第二次柳川の戦い⑬ 失敗を知らぬ弱さ
◇◇
慶長7年(1602年)8月下旬ーー
徳川秀忠は、満を持して江戸城を出発した。彼の傍らには本多正信が軍師として行動をともにしている。そして、彼の率いる軍勢の兵数は一万五千。彼はそれらの兵を背にしながら、意気揚々と東海道を進んでいった。
そんな秀忠が大坂城に入ったのは、出立してからちょうど9月1日のことだった。
西の丸にて一度休息を取った彼は、一息ついたのちに、具足を身につけたままで兜は外して、本丸にいる豊臣秀頼に対して、九州征伐への出発の挨拶をしにいくことにしたのであった。
………
……
「おお!徳川右大将殿(徳川秀忠のこと)!よくぞお越しいただいた!」
と、俺、豊臣秀頼はいつも通りの笑顔で、秀忠を迎え入れて軽く頭を下げた。そして、俺の傍らには、「どうしても父に会いたい」と言って聞かなかった千姫が、ちょこんと座って、父の秀忠に向かって頭を下げている。そんな俺たちを見て、秀忠も一つ頭を下げると、上げた顔には屈託のない笑顔を浮かべていた。しかし、俺が言うのも何だが、戦に向かうにしては、全く緊張感を感じないのだが、こんなものなのだろうか…
そんな事を思っている間に、秀忠の方から声をかけてきた。
「秀頼様も千も元気そうで何よりだ!
しかし、秀頼様も、そろそろそれがしの事を『お父上』と呼んでもよいのだぞ?
もうすぐ千と秀頼様はそういう関係になるのだからのう!ははは!」
「な、な、何を…」
何をいきなり言い出すかと思えば…と口に出そうとするが、俺は顔が真っ赤になり、言葉が出てこない。どうやら千姫には意味がよく伝わらなかったようで、彼女は不思議そうな表情で、俺と秀忠を見比べている。
…と、その時だった。
ーーゴホンッ!
と大きな咳払いの音がしたと思うと、その場の緩い空気が、少しだけ引き締まった。
俺は思わずその咳払いのした方を見ると、眉間にしわを寄せた本多正信が、秀忠を困ったような目で見ている。
「右大将殿、そろそろ本題にお移りいただいた方がよいかと…」
「おお、そうであった!では…」
と、秀忠は姿勢と表情を正す。俺もそれにつられるようにして背筋を伸ばした。
「これから九州にて天下に仇なす逆賊を成敗してまいります。
かつての太閤殿下が彼の地にてそのご威光を、この世にお示しになったように、この戦にて豊臣と徳川の威光を示してまいりましょう」
もちろん今日のこの挨拶のことは、事前にその意味や段取りを如水の残した書状によって俺は知っており、その指示どおりに形式的な返答をすることにした。
「うむ、大儀である。くれぐれもその体を大事になされておくれ。お千も心配でならないようなのだ」
と、俺はちらりと千姫を見た。彼女はこういった場はあまり得意ではないようで、緊張に震えながらも、真っ直ぐに秀忠を見て、大きな声で言った。
「お父上様!お怪我などなさいませぬよう、お願い申し上げます!」
そんな健気な千姫を見て、にこりと微笑んだ秀忠は優しい口調で、諭すように言った。
「お千や、そう心配してくれるな。
父は戦に赴くとは言え、こたびの戦は槍と槍をぶつけ合うような激しいものにはならぬ、と聞いておる。
ゆえに父が怪我をする心配など無用なことなのだ」
ーーゴホンッ!!
再び正信の大きな咳払いが部屋の中をこだました。それを見た秀忠は、目を丸くして正信に言った。
「本多佐渡は、喉の調子を悪くしているのか?
京の学府にて名医がいると聞いておるゆえ、帰りにでも見てもらえばよかろう」
その言いぐさに正信は顔をしかめて、語気を強めた。
「右大将殿!いらぬ事をぺらぺらとお話するものではございませぬ!どこに敵の耳があるか分からぬものですぞ」
そう言うと正信は、俺の背後に控えている真田幸村の方に、一瞬視線を向けたような気がした。しかしそんな正信の苦しい配慮など秀忠には通じなかったようだ…
「なにっ!?本多佐渡は秀頼殿の部屋にも敵が潜んでいると申すか!?ならば、この秀忠が…」
その様子に「もはや何を申しても無駄なようじゃ」と言わんばかりに、がっくりと肩を落とした。
「右大将殿…もうこのあたりでご挨拶はよろしいかと…」
「うむ、そうであるか…まあ、父上からも本多佐渡の言うことに従って行動するように、言いつけられておるからのう。ここらで失礼するとするか」
と、再び正信の顔を曇らせるような余計な言葉を口にしつつ、秀忠はあらためて俺たちの方を見つめた。
「…というわけであるから、千よ。父の事は心配いらぬゆえ、安心して父の帰りを待っているとよい」
「はいっ!!お父上様!!」
と、元気よく千姫は秀忠に返事をすると、天真爛漫に笑顔を見せた。それを見て「うん」と一つ頷いた秀忠は、正信とともに部屋をあとにしようとした。そんな彼に向って、俺は一つたずねた。
「右大将殿… いや、お父上殿!いつ頃、九州に到着されて、いつ頃戦を終えるご予定でございますか。お千とともに待っておりますゆえ、お教えくだされ!」
秀忠は相変わらずの純真さを感じるような笑顔を俺に向ける。一方の正信は、苦々しい顔で秀忠を見て、低い声で忠告した。
「右大将殿… 戦は水ものゆえどうなるか分かりませぬ。ついては、秀頼様のお問いかけにはお答えできかねるかと…」
「よいよい!秀頼殿はそれがしの事を父と慕ってうかがってくれたのだ!それに答えずして、良き父と言えようか!?
秀頼殿。それがしは… 父は、九州に長月(9月)の中旬に到着し、久留米城に入る予定だ。そして、戦が終わるのは… 早くて神無月(10月)の上旬といったところかのう…
父の徳川内府のご到着が長月の終わりの予定となっておるゆえ、その後すぐに片付く予定だ。戦が終われば、またここ大坂城に立ち寄ろう。それでよいかな?」
「はい!ありがとうございます!お父上殿!ではお千と大坂城で戦勝を祈願いたしております!」
「うむ、ありがたきことだ!千と秀頼殿の祈願であれば、この父も力がみなぎる!ははは!」
と、上機嫌で大笑いしたまま、部屋をあとにしていったのであった。
………
……
大坂城を出て、再び馬上の人となった秀忠の横に、同じく馬にまたがった正信が近寄ってきた。その正信は、大坂城の時のように眉間にしわを寄せたまま、秀忠に苦言をもらした。
「右大将殿… 大坂城でのことでございますが…」
秀忠は正信の方をちらりと見ると、視線をすぐに元に戻して笑顔で答えた。
「何か問題でもあったか?父上の申しつけ通りに、秀頼殿に挨拶をしにいっただけではないか」
「少々お口が過ぎるかと… あの場には、未だ怪しい動きをしている真田安房守の息子がいたのは、ご存じではなかったのでしょうか…
あのように戦の事をお話しになられると、もしかしたら敵に筒抜けになってしまうかもしれませぬぞ」
そんな正信の苦言を耳にした秀忠は、くすりと笑う。その様子を正信はますます面白くない様子で、なおも小言を言おうと口を開きかけた。
…と、その時だった。秀忠は笑顔のまま、大きな声で正信に言った。
「小さいのう!お主は!」
「な…なんですと…?」
そして顔を引き締めた秀忠は、特徴的な透き通る声で正信に語りかけた。
「俺が、関ヶ原で苦杯を喫した真田の顔を忘れるとでも思ったか!今でもあの忌々しい顔を二度と見なくてもすむように、死罪を申しつけたいくらいである。
しかし、それも既に過ぎた話…
今や、この徳川に太刀打ち出来る者などいようか?
例え手の内が知れたとしても、敵を圧倒するほどの器がなくして、天下を治める器と言えようか!?ははは!!」
この秀忠の言葉に、正信は頭を下げて引きさがる。そして彼に声が届かないところまで離れたところで、ぼそりとつぶやいた。
「若い… まるで三方ヶ原での敗戦を知る前の、殿のようじゃ…」
正信にとって、このところ秋の訪れのたびに、体に寒さがこたえる。今日は特に体が重いのは、まだ季節の変わり目であるからであろうか。
「やはり、関ヶ原での失敗程度では、秀忠様の器を大きくは出来なかったようじゃ…」
と、大きなため息をついた。
本多正信にはこのように「失敗こそ人の器を広げるものである」という一種の哲学のようなものを、身につけていた。それは彼自身の体験や、尊敬する君主の徳川家康の半生から学んだものであることは言うまでもない。
そして今、家康の後継者たる秀忠に足りないものは何か、と問われれば、この「失敗によって成長した器の大きさ」と即答するであろう。
もはや一つの失敗が取り返しのつかない立場になりつつある秀忠にとって、その成長を促す機会はもうないかもしれない…そんな風に、正信は悲観していたのである。
しかし…
彼は気付くはずもなかったのだ。
この「戦にはならない予定」の九州征伐で、秀忠がおかす一つの失敗が、徳川勢を死地に追い込むことになることなど…
………
……
慶長7年9月10日ーー
徳川秀忠の軍勢は九州に到着すると、そのまま久留米城に入った。そこには、城主の田中吉政だけではなく、黒田長政、細川忠興、寺沢広高、鍋島直茂といった九州の武将たちが既に入城しており、丁寧に秀忠を迎え入れたのである。
さらに、秀忠を見た兵たちから、自然と歓声が湧き上がると、その歓声が自分に向けられていることに気を良くした秀忠は、本丸に到着するやいなや、少し高台になっている久留米城の最上階にある部屋に入った。
彼はそこからの景色を眺めて、さらに気分を高揚させようと考えたのである。そして、その襖を勢いよく開けると、眼下を見つめた。
目の前には実りの秋を迎えて稲穂が金色に光る筑紫平野が広がっている。その奥に見えるのは、高良山や飛岳といった山々だ。爽やかな秋風が吹くと、稲穂が揺れて波をうっているようで、秀忠の旅の疲れを忘れさせるほどに、美しい景色であった。
しかし…
そんな美しいその風景の中にあって、秀忠は一つの違和感を覚えたのである。
「…ん…?旗…か?」
よく見るとその山の麓には旗のようなものが見える。そして目をこらしてその旗の方を見て見ると、なんとそこは、ものものしく武装した兵たちで埋め尽くされているではないか…
この光景に、秀忠の顔は青くなった。
「あれはどちらの兵か?」
秀忠は思わず隣に立つ久留米城の城主である田中吉政に問いかけた。
「大友の兵たちにございます」
「敵か、味方か…どちらなのだ!?」
思わず語気が強まる。すると彼の横に静かに近寄った本多正信が、噛みしめるように答えた。
「敵… にございますぞ」
「なんと…」
その数の多さに彼は圧倒されると、目をそらすように、さらに周囲を見回した。
すると…秀忠は異なる山を指差した。先ほど指差したのか高良山であり、今回は飛岳を指差していた。
「ややっ!あそこの山の麓にも兵がおるぞ!あの兵はいずれの兵か!?」
「立花宗茂… にございます。
無論… 敵にございます」
再びすぐに視線の向きを変える秀忠。すると今度は筑紫平野にの中にあって、少しだけ高くなっているところにも多くの兵たちで埋め尽くされているのを見つけた。
「あれはどなたの軍勢かな?」
「島津にございます。…敵方にございます」
「味方は!?味方はどこだ!?」
目の前には久留米城を囲むように敵の大軍が陣を敷いていることへの焦りからか、秀忠の声は上ずっている。しかし正信はいつも通りののんびりした調子で答えた。
「ご安心なされませ。敵よりも味方は多数おります。
しかし今は右大将殿から見て、背中の部分…
すなわち筑後川沿いにお味方の兵は待機しておりますゆえ、右大将殿の今の視界には入らなかっただけにございます」
その正信の言葉にどこかほっとしたのか、秀忠は顔色を元に戻すと、なおも正信に問いかけた。
「しかしこれでは父上の申しつけ通りに、戦を起こさずに柳川城まで進軍するのは難しそうだな…?」
「おっしゃる通りにございます。
殿が久留米城に一度入られることを知られていなければ、また状況は異なっていたかもしれませんなぁ」
その正信の言葉に怪訝そうな表情を浮かべる秀忠。
「なぜ知られてしまったのであろうか…」
その秀忠のつぶやきに、正信は苦笑をもって答えると、秀忠の側を後にしたのであった。
そして…
筑紫平野の奥から一人の使者が久留米城に向かってやってきた。
それは… 黒田如水であった…
江戸の人たちの中で、徳川三代のことを、
「全てを一人でお決めになられるのが家康公。
半分は自分で、半分は家老が決めていたのが秀忠公。
全てを家老が決めていたのが家光公」
という評価があったそうです。
一人の人間としての経験、特に失敗体験と学習の多さが、後々の判断力や決断力に結びついていたとしても、よいような気がしてなりません。
では、次回は少しだけ時間を戻して、反徳川勢の動きを見ていくこととします。
これからもよろしくお願いします。




