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第二次柳川の戦い㉑ 久留米の戦い(6)

◇◇

「右大将殿、では出立いたしましょう」


 本多正信がそのように促すと、右大将こと徳川秀忠は、口を真一文字に結び、その駒を柳川城に向けて進め出した。

 

 徳川秀忠の本隊、約一万五千は、その前に黒田長政の軍五千と、その後ろに細川忠興の軍五千に守られるようにしながら、少しずつ久留米城から離れていった。伸びた戦線において、最前線の鍋島軍の様子を確認することはかなわないが、物見から激しい戦闘が繰り広げられているとの報告は秀忠も耳にしている。

 だが彼は、その鍋島軍が反徳川勢を突破して、柳川城への道を切り開いてくれることを信じて疑ってなどいない。その為、悠々と彼は駒を進めていったのである。

 


 しかし…

 

 その最前線の鍋島軍一万は、龍造寺軍五千と立花軍の別働隊である小野鎮幸の率いる二千を相手に、思いの外苦戦を強いられていた。


「日本七本槍が一人、小野和泉なり!!命の惜しくないやつから前に出てきやがれ!!」


 小野鎮幸は、大きな声を周囲を一喝すると、自ら槍を手にして鍋島軍の中へと斬り込んでいくと、大将に遅れをとるものかと、立花の精鋭たちもまた鍋島軍の中へと突っ込んでいくのだった。

 そんな勇猛な小野鎮幸の援助を得た龍造寺軍も、息を吹き返したかのように軍を立て直して、こちらは鍋島軍の真正面から愚直にぶつかり続けている。しかし、大将の龍造寺高房だけは一人何かに憑かれたように、


「死ね!死ね!みんな死んでしまえぇぇぇ!!」


 と、奇声を発しながら、鍋島軍に対して槍を振りまわし続けていた。

 

 だが、鍋島軍一万も肥前が誇る精鋭たちばかりである。龍造寺高房と小野鎮幸の奮戦に対しても、一歩も引く事はなく、鍋島勝茂、忠茂の兄弟ら前線の若い武将たちが見事に指揮していたのだ。

 

「徳川右大将殿の道を開くのだ!!鍋島の強さ見せてやれ!!」


 と、鍋島勝茂は顔を真っ赤にさせて叫んでいる。

 

 逃げも隠れも出来ない筑紫平野の真ん中において、壮絶な軍勢のぶつかり合いが続く。

 

 鍋島軍は、兵の数の上では方が上であり、よく統制の取れた戦いを行っていたが、それでも龍造寺高房と小野鎮幸の『恨み』の力は、そういったものを凌駕するほどであるようだ。彼らの強い想いは、兵たちに乗り移り、じりじりと鍋島軍を押していく力となった。

 

 中でも百戦錬磨の鎮幸は、周囲に数名の家臣たちのみを引きつれて、自らの槍で鍋島軍の奥へ奥へと斬り込み続けた。

 

――あの化け物を止めろ!!

――ひぃ!無理だ!!


 あちこちで鍋島軍の兵たちの悲鳴のような声が聞こえてくると、修羅のごとく槍を振りまわす鎮幸の前に、一人の若い兜武者が躍り出た。


「われは鍋島直茂が次男、鍋島忠茂である!小野和泉!覚悟!!」


「こわっぱが!!!わしにその槍の先を向けたこと、後悔するがいい!!」


 鎮幸は怒声を上げると、忠茂の喉元に向けて、強烈な槍の突きを繰り出した。

 

「ぬうっ!!」


 すんでのところでその槍をかわす忠茂。その彼の顔の横を鎮幸の槍が通り過ぎると、その風圧だけで忠茂の兜が揺れた。

 

 その衝撃に体勢を崩す忠茂に対して、容赦なく鎮幸の次の突きが襲いかかる。勇気を振り絞って鬼のような鎮幸の前に出てきた忠茂であったが、さすがにこの状況では首を取られるのを観念して、その目を強くつむった。

 

 その時…

 

――パァァン!!


 と乾いた鉄砲音がこだますると、鎮幸の槍が大きくはじかれた。

 

「ぐぬっ!!?何者だ!!?」


 必殺の一撃を邪魔された鎮幸は、その獣のような視線を鉄砲が放たれた方角に向ける。すると一人の若武者が尻もちをついている忠茂の元に駆けつけた。


「忠茂様!!」


「おお!茂綱!!」


 その若武者は後藤茂綱。先の第一次柳川の戦いにおいても、鍋島忠茂をよく助けた忠臣である。彼は未だに見動きがままならない忠茂を肩を貸すと、すぐに鍋島軍の後方へと移動し始めた。

 

「逃がすかぁぁぁ!!」


 小野鎮幸は、この二人の顔を見た瞬間、完全に我を失った。

 

――ドクンッ…


 鎮幸の胸がうずく。それは今日この時に限ったことではない。八院での無惨な敗戦の後、幾度ともなく彼を襲った、この胸の痛み…

 

 多くの立花の若者が命を落とした八院の戦いにおいて、大将である自分だけが、その命を長らえたことに、彼はどれほど苦しめられたことか…目の前にいる二人の若武者の、あの戦いで前線に立ち、華々しく活躍する姿は、今でも鮮明に鎮幸の脳裏に浮かぶ。同時にあの戦で散っていった立花家の明日を背負うはずであった若者たちの笑顔が、鎮幸の胸に焦げくさい臭いとともに焼き付いていたのだ。

 

「俺が… 俺がみなの無念を晴らすのだぁぁ!!」


 万感の思いを乗せたその槍を、懸命に繰り出す鎮幸。しかしその穂先は二人にはわずかに届かない。

 

「ぐわぁぁぁぁ!!」


 鎮幸は、本能のおもむくままに、前へ前へとその足を進めていった。

 

 だが、二人の若武者の背中を守らんと、今まで恐ろしさのあまりに足がすくんでいた鍋島軍の兵たちがたちまち鎮幸の周りに集まってくる。

 

 しかし、鎮幸の足と手は止まることはなかった。

 

――立花三太夫… 十時惟久… 安東幸貞… 安東範久… 石松政之… 立花鎮実…


 あの戦で散っていった者たちの顔と名前が、鎮幸の胸を燃やしている。

 

「えいとう!!!」

 

 立花家を象徴する大きな掛け声とともに、鎮幸は足をふみならした。

 

地面が揺れる――

 

 鍋島軍の兵たちが怯む。その隙に鎮幸は目の前の兵を槍でなぎ倒していった。それでも人間の体力と力には限界がある。いつの間にか鎮幸自身も顔に傷を負い、顔が血まみれで真っ赤に染まり、足や肩にも傷を負っており、気を緩めると倒れてしまいそうにな程に満身創痍になっていた。

 目はかすみ、槍を持つ手の力も徐々に奪われていく。その感覚に何とかしてあがなおうと、彼は必死に気力を振り絞っていた。そんな彼に向って、

 

「殿!!!ここは一旦お引きください!!」


 と、大声で鎮幸の家臣は鎮幸に話しかけると、彼らは鎮幸の前に立ち鍋島兵たちと対峙する。朦朧とした意識の中、鎮幸は家臣たちに抱きかかえられるようにして、後方へと下がっていったのだった。


「無念… 無念じゃ…」


 結局鎮幸の槍とその想いは、鍋島の若武者には届かなかった…


 果たせぬ無念がこの後の鎮幸の人生につきまとう事になることを思うと、鎮幸は薄れゆく意識の中においても涙を禁じえなかった。

 

 それでもこの小野鎮幸の修羅の如き働きは、先鋒の別働隊の大将であった鍋島忠茂と、その副将格とも言える後藤茂綱を下がらせ、鍋島軍の前線をさらに後退させた。

 

 権現塚古墳の目の前で激突した両軍は、龍造寺と小野の軍勢の攻勢により、その前線を筑後川にほど近い安武八幡神社付近まで押しだした。


 大将の鍋島直茂までは目と鼻の先。


 龍造寺高房はもはや狂乱の中に身を委ね、その陣形はいつの間にか蜂矢の突撃陣へと変わっている。そんな龍造寺高房は、鍋島直茂の軍勢の横に回り込み、龍造寺軍の右手から急襲せんとする一軍の存在に気付くこともなかった。

 

「進め!進め!進め!進めぇぇぇ!!狙いはただ一つ!!鍋島直茂!!やつの首だけぞ!!」


 盲目的に突撃を指示するその声は金切り声で、絶叫のようなものであった。その声に駆り立てられるように龍造寺軍は、わき目も振らずに前へ前へと突き進み続けた。

 

 …と、その時であった。

 

「横やりをいれよ!!龍造寺を止めるのだ!!!」


――オオオオ!!!


 という喊声が上がったと思うと、龍造寺高房の右手から突如として大きな衝撃が加わった。

 

 突撃の足が止まると、ようやく我に返った高房は、慌てた声で周囲にたずねる。

 

「な、何者だ!?」


 すると、一人の兵がそれに答えた。

 

「寺沢広高の軍勢にございます!!その数およそ三千!!」


「ぐぬぬっ…!」


 と、高房は悔しさに唇をかむ。一万の鍋島軍相手に、小野鎮幸の助力があったとは言え、深く斬り込むには無理に無理を重ねてきたと言っても過言ではない。何か少しでも衝撃が加われば、脆く崩れてしまいそうな、限界を超えた状況で、新手の軍勢が弱点とも言える横からの攻撃を加えてきたのだ。それに耐える術は残されていない。

 だが、もう大将は目の前なのだ。高房は悔しさのあまりに涙を流した。

 

 「お飾り大名」と揶揄され、屈辱にまみれた日々を過ごしてきた父龍造寺政家の小さな背中が、今でも彼の脳裏に焼き付いている。

 それでも父はいつでも穏やかに、優しく高房に接してくれた。そんな父は苦労が身に堪えたのか、腹を壊し、病に伏せがちとなった。まだ若いのに髪も真っ白になった。

 

――全ては鍋島のせいだ…


 哀れな父を見るたびに募ってきた『怨念』を晴らすのは、今日を逃せばいつ訪れるだろうか。

 

 しかし…それが果たせそうにない…

 

 これほど無念なことはあろうか。

 これほど悲しいことはあろうか。

 

「諦めきれぬ!諦めきれんのだ!!!」


 声だけは前へ前へと彼を引っ張るが、戦の情勢は残酷なことに、龍造寺軍を一歩たりとも前に進む事を拒絶した。それどころか徐々に憎き鍋島直茂は少しずつ遠のいていくではないか。

 

「うわぁぁぁぁ!!」


 天に向かって咆哮する高房。澄み切った秋空は、そんな一人の痛切な想いすら、ちっぽけなもののように包み込んで遠く消し去った。

 

 …と、その時であった。

 

――うおおおおおっ!!!


 と、地響きのような喊声が聞こえたかと思うと、寺沢軍の左手に一つの軍勢が突っ込んだのだ。

 

 その軍勢を引っ張る一人の武将を見たその時…

 

 

 

 龍造寺高房の時間が止まった――

 

 

 

「龍造寺政家、ここに推参!!!息子の邪魔をするなぁぁぁ!!!」


 なんと、最後の最後まで高房の出撃を諌めていた父の政家が、高房の窮地を救わんと、後方の兵を引きつれて突撃してきたのである。

 突然の衝撃に、寺沢軍はたじろぐと、高房の軍勢への攻撃の手が止まった。

 

「いまだ!!高房!!思いのたけを直茂殿にぶつけてこい!!!これが父が息子にしてやれる、せめてもの…」


 そこで言葉が切れる。見れば政家の目にも光るものが浮かんでいる。そして、政家はありったけの声で叫んだ。



「せめてもの償いである!!!」



 この時高房は、はっとした…


――父は…父は全て知っていたのだ…俺の無念を…俺の悔しさを…


 高房は父の事が嫌いであった。

 

 家臣である鍋島直茂の顔色を常にうかがい、ぺこぺこと頭を下げる父の姿が情けなかったからだ。

 だが… この時はっきりした。

 

――父は、息子である自分に辛い思いをさせてしまっていることに、常に罪悪感を胸にしまって生きてきたのだ…


 高房は再び拳を強く握りしめる。

 

 そして、彼もありったけの声で号令を発した。

 

「全軍!!!狙いは鍋島直茂が首!!!すすめぇぇぇ!!!」




 久留米の秋空には、既に太陽が高く上がっている。

 

 しかし、まだ戦は始まったばかりだ。

 

 この龍造寺政家の息子を想う突撃を皮切りに、『鬼島津』こと島津義弘と『西の天下無双』こと立花宗茂の、全身全霊の猛攻の時間は、刻一刻と迫っていた。

 

 

 歴史の歯車は… 今… 止まった――

 

 




 


久留米の戦い…まだまだ続きます。


第一部のクライマックスの花火です。


この後もお楽しみいただければ幸いでございます。


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