石田三成との会談の結果
◇◇
結局秀頼との会談では三成は自分の要求を一切口にすることは出来なかった。
それどころか、くさい三文芝居を見せられ、7歳の少年に一喝されるという、はたから見れば散々な会談であったと言わざるを得ないだろう。
謁見の間を出た後、いつもと変わらない厳しい表情の三成。そんな彼に、信繁はおそるおそる今回の件について聞くことにした。
「治部殿…今回の会談はいかがでしたか?」
信繁をちらりと見た三成の表情は変わらない。
「どういう意味だ?」
「殿下とご意向通りに、内府殿と和睦をされるおつもりで?」
三成はその質問に足を止めた。
そして、じっと信繁を見つめると、
「源二郎。この際だから、はっきり言っておく」
と、声の調子を少し落とす。それに合わせるように、信繁も真剣な表情で三成を見つめ返し、頷いた。
「この戦いは今は亡き太閤様のご威光と、豊臣家を守るためのものだ。
例え殿下のご意向であっても、向こうに非があるのに、俺の方から頭を下げる訳にはいかない。
そんな事をしたらますます内府の力が増し、豊臣家の存続があやしくなるだけだ」
三成は一気にその決意をあらためて強調した。
「殿下のご意向には従わないということでしょうか?」
信繁は単刀直入に聞く。煽りとも言えるような質問に対しても、三成の表情は一切変わらなかった。
それは彼の強い決意を示しているようだ。
「俺が呼ばれたのは『芝居』を見せるためであり、俺に内府との和睦の下知を下すためではない。違うか?源二郎」
「それはそうですが…その芝居に隠された意味を考えれば、治部殿に和睦するように命じたのと同じように思えるのですが…」
言いにくそうにしながらも、さらに問い詰める信繁。三成はそんな彼を静かに一喝した。
「くどいぞ、源二郎。それにこれはもう決まったことなのだ。今さら和睦など出来るはずもなかろう」
「これは失礼しました」
信繁は三成の剣幕に押されるように、頭を下げて、これ以上の言及を避けた。
ふと思い起こせば、三成という男は、一度「こう」と決めたら、例え太閤が止めようとも、その意志を曲げない人だ。殿下とはいえ、少年の演技程度で、あっさりと彼の正義を曲げるなんて最初からありえなかったのだろう。
同時に、信繁は幼さゆえに自分の言いたいことがはっきりと言えない秀頼に同情していた。
しかし次の三成から発せられた一言は、信繁にとっては意外なものだった。
「しかしこの会談、収穫もあったぞ」
「それはなんでしょう」
「殿下はひとかどの将となりそうだ、ということだ」
信繁はハッとした。
秀頼の犯した致命的な失敗を思い起こしたのだ。
それは彼が知るよしもない、小牧長久手の戦いを引き合いにだして、三成をいさめたことだ。
しかし当の三成はそれを怪しむ様子はなく、
「あの一喝は心に響くものであった。
今から将来が楽しみだ」
と、目を細めて我が子の事のように喜んでいる。
そして再び緩んだ表情を引き締めると、
「だからこそ家康の好き勝手には絶対にさせぬ!源二郎!この戦、何がなんでも勝利するぞ!」
と、語気を荒げてその決意の炎をより一層強く燃えたぎらせたのであった。
信繁は再び秀頼に同情する。
この会談で三成を制するつもりだったのだろうが、逆にその闘志に火をつけてしまったという結果に終わったことに…
こうして豊臣秀頼と石田三成の会談は、秀頼の渾身の演技も実らずに、物別れに終わった。
それは歴史が全く変わらずに、遠い未来の教科書通りに進むことを意味している。
しかし…皮肉なことに、事はそれに収まらなかった。
一つの影が一陣の風のように大坂城の廊下を吹き抜けていったと思うと、すぐに大手門の外へと姿を消していった。
「早くこの事を、お館さまにお伝えせねば…」
そうつぶやいたのは、徳川家康が大坂城に放った間者の一人だった。
彼は元より伏見から戦を避けて大坂城へと移った千姫に危険が及ばないかを監視していた者である。
しかし今回の「芝居」と秀頼が放った最後の一喝を屋根裏から見て、その一部始終を主である家康に伝えねばという焦燥感に襲われ、いてもたってもいられなくなってしまったのだ。
その理由は明快である。
「秀頼の様子が昨日までと大きく異なる」
と、直感的に気づいたからである。
そして本来の目的である千姫の監視は別の間者に任せ、彼は一人東海道の方へと急いだのだった。
そう…この会談は、秀頼の
「自分の立場をより良くしておきたい」
という思惑とは真逆に、より一層その立場を危うくする要因の一つとなってしまうのであった…
当の本人のいないところで、「泣き面に蜂」の散々な結果であったのだが、それを彼が直接知ることにならなかったのは幸いといったところか。
このように、「中身」の異なる豊臣秀頼は歴史に波紋を一つ残した。
その波は今は小さなもので、歴史を動かすに至るものではないかもしれない。
しかし、この波紋はドミノ倒しの始まりのように、後々に大きく事態を動かすきっかけとなっていく可能性を秘めていたのである。
ただし、その事は、今は誰も知るよしなどなかったのだった。
もちろんこれらは全てフィクションです。