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第二次柳川の戦い⑩ 生き残りをかけて

◇◇

慶長7年(1602年)4月10日ーー

江戸城で開かれた評定にて、徳川家康が来年にも江戸幕府を開くことを宣言していたその頃、黒田如水は既に九州の中にあった。

彼は行動の拠点を息子の黒田長政のいる筑前福岡城には置かず、柳川城にほど近い筑後山下城を、田中吉政より借り受けて拠点とした。

無論、これから徳川家康と真っ向からぶつかろうかという今回の作戦において、息子である黒田長政に迷惑をかけまいとする親心もあったが、田中吉政が同じキリスト教信者であり、物事を頼みやすいから、という部分が大きい。吉政も二つ返事で、この頃既に廃城が決まっていた山下城を如水に貸し与えてくれたのであった。もちろんこの時は「豊臣秀頼様の名代として、徳川内府殿に命じられて九州取次の任にあたる為に、その拠点となる場所を提供して欲しい」と頼んでおり、決して徳川家康と対峙する為とは言っていない。

その為、人の良い田中吉政は、同じキリシタンであり、高名な黒田如水の為ならということで、城を貸し与えてくれているのであった。


山下城に入ると、如水は早速行動に移る。


まずは、彼の側近である井上九郎右衛門と母里太兵衛に命じて、関ヶ原の戦いの際と同じように、付近で牢人となっている者たちを兵として集めることとした。

その際の金は如水が大坂城を出る際に、秀頼から得たものだ。ここ九州においても、関ヶ原の戦い以降で牢人が多く出ており、あっという間に集まった数は千を超えた。集めると同時に、牢人たちには山下城の整備の仕事を与え、廃城寸前で荒れ果てた山下城は、かつて筑後十五城に数えられ、難攻不落の要塞と言われたその姿を、取り戻していったのである。

なおこの時の食料については、熊本城の加藤清正の領地の一部が、家康の知らぬところで、未だに蔵入地(豊臣家の天領)として残されており、そこから出されることになっているので、特に問題はない。

なお、この清正領内の蔵入地については、史実の上でも存在しており、その石高は実に3万石にも及んだというから、加藤清正が豊臣家に対して、どれ程に忠誠を誓い、大切に扱っていたかがうかがい知れる。なお史実においても、この蔵入地からの収入は、律儀に毎年大坂城に送られていたという。



そして、牢人たちを集めている最中、もう一人の側近である、栗山善助には、彼の義理の父である吉弘統幸を通じて、大友義統への接近を指示したのだ。善助は如水からの書状を持って、豊後臼杵城へと発っていったのであった。


さらに、彼自身はまず柳川城にいる立花宗茂のもとへと尋ねることとした。訪問の目的は、平和的解決に向けた交渉であったが、家康の態度からして、その望みはもう既に絶たれているようにしか思えず、実質は今後の事を協議する事が目的だったのである。


………

……

慶長7年(1602年)4月13日ーー

黒田如水は柳川城にて立花宗茂との会談に臨んだ。

その会談には、彼ら二人の他に、立花宗茂の側近である筆頭家老の由布惟信(ゆふこれのぶ)、そしてその息子の由布惟次(ゆふこれつぐ)、同じく重臣の小野鎮幸(おのしげゆき)と、十時連貞(とときつれさだ)の四人も同席していた。


如水は目の前に座る立花宗茂に頭を下げると、早速話を切り出したのだった。


「こたびは豊臣秀頼様の名代として、今後の事を話し合いにここに参った。

まずは立花殿におうかがいしたい。

今後、立花家としてはいかがされるおつもりか?」


如水の問いかけに、宗茂は凛とした佇まいを変えずに答えた。


「それがしらは、この柳川の民を愛しておる。そして妻誾千代の眠る寺も、その彼女が愛した城も守らねばならないと思っている。

ついては誰が何と言おうとも、この柳川城を離れるつもりはござらぬ」


そんな頑として譲らぬ真っ直ぐな態度に、如水は上目で宗茂の瞳を覗き込みながらたずねた。


「誰が何と言おうとも…じゃな…

では、今や源氏の長者である徳川内府殿が、城を明け渡さねば、力づくでも奪い取る、とおっしゃっても…というわけかな?」


その言いように、脇に控えている小野鎮幸が、怒号を上げるように口を挟んだ。


「徳川でも豊臣でも、力づくで奪おうってもんなら、やってみやがれ!!この日本七槍が一人、小野和泉がお相手してくれようぞ!!」


そんないきり立つ鎮幸に対して、由布惟信が片手で制して言った。


「これ、鎮幸殿。そうかっかするものではない。

何も如水殿は、本気で徳川殿がこの柳川城を攻めてくるとは、おっしゃってなかろう。

そうですよね?如水殿」


そう言葉は落ち着きを払っているが、その目は鋭く光っている。惟信もまた「仮に徳川が攻めてこようとも受けて立つ」という気概を持ち合わせているようだ。そしてそれはほとんど無表情で如水を見つめている十時連貞と、惟信の息子である由布惟次も同様なようで、この場にいる全員が「無条件での降伏などありえない」と一致団結しているように、如水には思えたのだった。


そして惟信の問いかけに、如水は正直に答えた。


「残念ながら、徳川殿は本気で柳川城を攻め落とすおつもりじゃ」


「…いつにございますか…?」


と、十時連貞が静かにたずねる。


「長月(9月)に挙兵し、ここが徳川の大軍で囲まれるのは、神無月(10月)の初旬といったところでしょうな。

いずれにせよ徳川殿は、年内にこの柳川城の件を片付ける為に、準備を進めておる」


そこまで如水が言うと、当主の立花宗茂が不思議そうな顔をして、如水にたずねた。


「なぜ徳川殿の詳しい内状を、お教えくださるのでしょうか…?

それではまるで、こちらにも火急に戦の準備を始めよ、とご助言いただいているようにしか思えませぬが…」


「いや、わしは降伏するなら今のうち…という事を伝えたかったまでよ。

その様子だと、全くその気はないようだがのう」


「わざわざご足労いただいたにも関わらず、主従共々頑固者たちばかりゆえ、かようなお答えしか持ち合わせておらず、申し訳ござらぬ」


と、宗茂は軽く頭を下げた。


外はぽつりぽつりと雨が落ち始めているようで、空は厚い雲に覆われている。

昼だというのに部屋の中は薄暗く、その雰囲気もまた重く、暗いものであった。


まるでこれ以上の話し合いは無駄であると言わんばかりの宗茂に対して、如水は続けた。


「立花殿…こたびの件、確かにお主らが徳川殿に頭を下げるいわれはないかもしれぬ。

しかし現実として、柳川城を舞台とした先の戦は、多くの民を苦しめ、そして若い者たちを犠牲に出した。

その責任は重く、天下に謝罪するには十分な罪であるとお見受けするが、いかがであろう?」


がたりとその場を立ち上がろうとする音がしたのは、顔を真っ赤に染めた小野鎮幸が、如水につめよろうとしたからであろう。それを、由布親子が必死に制している。


だが、質問とも脅迫とも取れるような言葉をぶつけられた当の本人である宗茂は、相変わらず凛とした佇まいを変えずに、むしろ口元に微笑を携えて答えた。


「ふふ…まさにおっしゃる通りにございますね」


「では、謝罪される…ということでよろしいかな?」


「それで柳川の地の安定と平和がはかれるなら、いくらでも天下に向けて頭を下げてご覧いれましょう」


という宗茂の答えに対して、小野鎮幸は納得がいかないように、


「殿!?それはどういうことにございましょう!!

断固としてこの柳川城を守り抜くと決めたではございませんか!?」


と、宗茂に詰め寄った。無論それは言葉だけで、体の方は、由布親子が必死の形相で抑えている。


そんな小野鎮幸に対して、宗茂は穏やかに答えた。


「勘違いするでない、鎮幸。

俺が謝罪する相手は天下…つまり豊臣秀頼様であり、その家臣の徳川家康ではない。

そして、謝罪と柳川城の安堵は全く別の話…」


すると如水は一通の書状を宗茂に対して差し出した。

差出人の名は…


豊臣秀頼…


宗茂はそれを目にした瞬間に表情を変えて、書状を開いた。


そこには、天下泰平の為に、今後柳川の民たちへの奉公に尽くすという事であれば、豊臣家としては本領安堵を申しつけたい、ということ。

その為にも、一度名代で構わないので大坂と伏見に、先の戦に対する謝罪の使者を送ってきて欲しい、という二つの事が書かれていたのだった。


すなわち、豊臣家としては、謝罪の使者を寄越せば、本領安堵で構わない、という内容であった。


もちろんここには、徳川家康の名前はなく、彼の意図は全く反映されてはいない。


側近たちが書状を回し読みしている間に、宗茂は如水にたずねた。


「この書状…徳川殿はご存知なのでしょうか?」


「いえ…知らぬものじゃ」


「では、もしこの書状の通りに立花家から謝罪の使者を送ったにも関わらず、徳川殿が本領安堵を拒否したなら…どうなるのでしょう?」


宗茂は目を細めて、如水の瞳をじっと見つめている。その眼光は鋭く、さながら戦場にいる時のような覇気がこもっていた。


「それは…徳川と豊臣の意見が分かれることになりますな…」


「天下の臣たる徳川殿が、天下の長たる豊臣家の意向に背き挙兵したとなれば、それを逆賊と呼ばずして何とお呼びしましょう」


と、宗茂は静かに闘志をみなぎらせる。そこでようやく小野鎮幸もこの会談の目的が理解出来たようで、大人しく腰を下ろしたが、その顔は未だに興奮に赤くなっている。


如水は彼らの様子を口元を緩めながら、じっと観察している。そんな如水から目をそらさずに宗茂は言葉を家臣たちに向けた。


「惟次。急ぎ大坂城に向かう支度を整えよ」


「はっ!御意にございます!」


「連貞。福岡に行き、武器を買い集めよ」


「…御意」


「鎮幸。柳川城につめる兵の調練を始めよ」


「ははーっっ!!」


「惟信。各城の防備の様子を確認せよ。さらに領内にいる牢人たちを集め、兵として雇い入れよ」


「御意にございます」


各自に端的に指示を出した宗茂は、最後に如水に向けて口を開いた。


「この立花宗茂。天下を仇なす逆賊が相手となれば、例えそれが神であったとしても立ち向かいましょう。

己の正義を貫く…

それが立花の勇気であり、最愛の妻である誾千代と交わした最期の約束でございます」


その言葉は、水面が穏やかな海のようであったが、その奥底には燃えたぎる強い意志が感じられ、如水の心は波打った。


「では、来月早々にも大阪への使者をお迎えにまいりますゆえ、それまでにご準備をお願いいたしますぞ」


と、如水は頭を下げると、そのまま場を後にしたのであった。



………

……

慶長7年(1602年)4月17日――

黒田如水は薩摩の国の内城に入っていた。この頃既に島津家の次期当主となる島津忠恒は、海沿いの地に新たな居城である鶴丸城(鹿児島城とも言う)の建設を始めており、取り急ぎ屋敷を構えてそちらに移り住んでいる。また、前当主の島津義久は富隈城を居城としていることから、この内城には、現当主である島津義弘だけが居城としていたのであった。

そして今、如水の目の前にはその島津義弘と、次期当主である島津忠恒の二人が座っているのだが、実質的に島津家の実権を握っている島津義久がいないことに、如水の心に何か引っかかるものを覚えざるを得なかったのである。

とは言え、体調が優れないと言って顔を出さない義久を待つわけにもいかず、如水は本題を切り出したのであった。


如水の話に対して、島津義弘は顔を真っ赤に染めながら聞き入っているが、一方の島津忠恒は顔を真っ青にして空いた口がふさがらない様子と、親子とは言え、対照的な表情を浮かべていることに、如水は島津家内でも徳川に恭順すべきか否かで割れている様子が手に取るように理解したのである。

しかしこの時点においては、軍事面で大きな影響力のある島津義弘の心さえ掴んでしまえば、ここにいない島津義久も含め、島津家の他の者が何を思おうとも構わないとまで如水は考えていた。


そして、如水が全てを語り終えると、目をつむっていた義弘は、その目を見開いて、興奮に震える声を抑えながら答えた。


「黒田殿… わしは知っての通り、大坂や伏見からは遠く離れた地を治める大名にございますゆえ、天下の事はよく分からんのが本音じゃ。

しかし、天下の順逆をわきまえることくらいは出来ると自負しておる。

その順逆を侵そうとする者がいるならば、立ちあがらずして武士と、男と言えようか。

しからば、皐月早々に大坂に使者を送ることをお約束いたそう。

もし徳川内府が豊臣秀頼殿の決定に従わず、わしに弓を引こうものなら、自慢の鉄砲で迎え撃ってみせよう」



その言葉に息子の忠恒が慌てて抗議する。しかし…


「お…親父!今ならまだ間に合います!ここは大人しく徳川殿に頭を…」


「お主は黙っておれ!!この腰ぬけが!」


と、結局は義弘に一喝されて、悔しそうな表情で引き下がるより他ないのであった。



◇◇

慶長7年(1602年)5月10日――

長雨の季節を先取りしたように、しとしとと雨が降るあいにくの天候の中、大坂城での豊臣秀頼への謁見を終えた立花家と島津家の使者は、黒田如水とともに伏見城に到着した。


「いよいよじゃ… お主らの生き残りをかけた最後の大博打の始まりじゃ」


と、如水は二人に背を向けたまま声をかけた。

そして、相変わらず人の往来が途切れることのない、伏見城の大手門に向けて一歩踏み出したのだった。



「あれ… あの人は…」


ふと、島津家の若い使者が立ち止り、今すれ違った男の背中を見つめた。

どこかで見た顔なような気がしたが、その名前が思い出せない。そして、背中越しでは誰であるかは分からず、その相手はどんどん離れていく。


――もし仮に顔見知りであったなら、相手も立ち止まって挨拶を交わすに違いない…


そう思いなおした使者の男は、特にすれ違った男の後を追う事もなく、如水の背中についていくこととした。



実はこのすれ違った二人は、遠い薩摩の国で顔を合わせた事がある間柄であり、決して使者の思いすごしではなかったのだ。

それは無論、当主が同じである事を意味しているが、特に話をしたこともない相手なので、互いに名前は知ってはいるが、特別に親しい間柄という訳ではない。その為、使者の男は、すれ違った男の名前を思い出す事もなく、みすみす見過ごしてしまったのである。


そして伏見城での用件を終えて立ち去っていく人物…


彼こそ、実質的な島津家当主である島津義久から命じられて、徳川家康の元へと訪れていた使者…

山田有栄(やまだありなが)なのであった…


もしこの時、使者の男が有栄の存在に気付き、呼びとめていたなら…

そして島津義久の使者である山田有栄が徳川家康と何やら会談を重ねている事実を、黒田如水がこの時に知ったなら…


この後の歴史の歯車はその動きを狂わせていたかもしれないのだが…




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