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第二次柳川の戦い㉓ 久留米の戦い(8)

◇◇

 慶長7年(1602年)10月1日ーー


 九州にて大激戦が始まったその頃、伏見城の城主の間では徳川家康が脇息にもたれかかって、いつも通りの苦々しい顔をしながら、阿茶の局が調合した薬のようなものを茶ですすっていた。


 そこに本多正純が、こちらもいつも通りの澄まし顔でやってきた。そして家康と阿茶の局の目の前に座ると深く礼をした。


「お目通りいただき、ありがたき幸せにございます」


「用事とはなんじゃ?見ての通り、わしは忙しいのじゃがのう」


 正純は顔を上げて家康を見た。


 その家康の周りには特にこれといった処理すべき書状もなく、茶をすする以外にやることはなさそうな気がしてならない。その様子に、正純は微笑みを浮かべて答えた。


「こたびの九州の仕置きの件、どうにも腑に落ちぬのです」


 その正純の言葉に、家康の目が鋭く光る。


「ほう…何が言いたいのじゃ?」


 のんびりと家康は問いかけた。正純は穏やかに問い返した。


「二つほどございますが、お伺いしてもよろしいでしょうか?」


 その正純の視線は、家康に対して真実を促している。


「なんじゃ?もったいぶらずに早く言いたいことを言ってみよ」


「では、まず一つ目にございます。

こたびの九州の仕置きにおいて、なぜ本多忠勝殿と榊原康政殿を差し向けられたのでしょうか?」


 意外とも言える正純の問いかけであったが、家康はその問いかけを想定していたかのように、目を細めた。


「ほう…なぜ…と聞かれても、先の関ヶ原の戦さにて、さして兵を減らしておらんから…で、よいのではないか?」


「殿…本当にそれだけにございますか?」


 正純の視線がさらに鋭くなると、家康は、ふぅと大きなため息をついた。


「お主は何でも知りたがり、何でも疑い深いのう…」


「はて…?この事は何か疑われるような事にあたるのでしょうか…?」


「ふん!そういうところは相変わらず可愛げがないのう!」


 と、家康がそっぽを向く。その様子に、阿茶の局はにこりと微笑んだ。


「ふふ、そうやって殿は相変わらず、はぐらかすつもりでしょうか」


 その言葉に、家康はギクリとしたように目を丸くすると、阿茶の局に対して、言葉に出さずに口を動かした。


 そして家康は、もう一度大きなため息をつくと、観念したように眉をしかめた。


 しかし、次に口を開いたのは、正純の方であった。


「殿のお考えをお聞きする前に、それがしの考えを申し上げてもよろしいでしょうか?」


「ふん…勝手にすればよかろう」


 と、不機嫌さを隠す様子なく、投げ捨てるように言った。


「では、申し上げます。殿は…」


 と、口にしながら正純は姿勢を正すと、家康を真っ直ぐ見つめながら続けた。



「殿は、忠勝殿と康政殿に『花道』を作って差し上げたのではございませんか…?」



 その言葉に、家康の表情はみるみる厳しいものに変わっていった。


「どういう意味だ…?」


 そして…


 本多正純は、口もとに微笑みを浮かべたまま、流れるように言った。


「殿も関ヶ原の地でおっしゃっていたではありませんか…

『古過ぎて使えなくなったものは、舞台から外すしかあるまい…』

と…」


 家康は一言も発する事もなく、じっと正純を見つめる。その視線を見て、正純は首を横に振った。


「…そうですか…『そうではない』という事にございますね…

という事は…」


 家康の視線は、ますます厳しさを増す。


 正純が続きについて、口を開こうとしたその時…


「もうよい!それ以上は言うでない!」


 家康は一喝した。その額には脂汗が浮かんでいる。その様子はまるで焦っているようであった。


 しかし正純の口は止まらなかった。



「時代は変わった…ということを身を持って知っていただき…

もう身を引いていただく…と」


「言うな!弥八郎!!」


 と、顔を真っ赤にして怒鳴った。


「いえ、最後まで申し上げさせていただきます」


「なにをっ!?」


 と、家康はついに立ち上がると、正純を睨みつけた。


 …と、その時…それまで黙っていた阿茶の局が口を開いた。


「殿、よいではございませんか。

弥八郎に、最後まで言わせてあげましょう」


 その場の雰囲気にのまれることなく、穏やかな口調。彼女もまた立ち上がると、家康の背中を優しくさすりながら、腰を下ろすように家康を促したのだった。


 再び脇息にもたれかかる家康から、激昂の色は失せたが、それでも不機嫌な表情には変わりはない。

 その様子を見つめながら、正純は口を開いた。


「…殿の古くからの大切な家臣であり、友でもあられる本多忠勝殿と榊原康政殿に現実を知っていただき、自ら一線を引いてもらうことで、新たな世を作られる際に、余計な口を挟まないようにさせる…

この非情とも言える仕置きを、『残酷』であるか、『優しさ』であるか…と、問われれば、それがしは『優しさ』とお答えいたします」


「ふん!お主に言われても嬉しくなどないわ!」


「殿、そう強がらなくてもよいではございませんか。

殿はお優しいお方です。

それに忠勝殿も康政殿も、幸せな方々ではございませんか。

誰に言われることもなく、その身の引き際に気づく機会を、殿から頂けるのですから。

それに…」


 そこで言葉を切る阿茶の局。彼女は優しい笑みを浮かべながらではあるが、その瞳に哀しげなものを宿して言ったのだった。


「殿も心のどこかでは、彼らに勝っていただきたいのでしょう?

いえ、せめて負けないでいて欲しいのでしょう。

彼らが戦に勝利して戻ってきた度に見せてきた、あの笑顔をいつまでも見たいのでしょう…

あの得意げな自慢話をまたお聞きになりたいのでしょう…

でも、もうそれはかなわない。

なぜなら時代が変わっていったから…

それが殿は、悲しくて、悔しくて、仕方ないのでしょう…

だから、弥八郎の口からその事を聞いた時に、お怒りになられたのです。

彼らとともに時代に残った、もう一人の殿が、叫ばれたのでしょう…

殿…

殿は、お優しい。

そして、厳しい。

切り捨てねばならぬものに、情をかけながらも、最後は苦悶に満ちた表情で手放す…

この世に殿ほどお強い方がいらっしゃいましょうか…

そのこと、せめてわらわと正純だけは、しっかり胸に刻んでおきましょう」


 阿茶の局はそこまで言うと、視線を家康から正純に移した。


「正純、よく覚えておきなさい。

こうして殿が苦労に苦労を重ねて、天下をお作りになられていくことは、誰にも気づかれることはないでしょう。そして殿も誰かにその苦労をねぎらってもらうことを望んでおられない。それが殿の美学のようなものだからです。

しかしお前はそれを忘れてはなりませぬ。

殿がどれほどの血の滲む努力を重ね、どれほどの涙を飲んできたのか、それを理解した上で、殿を全身全霊をかけてお支えせねばなりませんよ」


 その言葉に、正純は口もとを引き締めて、深々と頭を下げたのだった…



◇◇

 再び九州の激戦地に目を戻すと、そこには複雑な表情を浮かべて、兵たちに懸命に指示を送り続ける本多忠勝の姿があった。

 その表情には、思うように事が進まないいらつき、徐々に兵たちが減っていくことへの焦り、まだまだ戦えるという果てなき闘志、こういったものが混じり合っているのである。


 そしてその表情に表れているものの通り、戦況は忠勝にとっては、全く思わしくないものであった。しかしだからと言って、相手である立花宗茂から押されっぱなしというわけでもなく、むしろその立花軍を、彼らの後方である飛岳まで押し込んでいたのである。


 それはさながら柳の枝に対して斬りかかっているようで、まるで手応えがない。


 忠勝の誇る騎馬隊が激しい突撃をかけようものなら、その力を削ぐように巧みに後退することでそれをかわして、機動力が落ちるぬかるみまで誘導されたと思うと、強烈な鉄砲攻撃により、馬たちが次々と倒れていく。

 その攻撃は、むやみに兵は狙ってはこずに馬を狙い、忠勝の軍の機動力を少しずつ落としていった。

 

 しかしそれでも前へ前へと突撃を繰り返す忠勝。


「進めぇ!!本多の強さを見せつけてやるのだ!!」


 なおこの時、相手の立花宗茂は自ら二千の兵を率いて、同じく二千の本多忠勝の軍にあたっていた。その他の立花軍の六千の兵は、それぞれ三千ずつに分かれて、由布惟信が榊原康政と、十時連貞が奥平家昌にあたっている。


 愚直なまでに突撃を繰り返す本多忠勝に対して、立花宗茂はその陣形を変幻自在に変えて、その機動力を無力化する。この為、忠勝の陣形は次第に縦に伸びていった。


 かつて幾多の戦で無敵を誇ってきた本多忠勝の騎馬隊のその強さは、馬に乗り降りする速度と、馬を操る能力、さらに個々の槍術といったものの、鍛錬のたまものであった。

 忠勝は、徳川の天下が近づき、戦乱の世が終わろうとしているこの頃であっても、自軍の兵たちのそれらの鍛錬を毎日欠かすことはなかった。

 なぜなら彼はこの騎馬隊こそ最強であると信じており、そして徳川の世を守る壁となるのだと自負していたからであった。


 一方の立花軍はその多くが鉄砲を抱えながら戦っていた。


 鉄砲もこの頃になると、伝来当初よりも改良を重ねられており、その事を活用した彼らは、鉄砲での戦いが今後の世の中心になることを見越した調練を繰り返してきた。


 鉄砲を背負って戦場を駆け抜ける為の脚力の強化。

 少しでも弾込めの速度を上げる為の手先の訓練。

 そして、確実に的中させる為の射撃訓練…


 新たな世の戦い方に対応する為の努力を惜しまなかったのだ。


 その両者の差がこの戦いでは如実に表れた。


 立花軍は、さすがに本多の騎馬隊が馬に乗って追いかけてくる間は、その距離をぐいぐいと縮められたが、彼らが馬から下りてから槍を構えるまでの間で距離を稼ぎ、馬上からの槍の突きであれば、それをひらりとかわすほどの身軽さを、皆備えていた。


 そしてその馬を失った本多隊は、翼をもがれた鷹のようなものである。


 彼らはもはや立花宗茂の術中にはまったも同然であった。


 無論、その事に気付かないほどに本多忠勝は耄碌してはいない。それでも、彼は自身が今まで培ってきた戦に対する哲学に嘘はなかったことを証明せねばならない。なぜならそれこそが、徳川家康との絆に応えることであると信じていたからだ。その悲壮ともとらえられる決意を愚直なまでの突撃に込める。

 しかし、そんな彼の想いは、戦場では情け容赦なく破壊されていった。


立花の軍勢を盲目的に追いかけていった本多勢は、いつの間にか飛岳の山頂に続く細道まで差し掛かっていた。


――しまった!誘い込まれたか!!


 そう軍の中ほどの、山麓で督戦していた忠勝が歯ぎしりした瞬間であった。


 木々にとまっていた鳥が一斉にはばたいたかと思うと、耳をつんざくような破裂音が、飛岳の山中からこだましてきた。


 それは立花軍による猛烈な鉄砲攻撃の始まりを告げるものであったのだ。


 細道で横に並んだ立花隊は、「早合」によって連続射撃を繰り出してくる。そして最前線の兵が弾を撃ち終えると、後ろに控えていた兵たちが前に出て射撃を加える。


 飛岳に入ったのは、二千の立花兵のうち、わずか数十人ほどであったが、全軍で山を駆けあがってくる本多軍を圧倒した。


 たまらず山の麓まで後退してくる本多勢。


 すると後退しながら、山影に身を潜めていた立花軍が本多軍を囲むように現れたのだ。


 その本多軍の様子はまるで、城攻めにおいて虎口に誘いこまれた軍勢のようであった。


「天下一の騎馬隊と言えども、こうなってはもはや何も出来まい!皆の者!!引導を渡してやれ!!うてっ!!!」


 と、立花宗茂の大きな掛け声とともに、一斉に立花軍の鉄砲隊から火が吹かれた。


 なすすべなくばたばたと倒れていく、本多軍の兵たち。


 立花宗茂は、飛岳の麓でその様子を見ながら、


――こうなれば一旦態勢を立て直すべく、久留米城の方へ後退していくだろう…


 と、踏んでいた。しかし、仮に死地を脱したところで、既に死に体とも言える本多軍に対して、今まで通り慎重に軍を進めていけば、負けることはないだろう、と考えていたのである。


 しかし…


 本多忠勝という男は、違っていた…


 彼は戦の申し子であり、戦で生き、その生涯を徳川の勝利の為に捧げた男なのだ。


 彼は再び咆哮を上げる。その声は天まで響くものであった。


「本多は負けぬ!!!俺に続けぇぇぇぇ!!!」


 なんと鉄砲が雨のように浴びせられる中において、なおも全軍を率いて、飛岳の立花宗茂のもとへと、突っ込んでくるではないか。


 この様子を見た宗茂は、一瞬だけ驚愕の色を浮かべた。


 しかし彼もまた、時代は異なるが戦に生きる男だ。


 すぐに元の表情に戻すと、その瞳に闘志の炎を宿らせて、口角を上げた。


「本多忠勝殿…天下無双とうたわれたその噂に偽りなき姿なり。

面白い!この立花宗茂、僭越ながらお相手いたそうではないか!!」


 こう誰にともなく漏らすと、彼は両手に一本ずつ刀を握って、二刀を構えた。


「左手に父高橋紹運が形見、長光の剣。右手に妻立花誾千代が形見、雷切…

この二刀と、立花の誇りをもって、お相手しよう!

いざ!!勝負だ!!」


 と、新たな戦の時代にあって、さながら時代を逆行して源平期のような、もっと時代を近づければ上杉謙信と武田信玄のような、『一騎討ち』へと、本多忠勝と立花宗茂は向かっていったのである。

 

 それは二人が共に『天下無双』と称されてから、こうなると決まっていた運命のようであった。



………

……

 立花軍と、本多軍、榊原軍、奥平軍が久留米城から離れて、飛岳付近で激戦を繰り広げている中、静かに、しかし一歩ずつ、島津義弘の軍勢一万は、黒田長政の軍勢五千に向けて進軍を続けていた。


 怖いもの知らずで自信家とも言えた黒田長政ではあったが、当然『鬼島津』の強さは知っていたし、その軍勢が自分の軍勢の倍の大きさであることに、さすがに苦笑いを浮かべざるを得なかった。


 …と、そんな彼の背後から大きな軍勢が駆けつけてくるではないか。


 長政はその大軍が味方の軍勢でありそうなことに安堵したのも束の間、その旗印を見て、顔をしかめた。


「細川か… いらん助けだ」


 そう、その軍勢は徳川秀忠の軍の背後を固めていた細川忠興の軍であった。その忠興も、


「ふん!長政の事を助けるなど虫唾が走るが、これも天下の為、あやつは歯ぎしりしているであろうが、俺は心安らかにあやつを助けてやろうではないか」


 と、胸の内とは正反対に表情は冷静を保って、そうつぶやいていたのであった。彼らは同じ徳川軍でありながら、すこぶる仲が悪いことで知られていたのだ。

 内心では面白くない長政であったが、忠興の軍の強さは認めている。

 彼は、心強い援軍の登場に感謝の念を抱き、強大な敵を目の前にして、初めて心が躍ったのであった。



 そして…この時もう一人の男も心を躍らせていた。


 この細川の援軍にかけつける様子を、一人の男がニタリと笑って見つめていたのである。


「これで王手じゃ」


その男の名は黒田如水――


 この細川軍の動きによって、彼の最後の仕上げとも言える策が動き出す事になる。その事に、如水は心が躍っていた。そしてその策が当たれば、徳川軍に壊滅的な打撃を与えることになるはずだ。そんな風に思うと、思わず漏れた笑みを抑えることが出来なかったのである。


 しかし、そんな彼であったが、一抹の不安もよぎる。


――上手くいきすぎている…


と…


 この時、どこまでも澄み切っていた秋空に、西からの風に乗って、黒い雲が覆い始めていたのを、如水は見上げて、そんな不安をさらに募らせていたのであった。



 そして…黒い雲とともに久留米の地に近づいていたものがあった。


 それは、とある大軍。


 彼らは九州の南から、さながら一陣の風のような速度で久留米に向かって進んでいたことに、この時誰も気付くものはなかった。


 その軍勢が、この久留米の戦いにおいて止まっていた歴史の歯車に、再び命を吹き込むことになるのだが…


 それはもう少し先の話である…




◇布陣図

挿絵(By みてみん)



いつも大変多くのご感想を頂戴し、誠にありがとうございます。


私にとっては励みとなっておりまして、感謝の言葉以外ございません。


感想返しにつきましては、物語の進行上の観点から、今は控えさせていただいておりますが、第一部終了後に、必ずお返しさせていただきますので、何卒ご容赦願います。


では、これからもよろしくお願い申し上げます。

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