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理想の学府を目指して⑳苦難の先の福音(6)

◇◇

慶長6年(1601)年1月――

日本から西に遠く離れた東インド(現在のインド)の最大の都市であるゴア。

列強国が争いを続ける西欧の各大都市が疲弊している中、このゴアの地は東アジアと西欧の経由地として、かつてない程の繁栄と平和を謳歌していた。

無論その中にはインドの先住民の姿などない。

そこで良い服を着て、良い物を食して、裕福に暮らしているのは、みなポルトガルやスペインからの移民ばかりであった。


しかしそんなゴアも、都市部の外には、移民である西欧人に対して恨みを持つ先住民たちが潜んでおり、都市を囲っている壁に対する襲撃が、時折起こっていた。


「こらぁぁ!!何をぼさっとしておるのだ!!これだから貴様らはいつまでたっても野蛮人なのだ!!働け!!」


と、ムチを振りまわし、壁の警護にあたっている人々を恐怖に陥らせている一人の男がいた。

彼はまるで何かの鬱憤を晴らすかのように、壁の守備にあたっている傭兵たちをムチで打ち、時には蹴飛ばし、唾を吐きかけている。


傭兵たちは言葉が通じないのか、何をされても黙って、その男に従っていた。

しかしその目は強い反抗心を携え、まるで男に襲いかからんとばかりに光っている。


それを見た男は、さらに逆上し、


「その目!その目が気に入らんのだ!!この野蛮な日本人め!!」


と、その傭兵たちのうちの一人を殴りつけた。


そうこのゴアの壁を守っているのは、みな日本から奴隷として連れてこられた男たちだった。戦に慣れて、屈強であり、精神力もある日本人の男の奴隷たちは、このゴアでは都市を守る傭兵としてはうってつけとされ、彼らの働きでゴアの平和は守られていたと言っても過言ではなかったのである。


そしてこの日本人奴隷に対して、軽蔑した言動をとった男は、フランシスコ・カブラル。

もとはスペインの貴族の出である彼は、オルガンティノと時を同じくして来日した。

日本人に対して友好的なオルガンティノとは正反対とも言える、日本人に対する差別的な態度は、巡察師のヴァリニャーノから徹底的に批判され、ついには彼の手によって日本から追放された経歴を持つ。

その後彼はこのゴアの地で、インドにおける布教の責任者として着任したのだが、数年前にそれも退任すると、今でも日本人に対する蔑視は変わらないどころか、ますます助長していたのであった。


「おい、ガブラル、その辺にしておけ」


まだ興奮冷めやらぬガブラルに対して、ふと背後から声がかけられた。

その声の持ち主が誰とも気付かずに、ガブラルは振り返らずに怒声を上げた。


「誰だが知らんが、俺はローマ教皇も認めた、ゴアでのイエズス会の元責任者である!!口出しをしたらただではすまんぞ!!」


そんなガブラルに対して、全く物おじをせずに、声の持ち主は背後から静かに近づき、彼の肩に手を置いた。


「きさまぁ!!馴れ馴れしい!!」


と、ガブラルはムチを振り上げながら振り返った。


…が…


その声の持ち主を見た瞬間に、その手はピタリと止まり、顔から血の気が引いていった。


「こ、こ、こ、これは、アクアヴィヴァ様!!!?」


そこにはイエズス会の総長だけが着ることが許される黒衣をまとった男の姿…

すなわちイエズス会五代目総長、クラウディオ・アクアヴィヴァ。フランスのアンリ四世から絶大な信頼を寄せられ、スペインのフェリペ三世もイギリスのエリザベス一世からも一目置かれるほどの人物であった。


「その手をどうするのだ?振りぬくのか?それとも考え直して、大人しく下ろすのか…」


「お、お、お、下ろします!下ろすに決まっているではございませんか!!」


と、ガブラルは急いで振り上げた手を引っ込めた。


「ガブラルよ。敵をも愛するのが、主の教えである。それを守らぬ者に、主は救いの手を差しのべないであろう。それを忘れるな」


「は、はい!それはもちろん覚えていますとも!今回はこの傭兵が粗相をしたので、躾をしていただけです。いつもこんな事をしているわけがありませんよ!ははは!」


そんな風に必死に弁解をしているガブラルのことなど見向きもせずに、アクアヴィヴァはガブラルに殴りつけられて口から血を流している日本人の傭兵に近づき、倒れている彼のもとにかがんだ。


「口を怪我しているな…これを使うといい」


と、彼は真っ白な布をその傭兵に差しだす。

しかし傭兵は、アクアヴィヴァの手を払いのけた。

白い布はアクアヴィヴァの手を離れて、ひらりと地面に落ちる。

アクアヴィヴァは穏やかな表情を変えずにそれを見つめていた。


「き、き、きさまぁぁ!!アクアヴィヴァ様になんたる無礼!!!異端審問にかけて、拷問の上、処刑してくれる!!!」


と、ガブラルが逆上し傭兵に飛びかかった。

しかし、そのガブラルをアクアヴィヴァは食い止めると、なんとそのままガブラルを投げ飛ばしたのである。


「ひぃぃぃぃ! ぐはっ!!」


背中から勢いよく叩きつけられて、激しく咳きこんだガブラルは、恨めしい目をアクアヴィヴァに向けた。


「アクアヴィヴァ様!?なぜこのようなことを!?」


「黙れ!ガブラル!!」


「な…なんですと!?」


そしてアクアヴィヴァは倒れているガブラルの胸ぐらを掴むと、顔を赤くして怒鳴りつけた。


「人は鏡である!!

貴様の普段の態度が良ければ、この日本人は喜んで施しを受けたであろう!!

この男の心を閉ざしたのは、貴様の行いが悪魔の所業そのものであることの何よりの証である!!」


「い、い、異教徒の情けをかけるのですか!?それがイエズス会総長のやることですか!?」


開き直ったガブラルはアクアヴィヴァに抗議するように、かん高い声を上げた。


「ええい!貴様は主の教えをどこまで愚弄するつもりか!!

人はみな生まれながらに等しく神の子である!!

隣人を愛せない男に、神のことを語る資格などない!!

即刻ここから立ち去れ!!そして、悔い改めよ!!」


と激しく叱責すると、掴んだ胸ぐらを荒々しく突き放した。


「ぐぬぬ… 俺はスペインの貴族であるぞ…

たとえ黒衣の教皇といえども、この俺様が受けた屈辱を、スペイン国王が知ったら…」


「知ったらどうだと言うのだ?」


と、アクアヴィヴァは冷たい視線でガブラルを睨みつけた。

その視線にたじろいだガブラルは、立ち上がると、


「くそ!!覚えておけ!!」


と、捨て台詞を吐き、そのまま街の中へと消えてしまった。


言葉を理解できない日本人傭兵たちは、彼らがどんな会話をしていたのかなど、全く分からないであろう。しかし、ガブラルが涙目で逃げるようにこの場を去った光景を見て、みなアクアヴィヴァを見る目に親愛の色がこもった。


そのアクアヴィヴァは地面に落ちた白い布を拾い上げると、


「見苦しいところをお見せしてすまなかった。これはせめてもの謝罪のしるしである。受け取ってはくれまいか」


と、頭を低くしながら口から血を流している傭兵に、再び手渡そうとした。

するとその傭兵は、彼の前にひざまずき、敬礼をもってそれを受け取ったのである。


彼だけではなく、周囲の傭兵たちはみな一様に、アクアヴィヴァに対して、深くおじぎをしたのであった。


アクアヴィヴァもまた一礼すると、その場を去る。

そして歩きながらつぶやいた。


「ああ… 我々はいつから彼のように傲慢になってしまったのか…

これでは明や日本での布教が進まないのも無理はない話だ。

もっと早くにこの地へ来て、直接監督すべきであったか…」


彼は天を仰ぎ、苦い顔をすると、


「とにかく余計な事をさせずに、布教に集中させなくては…」


と、決意を新たにして、自分の執務室のある教会の方へと歩いていったのだった。



◇◇

その頃、長崎の地に、再び明石全登は降り立った。

その傍らにはオルガンティノ。

彼らは堺を中心として集めた研究者の候補である約三十名の名簿と、豊臣秀頼と徳川家康からの京での教会建設の許可の書状を持って、堂々とヴァリニャーノのいる教会へと足を運んだ。


再び全登を出迎えたのはヴィリニャーノの秘書であるコンスタンチノ青年である。


「これはジョアン様。以前お越しいただいた時とは、何か雰囲気がだいぶ異なりますね」


「そうであろうか…」


と、全登は自分の体をきょろきょろと見回すと、コンスタンチノ青年はくすりと笑った。


「では、ヴァリニャーノ様にジョアン様とオルガンティノ様がお越しになった事をお伝えして参りますので、少々お待ちください」


と、コンスタンチノ青年は彼らを残して奥へと消えていった。どことなく彼の足取りが軽いように見えるのは、全登の気のせいであろうか。

そんな風に思っていると、オルガンティノが横から声をかけてきた。


「うまくいくといいデスネ」


「…きっとうまくいくはずです」


と、二人は揃って目の前の大きな十字架に向けて、手を合わせるのであった。


………

……

コンスタンチノ青年が教会の奥へと消えてからしばらくした後、全登とオルガンティノは、ヴァリニャーノの部屋に呼ばれた。


相変わらず薄暗い廊下を進む全登。しかし以前のような重々しさをこの廊下からは感じないのだから不思議なものだ。

そして扉を開けると、そこにはヴァリニャーノが以前と変わらぬ眼鏡姿で机に向かっていた。


「そこにかけたまえ」


と、ヴァリニャーノはやはり以前と同じように、上目で全登を見て、椅子にかけるように促した。

全登とオルガンティノは、その指示に従って腰を下ろすと、それを見計らったかのように、ヴァリニャーノは執務をこなしていた机から離れた。


全登は、ヴァリニャーノが椅子に腰を下ろす前に、目の前のテーブルに研究者名簿と秀頼の書状を並べる。

ヴァリニャーノは腰を下ろすとともに、それらに目を通した。


その表情は全く変わらず、どんな感情がそこにあるのかを読み解く事はかなわない。


じっくりと時間をかけて目を通すその様子を、全登とオルガンティノは固唾を飲んで見つめていた。


そして長く続いたその時間は終わりを告げる。

ヴァリニャーノは書状から目を離すと、大きく一つため息をついた。


そして険しい表情を全く変えずに告げた。


「よくぞこの短期間で、ここまで多くの同志を集めたものだ。

ジョアンよ、その覚悟と行動力は、まさに賞賛に値するものである」


「…ありがたきお言葉にございます」


「しかし宣教師の本来の使命は、布教に命を捧げること…その真理は変わるものではない」


そのヴァリニャーノの言葉に、全登とオルガンティノの顔色が暗くなる。


しかし…


ヴァリニャーノは…


ニコリと微笑んだ。


「だが約束は約束だ。

それに京での布教の許しを得たことは、条件としては十分と言えよう。

よろしい。

イエズス会総長、アクアヴィヴァ様にかけあってみようではないか」


「ありがたき幸せにございます!!」


全登は思わず体を乗り出して、ヴァリニャーノの手を握った。


そしてその上からオルガンティノも手を合わせる。


「ありがたき幸せデース!!」


ヴァリニャーノは戸惑うこともなく、表情を元の険しいものに変えて言った。


「そろそろ離してくれないかい?

言っておくが総長様が認めてくれる可能性は著しく低いと言わざるを得ない。

今総長様はゴアまで来られて、直接布教の監督をされておられる。

それほどまでに、この日の本と明の布教に本気なのだよ」


「分かっております!それでも嬉しいのです!」

「嬉しいのデース!!」


「全く…お主たちは…」


と、ヴァリニャーノは、なおも手を離そうとしない二人を見つめて、諦めたようにため息をついたのだった。



そして数日後…

全登とオルガンティノは堺へと再び戻っていった。

ゴアにいるアクアヴィヴァには、ヴァリニャーノから書状を送ってくれることとなり、その返事が来たら、コンスタンチノ青年が全登を堺まで呼びに来てくれるということになったのだ。


希望に胸を躍らせる全登とオルガンティノ。

彼らは、さらなる人材を求めて堺での活動を再開したのだった。


………

……

慶長6年(1601年)6月ーー


長崎はこの日、朝から雨が降り続いていた。

夏を感じる高い青空は厚い雲に覆われ、まるで牢獄の中にいるような重々しい灰色にその色を変えている。


全登はコンスタンチノからの書状を受け取ると、一人でその長崎に降り立った。


オルガンティノは京の寺子屋に入り、西欧の読み書きを教える師匠を担いながら、学府の中に建設する教会の普請にあたっているからだ。


全登は船を降りると駆け足でヴァリニャーノの待つ教会へと急いでいった。


もちろんこの時点ではまだイエズス会総長からの返事の中身は知らない。

それでも彼は楽観的な心持ちであった。

なぜならヴァリニャーノは巡察師として、大きな権限を持ち、さらにローマ教皇やイエズス会総長から信頼されている人と聞いており、そんな彼からの願いであれば、受け入れてくれるだろう、と思っていたからだった。


雨で視界が遮られる中、目の前に大きな教会が見えてきた。


彼は駆ける勢いそのままに、扉の前までやって来ると、そのまま勢いよく扉を開ける。


ギギィっと鈍い音を立てながら開けられたその扉の先に待っていたのは…


ヴァリニャーノだった。


そして彼はいつもの険しい顔のまま、開口一番に結果を伝えた。



「イエズス会総長様のお言葉を伝える」


息を整えながら、全登はごくりと唾を飲み込んだ。

まさに緊張の瞬間である。


「イエズス会の宣教師たちが、日本のあらゆる学府に関わることを禁ずる。

あらゆる真理は神の言葉にあるからで、その学府で得られる真理とは相反するものとなりかねないからだ。

宣教師たちを惑わしかねない、邪法による真理の追求を、イエズス会総長としては会員に対して、許すわけにはいかないのである」



それは全登を天国から地獄に突き落とす言葉であり、彼の感情も思考も一切合切がこの時抜け落ちたのであった…


………

……

明石全登が、ヴァリニャーノからイエズス会総長の「イエズス会員が学府に関わることを禁ずる」というお達しを言い渡されて、失望のうちに教会を出た後、その教会の奥から二人の男がゆっくりと歩いてきた。


一人はヴァリニャーノの秘書のコンスタンチノ青年である。


「ジョアン様…大丈夫でしょうか…」


と、心配そうにコンスタンチノはヴァリニャーノの背中に向けてつぶやいた。

そのヴァリニャーノは振り返ることもせずに、いつもの低い調子で答える。


「天は常に人に試練を与えるものだ…

それにどう向き合い、乗り越えていけるか…

そうして神の子として相応しい輝きを身につけていくものなのだよ」


するとその言葉にコンスタンチノの傍らにいた男が言った。


「試練ねえ…なかなかうまいことを言ってくれるじゃねえか。確かに何かを乗り越えた男ほど強いやつはいねえかならな」


そう感心したように言い終えると、男はゆっくりと扉の方へと歩き始めた。

そしてヴァリニャーノを追い抜き、彼に背を向けるようにして立ち止まると、言葉を続けた。


「でもよぉ…俺には厳しい言葉でどん底に突き落とされた友を、黙って見守れるほど、人間が出来ちゃいねえのよ。

泣きてえ友がいれば胸を貸し、溺れかけて必死にもがいている友がいればこの手を差し出してえ」


そう言うと再び扉に向けて歩き出した。

そこにコンスタンチノが声をかける。


「お待ちください!今ジョアン様は試練に向かわれて…」


と、途中まで言いかけたところで、ヴァリニャーノがそれを手で制した。そしてちらりとコンスタンチノを見る。


その瞳は…


慈愛に満ちた優しいものであった…


そして、金の羽織を着たその男が、真っ赤な番傘を、バッと広げる。


「雨に濡れる友には傘を差し出す…

それが俺という人間だ」


その番傘を背負うようにして持つと、とうとう扉の目の前までやってきた。

そして最後に一言、


「危険をおかしてまで匿っていただき、ありがとうございました。

この恩は一生忘れねえ」


と、言い残し扉を豪快に開けて、土砂降りの長崎の街へと出て行った。



この男の名は、宇喜多秀家。人呼んで「備前宰相」。

明石全登の元の当主にして、若くして豊臣政権の五大老に任じられた美丈夫である。

この頃が江戸時代なら、町の人々は彼をこう称するであろう。


――天下一のいなせな落人(おちうど)


と…





地獄に突き落とされた明石全登…

彼は立ち直ることが出来るのでしょうか…


そして今回は、インドのゴアに関するお話が出てまいりました。


ここは「小リスボン」と呼ばれるほどに、この時期は栄えた場所で、貿易上も植民地支配を広げていく分にもポルトガルにとっては重要な場所でした。

またそのゴアには日本から連れてこられた奴隷が数多く存在していたとのことにございます。


では次回、いよいよ「赤い番傘」の出番になります。

(なお「番傘」という表現は江戸時代からされたもので、この時代では言わなかったようです…しかしこう表現した方が伝わりやすいと思った為に採用した次第でございます)



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