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第二次柳川の戦い 【序幕】 正月

◇◇

慶長七年(1602年)の年が明けた。


俺、豊臣秀頼はめでたく9歳とまた歳を重ねたわけだ。そして年明けは、天下人の豊臣家の居城である大坂城にとってはさながら戦場のような慌ただしさとなる。



はずであった…



いや、少なくとも去年の正月は、城の中は、人、人、人の洪水のようであった。

すなわち皆年賀の挨拶に城にやってきて、俺への謁見に長蛇の列を成したのだ。


それは丸三日経っても途切れる事などなく、底なしの体力の少年の俺であっても、それが終わった後は、数日間動くことも出来ない程に疲労困ぱいしたのを覚えている。


しかしこの年の正月の様相は、昨年のそれとは全く違った。

そう、人が全く訪れてこないのである。

それは大名たちだけではない。

商人たちも、公家の貴族たちも、その他の有力な町民すら、俺をたずねてはこなかった。


「おやまあ!なかなか静かな正月でねえか!なんだか久しぶりだね、こんなひっそりとした正月は!?」


と、驚きに大きな声を上げながら大坂城にやってきたのは、北政所だ。


「おめでとうございます、秀頼様」


と、北政所のあとに続いてきたのは、石田宗應。正月にも浮かれることもなく、ゆったりとした動きで、穏やかな表情で近づいてきた。


「おめでとうございます、北政所様に宗應殿」


と、俺はしおらしく丁寧におじぎした。


「あれ?珍しく良い子だねえか?何かあったのかい?」


と、北政所は目を丸くしている。


「おかか様はひどいのう!俺がこうして年長者を敬って、丁寧な挨拶をしたのに!」


俺はそう言って、頬を膨らませた。


「ハハハ!よいよい!子供は子供らしく、ちと憎たらしいくらいが丁度よいのじゃ!

ほれ!あそこにいる者たちなど、今でも憎たらしいままじゃからのう」


と、北政所が視線を向けたその先には、何やら言い争っている三人の姿が目に入ってきた。


「やい!虎之助!今年はお前が酒のつまみをもってくる番であっただろう!」


「何をぬかすか!それを言うなら長満が、『次の正月は紀州で獲れた旨い魚を持ってくる』と去年ぬかしておったではないか!!」


「ややっ!待て待て!それを言うなら、俺が『紀州の魚は旨い』と言ったら、市松が、『瀬戸の海の魚に勝るものはない』と言ってきかなかったではないか!

『じゃあ、次の正月に持ってこい』と言ったら、『持ってきてやる!度肝を抜かしてやるからな!』とか言ってたではないか!」


ガヤガヤと言い争いながら近づいてきたのは、虎之助こと加藤清正、長満こと浅野幸長、そして市松こと福島正則であった。


「あんたら…いい加減にしなさい!秀頼様の前であるぞ!」


と、北政所が一喝すると、三人は急にかしこまって、俺に一礼して、年賀の挨拶をした。


どうやら三人は酒とつまみを持ち寄って、新年の酒盛りをするのが通例だそうだが、全員が全員とも酒を持ち寄り、誰もつまみを持ってこなかったことで、口争いになっていたそうだ。

そんな彼らにいつも通りの穏やかな笑顔を向けた宗應が、一つの包みを差し出した。


「そんなことだろうと、拙僧がこれを持ってきた」


清正がそれをいぶかしい顔で受け取り、その場で包みを開けると、そこには味噌がぎっしりと包まれていたのである。


「おおおお!!佐吉!これはでかした!」


と、正則が大きな声でそれを見て喜んだ。

だが幸長は、


「おい!佐吉!毒でも入っているのではあるまいな!?」


と、攻撃的な口調で宗應に問いかける。

すると


ーーゴツンッ!!


と、鈍い音がしたと思うと、幸長が額を抑えて、


「いってぇぇぇぇ!」


と、大きな声を上げた。


「あんたぁ!まだそんな事を言うのかね!!次またそんな事言ったら、ゲンコツじゃあすまさねえぞ!」


「分かったよ!おかか様!だから勘弁しておくれ!佐吉もすまなかった!」


と、幸長が宗應に向かって頭を下げると、宗應は優しい声で言った。


「ふふ、許すもなにも、長満はいつも冗談ばかり言ってるではないか。

こたびも冗談であることは分かっておる。

おかか様、だから長満を許してやってくださいな」


「あんたは相変わらず可愛げがないねぇ」


と、北政所はあきれ顔で宗應を見つめている。


「憎たらしいくらいが丁度よいのでしょう?

われらはいつまでも、おかか様のお子たちでございますゆえ…」


「おう!佐吉!ゴタクはもうよい!!

このつまみを持ってきたという事は、俺たちと酒を呑み明かすつもりでいる、という事に違いあるまいな!」


と、清正がたずねた。


「ふふ、虎之助と以前に約束したからな。

こう見えて、市松よりも酒に強いと思っているのだ」


「なんだとぅ!!?その言葉忘れるなよ!!」


と、正則は宗應の肩に腕をかけると、そのまま四人でどこかに行ってしまった。


ひと時だけ賑やかさを与えてくれた四人が去ると、再び一抹の寂しさをも感じさせるほどの静けさに包まれる。


「今年の正月はみな江戸にいっちまったのかねえ…」


と、漏らすように言った北政所は、彼女らしくない影をちらりとのぞかせた。

そう、この年からである。

江戸に屋敷を移した大名たちの正月の年賀は、江戸城にて行われていたのだ。

この年の大坂城での年賀は、なんと春になってから行われることになるのである。

それでも福島正則や浅野幸長といった者たちは、律儀にもこうして大坂城に来てくれるのだから、彼らの豊臣家に対する忠義心には、心にぐっとくるものがあった。そして彼らの期待に応えるような、立派な当主になりたいと、気持ちをあらたにする、そんな正月であった。


「あら、北政所様らしくないお顔だこと。わらわは秀頼ちゃんと、お千たちがいれば、それだけで十分賑やかだと思っておりますよ」


と、母の淀殿が千姫を連れてやってきた。


「秀頼さま!あけましておめでとうございます!千も五歳になりました!」


「おめでとうございます。母上にお千。

お千も五歳かぁ、だいぶ大きくなってきたのう」


と、千姫をしげしげと見つめながら、俺はつぶやいた。

今でも思い出す。

初めて俺がこの時代にやってきた時、真っ先に目に入ってきたのは、彼女の顔であった。

毎日見ているとなかなか気づかないものであるが、少女にとって二年という月日は、その姿を変えるほどに大きなものだ。あらためて出会った頃の彼女と、今の彼女を見比べると、その成長に何か感慨深いものを感じるのであった。


「秀頼さま…そのように千をじろじろ見ないでください…お恥ずかしいです」


と、千姫は気づけば顔を赤くしている。

俺は思わず顔を背けた。


「す、すまん…ついな…」


そんな俺たちを見て嬉しそうにしている淀殿は、二人を包むような口調で、


「では、わらわたちも正月の宴でもいたすとしましょう」


と、提案すると、宴会をする大広間へと、俺たちの手を取って歩き出した。


俺の心の中に、ふっと暖かいものが流れ込んでくる。


ーーああ、俺たち今、家族しているんだな…


と、何か当たり前過ぎる感情が浮かぶ。

しかしなぜかその後にくるのは、切なくて胸が苦しくなる感情…


ーーあと何回こんな正月を迎えられるのだろう


ーーあと何回このように母の愛を感じることが出来るのだろう


ーーあと何回千姫の成長を感じられるのだろう



ーーあと何回こんなにも幸せでいられるのだろう…



この時代にくる前の俺では思いつくこともなかったこんな切ない想いは、俺がこの時代の結末を知っているからだろうか…

そしてこの二年で気づいたからだろうか…

それとも寂しい大坂城の正月で現実を思い知ったからであろうか…


歴史の歯車は、俺なんかでは変えることなど出来ない…


ということに。

それはすなわち俺たちを待ち受ける悲しい別れは、避けようもないということに…




「秀頼さま!!」



と、突き抜けるような朗らかな声で、俺は現実に戻された。

その声の方を向くと、千姫が心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。


「どうなされたのですか!?そんなお暗いお顔で…どこか悪いのですか!?」


当たり前だが、何も知らない彼女は、純粋に俺の事を心配しているのだろう。その瞳は不安の影で曇ってしまっている。

ふと周囲を見れば、それは宴を催す部屋であり、大野治長と治徳、それに大蔵卿の親子三代を始め、大坂城に残った面々がずらりと並び、みな俺の顔を見て心配そうにしていた。


正月のめでたい時に水を差してしまったことに対する申し訳なさに襲われたが、それ以上に一つの強い思いが、俺の口をついて出た。


「みなが揃っているようなので、正月でもあり、俺の決意を述べたいと思う!」


「秀頼ちゃん!?どうしたの?急に」


「まあ、いいでねえか。秀頼様、ここはびしっと一つ決めておくれ!」


と、驚く淀殿に対して北政所が笑って俺に続きを促した。


俺は一つ頷くと、続けた。


「今年の正月は、この大坂城ではなく、江戸城の方が賑わいを見せていることだろう。

それは時代の流れを表していることのように思う」


部屋の中はしんとしている。俺は声の口調を変えて続けた。


「だが、俺は今、みなに囲まれて幸せである!この幸せがずっと続けばよい、と心から思っておる!

世の中、誰が天下人になるかなどと騒いでいる者たちもいるが、つまるところ、こうして皆が健康でいてくれて、笑顔で顔を合わせることが出来れば、それが最も幸せと言えるのではないか。

そこで俺は宣言しよう!!」


と、俺はここで切って、ぐっと腹に力を込めた。


「俺は民を豊かにするとともに、今ここに集まっているみなを幸せにしたい!!

いや、してみせよう!!」


そう熱をこめて言い終えた俺であったが、周囲は驚くほどに静かに俺を見つめている。

俺は急に不安になってしまい、固まってしまった。


「あれ… 何かおかしなことを言ってしまっただろうか…」


すると、その静寂を破るように、くすりと笑った者がいた。

そして笑いが止まらないのか、それは大笑いに変わる。


その者とは、俺の養育係であり、まさに鬼教官の甲斐姫であった。


「はははは!!!いつも憎まれ口ばかり叩いている小僧が、ちょっとまともな事を言うから、こんな空気になるのだ!!はははは!!

でも、よい!!その心意気、わらわがあと十歳若ければ、惚れ惚れしちまうね!」


「う、うるさい!!」


「ややっ!!秀頼様!!お熱でもあるのですか!!顔が赤いですぞ!」


ぎろりと俺はその声の持ち主を睨む。

そこには本当に心配そうに見つめている片桐且元がいた。どうやら本気で俺に熱があるとでも思っているらしいが、それがなんとも彼の生真面目さを映しているようで、思わず俺はくすりと笑ってしまった。


俺が笑うと周囲も自然と笑いが漏れだす。そして、いつしか正月らしい和やかな雰囲気に包まれた。


俺はその雰囲気にほっとしてゆっくりと腰を下ろすと、横にいた千姫が笑顔で問いかけてくる。


「秀頼さま!!秀頼さまは千の事も幸せにしてくれるのですか!?」


何という真っすぐな質問であろう。俺は即答した。


「当たり前だ。お千がいつまでも笑っていられるように、俺は頑張るぞ!」


その答えに、心底嬉しそうに顔を赤くした千姫は、


「秀頼さま!!!大好きじゃぁぁぁ!!」


と、俺に抱きついてきたのだった。



この年は幸せな一年になるような気がする――


そんな風に根拠もなくこの日は思っていたのだ。


しかし歴史の歯車は、すでにこの日から加速して回り始めていた。

俺の知らないところで…



その頃、江戸城では――


「二つの席が空いているのが、残念であるのう…」


と、江戸城の大広間で徳川家康は、宴が始まるその前に寂しそうな声でそう言った。

確かにびっしりと人で埋まっている中、二つ並んだその席だけは人がおらずに、食事と酒だけが置かれており、違和感と寂しさを含んでいる。


この時、家康主催の新年の宴が、全国全ての大名たちを集めて盛大に行われようとしていたのだ。


多くの大名たちが既に江戸に屋敷を構え、この宴に参加している。もちろん、加藤清正ら大坂に残った者たちや、自国の領土にいる者もいるが、そんな彼らであっても名代として、嫡男や重臣を宴に参加させているのだ。


しかし、その名代すら立てない大名が、二人だけあった…


九州の立花宗茂と島津義弘… 彼ら二人だ。

それが意味することは、単純にして明白。すなわち徳川への恭順への拒絶である。


「来年の正月は、その二つの席も埋めようと思う」


そう宣言した家康の瞳は、見る者の心にも火をつけるほどに、熱がこもっていたのであった。




そして、この日の夜、九度山――


「今年は賑やかな正月だのう!」


と上機嫌で酒を煽っているのは、この地で蟄居の身である真田昌幸。

昨年は彼の友であり、重臣であった高梨内記を含めて、九度山に残ったわずかな人数で迎えた正月であったが、この年はそこにもう一人加わっていたのだ。


それは…


黒田如水であった。


「カカカ!わしが勝手に押しかけたにも関わらず、喜んでもらえて何よりじゃ!」


と、彼も上機嫌に酒を口にした。

この時は既に宴もひと段落し、既に部屋の中は真田昌幸と、高梨内記そして客人の黒田如水の三人しかいない。それでも昌幸は上機嫌で、大きな声で笑っていたのだった。


「おう、内記!つまみじゃ!つまみを持ってきてくれ!」


と、昌幸は内記に指示を出すと、


「はっ!今宵は源三郎様(真田信之の事)が送ってきてくれた、信州味噌をお持ちしましょう!!」


「源三郎のやつめ!律儀に信州のものばかりを送ってきおって…たまには、味噌や蕎麦以外のものを送ってこい、と言っておるのに…」


「殿!源三郎様のご厚意にけちをつけると罰が当たりますぞ!」


「はんっ!もうとっくに罰など当たっておるわ!いいから早くつまみを持って参れ!」


と、昌幸は手を振って合図をすると、内記はまだ何かを言いたそうにしながら、渋々部屋を出ていった。


二人になる昌幸と如水。


その瞬間から昌幸の表情は、上機嫌をうつした笑顔から、締まった険しいものに変わった。

それは如水も全く同様である。そして昌幸の方から切り出した。


「如水殿がここに来られた…という事は、『いよいよ』と言うことかのう?」


「これは察しが良くて助かるわい。そうじゃ『いよいよ』じゃ」


と、如水が答えると、昌幸はふぅと一息ついた。


「まだ、早すぎるとわしは見ていたのだが…」


と、昌幸は酒を一口入れて漏らす。


「それはわしも同感じゃ…」


と、如水はため息をついた。その様子に昌幸は、酒を持ったまま上目で如水を見つめて言った。


「思いの外、徳川殿の動きが早い…ということかのう」


「ああ…腹が出ている割には、その動きは疾風のごときじゃ…」


「はんっ!『疾風のごとき』とは褒めすぎじゃ!どうせ、やつの周りの者が、背中を押しまくっているに違いないわ。そうじゃなければ、時代の坂道を転がっているか、どちらかじゃ」


と、昌幸が憎まれ口を叩くと、如水はわずかに口元を緩めた。


「確かにそうかもしれぬ。しかしいずれにせよ、もう時間がない」


「いつが期限と見える?」


と、昌幸は体を乗り出すと、より一層声を低くしてたずねた。

如水も体を乗り出して声を低くした。


「…今年いっぱい…」


「…なるほどのう…」


そう昌幸が言うと二人とも元の姿勢に戻る。

そして昌幸は、続けてたずねた。


「して…どうするつもりなのだ?如水殿は」


「こうなれば動くより仕方あるまい…」


「どう動くのだ?」


核心をつくような昌幸の問いかけに、如水は再び口元を緩めた。


「それは…おいおい…」


その如水の答えに、昌幸の眉間にしわが寄った。


「もったいぶるのう…まあ、正月のめでたい日にするような話ではないか」



こうして正月の夜は更けていく。


激動の一年を予感させるような、思惑がうずまくままに…


いよいよ第一部のクライマックスが動き出しました。


気合いを入れて書き上げたいと思います。


どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

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