表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

149/374

第二次柳川の戦い⑫ 軍師たちの大博打

◇◇

「これが最後の顔合わせか?寂しくなるのう…」


 そう酒を片手にしみじみ言ったのは、真田昌幸であった。対面しているのは黒田如水と結城秀康。大坂城にて豊臣秀頼との会談を終えた如水は、栗山善助ら側近たちを一足先に九州へと帰して、秀康と合流した後に、この九度山の真田昌幸のもとをたずねてきたのだった。


 実はこの三者の打ち合わせはこの時が初めてというわけではない。この時に至るまで数回に渡って繰り返し行われてきた。しかし、いよいよ徳川家康が設けた交渉期限である9月が近づくと、誰が言い出すまでもなく、今回の打ち合わせが最後であると、三人とも勘付いていたのであった。


 そしてこの頃、九度山の監視の目はかなり厳しかったが、この日も結城秀康の睨みつけに、監視をしている侍たちは震え上がり、何事もなかったように彼らは昌幸のもとにやってきた。


「いよいよ仕上げじゃからのう…」


 と、如水も酒を片手にしんみりと言う。その如水に秀康が問いかけた。


「秀頼殿にはご挨拶を終えましたかな?」


「ああ…しっかりとお願いごともしてきたわい」


 顔も合わせずに如水はそう漏らすと、秀康はニコリと笑う。


「では、もう思い残す事もございませんね」


「カカカ!それではまるでわしが死出の旅路に向かうようではないか!」


 何かをごまかすように高笑いする如水に対して、昌幸が声の調子を落として冷水を浴びせるように言った。


「しかしお主、死ぬ気であろう?」


 その言葉に如水の高笑いがピタリと止まる。微笑みを浮かべていた秀康の口元も引き締まり、なんとも言えぬ重い空気が辺りを支配した。


 しばらくその重苦しい沈黙の後、それを振り払うように、如水は吹っ切れたように軽い口調で言った。


「カカカ!そうかもしれぬのう!しかし、もう思い残すことはないぞ!

わしに長年連れ添ってくれた家臣たちへの、わしからの最後の奉公として、秀頼様に名前と顔を覚えていただいた。

天下人とあがめておった人に名前を呼んでいただき、声をかけてもらえたのじゃ…

それはもう、皆嬉しそうでのう…わしもこの上ない喜びを感じたものじゃ。

それに『太閤殿下と共に見た夢』を秀頼様に託すことも出来た。

ゆえに、もう思い残す事は何もない。

しかし、わしは死ぬ覚悟は出来ておるが、死にに行くわけではないぞ!

あくまで徳川の鼻っ柱をへし折ってやらねば、あの世で待つ太閤殿下に尻を叩かれかねないからのう!」


 そんな如水の様子を見つめていた秀康もどこか覚悟を決めたように再び口元を緩めると、


「では、そろそろ始めましょうか」


 と、本題へと話を移していったのだった。


………

……

 昌幸は一枚の白くて大きな紙をその場に敷くと、白黒の碁石を手に取った。そして如水にたずねる。


「まずは状況の整理じゃ、如水殿。九州における敵味方の整理をお願いいたしたい」


「ふむ。では申し上げよう。

まずは、徳川方であるが…

虎之助を除く、十万石以上の領土を持つ大名たちは皆、命令通りに兵を出すことであろう。

その兵は黒田長政、細川忠興の二人は競うように見栄を張っておるゆえ、互いに五千は出してこよう。田中吉政、寺沢広高はそれぞれ三千。そして汚名返上を狙う鍋島は、一万は出すと見た」


 その如水の言葉に合わせて黒い碁石をぱちぱちと置いていく昌幸。如水はその様子をじっと見つめている。そして、昌幸が黒の碁石を置き終えて、その手に白い碁石を手にしたところで続けた。


「次に、反徳川方であるが…

立花宗茂は一万、島津義弘も一万、そして大友義統も一万と見込んだ」


 その言葉に秀康の目が大きくなり、昌幸の白い碁石を置く手が止まった。


「なんと… わずか五万石の所領の大友が一万…しかも立花殿に味方するのか…」


「うむ… 正直、直接当主の義統と話をするまで、わしも半信半疑であったが、どうやら本気のようじゃ」


 その言葉に昌幸は手元で碁石をじゃらじゃらと回しながら、


「てっきり、徳川内府の手先となって動いているものと思っておったがのう。人の心は分からぬものじゃ」


 と、ため息をついた。


「大友殿も最初は、真田殿の言う通り、徳川の言いつけを守って行動していたそうじゃ。

この機会に徳川への反逆者をあぶり出して、一網打尽にする…

それが徳川の狙いだそうじゃ」


「腹黒い父上のしそうなことです」


 秀康が冷たく言い放ったのを横目で見た如水が続ける。


「だが、徳川内府に天下を狙う野心ありとの報せが届いてからは、心変わりをしたようでのう。今は九州を徳川の手から守る為に、命を懸ける覚悟を決めていると言っておったわい」


 昌幸が白い碁石を置きながら、上目で如水を見る。


「どこまで信用してよいものなのかのう?」


「今は信用するしか他あるまい。戦況がこちらに有利となれば、その心も固まろう」



 パチリパチリと音を立てて白い碁石を並べた昌幸は、如水に低い声でたずねる。


「味方はそれだけか?如水殿」


「いや、まだおるぞ。龍造寺高房殿、五千。そして、わし自身の兵が約千五百」


 如水のその言葉に、再び昌幸の手が止まった。


「なに…?龍造寺高房…だと… こいつは驚いた…」


 昌幸が驚いたのも無理はない。龍造寺高房と言えば肥前佐賀城の当主であり、今回徳川方として出陣する鍋島直茂は彼の家臣にあたる。


「もう単なる『お飾り』でいるのは飽き飽き…ということですね」


 と、秀康がしみじみと実感をこめて言う。そして、如水は続けた。


「既に龍造寺殿は佐賀城を離れて、同じく肥前の蓮池城に入って兵を集め出しておる。鍋島直茂もどうにか説得を試みているようじゃが、どうやらこのまま袂を分けて戦うことになりそうじゃ」


 再び昌幸はパチリパチリと白い碁石を置き終えると、少し興奮気味に言った。


「島津、龍造寺、大友… かつての九州三傑が皆力を合わせることになったというわけか!ははっ!これは面白いのう!」


 そして興奮冷めやらぬ様子で、今度は秀康に向けて問いかけた。


「次は徳川の動きじゃ。結城殿、九州以外の大名たちの動きも含めて教えてくれまいか」


 その問いかけに、秀康は姿勢を正して穏やかな口調で話し始めた。


「はい、かしこまりました。

まず、徳川本軍でございますが、その数はおよそ三万。それをどうやら二手に分けるようです」


「息子と親父で…か?」


 昌幸が問うと、秀康はこくりとうなずいた。


「こたびの九州征伐は、わが弟の秀忠を大将にすえて臨むようでございます。

先に秀忠に行かせるようにございます」


「出来の悪いせがれに箔をつけさせたいわけか!

はんっ!涙ぐましい親心じゃのう!」


 その昌幸の言葉に、秀康は目を細めると、少し語気を強めて言った。


「出来が悪いかどうかは、これからの秀忠の働き次第で、今は決めつけられませぬ。

しかし、少なくとも戦功がないのは確かにございます。

先の関ヶ原の戦いでそれを挙げるつもりでしたのでしょうが、どなた様にそれを手痛く妨げられましたので…

こたびは、その失態を返上する絶好の機会。戦功を得て、父の後継者の資格の持ち主であることを世に知らしめるおつもりでしょう」


 如水は秀康の様子を、微笑を携えながら見ていると、


「徳川本隊の事は、良く分かった。次に他の大名たちの動きをお聞かせくだされ」


 と、先を促した。秀康もわずかに紅潮した頬をもとに戻すと、静かに続けた。


「はい。徳川譜代の者からは、本多忠勝が三千、榊原康政が三千、そして奥平家昌が二千と兵を集めております。この三人が戦に出ることでしょう」


「本多忠勝も出てくるのか… 東の天下無双と呼ばれた本多と、西の天下無双と呼ばれた立花の二人が相対することになるとは…

それだけでも、この戦をこの目で見てみたいものじゃ」


 と、昌幸は興奮を抑えきれない様子だ。しかし秀康の方はあくまで冷静に続けた。


「徳川譜代の者以外となりますと… 伊予の二家、加藤嘉明と藤堂高虎の二人がそれぞれ二千の兵を城下に集め、同じく二千の兵を播磨の池田輝政が集めたとのこと。

恐らくこの三人は参戦するものと思われます。

そして以上が、九州以外の大名たちの動きでございます」


 黒い碁石をずらりと並べ終えた昌幸は、それを見て深いため息をついた。


「このままでいくと、徳川が七万、対する反徳川が三万六千強といったところじゃ。

約二倍の兵力差では、さすがの立花、島津と言えども、どれほど持ちこたえられるかのう…」


 そんな昌幸に対して、如水は低い声で言った。


「昌幸殿、勘違いするでないぞ。そもそも徳川内府は、本気で戦おうとは思っていない」


「ほう… どうしてそう思う?」


昌幸が「今更何を?」と言わんばかりに不思議そうな顔を如水に向けると、如水は流れるような口調で答えた。


「まず、先に九州に到着した徳川秀忠は大軍で攻めると見せかけて、粘り強く降伏を勧告してくるに違いあるまい。先行して九州に到着する予定の軍勢だけでも、数の上では反徳川勢を圧倒しておるからのう。


徳川としては可能であれば、籠城に持ち込ませたい、というのが本音じゃろう。

しかし島津が援軍に来ている限り、立花が単独で柳川城に籠る事は考えにくいのう。

戦場で、じりじりとした対峙が続くだろう。


もちろん秀忠は内府から『決して軽々しく戦を始めてはならん』ときつく言い含まれてくるはずで、局地的な小競り合いは許すにしても、立花や島津の本隊との直接的なぶつかりあいは、絶対に避けてくるはずじゃ。

しかしいつまでも不戦の姿勢を貫けば、立花と島津に足元を見られる可能性がある。

そうなると、徳川秀忠は『不戦の期限』を勝手に設けて、それまでに降伏せねば、攻めかかると脅しをかけるに違いあるまい。


そして、内府の本隊は悠々と東海道から陸伝いで九州に向かってくるであろうな。

その道々で歓待を受け、いくつかの大名は、共に戦う為に加勢することだろう。


こうして内府率いる大軍が柳川に到着するのは、秀忠が設けた『不戦の期限』の直前。

かつて二十万と言われた太閤殿下の九州征伐と同じくらいの規模まで軍勢を膨らませて、立花と島津を圧倒する。

ついには、戦わずして二人を降伏させるという算段であろう」


「かつての小牧の役のようにか…」


 昌幸の「小牧の役」という言葉に秀康の顔が曇る。なぜならこの小牧の役での、豊臣秀吉と徳川家康の戦いがきっかけとなり、秀康は豊臣家へ養子に出されたからであったからだ。しかし、彼はすぐにもとの表情に戻して如水の言葉を継いだ。


「そうなると、長引けば長引くほどに、反徳川勢は不利になりましょう」


「つまりは、短期決戦… しかも野戦で…ということになるのう」


 そうつぶやくように言うと、昌幸の目が鋭く光った。


「如水殿。野戦での勝ち目はあるのか?」


 その昌幸の鋭い眼光を、何事もないように受け止めた如水は、相変わらず口元に笑みを浮かべながら答えた。


「カカカ!わしを誰と心得る!?もっとも、野戦はあまり得意ではないのじゃが、それでも徳川に早々負けるようほどに、落ちぶれてはおらぬわ!

しかし徳川秀忠が『不戦の期限』を設けてきた場合… その理由にもよるが、例えば民が収穫を終え、避難するのを待つ…など、民を盾にした理由をつけられては、こちらも守らざるを得まい。

そうなると、打てる手立ては一つ…

それを成し得る為には… 一つだけ条件がある」


 と、まくし立てるように言うと、如水は指を一本立てた。昌幸がその指の先にある如水の瞳を覗き込みながら問いかける。


「その条件とは…?」


 如水はその問いかけにはすぐに答えないで、昌幸と秀康の二人をじっと見つめた。一方の昌幸と秀康も、そんな如水のことを、息を飲んで見つめている。

既に夜の帳が下りた周囲は暗闇の中にあり、その沈黙を余計に重くしているように思えた。


 そしてその雰囲気と同様に、如水は重い口を開いて、その条件を言った。



「徳川内府の軍を足止めせよ…」



 その如水の言葉に、昌幸と秀康は沈黙したままだ。如水は続けた。


「すなわち『不戦の期限』までに到着させねば、こちらは戦を始められるからのう」


 すると…


「はははははっ!!面白い!!実に面白い大博打じゃ!!

よい!わしは足止めをするのが得意でのう!

もう一度、内府に一泡吹かせてくれるまたとない機会じゃ!!

その話!乗ったぞ!如水殿!!」


 どこまでも愉快そうに大笑いする昌幸。根っからの武人は、その興奮に血がたぎり、まるで十歳以上若返ったかのように、頬を赤く染めている。

 

 そして、人の興奮というのは、他人に伝染するもののようだ。秀康もまた、ぶるっと身震いをすると、その口元を緩めて、大きな声で笑い出した。


「俺もやってやりますぞ!!」


「おう!!如水殿!!九州はお主に任せるぞ!!こちらは必ず足止めをして見せよう!

この戦!徳川内府の好きなようにはさせん!!ははははっ!!」


「カカカ!!よいよい!任せておけ!!秀忠の軍勢を破れば、その時点で一度徳川内府は軍勢を引かざるをえまい。そうなれば、こたびの戦はこちらの勝ちじゃ!!」


 三人は笑いながらその手を取り合う。そして力強く互いの手を握り締めながら、昌幸が代表して掛け声をかけた。


「おのおの!!ここが勝負どころじゃ!!ぬかりなくいくぞ!!」



 軍師たちの大博打… ここに開幕――






かなり熱い展開になってまいりました。


九州三傑が手を取り合う…

東西の無双の対決…

龍造寺の鍋島に対する積年の鬱憤晴らし…

そして、

真田昌幸が三度、徳川に立ち向かう…


このワクワク感が伝われば幸いにございます。


次回はいよいよ対陣になります。


では、第一部の最後のクライマックスに向けて、引き続きよろしくお願いいたします。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ