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理想の学府を目指して㉒苦難の先の福音(8)

◇◇

慶長6年(1601年)7月――


明石全登は、元当主である宇喜多秀家と別れた後、長崎のヴァリニャーノのもとへ戻り、東インドのゴアに滞在しているアクアヴィヴァと直接面会させてもらえるように取り計らって欲しいと頼み込んだ。

最初は渋っていたヴァリニャーノであったが、最後は彼の情熱に押し出されるようにして、アクアヴィヴァへの書状をしたためて、全登にそれを持たせたのであった。


そして今、全登は豊臣秀頼にとある申し出を行う為に、大坂城の城主の間に向かっていた。

その案内役は真田幸村。


二人は特に会話を交わすこともなく、淡々と城内を進んでいく。

この時、初めて顔を合わせた二人であったが、元来彼らは二人とも世間話が得意ではなく、沈黙も特段気にしないたちであったから、会話がないのもうなずける。


しかし二人とも、なぜかこの日に出会うよりもずっと昔から知っているような不思議な感覚にとらわれていた。何か魂と魂が強い絆で結ばれているような気がしてならないのだ。


まるでそう遠くない未来に、共に戦場で背中を預け合うような信頼できる仲間のような感覚…


そんな不思議な感覚に包まれたまま、二人はいつの間にか城主の間の前までやってきた。


「では、こちらの部屋にございます」


「ご案内いただき、ありがとうございました」


と、全登は軽く頭を下げると、幸村は携えている微笑みをそのままに、彼もまた頭を下げたのだった。



部屋の中に入ると、その広い部屋の中には、堀内氏善と大谷吉治の姿もあった。

てっきり一人だけかと思っていた全登は、戸惑いを隠せない様子で、目を大きくした。

その様子に、


「おお!お主が親父殿の言っていた、明石全登殿ですな!?

お初にお目にかかる。

それがしは堀内氏善と申す!

これから共に親父殿をお支えしましょうぞ!」


と、相変わらずの熊のような髭面の氏善が、豪快な口調で、全登に笑顔で挨拶をした。


「こちらこそ、よろしくお願いいたします。

しかし、親父殿とは…どなたのことでしょう…」


「ガハハ!!親父殿と言えば、一人しかおらぬであろう!!」


「はて…?」


と、助け舟を求めるような視線を傍らの吉治に向けるが、その吉治も苦笑いをするばかりで、全登にその答えを告げることはしなかったのであった。


…と、そこに少年の秀頼が、何やら頰を膨らませて駆けるように部屋に入ってきた。

そして一段高くなっている城主が座る席に、どかっと腰をかけると、開口一番に、氏善に対して、


「こらっ!氏善殿!だから俺の事を『親父』などと呼ぶでない!

まだ八歳の俺が、お主のようなむさ苦しい男を息子に持つわけがなかろう!」


と、大きな声で抗議した。


「ガハハ!親父殿!そんな事を言って、本当はまんざらでもないのであろう!?

それがしは分かっておりますぞ!」


と、氏善はそんな秀頼の抗議など意にも介さずに笑い飛ばしたのであった。


「全く…お主はめんどくさい男だ…」


と、秀頼は諦めたように小さくため息をつくと、今度は全登の方へと向き直った。


秀頼と氏善のやり取りに、幾分気圧され気味だった全登であったが、その秀頼が自分の正面を向いたのを受けて、気を引き締めて姿勢を正した。


「よく来たな!全登殿!久しく見ないうちに、何かたくましくなったような気がするのは、気のせいか!?」


「これは、もったいなきお言葉…」


「ふむ、まあ、その生真面目な堅苦しさは変わらんのう。

さて、何か申し上げたい事があるとか、聞いておる。

早速、申してみよ」


と、秀頼はいつもと変わらぬ明るい口調で全登に要望を言うように促した。


「はっ!では、申し上げます。

豊国学校での研究者集めの件でございますが、一つお願いしたい儀がございます!」


「ふむ、なんだ?」


全登はそこで一旦大きく息を吸い込む。

そして、覚悟を決めたように告げた。


「研究者集めの刻限にございます、神無月(10月)に間に合わないことをお許しいただけませんでしょうか!?」


そこで再び話を切り、秀頼の反応を確認する。

その秀頼は、最後まで話を聞くつもりなのだろうか…真面目な顔つきのまま、言葉を発することなく、全登の言葉の続きを待っているようであった。

その為、全登は続けた。

そしてそこで彼は、この後東インドのゴアに発ち、イエズス会の総長に直接会って、イエズス会の会員が研究者になることを認めてもらうように、交渉することを告げたのだった。


言い終えると頭を深く下げる全登。


そんな彼に、秀頼は声をかけた。


「頭を上げてくれ、全登殿」


ゆっくりと頭を上げると、全登は秀頼の顔を見つめた。秀頼のその瞳は、部屋に入ってきた時と変わらぬ、少年らしい澄んだものだ。


そして、秀頼は続けた。


「全登殿の要望…確かに受けよう!

お主の納得するまでやり遂げるがいい!」


その秀頼の言葉に、全登の顔に喜びの色が加わる。


「ありがたき幸せにございます!」


「ただし!!」


と、再び頭を下げた全登に対して、釘をさすように秀頼は言った。


全登の顔が少し曇る。


「ただし…なんでございましょう…」


「戦乱の世に疲れた民たちが、お主の帰りと成果を心待ちにしていることを、忘れてはならぬぞ。

お主の気がすむまでしたいようにすればよいが、あまり時間ばかりをかければよいというものではない。

よいな!?」


「はっ!かしこまりました!」


と、全登は力強く返事をした。


秀頼としては本来であれば、一日でも早く学府での研究を開始させて、民の生活を豊かにする為の施政を進めていきたいはずだ。

しかし彼は全登に研究者集めの全権を任せ、彼の帰りを辛抱強く待つことを選択したのであった。


それでも秀頼は、悠長にその帰りを待つ訳にはいかないと思っていた。それは彼に…この大坂城に残された時間が短い事を知っているからなのだった。


「それからもう一つ…」


と、秀頼は言葉を濁しながら、全登を見てもじもじしている。


「もう一つ…なんでございましょう…?」


今度は秀頼の方が覚悟を決めたように腹に力を入れると、一気に指示を与えた。


「チョ、チョコレートを持って帰って参れ!!」


「ちょこれいと?」


「うん!略してチョコじゃ!

ただし気をつけよ!この時代のチョコレートは、飲み物である!つまり、固形ではないゆえ、コンペイトウのように持って帰ることは出来ぬぞ!

であるから、ショコラティエを研究者としてスカウトし、カカオ、それに砂糖をたんまり…そうそう、チョコにはミルクが欠かせんから、乳牛も持ち帰って…」


ベラベラと唾を飛ばしながらしゃべる秀頼に対して、口をポカンと開けながら見つめている。


すると秀頼の言葉を氏善が遮るように大笑いした。


「ガハハ!親父殿!そんな訳わからん言葉でいっぺんに命じられても、さっぱりでさあ!」


「ぐぬぬ…やはりそうか…」


と、肩を落とす秀頼…


だがそれもつかの間、秀頼は胸を張って言った。


「しかし安心せよ!そんなこともあろうかと、先ほど書にしたためてきたのだ!

習ったばかりの字でなっ!」


と、一通の書を全登に手渡した。

うやうやしくその書を受け取った全登。

そんな彼は相変わらず不思議そうな顔でたずねた。


「…ところでこの書を、あらかじめご用意いただいていたということは…」


秀頼の得意げな顔が、ピタリと固まる。


「ん…?な、な、な、なにか?」


「それがしが異国に出たいと申し出ることをご存知だったのですか…?」



………

………



しばらく続く沈黙…


それを破ったのは、吉治であった。


「明石殿… 黙っていて申し訳ございませんでした」


「い、いえ…しかしなぜ…?」


その全登の問いかけには氏善が笑って答えた。


「ガハハ!そりゃあ、親父殿が、明石殿の決意の程を聞いておきたいってな!」


「秀頼様が…」


と、全登は秀頼の方を見る。

秀頼は諦めたように…いや、開き直ったのか、ばつが悪そうに、小さな声で言った。


「…目を…瞳を見ておきたかったのだ…」


「瞳を…」


「俺はまだ若い。綺麗な言葉を並べられれば、すぐその気になってしまうし、もっともらしい言葉を並べられれば、納得してしまうだろう」


そこで話を切ると、秀頼はぐっとその瞳に力を入れた。その瞳に全登は吸い寄せられる。


「だがな…言葉はどれだけの事を相手に伝えるだろうか。

そこに本人が本当に伝えたい何か…

情熱や、決意や、愛や、忠義や、友情を、果たしてどれ程伝える事が出来るであろうか。

俺は豊臣秀頼として、この城主の席に座ることで、それに痛いほど気付かされたのだ。


言葉は飾れる。いくらでも。


しかし、瞳は飾れない。


そのことに、俺は徳川内府殿の瞳を初めて見た時に気付いたのだ」


全登は息を飲む。

そんな彼に、秀頼は表情をあらためて、笑顔を見せた。


「全登殿。お主の瞳は美しい。そして強い。

その瞳を持ってすれば、必ずやその先には幸が待っておるだろう。

大いなる福音が待ち受けていると、俺が、豊臣秀頼が保証しよう」


全登は頭を深く下げた。


「ありがたきお言葉…」


秀頼は続ける。


「実は先日、徳川内府殿からの使者が参って、全登殿が異国に行きたいということを、聞いていたのだ」


「内府殿が…なぜ…」


「何でも宇喜多秀家殿たっての願いを聞いてやることにした、とのことだ」


全登は思わず顔を上げる。


「秀家様が…!?」


「何でも一人で伏見城にやってきて、徳川内府殿に頭を下げて、このことを願い出たそうだ。大罪人であるゆえ、捕まって命を奪われてしまうこともいとわずにな」


全登の瞳から一筋の涙が流れる。

彼はもう言葉を発することが出来なかった。


「だが一つ問題があってのう…

徳川内府殿は異国への出立と、その為に長崎の港を利用することまでは認めてくれたのだが、商人と宣教師の船を利用する事は認めてくれんかった…」


「そんな…」


全登の顔が曇る。

しかし秀頼は、そんなことは何でもないように、あっけからんとして言った。


「なので作ることにしたのじゃ。船を」


「えっ…」


「内府殿め…恐らくは豊臣家の散財を目論んでのことに違いあるまい…

だがここは一つ、見た者の度肝を抜くような船を作ってやろうと思ってな!」


そう秀頼が言うと、氏善が後を継いだ。


「ガハハ!それゆえに、わしらが呼ばれた、という訳だ!

それに、堺の貿易商人や船に詳しい宣教師も手伝ってくれることになってな!」


その言葉に、今度は吉治が笑顔でつなぐ。


「ええ、オルガンティノ殿とおっしゃる大きくて愉快なお方が、皆様にお声掛けしておられたそうで。

みな『ジョアン様のためなら』と、喜んでご協力いただけるそうです」


「なんと…」


そしてその後は秀頼が言った。


「豊臣学校からは、宗應殿が医師と算盤のはじける者を選抜し、お主に同行することになっておる。

さらに、熊本の清正殿がお主の船に米や水を届けてくれるそうだ。

そして、如水殿はいつでも礼拝が出来るように、十字架やら何やらを色々と手配してくれているようなのだが、それついては俺にはよく分からんから、後で直接聞いておいてくれ」


「みなさま… ありがたき… それがしなどのような者の為に…」


「いいか、全登殿。お主はこれほど多くの人の心を動かしたのだ。

その瞳をもってな。

だから自信を持って、異国で使命を果たしてきて欲しい。よいな?」


秀頼の目にさらに力がこもると、それに応えるように全登も瞳に力をこめて、答えた。


「はっ!」


「よしっ!では出立は神無月としよう!それまでに各々、準備に取り掛かるのだ!」


「はい!」

「任せておけ!」

「はっ!」


と、各々ありったけの大きな声で返事をすると、全員が強く拳を握りしめて、その場を立ち去ろうとしたのだった。


しかし、秀頼はまるで水をさすかのように、全登に声をかける。


「全登殿!お主だけはここに残られよ!

まだやり残していることがあるのでな」


上げかけた腰を再び下ろす全登は、不思議そうな顔をしている。

すると入れ替わるように、秀頼は立ち上がり、全登を残して部屋の外に出ようとしている。


「秀頼様!?これは一体どういうことにございますか!?」


すると背中を向けたまま、秀頼は答えた。


「言ったであろう…言葉だけならいくらでも飾れると。

その瞳を直接見る事が大切なのだ…と」


まだ状況が全くつかめない全登。


「は、はい…」


「お主…手紙を送るだけで、すませてしまっている事があるのを、忘れているとは言わせんぞ」


その秀頼の言葉に全登は、はっとした表情に変わった。


「ま…まさか…」


そして秀頼は、大きな声で外にいる人間に呼びかけたのだった。


「入ってよいぞ!」


その声に応えるように、するすると開けられる襖。


そこから…



「…お父上…!」



と、一人の少女が飛び出してくる。


「レジーナ!!」


全登はその少女を抱き締めた。


その少女は、明石全登の娘、明石レジーナであり、彼女に続いて、彼の家族がみな部屋の中へと入ってきた。


久々の家族の再会…

それは実に半年以上ぶりの家族団らんであった。


その様子をちらりと確認し、満足そうな表情を浮かべた秀頼は、そっと部屋を出ていこうとした。


その秀頼に対して、全登が大きな声で感謝を述べると、全登だけではなく、彼の家族が全員で秀頼に頭を下げながら、感謝の言葉を口にした。


秀頼は恥ずかしさを隠すようにして、背中でそれらを受け止めながら、部屋の外へと消えていったのであった。



………

……

翌日ーー


明石全登をはじめ、全員が全登の旅の準備に取り掛かる為に、大坂城を出ていった。


しかしもちろん、豊臣秀頼はこの日も城内で、甲斐姫による厳しい稽古に励んでいた。

この日は剣の稽古で、ようやく昼過ぎにそれを終えると、秀頼は、真夏の暑さをしのぐ為に、稽古場の一角で、木村重成らと休んでいた。


「しかしあの鬼め…相変わらずおなごとは思えぬほどに、強すぎるな…」


「秀頼様!またそのように鬼などと言ったのが知れたら、どんな目に合うことか…」


「むむっ…そうであった。言葉など飾りに過ぎんのに、冗談も通じぬ相手だと、本当に困るのう」


そんな風にこそこそと話をしていると、


「秀頼さまぁ!!」


と、弾けるような明るい声がした。


「げっ!お千か!?」


稽古場に顔など見せたこともない明石レジーナと千姫がやってきたのだ。


秀頼は怪訝そうな顔で彼女らに問いかける。


「何をしにきたのだ?まさか俺たちが鬼…いや、甲斐殿に散々痛めつけられるのを、面白おかしく見にきたのか?」


嫌味を込めた秀頼の言葉に、レジーナが短く抑揚のない声で答えた。


「…違う」


レジーナの傍らの千姫は、頬を膨らませて秀頼に抗議するように言った。


「むぅ!秀頼様が汗をかいておられると思って、千とレジーナが手拭いを持ってきたというのにぃ!

秀頼様なんて…」


「まさか…この展開は…

待て!お千!悪かった!謝るから、その固めた拳をほどいておくれ!」


と、汗を額に浮かべながら必死に謝る秀頼に、レジーナは目の前まで近づいた。


「…昨日は、ありがとう」


と、手拭いを差し出した。

秀頼は突然の事に戸惑いながらも


「お、おう。まあ、折角の機会であったしな。喜んでもらえたなら何よりだ」


と、照れ隠しをするように、それを受け取ると、ゴシゴシと顔を拭いた。


するとレジーナはさらに顔を近づけると…


なんと…


秀頼の頬に軽く口づけをした。


何が起こったのか全く理解出来ずに、固まる秀頼。

千姫ら、周囲もみな固まっている。


そんな中、一人で何時もの通りの無表情なレジーナは、再び抑揚のない小さな声で告げた。


「…言葉は飾りだから…」


そして…


未だかつて見せた事がないような、輝く笑顔を見せたと思うと、一人で稽古場をあとにしていったのだった。



秀頼はレジーナの笑顔を見て、顔を真っ赤に染めている。


その秀頼を見て、別の意味で顔を赤くした千姫…


ふるふると震えた拳を鉄のように固く握り締めている。


「秀頼さま…なぜそのように嬉しそうに、顔を赤くされているのですか…?」


ただならぬ千姫の雰囲気に、ようやく我に返った秀頼は、


「ややっ!待て!お千!これは違う!違うのだ!」


と、必死に何かを否定しているが、もはや動き出した歯車を止めるには至らない。


「秀頼さまなんて… 秀頼さまなんて…」


「待て!待ってくれぇぇぇ!」


そして…


「秀頼さまなんて、だぁい嫌いじゃぁぁぁ!!」


一つ歳を重ねて、より固くなったその鉄拳は、秀頼の顎に向かって、綺麗な直線を描きながら、ふり抜かれたのだった。






次回は、長かったこのシリーズの終幕になります。


これからもよろしくお願いします。

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