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第二次柳川の戦い⑮ 反徳川勢たちの思惑(2)

◇◇

慶長7年(1602年)9月1日ーー


 薩摩の国の内城には、およそ一万の大軍が、出陣の号令がかかるのを、今か今かと首を長くして待っていた。

 その姿はみな屈強な武人たちばかりで、言わば九州において、いや日本の中においても、最強の軍団と言っても過言ではないものであった。


 その精鋭部隊を率いるのが、島津家当主の島津義弘である。彼もまた『鬼島津』と呼ばれるほどに、その用兵術に長けた戦上手であった。その彼は兵たちの前に現れる為に、城主の間にて準備を進めている。

 しかし、その部屋には彼の他に、もう一人、男が顔を真っ赤にして彼の出陣に抗議していた。


 その男は、義弘の息子であり、次期島津家当主に内定している島津忠恒であった。


「親父!どうか考え直してくれよ!!このまま徳川と戦ったら、それこそ島津家はおしまいじゃねえか!」


 必死に出陣を止めようと訴える息子を、義弘はギロリと睨みつけた。


 実は以前から義弘は、実の息子でありながらも、忠恒の事を卑下して見ていた。なぜなら忠恒には、島津家の当主としての器量に欠けると感じていたからである。

 しかし残念な事に、忠恒の兄たちはみな若くしてその尊い命を落としており、家督を継ぐのはこの忠恒とならざるを得なかったのだ。


 だが、元より蹴鞠や酒に溺れていた忠恒の事を、義弘は、心から自身の正統な後継者とすることは出来なかった。今でこそ忠恒は領内政治の事に精を出してはいるが、その心根が変わっているとは、どうにも思えないのだ。


 その証拠に、今こうして睨みつけただけで、忠恒は震え上がり、先ほどまで真っ赤に染めていた顔は、その見る影もなく青くなっている。


「臆病者め…」


 と、思わず愚痴を漏らすと、忠恒から視線を逸らして、せっせと出陣の準備を再開した。


 その義弘の恐ろしい視線がそれた瞬間に、忠恒は再び義弘への抗議を始めた。


「なあ、教えてくれよ!どうしてそんなに頑なに徳川に抵抗するのさ!?

もう天下は徳川のものと決まっているじゃねえか!」


すると義弘は、今度は冷たい視線を浴びせて答えた。


「それがどうした?戦に勝てばよいのだろう?そうすれば徳川の天下だろうが何だろうが関係あるまい」


「な、何をおっしゃいますか!?

徳川がその気になれば十万や二十万の兵を引き連れて、当家を潰しにかかることだって出来るでしょうに!

そうなればいくら親父でも…」


「いくらわしでも… なんだ?」


 と、忠恒への視線を強くする。すると忠恒は怯み、二の句を継げなくなってしまった。


「情けない男だ… それにな、(おとこ)は『利』だけで動くものではない。

利益、不利益そして有利、不利…

そんな事など関係なく、(おとこ)なら『義』で動くものだ。

大義、正義、義侠心…

こういったものを失えば、日の本には本当の漢がいなくなってしまう…

仮にわしが義を貫いてもなお負けようとも、その義を継ぐ者たちによって、また戦えばよい」


「何をおっしゃっているのか!?もし親父のその頑固な態度で、お家が潰れちまったら、泣くのは女子供なのですよ!!

朝鮮出兵で旦那を亡くした女を俺はこの目でたくさん見てきた!

女にあんな思いをさせちゃなんねえ!

子供につらい未来をみせちゃなんねえ!

俺の言っていることはそんなに間違っているのか!?」


 いつになく怒気をこめて忠恒は力説する。そんな彼を見て、義弘は目を細めた。


「お主の言っていることに間違いなどない」


「じゃあ!!」


「だが、それは頭で考えた場合のことだ」


「は…?頭以外のどこで物を考えるのさ?」


 その問いかけに義弘は、ニヤリと笑うと、人差し指で忠恒の胸のあたりを指差した。


「心に決まっておるではないか。それが出来ずして薩摩の漢とは言えん!はははっ!」


 と、義弘は笑い飛ばすと、周囲の準備が整ったのか、そのまま大股で部屋を後にしたのだった。


 しばらく一人部屋に残され、うつむく忠恒。彼は無力感にうちひしがれながら、外を見ていた。

 そこには、父義弘を一目見るや、地響きがするほどの歓声を上げている兵たちの姿が目に入ってきた。その中にあって、威風堂々と馬にまたがって進んでいく父…

 彼はそんな父の姿が眩しいと同時に、胸を痛めるほどの嫉妬心も覚えていた。


「どうせ俺なんかが何を言ったって、何をしたって何も変わりやしないんだ…」


 忠恒は、偉大な父義弘と、伯父の義久の二人を間近に見てきたことで、一つの答えのようなものにたどり着いていた。それは…


ーー世の中を変えられる人間なんて、ごく一握りの人間なんだ…俺のような凡人は、そのごく一握りの強者の言いなりとして生きるより他ないのだ…


と、いうことだ。


 そして今、あらためてその考えが正しい事を、自ら証明してみせたと言えよう。

 すなわち強者である父義弘は、一万の精鋭を意のままに操り、この島津家を動かすに値する人間であり、いかに自分が正しいと思う事をぶつけてみても、結局のところ何も動かせないのだ、と…


 このあまりにも高い壁の向こう側の人間でない限りにおいて、自分がどんなに努力しても、精を尽くしても、何も世の中は変わらない現実を目の当たりにした。


 しかしそれは今回が初めてではなかった。


 かつては朝鮮の役において、夫を亡くした悲劇の女たちを思い、二度目の出兵を断固として反対するも、結局は太閤秀吉の意のままに、戦わざるを得なかった。

 島津家に対する反逆者であり、お家騒動の芽でもあった伊集院家の取り潰しを声高に叫んでも、徳川家康の裁定により、和解で済まされざるを得なかった。


 そして今回の一件…


 彼は徳川家康に弓を引く事をどれほどに諌めたところで、肉親の父義弘すら動かせなかったのである。


「どうせ俺なんか…」


 そんな卑屈な思いが胸を支配し、彼の顔を上げる事を妨げていた。

 そして彼は無意識のうちに、馬にまたがり、とある場所を目指したのであった。


………

……

 失意の島津忠恒が向かったその先は、富隈城。そこは言わずもがな、伯父の島津義久の城であった。


 忠恒は、ほぼ無意識のまま、義久の前までやってきた。いつも書物を読み、彼のことなど見向きもしない伯父。彼もまた強者であり、言わば雲の上の存在である。父が軍を率いて出立してしまった以上は、どうにもならないことは重々承知の上ではあったが、彼は何故かここに足を運ばなくてはならないような気がしてならなかったのである。


 そして、いよいよ義久のいる部屋の襖の前までやってきた。ここを開ければ義久がいる…

 しかしいつも通りに、忠恒が部屋に入っても背を向けて迎え入れるに違いない。そして彼が何を話そうとも、柳の木のように受け流されて、結局はさらに落ち込まされて部屋を後にするだけだろう…

 そんな風に、再び卑屈な思いを抱きながら、彼は襖を開けたのである。


 しかし…


 そこには目を疑うような光景が、忠恒を待ち構えていた。


「よく来たね。待っていたよ、忠恒」


「伯父上…?」


 なんと義久が忠恒に向き合う形で迎え入れたのだ。そして、その傍らには忠恒の妻であり、義久の娘でもある、亀寿姫が座っている。


「ふふふ、驚いているようだね」


 と、義久は相変わらず開いているのか閉じているのか分からない程に細い目を忠恒に向け、その口元には微笑を浮かべている。


「亀寿も…どうして…?」


「われが呼んだのだ。忠恒の甲冑を持ってこい、とね」


「俺の甲冑?どういう事だ?」


「それは後ほど話そう。

ひとまず、こたびの件について、色々と骨を折ったようだね。ご苦労さま、と言っておこう」


 と、義久は珍しく忠恒を褒めたので、忠恒は余計に何か怪しいと、眉間にしわを寄せた。そして、義久は続けた。


「その褒美として、忠恒。一つだけわれが教えてしんぜよう」


「は、はぁ…ありがとうございます」


 と、気持ちが全くこもっていない謝礼を言うと、忠恒は軽く頭を下げた。しかし、義久は気にする事もなく続けた。


「世の中を…いや、お家を動かすには、どうしたらよいと思う?」


 突然の義久の問いかけに、忠恒は戸惑いながらも答えた。


「正しい道を相手に説くより他ないかと…」


 と、忠恒が答えると、義久はゆっくりと首を横に振った。


「それだけでは足りぬのだ、忠恒。

人は言葉だけで動かせるものではない。

すなわち、世の中を動かすには言葉や強い想いだけでは足りぬのだ」


「では、あとは何が必要なのでしょう…?」


 その問いかけに義久は、にこりと口もとを緩めると、穏やかな口調で答えた。


「行動だよ。言葉だけではなく、その言葉にしたがって、具体的な行動をともにせねば、世の中は動かせるものなのではない」


「はぁ…」


 忠恒には、その義久の言葉が実感としてわかない。それどころか、その意味すらいまいちピンと来なかったのである。

 そんな忠恒の様子を見て、義久は続けた。


「あと一つだけ言って置かねばならぬ事がある。

こたびの件、われは『首を突っ込むな』と言ったはずだ」


「はい。しかし、お家の一大事でしょうに…いてもたってもいられなくて…」


「その気概だけは褒めてやろう。しかし首突っ込んだ以上は、それなりの覚悟があっての事であろうな?」


 その脅迫ともとれるような義久の言葉にも、今の忠恒は何も感じぬほどに、彼の心はすさんでいた。


「いや…覚悟なんてねえよ。ただ親父を止めてえ、その一心だけだったのさ…」


「そうか… しかしここまでやってきた以上は、最後までやり抜いてもらおう」


「はぁ…最後まで?もう親父は出陣しちまったんだ。これ以上何をしろと言うのですか?」


 その忠恒の気のない問いかけに、義久は口元の微笑みを、ニヤリとした笑いに変えて答えた。


「言ったであろう。世の中を変えるのは、言葉ではなく行動だと。

忠恒よ。今がお主にとって行動をする時だ」


 そう言った義久は…


ーーバンッ!!


 と、一気に襖を開いた。


 城の最上階であるその部屋から、城下の風景が一望できる。その風景は、驚くべきものであった。


 そこには…


「な、な、な、なんですか!?あれは!」


 なんと、大軍が綺麗に整列しているではないか。


 その光景に忠恒は圧倒された。


 そんな忠恒の横に立ち、義久はぽんと彼の肩に手を置いた。


「この兵を率いて、義弘を止めてくるのだ。

もしそれでも義弘が止まらぬ場合は…」


 そこで一旦話をきる義久。そんな義久の表情を見て、忠恒は恐怖を感じて、ゴクリと唾を飲み込んだ。


「この兵を持って義弘に攻めかかれ。

万が一、義弘に流れ弾が当たるような『事故』が起これば…

ふふふ、それはそれで仕方あるまい」


「な、な、なんですと…!?」


 驚きと恐怖のあまりに顔を青くしている忠恒の前に、義久と全く同じ顔をした亀寿姫が、するすると近づいた。


「お前様。こちらが甲冑にございます。こちらを着れば、すぐにご出陣できます」


 忠恒は義久と亀寿姫を見比べる。


「間違っている…こんなやり方は間違っている!!」


 と、彼は言いすてると、駆け足でその部屋を後にしたのだった。



 部屋に残された義久と亀寿姫の親子。


 しばらく沈黙が続いた後に、口を開いたのは亀寿姫の方だった。


「…よろしいのでしょうか?忠恒様をこのまま行かせてしまって…」


 その問いかけに対して義久は、相変わらずの微笑を携えて答えた。


「よいのだよ。あやつは今、脱皮しようとしている。

島津家当主として相応しい漢になる為に…

ここで変わらねば、あやつは相応の報いを受けることになるはず… ただそれだけだ」


 そう言うと、義久はいつも通りの場所に座って、書物を読み始めたのであった。



◇◇

 ちょうど同じ頃、豊後の国の臼杵城においても、出陣の準備が整っていた。


 総大将の大友義統を支える脇大将として、一軍を任されている一人の少女は今、白い糸で編みこまれた鮮やかな鎧と、真紅の直垂に身を包み、兵たちが待つ城下に向かって、早歩きで城内を進んでいた。


 その口元はきりりと引き締まり、大きな瞳は真っ直ぐに前を向かれて、彼女の戦に対する悲壮な決意を示しているようであった。こんな風に彼女の顔を固くしているのは、大友家の置かれた状況に、その理由があった。


 つい先日の話だ。


 最後の評定の場で、当主の大友義統は、驚くべきことを、声高に宣言したのだ。

 それは、今までは徳川家康に味方して出陣することを前提に進めてきたものを、反徳川に加勢するとしたのだ。その理由は単純なもので、家康が豊臣家に代わって徳川家が天下を預かることを公言したことに対する、反発であった。


 無論、家中からは多くの反論が上がった。特に怒りの声を上げたのは、義統の片腕とも言える、泰巌であった。


ーー殿は徳川殿より受けた大恩をお忘れか!!?この臼杵城と豊後の国の所領は誰に与えられたものか!


ーーええい!黙れ!徳川は幼い豊臣秀頼様の後見として、その沙汰を下していただけに過ぎない!しかしあくまで後見に過ぎぬ!天下を自らの物とするなど、言語道断であろう!


 両者は一歩も引かずに、さながら斬り合いのような迫力で意見を戦わせていたが、ついに泰巌が怒りに我を忘れて、義統に摑みかかろうとしたところを、家老である吉弘統幸や吉岡杏が間に入ってそれを制した。


ーーお主らは徳川に弓を引くのをよしとするたわけ者というわけだな!!?


ーーそれは大友家当主である義統様がお決めになること!一家臣に過ぎない泰巌殿が口出しすることではございませぬ!


ーーたわけ者どもが!後悔しても知らんぞ!


 と、泰巌は最終的には渋々引き下がったものの、お家の中にしこりが残ったことは、間違いなかった。


 もちろん今の世の中の状況を鑑みれば、徳川家康に楯突くことは愚かな事としか言いようがない。

 しかし、当主の義統が決めた以上は、それに従う事が忠臣としての務めであると、彼らは考えているのだ。


 こうして出陣の日を迎えた。


 大友軍の一万の兵たちを率いる武将たちもまた、胸に不安を抱えたまま、馬を走らせるのであった。




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