第二次柳川の戦い⑦ 人生の色
◇◇
天正2年(1574年)2月ーー
遠江国の浜松にて、とある双子の男児がこの世に産声をあげた。
しかし周囲には、その誕生を祝う者は誰一人いなかった。あえて言うならば、彼らを産み落とした母だけは、生まれたばかりの彼を優しく抱き上げ、大いなる慈愛の心をもってその瞳を向けていたのだが、そんな彼女から容赦なく双子は取り上げられ、泣きわめく彼らのことなどお構いなしに、先に産まれた方は、捨てられ、後に産まれてきた方も、邪険に取り扱われた。
なぜこのようなひどい仕打ちが、まだ産声を上げたばかりの彼らを待っていたのか。
それほ、生まれた時からその男は『望まれない子』であったからに他ならない。
彼の母は、父の正室の侍女であり、言わば父の悪戯によってその生を授かった身分であった。しかも当時は忌み嫌われた双子として生まれてきた彼は、両親はおろか周囲からも愛されることなく育っていくことになる。
父からは疎まれ、母には会うこともかなわず、周りからは腫れ物のように扱われていった。
ーー生まれてこなければよかった…
そんな風に幼心に思ったのは一度や二度の話ではない。父はその後誕生した彼の弟を溺愛し、唯一心を許していた彼の兄は自害しこの世の人ではなくなってしまった。
彼は人生の『色』を知ることなく育った。
育ったというには若干語弊があるかも知れない。
単に、時間だけが無意味に経過していった…とするのが、ぴたりと当てはまるであろう。
そんな彼が生を受けてから、早十年の歳月が経った頃である。彼に降って湧いたような養子の話が舞い込んできた。
ーーとうとう捨てられるのか…
そんな卑屈な思いで彼は、実の家族のもとを離れた。
しかし、初めてその家族と対面したその日ーー
それは彼の人生の始まりとなる。
ーーおめぇはわしらの子供だ。困った事があれば何でも言え。欲しいものがあれば何でも求めろ。遠慮なんかする必要ねえんだぞ
そんな風に『母』からかけられた言葉をその男は覚えている。
ーーかかかっ!元気に遊べ!よく食べろ!男は強くなきゃなんねえからな!
そんな風に『父』からかけられた言葉をその男は覚えている。
ーーおお!こやつがおやじ殿の新たな息子かい!しっかし細いのう!ほれ!握り飯やるから、これ食え!
ーーたまには書物も読まなくてはなりませんよ。読み方は教えてあげますから。
そんな風に『兄たち』からかけられた言葉をその男は覚えている。
しかしそれは『本当の』父母兄弟からかけられた声ではない。
むしろ幼い頃に『本当の』父からかけられた言葉を、彼は覚えていない。
いや、声をかけられたこと自体あったのだろうか…
しかし…
今、彼に向けられるその視線、そしてかれられる声。
どれほどまでに彼の乾いた心に潤いを与えたか、計り知れないものだ。
そして彼は、生まれて初めて『愛』という色を知った。
その身をその大いなる愛に委ねてしまいたい気持ちと、他人いうもの自体を信じられないという猜疑心が、彼の胸の内で葛藤し、彼のその顔を強張らせていた。
ーーカカカ!殿!こいつは面白い男になりますぞ!よい子を頂戴いたしましたなぁ!
お主のことはわしがちゃんと面倒見てやる!
だから安心しろ!
そう『叔父』は男に声をかけ、その頭を優しくなでた。その手から感じる温もりに、彼の動悸はまた早くなる。
ーーこらっ!この子はわしの子じゃ!わしが面倒を見るんじゃ!
ーー殿!殿には天下という大きな子供がおるでしょうに!
ーーそうだぁ!それにお前さんは、自分の面倒くらい見れるようになって欲しいのう!
ーーややっ!これは何やらよろしくない雲行き!ではわしは行くでのう!よろしくやっておくれよ!
『父』が部屋を逃げるように出ていくと、『兄たち』もその背中を追いかける。
その日のことは歳を重ねた今でも、彼の記憶の中に鮮明に残っている。
そしてその後、初めて自分が認められたような、そんな気がして、なぜか急に切なくなり、うずくまった彼は大声をあげて泣き出してしまった。
その背中を泣き止むまでずっとさすってくれた『叔父』の大きくて暖かいその手を彼は生涯忘れることはないだろう。
その後彼は『母』や『兄たち』そして『叔父』、もちろん忙しい『父』の愛情を一身に受けて育っていった。
その年の暮れには元服の式も催してくれた。
彼は人生で初めて宴の場を体験し、様々な大人にもみくちゃにされたのを覚えている。
皆笑顔で、その場の全員が彼の元服を喜んでいた。
彼は彼の存在を受け入れられていることに心が踊った。
そして、彼はこの時初めて『喜び』という色を知った。
ーー生きていてよかった…
そう思えた瞬間だった。
その場に『本当の父』がいたかどうかすら覚えていない。いや、彼は本当の父の顔すらあまり記憶にないのだから当たり前のことかもしれないが…
そして時はたち、いつしかひょろっとした体も、がっちりとした筋肉質の引き締まった体となり、『兄たち』と相撲をとっても負けないほどになった。
書物も読めるようになった。
どんなに忙しくても『父』は、必ず彼に会いにきて、様々な物を与えてくれた。
『叔父』はいつでも彼の背中を支えてくれ、彼は道に迷うことなく、いつしか立派な青年となった。
そして…
とうとう彼は家族を持つことになる。
それも『叔父』が懸命に取りなしてくれて、彼は東国のとある名家の婿養子となることで、結婚することになったのだ。
生まれた時から与えられなかった彼。
そんな彼に全てを与えてくれたのが、新たな家族であり、とりわけ『叔父』の存在は大きかった。
そして彼はついに、不器用ながらも与える方の立場の人となったのである。
そんなある日のこと、彼は次の色を覚えることになる。
それは彼に『弟』が出来たことであった。
彼の『父』に待望の男の子が産まれたのだ。
家族全員で喜び、連日唄い、踊った。
その輪の中にはもちろん彼もまた混じっていた。
そして、彼はこの時初めて『絆』という色を知った。
初めて間近に見る赤児の顔は、胸が高鳴る程に愛おしく、彼も自分の子供が欲しいと思った。
それから五年後のことーー
ついにその時はやってきた。
摂津国の屋敷で、彼の待望の第一子が誕生したのである。
初めて抱く我が子にその手は震えた。
そして『父』も『母』も『叔父』も『兄たち』も、みなその子の誕生を祝い、喜んでくれた。
妻は柔らかな笑顔を向けている。
そして、彼はこの時初めて『幸せ』を知った。
そしてそれは『夢』に変わる。
ーー家族を守りたい…
すっかり老いたその『父』や『母』や『叔父』のこと、そしてもちろん『弟』のことも…
全て含めて、彼は守りたいと願うようになったのだ。
彼はこうして『夢』を知った。
今、そんな彼の目の前には、困り果てた顔で青ざめている男がいる。
いつも背中をそっと支えてくれていたその手は、血の気が引いて白くなり、小さく見えた。
あれほどに大きくて優しかったその手が、小さくなって震えている。
彼は迷うことはなかった。
いつも支えてくれていたその人…すなわち『叔父』のその背中を支えるのは、今度は彼の役目だ。
『叔父』が彼を見上げる。
彼は『叔父』を見て声をかけた。
「安心してしてください。今度はそれがしが助ける番です。
これまでに受けてきた大恩、今返せずして、いつ返しましょう」
打ちひしがれて立てなくなっている『叔父』をそっと支えた。
思いの外、その体が軽いことに驚いたが、そんな彼以上に『叔父』は驚いているようだ。
「さあ、行きましょう。これ以上の好き勝手はさせません。例え実の父であっても…」
その大きくたくましい体に、ほんのり紅い頰と鋭く光る瞳。
人生の色を身につけた彼は、その色鮮やかな光彩を体にまとわりつかせて、『叔父』である、黒田如水の手を引いた。
彼の名前は…
結城秀康…またの名を越前卿とも言う。越前北ノ庄68万石の大大名である。
徳川家康の次男で、秀忠の兄にあたる彼であったが、その壮絶な生い立ちゆえ、今でも家康とは一線を画した間柄であった。
また如水との親交は、如水が隠居してからも続いており、三日に一度は彼の屋敷に顔を出していたとする記録も後世には残っている。
そんな秀康が『叔父』である黒田如水と、そして『弟』である豊臣秀頼を守る為に、立ち上がった。
「行きましょう。準備は整っております」
そう如水に穏やかに告げる秀康。如水は不思議そうに返した。
「どこへ行くのだ?」
「大坂城にございます」
「大坂城…」
「行けば分かりますゆえ…」
とやりとりを終えると、彼らは伏見を出て、すぐに馬上の人となった。
そして…
慶長7年(1602年)3月21日ーー
秀康と如水が大坂城に入った。そして休む間もなく、評定の間へと足を運ぶ。
そしてその部屋の光景を見た瞬間、如水は雷に打たれたように驚き、とっさに言葉を失ってしまった。
そこには…人々が彼の到着を待って、座していたのだ。
「おう!軍師殿!遅かったじゃねか!早く座ってくだされ!」
と、九州は肥後隈本城城主、加藤清正。
「いつまで待たせんのさ!軍師殿!腹が減って仕方ねえよ!」
と、中国は安芸広島城城主、福島正則。
「ははっ!市松(福島正則のこと)は食ってばかりじゃのう!もう少し色々なことに興味を持った方がよい!」
と、紀州和歌山城城主、浅野幸長。
「ふふ、それでもお主のように、おなごの尻ばかりに興味があるよりはましだと思いますよ、長満(浅野幸長のこと)」
と、今は京の豊国学校の総責任者を務める石田宗應。
彼は、いつしかのように「千姫に贈りたい織物があるゆえ、持っていっておくれ」との北政所の言いつけにより、この大坂城にやってきたらしい。
無論、『母』である北政所や、彼ら『兄たち』に働きかけをしたのは、結城秀康であることは疑いようもない事実だ。
さらにこの日は、史実の通り、徳川家康の指示により、諸国の大名たちが秀頼に対して、年賀の挨拶をしにきている。
そのことを利用して、
「豊臣秀頼様への年賀の挨拶のついでに、俺の家族と宴をするのに文句があるのか?」
と、強烈な脅しをかけて、徳川の監視の目を塞がせたのも、徳川一門である彼である。
そして…
その場にいるのは彼ら『家族』だけではなかった。
「ああ、やっと到着しおったか!あまり老骨を待たせるものではないわ!早く座って始めておくれ!如水殿!」
と、渋い顔をして言ったのは、『徳川に二度勝った男』こと、真田昌幸。彼は元は高野山を領地としていた堀内氏善の手引きのもと、徳川の監視の目を潜り抜け、霧隠才蔵や猿飛佐助といった忍者の手を借りて、この大坂城に入ったらしい。もちろん忍者の手配は、息子の真田幸村が行ったものだ。
さらに、固まる如水の手を取り、彼を城主が座る場所の隣へと導いたのは、『豊臣七星』の一人、大谷吉治。
その他にも、如水の古くからの家臣にして、親友とも言える、栗山善助、井上九郎右衛門、母里太兵衛の三人と、如水の弟の黒田直之もその場の隅に待機していた。
城主が座る場所を残し、両側に黒田如水と結城秀康が座る。
あとは空いた残り一つの席…無論、城主の席に来るべき人を待つばかりとなった。
ーー愛する家族を守りたい
新たな家族のもとで、人生の色を身につけた男とその家族たちによる、『反抗の刻』の幕開けが、間もなく始まる。
結城秀康という人物を初めて登場させました。
彼の人生についてここでは深くは触れませんが、一つだけ違和感がございます。
彼も浅野幸長も、さらには黒田如水もまた死因は「梅毒」とされておりますが、この死因はあまりよい死に方とは言えません。
なぜなら「色好き」ゆえの病気であるからです。
すなわち、「死因不明」でかつ、後の勝者にとって都合の悪い者の死は、「梅毒」とされたのでは?
と勘ぐってしまいます。
では、次回は「反抗の評定」です。
これからもよろしくお願いします。




