理想の学府を目指して ⑰苦難の先の福音(3)
◇◇
ちょうど明石全登が堺を出て長崎へと目指していた頃、その長崎に一通の書状を携えた使者が到着した。
そしてその書状は、長崎の中でも最も大きく立派な南蛮寺に届けられた。
「ヴァリニャーノ様宛に書状が届きました」
と、彼の秘書である日本人の青年がそれをヴァリニャーノと呼んだ老人に手渡そうと差し出した。
「ありがとう、コンスタンチノ。その辺りに置いておくれ」
と、イタリア人のヴァリニャーノは流暢な日本語で答えた。しかしその目は、コンスタンチノ青年の方へ向くことはなく、彼の机の上に山積みとなっている書の上から動くことはなかった。
彼の名は、アレッサンドロ・ヴァリニャーノ。イエズス会の巡察師である彼は、言わば目付けのような役目でを担っており、東アジアの布教の進捗を確認し、各所にてその手伝いをして回っていた。
アジア各国を回る中において、特に彼が危惧していたのは、今彼が訪れている日本と、隣の大国の明であったが、そのうち明については彼の友人でもあるマテオ・リッチがこの頃ようやく明の文化になじみ、南京を中心として布教が進みつつある。
だが、ここ日本においては、フランシスコ会の台頭と、スペインからの侵略を危ぶんだ太閤秀吉による禁教令によって、イエズス会による布教があまり上手く進んでいなかったのだ。
過去には日本人の宣教師を育成すべく、天正遣欧使節団なる少年たちによるヨーロッパ訪問を提唱し、それを実現させたこともあったが、激動期の日本において、それは一過性のものに過ぎなかったのである。
彼は二年前に来日を果たすと、日本での布教を進めるべく、フランシスコ会との和睦に努め、さらに日本各地における布教の状況をつぶさに確認していたのであった。
しかし、状況はかなり厳しいと言わざるを得ない。
なぜならそれは、有力なキリシタン大名の数が、関ヶ原の戦い前後において、その数を大きく減らしていたからである。
特に太閤秀吉の時代の有力者であった小西行長がこの世を去ったことは、大きな影響が出ざるを得ないと感じていた。
長崎のある九州においては、かつて大友宗麟、大村純忠、有馬晴信、そして小西行長や毛利秀包といった有力大名が全て彼の影響下にあり、熱心に領内のキリスト教布教に力を注いでいたのだが、もはやそのうち有馬晴信しか存命ではない。そしてその彼も所領は島原のわずかな箇所であり、その影響力は乏しい。さらに、大村純忠の息子である喜前にいたっては、所領が隣の加藤清正の勧めもあって、日蓮宗に傾倒し始めているのだ。
これは九州だけに限ったことではなく、日本全体においても一時のような布教の波は、引いてきているのを、彼は肌身で感じていたのである。
つまり彼は焦っていた。
自分がコツコツと積み上げてきたものが、何か音を立てて崩れているような気がしてならないのだ。
ーーこのままでは終われない
イエズス会の発展に心血を注いできた半生において、その集大成とも言えるのが、この日本における布教の確立だ。
そう固く誓っていた彼は、各地の宣教師たちから届く、布教の進捗報告に目を通し、的確な助言を書状にて返していたのである。
その数は膨大なもので、机に向かっている時間からすれば、今や時の人となった徳川家康と同じくらいに、長いものであっただろう。
そんな彼だからこそ、秘書の持ってきた書状を後回しにしようと、机の上にそれを置いておくように指示をしたのである。
しかし、コンスタンチノ青年はその場を動こうとせず、あくまでヴァリニャーノに直接書状を手渡そうとしている様子だ。そんな彼に、ヴァリニャーノは上目で彼を見てたずねた。
「どうした?コンスタンチノ。書状をそこへ置いて、早くそこを去りなさい。
お前の仕事は、私と同様、山ほどあるのだから」
「いえ、ヴァリニャーノ様。こちらの書状は、すぐにお目通しいただいた方がよいと思われますので、直接手にしていただくまでは、去れません」
ヴァリニャーノは眉間に皺を寄せると、
「なぜかな?」
と、短くたずねると、コンスタンチノ青年も、短く答えた。
「イエズス会総長、アクアヴィヴァ様からの書状だからにございます」
「なに!?」
と、ヴァリニャーノ片目を大きくしてしかめ面をすると、コンスタンチノ青年から書状を受け取って、すぐにそれを開いた。
「ふむ…」
と、書状を読み終わると、彼は唸って天を見上げる。その様子にコンスタンチノ青年は、その書状の内容があまり面白くないものであることを理解した。
その書状の内容とは…
ーー日本と明の布教に集中をしなさい。ローマ教皇が吉報を心待ちにしておられる。私も東インドのゴアにて、お主らの布教の戦いを督戦しよう。
という、至って簡潔なものであった。
しかしこの内容からは、イエズス会総長の焦りが十分に伝わってくるもので、それがヴァリニャーノの心に重くのしかかったのだ。
「教皇様と何かあったに違いない…
とにかくまずはこの日本の布教をどうにか立て直さねば…」
と、ヴァリニャーノはあらためて気持ちを強くして、再び机に向かったのであった。
………
……
慶長5年(1600年)11月ーー
柳川の激戦が終わりを見たその頃、長崎に到着した全登は、自分の使命を果たすべく、真っ直ぐにヴァリニャーノのいる南蛮寺へと向かった。
大きな扉をぐいっと押すと、ぎいと音を立ててゆっくりと開けられる。
その音に呼応するように、一人の青年…コンスタンチノは扉が開かれたことにより入ってきた光に吸い寄せられるように駆けてきた。
全登はその青年に一つ礼をする。
「それがしは明石ジョアン全登と申す」
するとその青年は目を丸くして、
「あなた様が明石ジョアン様ですか…」
と、出迎えた青年は、全登を見て驚きの表情を浮かべていた。
「…いかにも、それがしは明石ジョアンにございます。しかし、どうしてそれがしの事を?」
「何をおっしゃいますか!二十六聖人様たちを、ここ長崎まで送り届けて、毅然とした態度で処刑を見届けたその勇姿は、日の本の全てのクリスチャンなら存じ上げておられる事でしょう」
「…そうであったか…」
と、全登は気恥ずかしそうに、顔を赤くすると、小さく頭を下げた。
「申し遅れました。私はこの教会の主人でございますヴァリニャーノ様の秘書を仰せつかれております、コンスタンチノと申します。
しかし東国の大戦の後は、宇喜多様のお家から離れたと聞いておりましたが、今はどちらに?」
「今は豊臣秀頼様にお仕えいたしております」
「なんと!あの太閤殿下のご子息にお仕えとは…流石は明石様です」
「いえ、それがしなどは…ところでヴァリニャーノ様にお願いするしたい件があり参りましたのですが、お時間を頂けないでしょうか」
全登の問いかけに、にわかに思案顔を浮かべたコンスタンチノであったが、すぐにもとのにこやかな顔に戻して答えた。
「いかんせんお忙しいお方にございますが、明石ジョアン様がお越しになったということであれば、喜んでその手をお止めになってこちらに来られる事でしょう。
今お声かけいたしますので、少々こちらでお待ちください」
「かたじけない」
全登が深く礼をするやいなや、コンスタンチノは奥の方へと消えていった。
全登は一人その場に残される。
目の前には椅子が何列も続き、この場所で礼拝が行われていることは明白であった。
そしてその先には、一段高くなった祭壇があり、一番奥には大きな十字架が架けられている。
ステンドグラス越しにそこに降り注ぐ光は、まさに幻想的で、全登はそれを見ているだけで心が洗われる気がしてならない。
彼は一番後ろの席に腰をかけると、その場で手を合わせて、それを固く握り締めて、目を閉じた。
「天にまします、我らの父よ…願わくは…」
と、彼は言い慣れた祈りの言葉を口にすると、いつもの通りこの祈りの時間で自分の今までの足跡を、心の内で懺悔する。
彼は元来、人の前に出る事が得意ではない。
それでも人気者で「かぶき者」の花房職秀に憧れを抱くなど、男としての一般的な欲は持ち合わせていた。しかし、彼はその引っ込み思案な性格ゆえに、表立って活動することはなかった。
そんな彼を引き立てたのが、先の彼の主である宇喜多秀家であった。
秀家は全登の、信じたものに対しては、苦難を苦難とも感じることなく、真っすぐに進める心の強さを見出し、彼を若くして筆頭家老に任じて、宇喜多家の一切合財を任せたのである。
――どうして殿は、それがしを死なせてくれなかったのか…
関ヶ原の合戦を振りかえるに至ると、どうしてもその事だけが頭を覆い尽くす。
彼は秀家の楯となって死ぬつもりで合戦に臨んでいたのだが、周囲を敵に囲まれた全登の軍から、それらを引きつけるように、秀家の軍は石田三成の待つ方へと軍を動かしたのである。
結果として、彼の軍は敵からも味方からも孤立する形で、全登が戦場から離脱することが可能となったと言わざるを得ない。
その事が今でも彼の中で灰色の雲となって、覆い尽くしているのであった。
花房職秀との一騎打ちで彼は「巣」から出てきた。そして今、天下一の学府を作る為の大役を担っている。
それでもなお、彼は生き別れとなった主人の事を思い出さない日はない。
なぜなら彼が今こうして「明石全登」として生きていられるのは、宇喜多秀家が差し伸べた手を掴んだその時があったからであった。
――願わくば、お元気でおられますように…
今は行方知れずの秀家に対して、彼が出来る唯一の事が、彼の健康を祈るだけだったのである。
そんな祈りを終えた頃、コンスタンチノが全登の前に戻ってきた。
「お待たせいたしました。ヴァリニャーノ様がお会いになるそうです。執務室までご案内いたしますので、お祈りを終えましたら、どうぞお声かけくださいませ」
「ちょうど今終わったところにございます」
「では、私のあとについてくださいませ」
「かしこまりました」
静かな教会の中に、コツコツと足音が響く。見ればコンスタンチノは見慣れない靴を履いていて、それが教会の床の板を鳴らしているようだ。冬の乾いた空気に、その音は余計に高く感じられる。
祭壇に上がる手前の壁に扉があり、そこをくぐると、その先に薄暗い廊下が続いている。色とりどりのステンドガラスや大きな十字架とは全く異なる、どこかかび臭さも感じる廊下は、教会内で暮らす者たちが、ことのほか質素な暮らしをしていることを示しているようだ。
そしてその廊下の一番奥の部屋に通されると、全登は眼鏡をしたヴァリニャーノがすぐに目に入ってきたのであった。
「やあ、ジョアン。久しぶり。元気そうで何よりだ」
と、ヴァリニャーノは向かっている机から離れると、全登を出迎えるように扉の方へ向かい、全登に椅子にかけるよう促した。
全登は頭を下げると、それに従うように静かに腰をかける。
そして、ヴァリニャーノもまた全登に向き合う形で椅子に腰かけた。
同じイタリア人とは思えないほど、堺で会ったオルガンティノとヴァリニャーノは、その仕草も性格も全く異なっている。
例えるならそれは「陽」と「陰」といったところだろうか。
ヴァリニャーノの放つその重々しい雰囲気に、全登はのまれないように瞳に強い決意の色を映して答えた。
「はい、お久しぶりにございます」
「さて… 見ての通り忙しい身だ。早速用件を聞こうか」
「ありがたきことにございます」
求められるがままに全登は、京での学府建設と研究者集めの件について話し、その上で、その研究者集めに協力して欲しい旨を依頼した。
全登の目を見つめながら、黙って聞いていたヴァリニャーノは、全登が話し終えると、ゆっくりとその重い口を開く。
「ジョアンよ。貧しい民の生活を豊かにするために、学府を建設することは、非常に素晴らしい心掛けだ」
「では!」
と、思わず全登は体を乗り出そうとするが、ヴァリニャーノはそれを片手で制した。
「しかし、民の生活を豊かにするのは、パンや米ではない。
神の言葉である。
身は貧しくとも、心が豊かであれば、人は幸福を感じるものだ。
その為に、主はわれわれに言葉を託したのだ。
人を幸せに導く言葉を…
ジョアンよ。主の言葉を一人でも多くの民に届けることこそ、民を豊かにすることと、心掛けよ」
まるで斬り捨てるようなヴァリニャーノの言葉に、全登は顔を青くして動けなくなってしまった。それは、オルガンティノの懸念通りとは言え、ここまできっぱり断られるとは想定外であったと言えよう。
しかしそれは現在の西欧の事情からしてみれば、言わば「必然」のことだったのである。
それは、ポルトガルの弱体化、スペインの焦りによるフランシスコ会、ドミニコ会の台頭、そして、プロテスタントを信仰するイギリスやオランダの海洋進出と、カトリック教会のイエズス会が「原点回帰」とも言える、信仰主義を押し通して、その布教活動に重きをおかねばならない状況下において、全登の行動主義的な活動は、決して受け入れられるものではなかったのだ。
「しかし…主の教えに従い、民を豊かにするために行動してこそ、その御心にかなうことだと、それがしは思うのです!」
と、全登はそれでもなお、食い下がった。これが彼の強さである。
しかし今、彼が対峙しているのはイエズス会の重鎮とも言えるヴァリニャーノだ。そんな彼の熱意は、彼の心に到底響くものではなかった。
「ジョアンよ。そもそも主の教えの根本は、その弟子を増やし、民に救いの手を差し伸べることだ。
かような問答を私としている暇があるのなら、一人でも多くの民に声をかけよ。
そして戦乱の中にあって、貧困にあえぐ人々に施しを与えることこそ、『行動』とは思えんのか?」
「ヴァリニャーノ様!お言葉ですが、それは違います!
目の前の民を救うことだけが、施しではございません!その民の子供や孫、後に生きる子孫たちを豊かにすることも、施しと言えるのではないでしょうか!
それには今、それがしが与えられる言葉だけでは、足りませぬ。
未来を豊かなものにすることも、救いの手であると、それがしは思うのです!」
自分でも驚くほどに言葉が口をついて出てくる。
話しをし過ぎて口が渇く感覚は、全登にとっては初めての体験で、少し戸惑った。そしてそんな彼が言葉を切ったところで、ヴァリニャーノは相変わらず冷静な言葉で全登に冷水を浴びせる。
「ジョアンよ、落ち着きなさい。
そもそもお前のその考えに賛同してくれる同志が、果たしてどれくらいいるのか?
私は日の本での布教を監督する役目を担っているのだ。
布教とは直接関係のない事に口出しが出来る権限など持ち合わせてはいない。
それに、まずお前の考えに賛同するイエズス会員…いや他の会派の者でも構わないが、彼らをここに連れてきてから、それを許可するか判断を仰ぎにくるのが順序というものだ」
「しかし… その賛同者を得るのに、ヴァリニャーノ様の後ろ盾が必要かと…」
「甘ったれるな、ジョアン。
お前のその考えが正しいと信じているのなら、私の後ろ盾などなくとも、自然と人は集まるであろう。違うか?」
全登の胸に、ヴァリニャーノの正論が突き刺さる。
しかし、アジアのイエズス会の監督者たるヴァリニャーノの後ろ盾なくして、果たしてどれほどの南蛮人たちが、この試みに賛同してくれるだろうか…
しかも悪いことに、仮に集まったところで、さらにヴァリニャーノからの許しが得られなければ、その者たちを学府に招き入れることが叶わないのだ。
全登はあまりの壁の高さに眩暈を覚えた。
――しかしここで立ち止まるわけにはいかない
家族を大坂城にて保護し、大切に扱ってくれている豊臣秀頼に対する恩義に報いるためには、彼は何としてもこの大役を務めなくてはならないと心に誓っていたからであった。
「…では、お望み通りに集めてまいります…
しかし…」
「しかし?」
「もし…それがしの考えに同調した人々が集まったそのあかつきには、彼らに学府で民の為に尽くすことをお許しください」
と、全登は一歩も引かない強い決意を瞳に映して、問いかけた。
だがその瞳にも負けず、ヴァリニャーノは、いなすように答えた。
「その時はイエズス会総長のアクアヴィヴァ様に判断を仰ぐとしよう。
ジョアンよ、その情熱を持って、一人でも多くの民を救わんことを、切に願っておる。
ジョアンに大いなる加護があらんことを…」
と、十字を切るとヴァリニャーノは手を合わせた。その姿に全登は深く頭を下げる。
「…では、これにて失礼いたします」
全登は沈んだ声でそう言い残して部屋をあとにしたのだった。
………
……
一縷の望みも断たれた状況に、南蛮寺を出た全登のその足取りが重い。
冷たい冬の風が彼の頬に容赦なく吹きつけるが、その冷たさよりも、先が見えない状況に、彼の心はこごえていた。
「…いかがしたものか…」
冬の長崎の空は、雲一つなく晴れ渡ってはいるが、その色が全登にとっては、青く映ることはなかったのだった…
アレッサンドロ・ヴァリニャーノは、イエズス会東インド管区の巡察師として活躍した人物になります。
日本における彼の最も大きな功績の一つとして、天正遣欧少年使節団の派遣が挙げられるでしょう。
その使節団の中に、コンスタンチノ・ドラードが随員としておりました。
彼は、欧州訪問の後に、日本に活版印刷の技術を持ち帰ったと言われております。
そしてヴァリニャーノの秘書のような役割を担っていたとのこです。
さて、次回は、絶望の中にある明石全登の前に、救いの手を差し伸べる人が現れます。
果たしてその人物とは!?
これからもよろしくお願いいたします。




