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第二次柳川の戦い⑨ 宣言

◇◇

慶長7年(1602年)3月22日ーー


豊臣秀頼に対して各大名が年賀の挨拶をした翌日、徳川家康は伏見城に入らず、二条の屋敷にいた。


この頃既に、かつての太閤秀吉が築かせた二条城は、もう跡形もない。その代わりに、徳川家康は伏見城で政務を行う際に寝泊まりする屋敷をその二条の地に作らせたのである。


そして、その日は政務をせずに、その屋敷で過ごすことに決めており、その一室でのんびりとくつろいでいる。その家康の隣には阿茶の局。彼女のこしらえた特製の薬を茶ですすりながら、家康は渋い顔をしていたのであった。


そんな中に、本多正純が大坂城での年賀の挨拶の様子を報告しに、家康のもとに訪れてきた。家康は二つ返事で彼を部屋に招き入れると、早速用件を聞くことにしたのである。


「して…どのような様子であった?大坂城は?」


「はい。昨年と比べますと、商人たちの出入りも少なく、賑やかさは感じられなかった、とのことにございます」


「その口調だと、お主が自分で見たのではなさそうじゃのう」


「はい…もはや豊臣家と言えども、殿が治める事となる天下においては、一大名に過ぎませぬ。

わざわざそれがしが出向いて、様子をうががう必要などございますまい」


と、何事もなかったかのような涼やかな顔で答える正純を、家康は相変わらず渋い顔で見ていた。


「お主…つい最近までは『秀頼殿の動きがあやしい』とかぬかして、自分で監視するようなことを言っておったではないか?」


「ええ… 今でもあやしいとは思っております。

しかし、もはや秀頼殿がいかにあやしくとも、殿を脅かすほどの事は出来ますまい。

それに監視は未だ続けております」


家康は、「まだ監視は続けている」という部分に驚きつつ、正純に問いかけた。


「ふむ…では、その秀頼殿はどんな様子だったのだ」


「どうやら…『宴』を催されたようで…」


「宴じゃと…?齢九つの身でか?」


「無論、酒などお飲みになられるはずもございませぬゆえ、それは口実にございましょう」


正純と家康の目が光る。そんな二人を、阿茶の局は黙って微笑みながら見つめていた。


「その宴には誰が参加しておった?」


「結城秀康様…」


「な、なんだと!?秀康が…」


家康の顔が、さっと青ざめた。その様子に正純はため息をついた。


「はぁ…だから殿が『次にわしの跡を継ぐ者は誰が相応しいか』とお問いかけになった際に、次期将軍には、秀康様が良いと、父とそれがしは推薦いたしたのです。

それを大久保忠隣の進言を聞き入れて、秀忠様にされたからこうなったのです。

この後も、あのお方を飼い慣らしておかないと、どんどん危険になっていきますぞ…」


「ふん!今更わしが父親面したところで、向こうがなつくはずもなかろう。

所領だって、兄弟の誰よりもくれてやっているのだ。

これ以上は何をくれてやれば、気がすむのだ!」


そんな家康に阿茶の局は優しく話しかけた。


「殿は勘違いされておられますよ」


「何をじゃ?」


と、家康は苦々しい顔で、視線を横の阿茶の局に向けた。その視線を優しく受け止めた彼女は、穏やかに続けた。


「物や土地を与えたところで、一度こじれてしまった親子の絆は、そう簡単には戻らないもの…

されど、親子の絆はそれでもなお、離れられぬ何かで固く結ばれているものにございます」


「だから何が言いたいのだ?」


「そう結論を焦りなさんな…これから天下人になられるお方は、もっとでんと構えなくてはなりませぬ」


「ああ…もうよい!分かったから続けよ」


これ以上催促すると余計に説教が長くなりそうだと判断した家康は、諦めたように片手をひらひらと振った。


「とにかく、秀康様には物で釣るのではなく、お心が通じるように向き合われることが肝要かと…

心から親愛を示せば、自ずと親愛を返してくるものだと、わらわは思います」


「心から親愛…か…わしに出来るかのう…」


「殿!出来るかどうかなど関係ございません!やるのです!」


と、自信のなさそうな家康に向けて、阿茶の局は鼻息荒くしながら、家康の手を固く握り締めて、彼を励ました。


「う、うむ… もうよいから、手を離せ!」


と、その握られた手がことのほか熱かったからであろうか…家康は、真っ赤に顔を染めると、手を振りほどき、恥ずかしさを隠すように、話題を変えた。


「ところで、正純。その宴には、そのほかに誰が出ておった?」


正純は指を折り、天を仰ぎながら答えた。


「黒田如水、加藤清正、福島正則、浅野幸長。

そして石田宗應…」


「それだけか?もしそうなら、放っておいてもよい。あやつらが今何か声を上げても、天下に響くほどではなかろう」


そんな家康がほっと肩の力を落としたその時、正純は続けた。


「いえ、その者たちに加えて、紀州からきたという旅商人風の者が、物を届けに入っていった、とのことにございます。だが、その者がその宴から出てくることはなかったとのこと…」


「お主… その者を誰だったと思っておる?」


家康の目が光る。正純はその視線を逸らすことなく、変わらぬ口調で答えた。


「真田安房守殿かと…」


「そうか… 真田安房守か…」


家康は深いため息をつくと、目をつむった。


「やはり、こうなってしまうのか…」


そんな思いに胸が痛む。

避けても、避けても、避けても、避けられぬ未来が目の前まで迫っているのを、家康は感じていたのだ。


そして、その真っ暗な瞼の裏で、浮かんできたのは、豊臣秀頼が「拾い」と呼ばれていた赤児の頃の姿。

見るたびに大きくなるその姿…


ーーないふどのぉ!


そんな風に自分に向けられたあの無邪気な笑顔が、彼の心を鷲掴みにして離さない。

すると、その笑顔の代わりに浮かんできたのは、死を間近にした豊臣秀吉の姿。


ーー拾いを… 秀頼を頼むっっ…


いつでも人の心を捉え続けた笑顔で、天下人に座ったその人が見せた、最期の表情…それは憐れみを乞う哀しみの顔。その顔が家康の心を鷲掴みにした手に力を込めていた。


「…殿… 殿… 」


遠くに阿茶の局の声が聞こえる。それでもなお、家康は彼をとらえて離さない者たちに心を奪われ、この先の未来に葛藤していたのであった。


その時だった…



ーーパンッッ!!



と、乾いた音が部屋の中をこだますと、家康の左頬に鋭い痛みが走った。


家康は、はっと我に返ると、思わず自分の左頬を抑えて、その痛みを与えた方を睨んだ。


そこには右手を振り抜いた阿茶の局が、家康以上に強い意志を持った視線で、彼のことを睨みつけていたのだった。


「お主…」


と、その視線に押されるように、家康は言葉を出すことができない。そんな家康に阿茶の局は、腹の底から低い声で、家康に語りかけた。


「殿。しっかりなさい!もう殿には、最初に領地を与えてくださった今川義元様はおりませぬ。殿の背中を守ってくれる織田信長様はおりませぬ。殿のお力を認めてくれて、大きな所領を安堵くださった豊臣秀吉様もおりませぬ。

今までのように、殿のことを全てお決めになられる方はもういないのです!

殿!もうとらわれてはなりませぬ!

殿はもはや三河や江戸の田舎の一大名ではないと、その先に進まれると、わらわと本多正信様におっしゃったではございませんか!

もう迷ったり、とらわれてはなりませぬ!」



史実において、徳川家康は、その死後、神となって日光東照宮に祀られることとなる。しかしこの時の彼はまだ人間だ。全てに迷い、人並みに心に傷を負い、そして背負うことに苦しむ…心のどこかに、逃げ出したくなるのを必死にこらえて、一歩ずつ前に進んできた。その彼がこの時ばかりは、挫けそうになっていたのは、『天下人』という責任が重く、そしてそれにより傷つけなくてはならない相手がいることに対する後ろめたさからくるものであった。

しかし、阿茶の局はそんな家康に、逃げる事も、立ち止まることすら許さない。それは、彼女が…いや、徳川家康の周囲にいる人々がみな、一つの思いを胸に秘めていたからに他ならない。


ーー天下泰平の世を築けるのは、徳川家康様より他にはいない…


彼女は、家康の妻として、そして誰よりも彼の事を知る良き理解者として、彼を導き、時には厳しく背中を押してやることが、務めであると思っていた。


それが張り手であったのだ。


もちろん家康は、その事を理解出来ない人ではない。

彼は、深々と阿茶の局に頭を下げると、正純に命じた。


「…この二条の屋敷に、天守をつくり、二条城とする。その普請…人と金は、加藤清正、浅野幸長、福島正則に出させよ。早速普請を始めるゆえ、皐月(五月のこと)には、人を揃えて伏見に寄越すようにと。

それから、北政所様には、高台寺に入って太閤殿下を弔っていただき、所用がある時は寺の者たちに頼ませるように手配いたせ。それゆえ、石田宗應には、学府の運営に集中してもらい、今後は京都所司代である板倉勝重の許しなく、京から一歩たりとも出ることを禁ずる旨を伝えよ。

九度山の監視は、徳川の者が行うこととし、真田安房守を厳しく監視させよ。浅野が拒否すれば、浅野は反逆の意志ありとして罰する、と幸長の弟の長晟(ながあきら)に伝えよ。

さらに… 来月早々に評定を江戸城にて開く。

各大名に、名代でも構わぬゆえ、評定への参加を促すよう、手配いたせ」


長々とした指示であったが、正純は


「はっ!御意にございます」


と、返事をすると、すぐにその場を立ち去ったのであった。



再び家康と阿茶の局は部屋に二人きりとなる。

そこには言葉が出ることはなかった。時折、阿茶の局がお茶を点てる音が耳に入ってくるが、それでも概ねは沈黙であった。


しかし、それでよいのだ。


そして間もなく日が暮れようかという頃に、阿茶の局が一言だけ発したのだった。


「全ては殿の思い通りでよいのです」


そんな阿茶の局を、家康はちらりと見たが、何も話すことはなかった。阿茶の局は変わらぬ微笑みを家康に向けると、静かに部屋を後にしたのだった。



◇◇

慶長7年(1602年)4月10日ーー

江戸城にて評定が行われた。

それは全国の大名たちが集められ、もちろん名代もいたが、徳川譜代の家臣たちを始めとして、その多くが大名自らが江戸城に顔を揃えたのである。

無論、この頃には江戸に屋敷を持っている者たちがほとんどであり、遠方のために参加が出来ない大名たちであっても、江戸屋敷につめている家臣を参加させたのである。

立花宗茂は名代を出すことはなかったが、島津義弘の名代は、島津義久からの密命を帯びた山田有栄であった。


ずらりと顔を揃えた面々に対して、家康はいつになく真剣な表情を浮かべて、彼らを見ると、ふぅと息を一つ吐いた。


まだ四月ではあるが、この日は初夏を思わせるような陽気で、部屋の中は大勢の人がさらに蒸し暑くしている。


家康は額にうっすら汗を浮かべながら、しかしそんな事を気にすることもなく、燃えるような熱い言葉で、一つの宣言を始めたのであった。


「まず…忙しい中、急な呼び出しに応じてくれたこと、この徳川内府、心より感謝申し上げる。

ありがとう」


と、軽く頭を下げると、家康は続けた。


「今日はわしから一つ皆に申し上げておかねばならぬ事がある。

みなも知っての通り、太閤殿下がお亡くなりになって、今年で四年となる。

しかしこの四年の歳月の中にあっても、未だ天下は安定せず、決して泰平な世が訪れた、とは言えない状況であることは、お主らも感じているところであろう。

それはひとえに、太閤殿下のお子であり、天下を継がれるべきお人でもある、豊臣秀頼様がまだ若く、補佐をするわしら五大老や五奉行が、まとまりきれていなかった事が要因であろう。

そしてこのままでは、これからもこのような不安定な状況は続かざるを得ない。

しかし!」


ーーダンッ


そこで家康は足をふみ鳴らした。


「民の生活はこれ以上は待てぬほどに疲弊しているのではないか!

戦の度に痛い出費を重ねる大名たちも困窮しているではないか!

わしはこの事態を憂慮し、早急に天下を安定させねばならぬ、そう確信した次第だ!

そこで、わしは心に決めた!」


ーーダンッ!


再び、家康は足をふみ鳴らす。

そして息を整えると、今まで以上に大きな声で、まるで天まで届くように言った。


「この天下!わしこそが安定させるべきなのだ!

かつて死の間際の太閤殿下は、わしの手を取り、秀頼様を頼む、と後の事をわしに託した。

その殿下の想いを胸に秘めて、秀頼様が立派な天下人たる人物となられるその日まで、この天下の舵取りは、この徳川内府と、横に座る息子の徳川秀忠によって行おうと思う!

太閤殿下の妹君が、かつてのわしの正室であったことから、言わば太閤殿下はわしの兄上。

兄の遺志は弟が引き継いでも、天より罰せられるいわれはなかろう!

そして秀忠はわしの息子であり、豊臣秀頼様は、秀忠の長女の千と婚約しておる。

すなわち、秀忠の息子とも言えるお立場なのだ。

わしら二人が整えた天下を、秀忠の息子で、無論太閤殿下の忘れ形見である豊臣秀頼様にお返しする…

それまでは、徳川が天下を預ろうと思うのだが、一同いかがであろうか!!?」


あくまで豊臣秀吉の正統な後継者であることを主張した上で、将来的には豊臣にその政権を返そうという筋の通し方に、周囲は沈黙したままだった。


結城秀康や福島正則、浅野幸長といった面々もその場にはいるのだが、そんな彼らからしても、家康の放つ圧倒的な雰囲気と、筋の通ったその言葉に、ぐうの音も出なかったのである。


家康はその様子を見て続けた。


「この場では言い難いこともあろう…

太閤殿下から受けた大恩を想い、わしに対して良くない感情を抱いている者もあろう。

それでもわしは、この足を止めるわけにはいかんのだ!

なぜなら天下泰平の世を望む者たちがそこにいるからである!

苦しむ民の声がここまで響いてくるからである!」


再び言葉を切る家康。顔は真っ赤に染まり、その目は血走っている。その形相をみな食い入るようにして見つめていた。

そして家康は仕上げにうつった。


「ついては、来年早々!わしは朝廷に対して、わしを征夷大将軍に任じていただくように働きかけをいたす!」


その言葉には、流石に部屋の中がざわついた。

しかし家康は、言葉を続ける。


「そして、この江戸に幕府を開く!!」


それは徳川家康の天下取りと江戸幕府を開くことの決意表明であった。


ざわつきは大きくなる一方であったが、家康はさらに続けた。


「そして、わしは幕府を開いた後、三年以内にこの秀忠に将軍職を譲り、隠居いたす!」


なんとその場で世襲の宣言まで行ったのだ。これには人々は驚きに声すら出せないでいる。しかし家康はさらに続けたのだった。


「さらに!秀忠よ!」


「はっ!」


「お主は将軍職を二十年以内に辞職し、それをお主の後継者に譲ること!よいな!!」


「はっ!かしこまりました!!」


このやり取りの意味するところ…


それは、将来的に秀忠は、「秀忠の後継者」…すなわち「息子」である豊臣秀頼に将軍職を譲ることを、公に宣言したのである。


史実にはないこの評定であったが、この評定の持つ意味は、非常に大きかった。


もちろん家康自身が、天下人になる事に腹を括ったこともあったが、それ以上に、未だにくすぶる反徳川の感情を、その場にいる多くの人間から取り除いたことが、大きな価値であったことは明白であった。


自然と湧き上がる歓声に、部屋は包まれる。


そんな中、家康は言葉を締めた。


「以上が今日の評定の全てだ!!

これからは皆で一致団結して、平和な世の中を、わしらとともに作っていこうではないか!!

よろしくたのむ!!!」


その言葉により一層大きな歓声が上がると、大名たちは立ち上がり、各々決意を新たにし、家康の周りに自然と集まったのであった。


そんな中、結城秀康を始めとして、何名かの大名はそれでもなお、唇を噛んでその場を早々に後にした。

しかしその背中はまるで『敗者』のように、一様に寂しさを浮き彫りにしていた。


しかしこの時、この場に残った全員が勘違いしていることがある。それに気づいている者は、誰一人としていない。


そのことは、家康がこの日に評定を開いた、真の狙いとも言えた。


それは…


秀忠が将軍職をゆずるのは、彼の後継者であり、それを「豊臣秀頼に限定はしていない」という事…


すなわち秀忠が「後継者」と認めれば、それは「豊臣秀頼以外の者で構わない」ということであった。


とは言え、この時はまだ、家康も秀忠も、本当に将軍職を秀頼に譲る気であったのかもしれない。

なぜなら秀忠にまだ男子がいなかったからだ。

(正確には長男は急逝した)


しかし…


その気持ちはわずか二年後に変わることになる。

秀忠に待望の男子が誕生したその日から…


ただしそれは、もう少し後の話のことだ。


そしてそんな未来など知る由もない徳川家康と秀忠の親子、そしてその周囲に立ち上がって歓声を上げている大名たちは、興奮のるつぼの中にあり、それはそのまま流れるようにして始まった宴へと引き継がれていったのであった。


徳川家康が江戸に幕府を開く事を宣言したその評定は、こうして幕を下ろしたのであった。




歴史の教科書では、

1600年に関ヶ原の戦いが起こり、1603年に徳川家康が江戸幕府を開いた、

としか書かれていないことでしょう。


しかし、徳川家康公も、この時はまだ、一人の人間であった事を、私たちは忘れてはならないと思います。


そこにあった葛藤や恐怖、そして周囲の人々の支え…

記録に残っていないから、という理由だけで、こういった部分に焦点を当てないというのは、人間が歴史を作っていくことを学ぶ教科としては、片手落ちと言わざるを得ないでしょう。


利害だけで全ての歴史が作られていたならば、それはロボットが作った歴史でしょう。

綺麗事だけで歴史が作られていたならば、それは神が作った歴史でしょう。


そうではなく、我々がこの場所に今いるその瞬間も、人間によって作られた歴史に基づいたものです。

実は、それは感情や絆と言った、意外と人間臭いものの上に成り立っているのかもしれません。


そんな事を伝えたくて、この物語を作りました。


皆さまがお持ちの家康公像とは、離れてしまっておりましたら、すみません。


では、次回はいよいよ風雲急を告げる九州の話になります。


これからもよろしくお願いします。


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