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第二次柳川の戦い① 仕上げの始まり

◇◇

慶長7年(1602年)2月14日――


史実と全く同じ日取りで徳川家康は江戸城から伏見城に入った。理由はいくつかあるが、最も大きな理由は、「九州の仕置き」を片付ける為、と言っても過言ではないであろう。


家康は、その為の動きを加速していく。


同月20日に、彼は朝廷より「源氏の長者」であることを認めてもらうことで、彼が天下の仕置きをする理由づけを強めた。すなわち武家の棟梁たる「源氏の長者」を得ることで、単なる権力抗争の勝者である以上に、家柄そのものが天下の仕置きを行う権利を得ていることを、公にしたのだ。

これにより、彼の仕置きに従わぬ者は、天に弓引く逆賊とすることが可能となった。


その一方で、四国と九州の仕置きにおいて手腕を発揮していた井伊直政が、その翌日の2月21日に死去するという不幸もあった。

しかしそれは、なるべく穏便に仕置きを終えようとして島津、立花と徳川の間を取り持ってきた直政の死により、家康が九州の仕置きについて、ますます強硬な態度に出るきっかけとなったのだった。


そして彼は、なおも仕置きが定まらない二人の大名、すなわち立花宗茂と島津義弘に対して書状を送った。



ーー謝罪の使者を伏見に寄越すように。その上で仕置きを決める。仕置きが決まった後は、当主自らが徳川に謝罪しに来ること…



という、言わば降伏を命令する内容であった。そしてこのやり方は、先の上杉家への仕置きと全く同じ方法である。


無論、徳川方がこのような内容の書状を送ったのは、今回が初めてではない。むしろ書状だけではなく、井伊直政らが直接出向き、同様の事を粘り強く交渉していたのだが、彼らの答えは決まって「否」だったのである。

その理由は至って単純で、


ーー戦に勝って、城を守ったのは自分たちである。それなのに謝罪をせねばならないいわれはない。


というものであった。


しかし今回の書状については、これまでのものとは、その重みが全く異なっていた。なぜならそれは、徳川家康が「源氏の長者」として、自らの名義で送らせたものであったからである。


そしてその書状への反応は、両者で分かれた。


立花宗茂からは、

「いくら脅しをかけてこようとも、愛する柳川の民たちを守る為に、そして柳川の地で眠る愛する妻を弔う為に、この地を離れるわけにはいかない」

とこちらも家康同様に強硬な立場を崩さない。


その一方で、島津からは、実質的な当主とも言える島津義久から、

「島津家内で今、次の当主についてごたごたしており、今すぐに動けない状況である。今しばらくお返事するのをお待ちいただきたい」

と、のらりくらりとした返事がきたのだった。



そして、伏見城ーー


その二通の返書を読み、家康はいつも以上に苦々しい顔で、傍らの本多正信にそれらを渡した。

正信もまた眉間にしわを寄せて、それらを読むと、家康にたずねた。


「殿、どうなさるおつもりで?」


脇息にもたれかかるようにした家康は、ぶすりとした顔のまま、答えた。


「もうこうなっては仕方あるまい」


「ほう…それはどういう意味でございますかな?」


「ふん!とぼけるでないわ。このままではらちがあかないのは、分かっておるであろう」


正信はぐっと眼光を強めると、家康に問いかける。


「では、城攻めをされるおつもりですかな?」


家康は正信の鋭い眼光など、あまり気にすることもなく、ゆったりとした口調で答えた。


「まだ国づくりに忙しい大名たちも多い。

なるべく穏便に済ませたいものだがのう…」


「しかし…いつまでも及び腰では、ますます増長するだけかと」


「だから、仕方ないとは思わんか?」


と、家康は大きなため息をつき、恨めしそうに正信を見つめた。


「仕方ない…ですな」


と、正信もまたため息をついて同調したのだった。


「早速その事を秀頼様にお許しいただきにいくとしようかのう」


「年賀のご挨拶も兼ねて…でございますな」


さらりと徳川家康は、豊臣秀頼に対して、九州の仕置きについて許しをもらうことを正信に告げた。

しかし「源氏の長者」となり、武家の棟梁とも言える立場の彼が、なぜ秀頼に許しをこうことにしたのか。


それは秀頼が立花や島津に対して、恩を売ることを阻止する為であった。

つまり、徳川の独断で九州の仕置きを決めたとなれば、立花と島津に対して、徳川だけが立ち向かうことになる。そこで家康は、天下の棟梁たる豊臣の意向を汲んだ上で、その言わば名代となって仕置きを行う、としたかったのである。

そのようにすれば、立花と島津に対するのは、豊臣であり、その豊臣の矢面に徳川が立つという構図になるのだ。

もちろんそのような事は建前であり、実質的には徳川家康の指先一つで天下の仕置きが決まっているのは、大名たちはおろか町民たちまでもが知るところだ。しかし、徳川家康という男は、どこまでも形式にこだわった。それは、何かにつけて決定をするには、大義名分が必要であり、それなくして己だけの考えで行動してしまうと、人心が離れていくことを、学んでいたからである。と言うのも彼は、織田信長や豊臣秀吉といった、稀代の英雄たちのすぐ側で、彼らの覇業を見届けており、そのやり方を見続けたことで、言わば世の中の動かし方を自然と身につけていたのであった。


「では、挨拶に殿がうかがうことを、書にしたためてお送りいたしておきます。

いつ秀頼様にお会いになりますかな?」


と、正信が問いかけると、家康は少し考え込んだ。


「年賀の挨拶も兼ねているのだ。秀忠にも江戸から来させねばなるまい」


「すると…弥生(3月)の半ばあたりですかな?」


「その辺は任せる。…あと正純のやつも呼んでおいてくれ。あやつはもう少し他の家の者と触れる機会を作らねばならんぞ。

特に最近は… まあよい。

お主も自分の息子の愚痴など聞きたくもないだろうからのう」


と、家康は相変わらずのしかめ面で正信に漏らすような口調で言った。


「いやはや、愚息の事を気にかけていただいているだけでも、幸せにございます。

かしこまりました。

では、正純にも同行するように手配いたしましょう」


と、頭を下げた正信は部屋を退出していった。

そして一人になった家康。


「つつがなく無事に終わるといいのだがのう…」


と、心の底からの想いを吐き出した。

しかしこの時既にそれは叶わないことであることは分かっていた。だがせめて、その騒ぎが極めて小さいもので済むことを願っていたのだが…

それさえも叶うことはないのではないか、という言いようのない不安が胸の内で暴れているのだった。


◇◇

慶長7年(1602年)3月1日ーー


俺、豊臣秀頼のもとに、徳川家康からの書状が届いた。


それを俺の部屋で開くことにしたのだが、そこには黒田如水と真田幸村がいた。

なお、加藤清正は既に肥後へ帰っており、天守が完成したばかりの隈本城の普請にあたっているとのことだ。そして桂広繁は長居の城普請に、大谷吉治と堀内氏善は船作りに精を出している。


家康からの書状を三人で回しながら読むと、如水が難しい顔で呟いた。


「いよいよかのう…」


俺はそんな如水の様子を、不思議に思って問いかけた。


「何が、いよいよなのだ?

この書によると、単に年賀の挨拶に来るだけのように思えるのだが…」


すると幸村がいつもの微笑みを携えた顔で、優しい声で、俺の問いかけに答えた。


「もう桜の時期に年賀… 必ずや何か別の用があるに違いないでしょう」


「なるほど… ではどんな用があるのだろうか?」


それには如水が答えた。


「そもそも内府が伏見に入った理由は一つ」


「はて?」


「九州の仕置きにございます」


その如水のいつにない真剣な顔に、俺は思わず息を飲んだ。


俺がこの時代に豊臣秀頼となって以来、大きく史実が揺らいだことは、あまりなかったと言っても過言ではない。


しかしその中でも、京に出来た日本の最高学府となりつつある豊国学校は、今後の歴史を大きくぶらす可能性を秘めていると思っている。

そして、もう一つその可能性があることが、九州の情勢であった。

つまり、立花宗茂の柳川城の落城を阻止したことと、豊臣家が島津家に大きな恩を売り始めていることだ。


「九州を徳川の手に渡してはなりませんぞ」


と、如水は力のこもった調子で言ったが、それでも九州の大勢は、ほぼ決していることに間違いない。


なぜなら九州にいる大名のうち、表向きで徳川家康に屈していないのは、立花宗茂と島津義弘の二人だけだ。


「立花殿と島津殿が徳川殿に屈する事を防がなくてはならない、ということか?」


と、俺は引き続き疑問に感じていることを言った。

しかし如水は静かに首を横に振った。


「内府と佐吉の決戦が、たったの一日で終わっちまった時点で、天下の行方は決まったようなものよ」


「…ということは、立花殿も島津殿も徳川殿に屈するのは時間の問題ということか?」


今度は如水の首が縦に振られた。


「しかし…何もなく、その膝を曲げさせてはならぬ、ということですね」


と、幸村が穏やかに言う。


「その通りじゃ。さすがは安房守殿(真田昌幸のこと)の自慢の息子よのう。

そう、あの二人が内府に屈するのは、もはや避けられぬ。しかし、それには二つの条件をつけねばならぬ」


と、如水は二本の指を立てた。

そして声をさらに低くして続けた。


「一つは、あの二人の本領が安堵されること。

多少の減封は仕方ないかもしれぬが、領地の召し上げだけは避けねばならぬ。

そしてもう一つは、徳川への恭順ではなく、天下泰平の為に上げた拳を下ろさせること。

つまり、天下泰平の為とは、天下の棟梁たる豊臣秀頼様の意向に従って、内府に頭を下げさせることじゃ」


「では、俺が『豊臣秀頼の名を持って命じる。天下泰平の為に、徳川殿の指示に従って、頭を下げよ』という書状でも送ればよいのではないか?」


しかし如水は再び首を横に振った。


「それはいかん。それではまるで、秀頼様が内府の言いなりとなって動いているようにしか思えん。

豊臣家に恩を感じるどころか、失望しか感じることはないであろうて」


「では、どうすればよいのだ?」


するとその俺の問いかけに、幸村が顎に手を当てながら答えた。


「徳川殿から『立花と島津の本領安堵のお墨付き』を、秀頼様が得る…でしょうか…」


如水はこの日初めて、口もとを緩ませた。


「その通りじゃ。さすれば、わざわざ命令などしなくても、彼らから勝手に膝を曲げるであろう」


俺はその二人の言葉に、口を尖らせる。


「それではまるで、俺が徳川殿に尻尾を振っているようではないか!先ほど、それはならぬ、と言われたばかりであるぞ」


その俺の抗議に幸村が、噛み砕いたものを小鳥に含ませるように、優しい口調で答えた。


「秀頼様。既に徳川内府殿は『源氏の長者』と認められて、今や名実共に武家の棟梁にございます。

言うなれば、彼の一存で全ての仕置きを行うことは、もはや理にかなったことなのでございます。

それは『大名としての豊臣家』に対しても、場合によっては領地を没収することすら可能と出来るほどにございます。

しかしそれでもなお、徳川内府殿は豊臣家の家臣であるという事実もまた存在していることは確かなのです。

そして、立花殿と島津殿の本領安堵のお墨付きを得ることは、すなわち『豊臣秀頼様には徳川内府殿を動かすだけの力がある』ということを、天下に示す何よりの証にございます。

その上、秀頼様の尽力によって、本領が安堵されたとなれば、お二人は、例え形の上では徳川内府殿に屈しても、そのお心は秀頼様とともにあることでしょう」


「なるほど…」


如水は幸村の言葉が終わるのを待って、俺の方をじっと見つめた。


「こたびの内府との年賀の会談。

ここで内府は、立花と島津の仕置きについて、何か言ってくるに違いありませぬ」


「…それはなんであろうか…」


「ずばり、『実力行使』じゃ」


「実力行使…」


「そう、もしこのまま頑なに態度を崩さないならば、征伐軍を仕向けることの許しを求めてくるに違いござらぬ」


「なんと…その場合、俺はどうしたらよいのだ?」


如水は姿勢をあらためる。


「まずは、お二人の本領安堵のお墨付きを得られるか試されるべきじゃ」


「しかし、それは上手くはいかないでしょう」


「ふむ、幸村の言う通りじゃ。

その場合は、こうしてくだされ」


すると、如水は俺に軽く頭を下げた。


「この黒田如水を、亡き井伊直政殿に代わって、お二人の取り次ぎに任命するように…と」


………

……

九州からは遠く離れた大坂の地で、その運命を決める動きがいよいよ始まった。


徳川家康の鋭く研がれたその爪は、立花宗茂と島津義弘を鷲掴みにせんと、その影を伸ばしている。


そこに立ち塞がるのが、豊臣秀頼であった。


しかし彼はまだ若すぎた。


大坂城から動くことも出来ず、政治や軍事の経験が皆無の彼にとって、例え歴史の未来を知る優位性があったとしても、人の運命を変えるほどの力量は備わっていない。


そんな秀頼の前に、黒田如水は自身に忍び寄る死の影を感じながらも、悲壮な決意を持って、秀頼の盾となるべく立ちはだかった。


その背中を秀頼と幸村は見つめるより他はない。


そして…


そんな如水に並んで、徳川家康と真っ向から勝負を挑もうと腹をくくった男がもう一人、とある山の中で、その大きな翼を暖めているのであった。



慶長7年3月14日ーー


徳川家康が、大坂城の本丸にその姿を現した。








史実にはないお話しでございますので、いまいち伝わりづらい箇所もおありかと思いますが、どうぞご容赦下さいませ。


久々に挿し絵(勢力図)をはさむことも、検討いたしておりますので、何卒これからもよろしくお願いします。


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