれて、彼は左に手にした長光をその槍に向けて高速でぶつけた。


――カンッ!!


 という高い音が周囲にこだましたかと思うと、一本の線と化していた本多忠勝の両腕と蜻蛉切はその姿を元に戻して、高く跳ねあげられた。


 がら空きとなる忠勝の右わき腹。


「えぇぇぇい!!」


 という、大きな掛け声とともに、全身に力を込めた宗茂は、右足を大きく前に踏み出す。


――ドンッ!!


 と、凄まじい地響きとともに、地面がへこむほどに踏みしめられた右足を軸として、自分の左わき腹付近に引いていた右手の雷切を、一気になぎ払った。


 かつて雷を切り刻んだという伝説の刀が、今は久留米の空気を切り裂き、その先にある本多忠勝の胴体を横に真二つにせんと、音速で弧を描く。


「むぅぅぅん!!」


 と、小さな雄たけびを上げた忠勝は、宗茂の長光によって弾き飛ばされたその推進力を、強引にかき消すようにして、その柄の部分で宗茂の頭を割らんと蜻蛉切を振り下ろした。


 一度動きだした槍は、今度は重力を得てその速度を加速する。


 腹をえぐられても、脳天への一撃を優先した忠勝の一撃に、宗茂の表情はますます明るくなった。


「やっ!!」


 と、短くかけ声を宗茂は口にすると、途中まで振られた刀の軌道をその速度をかえずに少しだけ上に変えた。


――カンッ!!


 再び高い音がこだますと、宗茂の雷切が、蜻蛉切をもつ忠勝の手のわずか先の部分に当たった。その瞬間に蜻蛉切の振り下ろしは再び止められた。


 しかし…


「ぐおぉぉぉぉぉ!!」


 と、猛獣のごとき凄まじい声を発した忠勝は、そのまま槍を振り下ろさんと、全体重を槍に込める。


「馬鹿力め!!」


 と、思わず舌打ちした宗茂は、雷切を押し出すと、そのまま背後にひらりと身を翻した。


――ドスンッ!!


 鈍い音とともに、振り下ろされた蜻蛉切が地面に突き刺さる。


 すると今度は忠勝の頭ががら空きになった。


「えいっ!とうっ!!」


 と、周囲で二人を見守っていた兵たちが思わず尻もちをつくような強烈な衝撃波をともなう立花のかけ声が、宗茂の口から発せられる。


 既に宗茂の肉体は限界を超え、その意識はもうろうとしている。


 それでも彼は、次の一撃に全てを込めるつもりで、最後の気力を振り絞った。


 しかし痺れた体が言う事を聞かない。気持ちだけではどうにもならないところまで宗茂は削られていたのである。


ーー誾千代… 俺に力を…


 と、思わず彼は、今でも忘れられぬ愛する妻に祈る。


 すると…


 不思議と宗茂の背中には翼が生えたように、体が軽くなった気がした。


 そして、全力を両足に込めて、一瞬だけ体を沈みこませると、次の瞬間には忠勝に向かって大きく跳躍した。


「くらえぇぇぇぇ!!!」


 右手の雷切を頭上に大きく振りかぶる宗茂。その様子を睨みつける忠勝。


 時が一瞬だけ…


 ゆっくりと過ぎる…



 宗茂の綺麗な弧を描いた跳躍が頂点まで達したその時…




 宗茂は不思議な光景を目にしていた。いや、正確には目にしていたというよりも、何か懐かしい、愛しいものを、全身に感じていたのだ。


 それは…



 愛する妻、立花誾千代――



 宗茂は壮絶な命のやりとりをしている真っ最中ではあるが、その夢にまで見た再会の瞬間に胸を熱くしていた。


 自然と涙がこみ上げてくる。



――誾千代… おかえり…


 彼はその温もりの塊のような彼女に対して、心のうちで語りかける。すると、その温もりからは確かに笑顔が感じられた。


――宗茂殿… 会いとうございました…


――ああ… 俺もだ…


 他愛もない短いやりとりに万感を込める。彼らは互いに見つめ合う形で向き合った。


 すると、その暖かな塊は、みるみるうちに、夢にまで見た愛する妻の姿へと変えていく。


 その凛とした佇まい。

 強い瞳。

 引き締められた小さな唇…


 全てが彼の知っている、愛した妻そのものであった。


 しばらく見つめ合う二人。


 言葉はない。


 言葉などいらない――


 二人はその視線を交わすだけで満たされていた。



 だが、現実にはその瞬間にも、雷切をまさに雷撃のように振り下ろしながら、宗茂は地面に向かって舞い降りていった。

 しかしその刹那的な時間であっても、宗茂には永遠に感じられる。


 この魂を込めた一撃であったからこそ、今誾千代と再会出来たのだ。


――誾千代!!では行こう!!


 と、彼は再び意識を目の前の強大な相手…本多忠勝に向け直した。

 それに呼応するように、誾千代も宗茂と視線を同じくして、その目を鋭くした。


――はい!宗茂殿!共に!


 誾千代の声が宗茂の心に直接響く。


 一緒に話したい事は山ほどある。


 一緒に見たい景色もある。


 一緒に食べ、一緒に笑い、一緒に歩く。


 そんな当たり前の夫婦の形は、もはやかなえることは出来ない。


 それでも、宗茂は…いや誾千代も、今この瞬間に、この上ない幸せを感じていた。


 なぜなら、それは二人で同じ『夢』を見ていたからに他ならない。


 この一撃に夫婦の『夢』を込めていたのだ。


 今までもこれからも永遠に変わることのない、『愛』を雷切に込めて…



 その時…



 二人は一つになった――



 その二人を包みこむように、



 あの時共に見た、




 満開の桜――




 二人の激しい感情に呼応するように、白い花吹雪が舞う――




 その花吹雪を切り裂きながら、二人は雷切を振りきった――



 その時、宗茂の耳には確かに誾千代のささやく声が聞こえたのだ。




――さよなら…




 大地に降り立った宗茂。彼は言葉には出さずに口だけ動かしていた。



 あの時言えなかったその言葉を…




 しばらく続く沈黙…


 その沈黙を割くように、


――ぽた…ぽた…


 と、何かがしたたる音が響いてきた。


 それは…


 本多忠勝の血であった…


「今の一撃… 実に見事であった」


 と、穏やかな野太い声が、宗茂を現実に戻す。


 地面に着地して片膝をついて腕は振り抜いたまま下に下ろしている。その視界には、地面。先ほどまで感じていた温もりはそこにはなく、晩秋の冷たい雨が、火照った体を冷やしていく。

 そしてその視界にも愛する妻の姿はない。その代わりに目の前の地面が、忠勝の血によって、少しずつその色をこげ茶から赤に変えていくのが分かった。


 宗茂はゆっくりと顔を上げて、忠勝を見た。


 忠勝もまた渾身を込めて、宗茂の一撃を回避しようと試みていた。しかし、それは上体をのけぞらせるだけで、精一杯だったのである。


 かろうじて頭部への一撃をかわした忠勝であったが、宗茂の一撃はその軌道にあった彼の右腕をかすめていったのだ。その一撃によって忠勝の右腕の腱と骨は綺麗に絶たれた。しかし腕を落とすまでには至らず、傷口からその血が溢れていたのであった。


 次の瞬間、忠勝の右の掌はその力が伝わらずに無造作に開かれると、左手だけに蜻蛉切の重心がかかり、忠勝は思わずよろめいた。

 しかし、忠勝は倒れることをなんとか拒むように、槍を地面に突き刺して、そこにもたれかかるようにして、片膝だけをついたのである。


 そう… 本多忠勝はもう戦える体ではなくなった…


 負けることはおろか、幾多の戦において、かすり傷一つ負うことがなかったその男は、この時初めて「敗北」の二文字を心に刻み込んだ。


 思い返せば、本多忠勝の人生に「敗北」は許されるものではなかった。


 なぜなら彼が「敗北」すれば、それは徳川の「敗北」を意味していたからである。


――負けたくない、嗚呼負けたくない、負けたくない…深き恩を受けた殿を思えば…


 その一心で今まで、自分にも兵にも厳しくしてきた。


 ただ、時が流れるのは無情なものだ。

 いつしかその徳川家康は自分の手の届かない人になってしまった。例え本多忠勝が負けようとも、徳川の家が傾くことすらないであろう。


 そして新たな世は、新たな若い人材を必要としていった。


 本多忠勝の武勇を必要としない徳川…


 彼もそのことは身に沁みて理解していた。それでも彼は「敗北」を嫌った。徳川家における『最強』にしがみついていた。そんな彼自身の姿が彼の『夢』そのものであったからだ。



 だが…


 花の命は儚い。


 「天下無双」とうたわれて、満開に咲き乱れた本多忠勝の『夢』の花は、時代という季節の移り変わりによってその花びらを少しずつひらひらと散らしてきた。


 徐々に『夢』が奪われていくこの光景が、どれほど切ないものであったか、誰が想像できようか。


 彼は苦悶した。咆哮した。


 それでも『夢』は少しずつ彼の元から、その鮮やかな色を残したまま散っていく。


 そんな中だ。 


 立花宗茂と立花誾千代の二人の『愛』を込めた一撃が、さながら春の終わりを告げる一陣の風となって、本多忠勝の『夢』に向かって吹き荒れたのだ。



 立花の『愛』で、本多の『夢』が揺れる――



 先ほど宗茂が見たその花吹雪は、


 本多忠勝の『夢』の花びら――



 それは、『夢』と『愛』の終わりの花吹雪――



 こうして本多忠勝は「敗北」した…



 しかしどうだろう…


 それでもその心は穏やかだ。


 「敗北」は屈辱などではなかったのだ。彼が意固地になってしがみついてきたものは、決して『夢』の形ではなかったのだ。


「それがしの負けである。この首…持って行け」


 忠勝は倒れることなく、そう宗茂に告げた。


 ゆっくり立ちあがる宗茂…


 その時、忠勝は静かに目を閉じた。


 「負けたくない」「死にたくない」そんな想いはもう彼方に消えてしまったようだ。史実においては辞世の句で「死にたくな 嗚呼死にたくな…」と詠った彼であったが、そのような未練はもうない。それは、彼がしがみついていたものから解放されたからであった。


 しかし…


 忠勝の首は落とされることはなかった。


 その代わりに、右腕の上部にきつく紐が巻かれ、そして斬られた箇所には布が当てられていた。


「こうすれば流れる血は止まる」


 立花宗茂が優しい声で忠勝に言った。忠勝はその瞬間に目を見開き、宗茂を見た。


 その瞳は慈愛に溢れていた…


 宗茂もまた、愛する妻とともに万感の思いを込めた一撃がかわされたその時、「敗北」を感じていた。


 それは、立花宗茂にとっては、しがみついていた『妻』と訣別した瞬間であった。

 しかしそれはその『愛』がもう戻らないということではなかった。


 誾千代の『愛』は彼女との永遠の訣別をした今でも、宗茂の心の奥に、小さな温もりとなって残っているではないか。


 訣別は…敗北は、愛の終わりではなかったのだ。


 それは新たな『愛』の形の始まり――



 立花宗茂と本多忠勝の一騎打ちは、両者にとっては「敗北」となった。


 両者とも「天下無双」と称され、「敗北」を許されない何かを背負って生きてきた。

 そして、彼らは共に「敗北」が人生の終わりを意味していると信じてここまでやってきた。


 しかし「敗北」は彼らにとって終わりではなかった。


 そう、彼らにとって「敗北」は始まりだったのである。


 次の瞬間、それぞれの兵たちは、傷ついた彼らを抱えるようにしてその場を離れた。そして本多軍は、共に戦っていた榊原康政の軍と奥平家昌の軍を残して、徳川秀忠の軍の方へと後退していった。


 無防備に背中を立花軍に向けて立ち去っていく本多軍。しかしその間、立花軍は本多軍のその背中を攻撃することはなかったと言う。


………

……



 こうして、二人が共に「敗北」した一騎打ちは伝説になった。



 そしてこの一騎打ちは、それを目の当たりにしていた者たちの口によって、後世まで語り継がれることになる。


 もちろん彼らの斬り合いについて、語り部たちは度合いは異なるが、尾ひれをつけて話したり書いたりした。よって、その内容はみなまちまちであったが、その壮絶さだけは、誰の話を聞いても同様に感じるものであった。


 そんな中、不思議なことに、誰の話にも共通していた一つの事がある。



 それは…



――花吹雪… 確かにこの目で季節外れの花吹雪を見たのさ…



 この事だけは、皆飾らずに、見たままを純粋に伝えたのだった。 




「死にともな 嗚呼死にともな 死にともな 深きご恩の君を思えば 」


これが史実における、本多忠勝の辞世の句です。

そんな彼の未練を、この作品ではなくして、心安らかに余生を過ごしていただきたく、この物語を作りました。


一方の立花宗茂は、妻誾千代との訣別をさせました。

しかし訣別とは、もう二度と会えなくなることを意味するのではない、との思いを込めたのでございます。


花吹雪の中での、二人の男たちの決闘が、皆さまの心のうちにも浮かべていただけたなら、幸いでございます。


また、一つの物語の中で、両者の想いを織り込むということに、初めて挑戦いたしましたので、少し伝わりづらい部分があったかと思います。申し訳ございませんでした。

それでも、私は、この二人…いや、三人の想いを物語にのせたかったのでございます。



拙い文章とは知りつつも、久々に思い入れのある物語をつづる事が出来て嬉しく思います。皆さまの心にはどう届きましたでしょうか。


では、次回は久留米の戦いの続きになります。

これからもよろしくお願いいたします。


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