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理想の学府を目指して ⑯苦難の先の福音(2)

◇◇

慶長5年(1600年)10月終わり 堺ーー


京から出立した明石全登は堺の街に到着した。


「相変わらず賑やかな街だ…」


そう街の活気に似つかわしくないように、ぼそりと暗い声で呟いた彼は、早速目的の場所まで急ぐことにした。

彼の目的の場所…それはとある商人の屋敷であった。そこに彼が最初に面会したい人物がしばらく居候していると聞いていたからだ。


「オオー!ジョアン!おひさしぶりデース!」


と、まるで太陽のような明るい声で全登を出迎えた。

ちなみにジョアンというのは、全登の洗礼名である。


「お久しぶりです、オルガンティノ様」


と、両手を広げてハグをしようと待ち構えていたオルガンティノと呼んだ大男に対して、全登はそれに応えることなく深く礼をした。


「オオ…ジョアンはつれないお方デス…」


と、オルガンティノはしょんぼりと肩を落とす。

このオルガンティノという体の大きな男は、イタリア出身でイエズス会に所属している、カトリック教会の宣教師の一人である。1570年に来日すると、その後は京にて宣教活動を続けていた。

持ち前の明るさと、日本人をこよなく愛したその姿勢によって彼は京でも、そして堺においても非常に人気ある人物であった。

明石全登とは彼が洗礼を受けて、キリシタンとなってからの付き合いで、太閤秀吉による二十六聖人の処刑の際に顔を合わせた時以来であった。

そこに、店の主人がにこやかな笑顔で彼らのもとにやってきて、


「相変わらず明石様は真面目ですなぁ」


と、全登とオルガンティノにお茶を差し出した。

この主人もまたキリシタンであり、関ヶ原の戦いの際に、伏見にいたオルガンティノを戦に巻き込まれないようにと、堺に呼び寄せたのであった。


「…かたじけない」


と、全登は、主人に一つお辞儀をする。

すると主人は相変わらずのにこやかな表情で、


「まあ、明石様のそんなところが、みなに信頼されるところなんですがね」


と言い残すと、その場を去っていった。

そして茶にも一つ礼をした全登、それに真似るように大きな背中を丸めて礼をしたオルガンティノは、呼吸を合わせるように茶を一口含んだのだった。


そして全登は姿勢を正して、オルガンティノに向き直ると、オルガンティノもどこか緊張した面持ちで全登を見つめていた。


「オルガンティノ殿に折り入ってお話がございます」


「なんだか怖いデスね…嫌な話でなければよいのデスが…」


と、ゴクリと唾を飲み込む。


その時全登にあの時のオルガンティノの慟哭の様子が頭に浮かんできた。

どんな時でも笑顔を絶やさない彼が、人目を憚らずに大声で泣き声を出したあの時…


ーーフランシスコ会のバテレンどもは、日の本を侵略しようとする、悪い奴らじゃ!

そんな奴らに耳と鼻などいらぬ!削ぎ落としてしまえ!


二十六聖人の耳と鼻を、太閤秀吉の指示でオルガンティノに渡したあの時…


恐らくあの時の事が、オルガンティノの頭に浮かんでいることだろう。

全登は心配させまいと、表情を緩めようと必死に顔の筋肉を動かす。しかし、どうにも上手くいかずに、余計にオルガンティノは怪訝そうな顔になるのだった。


そこで全登は、余計な事を考えるのはやめにして、深く頭を下げると、


「ご協力いただきたい事があるのです」


と、切り出すと、秀頼が建設を進める学府の教授を探しており、それを西欧の高等な教育を修めた者にお願いしたく、その候補集めに協力して欲しい、という旨を話した。


オルガンティノは警戒心はなくなったようだが、今度は困ったような顔を浮かべている。

その様子を見て、全登は想像通りに、それが難儀なことである事を理解した。


「ウーム、それは難しい話デス…」


「…やはりそうですか…」


オルガンティノいわく、宣教師として日本に訪れているイエズス会員のほとんどが、神学や哲学についての造詣は深いものの、医学や農学についての知識を持っているものはごく一部であり、彼らを探すのが難しいこと。そして、何よりもキリスト教の布教を目的として来日している彼らが、宣教とは直接的に関係のない学府に勤めることが考えにくい、とのことだ。


なおオルガンティノ自身は神学なら教たり、研究したりすることは可能だろうが、その他のこととなると、一般的な教養しか持ち合わせておらず、力になることは出来ないと言う。


だがオルガンティノは困っている人を見れば、思わず手を差し伸べてしまう性格の持ち主だ。

全登が困ったようにうなだれている様子に、オルガンティノもまた困った顔をした。


「ジョアン困ってマスネ…なんとか力になりたいデスネ…」


「…いや、これはそれがしの問題にございます。

オルガンティノ様にご迷惑をおかけするわけにはいきませぬ」


とはっきりとした口調で答えると、全登は立ち上がり、その場をあとにしようとした。

それをオルガンティノも立ち上がって引き止める。


「ジョアン、待ってください!最後に一ついいデスカ?」


「なんでございましょう?」


「なぜジョアンは、わざわざ苦労して、秀頼様の理想を叶えようとしているのデスカ?」


全登はその問いかけに対して、鋭い視線で答えた。


「秀頼様の理想である、全ての民を豊かにする事…

それは主の御心にも通じる事だと、それがしは信じておるのです。

ですから苦労だとは思っておりませぬ。

苦難だとも思いませぬ」


オルガンティノはじっと全登を見つめる。

全登はそれに応えるように、彼もまたオルガンティノを見つめていた。


オルガンティノはその瞳の光に、吸い込まれそうな心地になる。全登の言葉に嘘偽りがないこと、そしてそれは自分の利害を度外視した強い決意がうかがえる。


「飢えた者にあなたのパンを施し、苦しむ者の願いを満ち足らせるならば、あなたの光は暗きに輝き、あなたのやみは真昼のようになる…

と、旧訳聖書の一節にありマス。

知に飢えた者に知を与える…

貧しさに苦しむ者たちに潤いで満ち足らせる…

素晴らしい行いデス!

素晴らしいデス!」


オルガンティノは手を叩いた後、全登の肩を抱いた。

驚き言葉を失っている全登に対して、オルガンティノは、


「それがしにも秀頼様のお手伝いをさせてくださーい!」


と、全登の耳元で大きな声を発した。


「しかし、オルガンティノ様には宣教師としてのお仕事が…」


「気にしないでくださーい!

主の御心にかなうことに尽くすことこそ、それがしの大仕事デス!

それにジョアンが西欧から研究者を集めるなら、必ず言葉の壁が出てきまーす!

それをそれがしにお任せくださーい!」


「しかし…」


なおも謙遜する全登に対して、彼から一歩離れたオルガンティノは、今度はそのオルガンティノから全登に頭を下げた。


「われわれ宣教師は、日の本を侵略しにきたわけではない…

そう秀頼様にも、京の皆様にも分かっていただきたいのデス。

もう二度とあのような悲劇が起きないように…」


あのような悲劇…言わずもがな、二十六聖人の処刑のことであろう。その処刑は単に二十六人の尊い命が奪われた、ということではなく、「南蛮の宣教師たちは、日本を侵略しに来ている」という風評を生んだ。

その為、オルガンティノを始めとするイエズス会の面々が、表立って布教活動が出来ないのは、太閤秀吉が禁教令を出したことだけではなく、その風評によるところが大きかったといえよう。

もちろん宣教師たちの全員が純粋な気持ちで来日しているとは思えないのは、オルガンティノも承知の上であった。

それでも彼は、布教に命を懸けていて、純粋な気持ちで日本人に救いを与えんとする同士たちが、いることも承知している。そんな彼らに向かい風となっている風評をどうにかしてあげたい、それはオルガンティノ自身が純粋な気持ちで布教をしてきたからこそ、強く感じるところであったのだった。


全登は、いつになく真剣な面持ちのオルガンティノを見つめると、重い口を開いた。


「オルガンティノ様、お気持ちは嬉しいのですが、そのお話をお受けするわけには参りません」


オルガンティノの表情が驚きに変わった。

悪い話ではないはずで、断られるとは思っていなかったからだ。

そんなオルガンティノの様子を見て、全登はその理由を述べた。


「先ほどのお話ですと、イエズス会の方々は、この話に良い顔はしないことでしょう。

しかしそれでもそれがしは成し遂げねばならないのです。

すなわち他の会派の方々にも協力を仰がねばならないと思っておりますゆえ、オルガンティノ様がそれがしに協力するということは、オルガンティノ様自身の行動がイエズス会のお考えに反してしまうかも知れないのです」


全登の言葉にオルガンティノの口から言葉が出ない。

既に齢六十を超え、悠々自適な余生を過ごしている彼に対して、余計な苦労と心労をかけさせたくない、というのが全登の想いであった。

もちろんイエズス会が協力的であったならば、喜んで力を貸して欲しかったというのが本音ではあったが、非協力的と知った今、彼とイエズス会に軋轢が生まれるような危ない橋を共に渡らせるわけにはいかなかったのだ。


全登は一礼をすると、


「ではそれがしは長崎の方へ行って、巡察師のヴァリニャーノ様に掛け合ってみます」


と、言い残しその場をあとにした。



一人部屋に残されたオルガンティノは動くこともかなわず、どうしようもない無力感に打ちひしがれていた。


「それがしの人生…ままならぬことばかりデス…」


彼はそう漏らすと一筋の涙で頬を濡らした。

今でこそ明るく振舞っている彼であるが、その人生は波乱万丈であった。京での布教に苦心したこと、彼が設立した神学校が取り壊しになったことなど、様々な苦い経験が、彼の胸の内に思い出される。


そして…


彼の人生において、最も彼に自身の力の無力さを痛感させたこと…


それは、神学校の取り壊しでも、二十六聖人の処刑の事でもないのだが、その事が彼の心を、さながら鉄の鎖のようなものが巻きついているのだ。


それは、明るく振る舞えば振る舞うほど、それは心に食い込むように、ぎりぎりと締め上げてくるのだった。


そして今、彼はあの時と同じような無力さを感じている。


「これではあの時と同じではないか…」


オルガンティノは一人のまま、辺りはすっかり暗い。

今頃全登は既に船の上であろう…


しかし、恐らくその先には希望はないはずだ。


「また繰り返すのか…」


そんな風に彼は虚しさだけを抱えたまま、その日の夜は更けていくのだった。




グネッキ・ソルディ・オルガンティノは、イタリア人の宣教師です。


1570年に来日すると、織田信長や豊臣秀吉と、時の権力者たちとも上手く渡り歩き、約三十年にわたって戦乱の世にあって、布教に力を尽くした人になります。


さて、次回はそのオルガンティノを縛り続ける事とは何か。そして長崎で全登を待ち受ける運命とは…?


どうぞこれからもよろしくお願いします。


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