徳川家康という男
◇◇
中年太りとも言える大きな腹を、あぐらをかいた両太ももにのせた老齢の男性が、とある関東の城の謁見の間の壇上で、地図を広げてじっと見つめていた。
老齢ではあるが、その瞳の野望に満ちた輝きは、未来への希望を抱いた青年を思わせ、よくよく見れば、その腹を除くと無駄な肉は見当たらず、肌つやもよい。
その老人の一挙一動を見つめている青年が一段下の傍らに坐している。
彼の方は、いかにも聡明を絵に描いたような、切れ長の目の持ち主だ。
八月も下旬だと言うのに、昼間だと城の中でも汗ばむほどの気温である。老人の方は額に汗を珠のように浮かべているが、青年は涼しげにすまし顔であった。
「治部と秀頼公の会談…殿にはどう映りましたかな?」
静寂の隙をつくように青年が老人にたずねる。
その声は少し高く、さも自分の優秀さを誇示するように鼻をつく。
しかしそんな青年の口調に慣れているのか、さして表情を変えずに老人は静かに答えた。
「せっかく差しのべられた殿下の手を振り払うとは…治部の石頭にも困ったものだのう」
しかしその回答を耳にした青年は、向かい合うようにして座り直し、彼の期待していなかったその内容に顔をしかめた。
「治部殿の頭が柔らかければ、もっと早くに殿の天下となっていたでしょう。
…ただここでうかがいたかったのは、没落の運命にある愚かな治部殿のことではありません」
そんな青年の辛辣とも言える言い草に、今度は老人の眉間に皺がよる。
「ふん、口には気を付けよ。弥八郎。
どこで誰が聞いているか分からんからの」
弥八郎と呼ばれた青年は、口を引き締めると頭を少し下げた。
口に出して謝らないところが、弥八郎の気の強さを示しているようだ。
しかしそんな青年の態度を老人はなじる事はしない。
それはこの老人に相手の性格を受容するだけの器があり、その扱い方を知っているからだ。
このような自分の才に自信を持ち、気の強い青年の能力を引き出す方法…
それは語らせることだ。
「では逆に問おう。弥八郎はいかに感じた?」
弥八郎は下げていた顔を上げると、すまし顔に戻した。
それは待ってました、と言わんばかりである。
「私は秀頼公の行動に注意を払うべきかと」
こんこんと弥八郎の語りが始まるのかと思われたが、結論だけの短い返答に少し拍子抜けな雰囲気になってもおかしくはない。
しかし老人はそれを予想していたかのようにニヤリと口角を上げる。
「そうか…では殿下の様子見はそちに任せる。変わったことがあれば、逐一報告せよ」
「御意」
そう弥八郎は短く返事をした。
実はこの老人も豊臣秀頼の事は気になっていた。しかしその事は表には出さない。それは、自分にとって脅威となるのか、そうでないのか判断がつかないうちは表情に出すべきではないと、経験から感じているからだ。
敵はおろか、子飼いの味方にすら隙を見せないしたたかさを、この老人はその長い人生のうちで自然と身につけていたのだった。
そして、そのしたたかな老人は、仕事を任せた相手に必ず一言を添えるのを怠らない。
「殿下の監視など、わしの懐刀であるそちにしか任せられないことだ。その働きを大いに期待しておるぞ」
その言葉に、何事にも動じなさそうなすまし顔が、一瞬だけ喜色に崩れる。
「ありがたき幸せ。この弥八郎身命を賭して任務に当たらさせていただきます」
その決意に満ちた顔を見た老人の顔にも喜色が浮かぶ。
自らを御し、他人を制する能力――
このしたたかな老人――言わずもがな、徳川内大臣家康(通称は「内府殿」)には、そんな「制御能力」が他人よりもかなり優れていた。
そして弥八郎と呼ばれた青年――本多正純は、自分の能力を鼻にかけ、自分の意見が全て正しいと過信してしまうきらいがある。
しかしそんな困った気性すら凌駕するほどの頭の回転の早さと勘の鋭さを、家康はこよなく愛してやまなかった。それは、自分の可愛い次女である督姫と彼が同じ年齢であったこともあるかもしれない。とにかく家康老人は、本多正純という青年に惚れ込んで、常にその傍らにおいておいたのだった。
無論二人がいるのは、関東にある江戸城。
その謁見の間である。比較的新しく築城された城であり、大大名である徳川家康の居城にしてはその作りは至って質素なものであった。
時は慶長5年(西暦1600年)8月21日であった。
西の方では、そろそろ先鋒隊である福島正則や池田輝政といった将たちが岐阜城をとり囲んでいる頃合いだろうか。
その岐阜城を攻略すれば、いよいよその先に待ち受けるのは石田三成の本隊である。
しかし徳川家康は江戸から前線へと動く気配を見せなかった。
いや、正確には動く時期を慎重に見極めていたとすべきであろうか。
そんな彼であったが、
「さて…そろそろ動くときかのう…」
と、は気だるそうにつぶやくと、ゆっくりと体を起こした。
節制をしているにも関わらず、よく肥えた大きな腹のせいで、その動きは若い頃の彼と比べるとかなり鈍重なものだ。
その様子を見て、正純は静かに彼に進言した。
「もうしばらくお待ちになってもよろしいかと…この残暑ではお体にこたえますから」
家康はその進言に大きな耳を傾けると、再び眉間に皺をよせて、持ち上げかけた体を元に戻した。そして正純に、
「しばし待てというのは、この蒸し暑さだけのことか?」
と、その顔を覗き込むようにして聞いた。
正純の表情が少し驚きに変わると、
「やはり殿には、何もかもお見通しというわけでございますね」
と、弾むような口調で主人である家康を称賛した。
「ふん、そちの性格を考えただけのことだ。
ところで何を企んでおる。申してみよ」
再び発言を許された正純は、水を得た魚のようにその口を滑らせる。
「この度の作戦は、殿の本隊と冶部殿の本隊がぶつかる隙をついて、信州より江戸中納言殿(徳川秀忠のこと)が側面から急襲するというものでございます。
そうすることで、殿の後継である江戸中納言殿の武功を内外に示すのが、目的の一つとお見受けします」
家康は内心面白くはなかった。なぜなら正純の見解が彼の意を寸分違わずに言い当てていたからである。
しかしそれは同時に、我が息子かわいさに、この大戦を利用するなど、他の大名に知られでもしたら、それこそ離反の原因となりうる危険性をはらんでいることを意味していた。
よって「秀忠の武功を立てる」という目的は、彼と側近である本多正信以外は知りえないものだったのである。
それを目の前の頭脳明晰な青年は見事に看破していたのだ。
これが彼の胸だけに期するものであればよいのだが…と願わざるを得ない。
彼は不機嫌と不安を表には出さずに、続けるよう促すことにした。
「ふむ…それがどうした?」
「江戸中納言様の器量を考えて、このままでは江戸中納言様が戦場に到着する前に、冶部殿の軍を殿の軍が撃破してしまうは明白。
だから動くには時期尚早と申し上げたまでです」
その言葉を耳にした瞬間、仰いでいた扇子をバチンと大きな音を立ててしまうと、それを正純に投げつけた。
そして今までにない剣幕で正純を叱りつける。それはもう烈火のごとくという表現がぴたりと合うようだ。
「控えよ!弥八郎!!きさまが江戸中納言の器量を語るなど、何様のつもりであるか!?」
「ははっ!!これは出すぎた真似を!申し訳ございませんでした!」
正純は頭を低くして、謝罪したのだが、家康の怒りはおさまらない。
しかしそれは息子である秀忠を冒涜されたことよりも、正純の将来を心配してのものであった。
「そちはその過ぎたる口を直さない限り、いつか身を滅ぼすぞ!口にしていい事と悪い事も判断のつかないたわけ者であるか!?」
「い、いえ…申し訳ございませんでした」
正純は額から床に汗を垂らしながら、なおも頭を下げている。
一方の家康は立ち上がり、壇上から怒りの炎を瞳に宿したまま、正純を睨みつけている。
それは若すぎる彼の気性の反省を促しているようであった。
外からの弱々しい蝉の声が、二人のいる部屋にも聞こえてくる。
そんな夏の外気よりも、暑苦しい空間がその部屋にしばらく蔓延しているのだった。
「もうよい。今後は軽々しい発言には十分に気をつけるがいい。そちの為を思って申しておるのだぞ」
と、家康の方から声をかけた。そこには先ほどまでの怒りに満ちた炎のような熱はなく、むしろ爽やかなそよ風を感じさせるような、清涼感のある優しい声であった。
「は…この弥八郎、十分に心得ましてございます」
と、正純は重い調子で返事をした。その口調からは反省の色がありありと感じられた為、家康を満足させるには十分であった。
「して、そちはこのわしにどうしろと言うのだ?」
と、話を元に戻して家康は正純に問いかけた。
正純は顔を上げ、先ほどまでのすまし顔ではなく、真剣な表情で答えた。
「先に江戸中納言様の軍勢を出立させ…殿に置かれましては、その7日ほど後の出立が頃合いかと」
「ふむ。言い分は最も。では、すぐにでも宇都宮城をたつように、江戸中納言に伝えよ」
「御意」
と、家康は正純の進言を受け入れた上で、指示をだす。
そして指示を受けその場を離れようとする正純を、何かを思い出したように家康が引きとめた。
「そうそう…くれぐれも真田親子に翻弄されないように注意を払え、と合わせて伝えておけ」
「かしこまりました」
ぺこりと頭を下げると、機敏な動きで正純は部屋をあとにしたのだった。
正純が部屋を去り、一人になった家康。
「しかし暑いのう…」
と、一人愚痴をこぼしては、親指の爪を噛んでいた。
盤石…まさにその言葉しか思いつかないほどに、彼の一手一手は洗練されていた。
しかしそれでもなお、彼は不安でならない。
それはこの戦のこと、戦の後の処理のこと、そして彼自身の将来のこと…
どんなに慎重すぎると揶揄されても、彼は着実に自分のすべき事を愚直なまでに実行してきた。
それは彼自身が自分の「不安」を取り除く為に必死であったからなのではないか。
幼少の頃、自分の力では及ばなかった祖父の暗殺。
そして「人質」としてたらい回しにされたあの地獄のような日々。
さらに長男と妻の殺害を命じられ、血の涙を流したあの日…
人生これまでに数多くの苦難を幾度も乗り越えてきた彼だからこそ、
「何があってもおかしくない」
という不安は常に彼の心を支配し、休まることを許さなかった。
それを「盤石」という二文字に象徴されるような一手を繰り返し、彼はここまで登りつめてきたのである。
「これが終われば…温泉でもつかりたいのう…」
と、常に心の平穏を願ってやまないのであった。
さて一方の本多正純。
若い彼は家康の厳しい指導を、本心から守るほどに成熟していなかったのは非常に残念なことである。まだ先の話にはなるが、その口で身を滅ぼすことになるなど、この高飛車な青年には予想だにしなかったのである。
徳川家康と本多正純にフォーカスいたしました。
彼らの人物像を立てることは、一つ今後の物語には非常に重要な鍵となる為です。
次回からは、いよいよ時代を揺るがす「関ヶ原の合戦」が大きく動き出します。
これからもよろしくお願いいたします。




