理想の学府を目指して⑥格の違い
◇◇
学府と寺子屋の建設の事は、徳川家康の知るところにはあったが、彼は既に娘婿の奥平信昌を京都所司代に命じて、その監視の目を光らせており、特に不穏な動きがなければ、ある程度は好き勝手やらせておくつもりであった。
それは、もしこの学府に関わる者の誰かが、何か騒動でも起こそうものなら、それはそのまま豊臣家の責任と言え、彼らの影響力をさらに弱めることにつながる可能性がありからだ。むしろ家康にとっては都合が良いと思えるが、それはあくまで取って付けたような名目上の理由で、実情は家康自身がこの頃多忙を極め、政治や軍事、対外貿易など、直接的に天下に影響を及ぼす動き以外に気を取られる事が出来なかったのである。
つまり家康は、秀頼の号令で作られる学府と寺子屋については、さしたる影響はないだろう、と考えていたのであった。
しかし、慶長5年(1600年)11月に入り、いよいよ冬の寒さが身にしみる頃に差しかかると、本多正純より「学府建設に不穏な動きあり」との報告を受けた家康は、渋々その件に当たらざるを得なくなってしまった。
だが、冬の寒さが初老の腰に痛く響いているのか、それでも家康がその事に着手するまでに時間を要した。
それは、遠い九州において、柳川城攻略に鍋島直茂が失敗した上、島津の仕置きもままならい状況であり、さらに土佐においてはなおも長宗我部の家臣と一領具足たちが抵抗を続けている中にあって、足元とも言える大坂と京における火種については、よほど大きいものでない限りは、その神経を費やしたくない、というのが家康の本音だったわけである。
後に東照大権現として神と祀られる家康であったが、生前はそれでも一人の人間であり、全てにおいて細かく気を払うことは、不可能だったのだ。
慶長5年11月終わり、ようやく重い腰を上げた家康は、本多正純の進言通りに、京で学府の建設の総指揮にあたっている石田宗應を、大坂城の西の丸に呼び出して、尋問することにしたのだった。
………
……
家康が面会する部屋に入った頃には、本多正純と石田宗應の二人は既に着席していた。
正純の顔つきは以前にも増して、どこか鋭くなっているのが、家康には危うく感じられて仕方ない。家康が人間であるように、正純もまた人間だ。太閤秀吉が存命のうちまでは江戸の事に集中していた彼も、今や全国の大名たちの仕置きと、各大名の転封後の領地運営を補佐する立場にある。つまり徳川家の顔となって、各大名たちの陳情処理などを一手に担っているのだ。肉体的にも精神的にも相当疲れが出ている頃であろうと、家康は正純に対して、ある種の同情の念を抱いていた。
一方の石田宗應は、その静かなたたずまいを見れば、戦前の「石田三成」とは全く異なる人物のように思えた。
彼の場合は、正純とは立場が真逆になったと言える。
すなわち、豊臣家の全てを一手に担っていた立場から、今は京の一か所で学府の運営を担っているのだ。その規模も責任の重さも天と地ほどの差異があるとしか思えない。
しかし、その責任の重さが軽くなったのとは反比例するように、石田宗應という人物には、重みが増したように思えるのは、単に彼が髪を剃り、僧侶の格好をしているからだけとは、どうにも思えないのであった。
――やはり大きな挫折を経験してから立ち上がった人間の重みは、成功だけを積み重ねてきて、己の能力を過信する人間とは全く異なるものよ…
と、正純と宗應を見比べて、家康はため息をつかざるを得ないのであった。
さて、本題とは大きく異なる逡巡を家康がしているうちに、正純の突き刺さるような棘のある口調で宗應への尋問が始まった。
「宗應殿に来ていただいたのは他でもない、今お主が建設を指揮している学府と寺子屋の件である」
一方の宗應は穏やかな風に揺らぐ柳のように、柔らかな口調で返事をしている。
「左様でございましたか…何か不都合な事でもおありでしょうか?」
「白々しいですぞ、宗應殿。その建設に、お主とともに徳川内府殿に刃を向けた長宗我部盛親殿が大岩祐夢と名前を変えて潜んでいるというではないか?」
正純の挑発的な言葉にも、宗應の口調は全く変わらない。家康はその二人の様子を黙って見つめていた。
「ふふ、潜んでいる、とは人聞きがお悪いようです。
大岩殿は寺子屋の師匠を募集したところ、名乗りを挙げていただいたお方で、拙僧の方から、ご協力をお願いさせていただいた次第でございます。
決して潜んでおられる訳ではございませぬ」
「ほう、お主の方から協力を頼みこんだと申すか?」
「左様にございます」
「では、天下の大罪人のお主が、同じく大罪人の盛親殿を抱え込んで、建造物を作っているという訳ですな。
しかもその人足は、改易となった長宗我部家の元家臣たちと、一領具足たちがあたっていると言うではないか」
「それが、何か徳川殿に不都合でもおありでしょうか?」
先ほどから全く変わらない口調と表情の宗應に対して、正純の澄まし顔も全く変わらない。しかし、表情は繕えど、その瞳の色まではなかなか繕えるものではない。
正純の瞳には、明らかな憤りと焦りが浮き彫りとなっていった。
「罪人同士が一か所に集まるだけでも不穏であるのに、さらに何か作っているとなると、再び天下に反逆の意志あり、と捉えられても不思議ではあるまい!
何を企んでいるのか、ここで殿に打ち明けていただこう!」
正純の突き刺すような口調に、家康の視線が正純の瞳へと移る。
その瞳を見た家康は、ふうとため息をついた。
そのため息を聞いて、今度は宗應が家康を見る。そして彼は、口元に笑みすら浮かべて、正純の尋問に申し開きをした。
「先にお伝えした通り、学府と寺子屋を建設いたしております。
人足については、確かに長宗我部家の元家臣たちや、一領具足の者たちもおりますが、彼らだけではなく、こたびの戦で牢人となった者たちが多数含まれております。
ただし、拙僧も含めて、この普請にあたっている者たちの目付として、徳川殿の譜代の家臣でございます、本多忠勝様や井伊直政様の家中の方にお越しいただいております。
ついては、拙僧らが何か悪だくみをしようものなら、たちまち徳川内府殿と本多正純殿のお耳に入ることでしょう。
いかがでしょう、彼らの口から直接そのような風聞が語られましたでしょうか」
宗應の瞳に強いものが宿る。
それは、彼の問いかけに「答えよ」と正純に強く迫っているようで、正純は思わず口を開いた。
「そのような事は耳にした覚えはござらぬ。されど、彼らの目を盗み、悪だくみを画策していてもおかしくはあるまい」
正純はあくまで宗應が何かを企んでいるとしたいのであろう、宗應の言葉にも一歩も引かずにそう決めつけた。彼は確たる証拠がなくとも、宗應に不利な状況に追い込むことで、沙汰を下す家康に、宗應が有罪である事を印象づけようと試みているのであった。
だが、その事は当の家康も、そして宗應すらも既に見抜いている。
それほどまでに、今回の正純の攻め口は甘く、用意が足りないことを露呈していたのだ。
宗應は「仕方あるまい」とでも言うように、同情の目を正純に向けると、
「拙僧が何を申し上げても、その裏を探られてしまうのは、拙僧の不徳のいたすところにございます。
では、ここに証人をお呼びする事を、お許しいただけますでしょうか」
と、家康に向かって頭を下げた。
家康は考える間もなく、
「ふむ。好きにいたせ」
と、それを許す。そして宗應は一旦その場を離れて、しばらくの後、一人の男を連れて部屋に入ってきた。
「ほう…」
と、家康の口から思わず驚きの声が漏れる。その一方で、正純の澄まし顔からは、明らかに血の気が引いていった。
その男とは…
京都所司代の奥平信昌であった。
彼は徳川家康の長女である亀姫を正室に迎えている、言わば徳川家の身内であったのだ。その彼が、なんと先日までは徳川の敵とも言える宗應の証人として現れたのである。
家康もこの人選には、感嘆せざるを得なかった。
なぜなら、家康の身内とも言える彼の言葉であれば、徳川側としては「正」とせざるを得ない。さらに言えば、彼を証人として連れてきた時点で、宗應は「潔白」であると示しているようなものであった。
この事が表すこと…
それはこの後、宗應による正純への徹底的かつ防ぎようのない、苛烈な反撃が始まることを意味していた…
そして宗應はこれまで通りの穏やかな口調で、それを始めた。
「まず奥平殿、お忙しい中お越しいただき、ありがたきことにございます」
信昌は頭を下げる宗應に対して、実直な性格をそのままに、頭を下げて答えた。
「いや、何をおっしゃるか!
宗應殿がいらぬ疑いをかけられていると聞いて、それがしの方から同席をお願いしたのではございませぬか!」
本来であれば、家康はこの時点で信昌の言葉を止めることも出来た。いや、むしろ信昌がこの部屋に入ってきた時点で、沙汰を下しても、不自然ではなかったのだ。それは将棋に例えるなら「詰み」とも言える状態だったからだ。
しかし家康はそうしなかった。
なぜならそれは正純に経験させたからに他ならない。
負け戦というものを…
宗應が何か言い出す前に、信昌が家康に対して頭を下げて訴え始める。
「殿!こちらの宗應殿には何の疑いもございませぬ!
それどころか、戦の後の京の町に活気を呼び戻し、さらに近頃増えていた野盗たちまでめっきり姿が見えなくなる始末!
どうか引き続き、宗應殿に学府と寺子屋の建設をお許し下され!」
ここから先は、宗應の代わりに家康が信昌を問いただし始めた。なぜならこれ以上宗應に主導権を握られては、正純に立ち直れないほどの打撃を与えかねないからだ。しかしそれでも家康は尋問を止めることだけはしなかった。それが正純にとっての良い薬となると信じていたからである。
「京に活気…とな?」
「はい!豊臣秀頼様の『民の生活を豊かにする為の学府と寺子屋作り』という高い志のもと、活力溢れる人足たちの活気が、町民たちに移っているようにございます。
彼らに対する人足料はそのまま、町の食事処や宿屋に落とされ、町の皆を潤しております。
わずか一ヶ月のうちにございますが、町民たちの顔つきが明るくなったことに、それがしも嬉しく思っております」
「ふむ…それに野盗も減ったのか?」
「はい!一領具足たちやその他の屈強な牢人たちが町を時折歩いておるゆえ、野盗たちも恐れをなしたようにございます」
「しかし、その牢人たちが狼藉を働くこともあろう」
「いや!何をおっしゃいますか!
牢人たちは宗應殿や、大岩殿、そして大崎玄蕃殿が目付けとなり、厳しい戒律をもって行動しております。
彼らは狼藉どころか、余計な遊びにも手を出しませぬ」
「それでは素行は良いというのだな?」
「はい!それがし京の警備にあたっている者たちも、助かっております!」
「ふむ…では、その学府と寺子屋の方はどうだ?怪しい物を造っているのではあるまいな?」
「いえ!そうとは思えませぬ!
建築中であっても出来た建物は『天下万民のものである』との宗應殿のお達しのもと、町民も含めて、皆に解放されております。
一領具足たちの武器庫だけは固く施錠されておりますが、それは裏を返せば彼らすら武器を取り出すことが出来ないことを意味しております。
町民の皆全員が安心してその建築を見て、近い将来世の中の為になる研究を望んでおられます!」
一気にここまで問答を終えると、家康は傍らの正純に視線を移す。その彼は相変わらずの澄まし顔で信昌を見つめている。しかしその瞳にもはや色はなかった。
ーーこれで少しは己の過信も挫かれたことであろう…
と、家康は自分の胸が痛むのを堪えながら、今度は正純から宗應に目を移した。宗應の方は、全く変わらぬ穏やかな表情。それは最初から勝敗が分かっていたからであろうか…
ーー格が違う…この男…もったいないのう…
抑えきれない欲求が胸をうずき出す前に、家康はその場を締めくくったのだった。
「うむ、もうよかろう。婿殿よ、ご苦労であった」
「はっ!では、それがしはこれにて失礼いたします!」
と、信昌は最後まではきはきした声で、退出していった。それを確認した家康は、次に宗應に向き合うと、
「宗應よ。こたびの件、いらぬ疑いをかけてしもうて、すまなかった。
このまま秀頼様のご意向に従って、立派な学府と寺子屋を建てるとよい」
「御意にございます」
「では、これにてこの件は決着といたそう。よいな?正純」
「…仰せのままに…」
と、正純は絞り出すように言って、頭を下げる。
その様子に家康はいたたまれなくなり、すぐに腰を上げて部屋を出ようとしたのだった。
しかし…
宗應は、相変わらずのんびりとした口調で、家康を引き止めた。
「内府殿。一つだけお許しを得たい事がございます」
この言葉に家康の心が少しだけざわめいたのは、何か嫌な予感がしてならなかったのである。
「なんだ?申してみよ」
「ここにおられる本多殿からの書により、恐れおののいた土佐の一領具足たちが、今も途切れる事なく大坂に逃れてきております。
つきましては彼らに新たに耕す土地を与える為に、茶臼山の南にある、長居という地に新たに田畑を作りたいと思っております」
土佐からの移民が大坂に後を立たないのは、家康も知るところであったし、そんな彼らに秀頼の領地である摂津の国の中で新たに田畑を作ることも、特に家康の許可など必要ないであろう。
家康は宗應の真意を図りかねていた。
そんな風に不思議そうな目を向ける家康の視線など、あまり気にとめる様子もなく、宗應は続けた。
「しかしご存知の通り、一領具足たちは武器と鎧を持つことに誇りを持った、言わば厄介者にございます」
「ふむ、そうだのう…」
「そこで彼らの武器と鎧を取り上げるにあたり、京と同じく、『保管』という名目を取らせていただきたいのですが、その保管場所に困っているのです。
いかがいたしましょう」
何か企んでいるのか…
しかしそれに深入りして付き合っている暇など、家康にはない。宗應もそれを分かっての質問であろう。
であれば、家康は彼の素直な意見を述べるより選択肢はなかったのだ。
「それも京と同じく、近くで厳重に保管すればよかろう」
その意見を聞いた瞬間…
本当に刹那的に…
宗應の口もとが不気味なほどに、その口角を上げた。
家康に「しまった」と、心の内で舌打ちをする。
そう、宗應がわざわざ正純の「稚拙」とも言える行事に付き合った理由…
それは家康の「厳重に保管」の言葉を引き出す為…
そのたった一言を彼の口から言わせる事が、最大であり、唯一の目的だったのだ。
その事に、家康はすぐに気づいた。
しかし後悔は先に立たず。
宗應は、家康の言葉を繰り返すように、彼に念押しをしたのだった。
「御意にございます。
では、『厳重に』武器を保管いたすことにしますゆえ、彼らの田畑の近く…
そうそう既に廃城となっている新堀城を、武器庫として改築し、彼らを見張る為に、城内の櫓も復旧いたします。
新堀城であれば、その堀もしっかりとしており、警備が『厳重』となりますゆえ、もってこいにございます」
「ふむ。秀頼様のお国の事だ。秀頼様のお許しがあれば、勝手にいたせ。ただし余計な事はしてくれるなよ…」
と言って、そのまま部屋をあとにしたのだった。
だが、それは「大坂城の弱点」とされた南側の防御の為の支城と言える存在となるのだが、この時に大坂城攻めを想定していない家康にとっては、到底分かるはずもない真意だったのである。
そしてこの「武器庫」となる新堀城の縄張りの作成には、城造りの天才、加藤清正が担い、その守りには、籠城の鬼、桂広繁が担うこととなる。
さらに言ってしまえば、田畑を耕す一領具足たちはそのまま「武器庫」を守る兵となるのであった。
そしてこの「武器庫」は、城ではなく、あくまで蔵としてこの時点で認められている。
すなわち、それは城の跡地に造られるとは言え、城ではないので、徳川に警戒させない為の口実であったのだった。
この取り付けは、大坂城の南側の防御を、後に造られる真田丸と合わせて、大幅に高めることを意図した秀頼からの指示であった。
「では、拙僧は京に戻らせていただきます」
宗應はそう言って席を立つと、未だに呆然としている正純の耳元で
「内府殿へのお取次、ご苦労さま」
と、ささやいて、彼の肩をぽんと一つ叩いた。
それはまるで大名が家臣の労をねぎらうように…
その仕草に正純の額にはくっきりと青筋が浮かび、瞳は屈辱のあまりに真っ赤に血走っていた。
そんな彼をにこやかな表情で見た宗應は、どこまでも優しい声で彼に、
「かなりお疲れのご様子。たまには休まれた方が、身の為でございますよ」
と言い残すと、一礼して部屋を出ていったのであった。
………
……
家康は自室に戻ると、机の上にある沙汰を待つ書状の山に目をくれて、深いため息をつく。そして重い腰を下ろすと、宗應と信昌の言葉を噛みしめるように思い起こしていた。
「京に活気が出てきた…か…」
すると、彼の胸の内に、若い頃のような何か熱いものがこみ上げると、自然と心が踊り、笑みがこぼれる。
その時まず浮かんだのは、落ち着きを払った宗應の穏やかな顔。
「今までが伏龍であった…というわけか…」
そして…
まだ幼く頼りないとしか言えない豊臣秀頼の幼顔。
「全ての民の生活を豊かに…
ふむ、なかなか殊勝な志しだのう…」
この二人の存在が家康の心の内では、彼と面と向かって迫っているようであった。
そしてその姿が大きくなるにつれて、彼の身も心も若返ってくるような気がしてならないのだった。
「こちらもうかうかしておられんのう」
と、独り言をつぶやくと、彼は疲れを忘れて、机の書状の処理に取り掛かった。
しかししばらくした後、一つ何かを思い出したように、ふと走らせる筆を止めると、真新しい紙を手に取り、すらすらと何か書き留めた。
「誰かおるか?」
「はっ!」
と、家康の呼びかけに、部屋の外から近侍が返事をする。
「これを板倉勝重に渡してくれ。そしてこっちは奥平信昌に。
両者に家康からくれぐれもよろしくと、伝えるのだぞ」
「御意!」
と、近侍の者が二通の書状を受け取って、その場を後にした。
その書状の内容は…
ーー京都所司代を奥平信昌から板倉勝重に変更する
というものであった。
「一度朱色に染まった布を、再び白くすることは難しいからのう…」
と、少しだけ無念そうにつぶやいたのだが、その後すぐに、家康は高ぶる興奮を抑えきれないのか、頬を赤らめて明るい表情で天を仰いだのだった。
………
……
その一方…いまだ会見の部屋から動けないでいるのは、本多正純。
彼は屈辱の泥にまみれたまま、じっと座っていた。
少しでも動こうものなら、暴れ出しかねないほどに、彼の心の内は乱れに乱れていたのである。そしてその奥にある悔しさから目を離すのに必死であった。
彼にとってこの会見は「完敗」と言え、その高い鼻っ柱は完膚無きまで叩き折られた。
だが、家康の思惑とは大きく異なり、彼の屈辱はその行き場を憎悪へと変えてしまったのは、彼の器がそこまでであったという事なのかもしれない。
その憎悪の矛先は…
「石田宗應… 奥平信昌… そして… 豊臣秀頼…」
このうち、秀頼と宗應に向けられる敵意は「外向き」とも言える為、まだ許されるものかもしれない。
ただ、奥平信昌という「内向き」に向けてしまったことは、彼と本多家にとっては致命的な失態となる。
それは…徳川家康すらも生涯を通して決して触れなかった『禁断の逆鱗』を、彼は事もあろうことか、土足で踏みにじることになるのだが…
それはまだ先の話である…
………
……
さて石田宗應の方は、長居における田畑の拡大と、新堀城跡に武器庫建設の了承を得たことを秀頼に報告しに行く為に、大坂城の本丸へと向かうこととしていた。
そこに、外で待機していた大崎玄蕃と合流する。
彼の事を聞きつけた秀頼が、是非頼みたいことがある、とのことで宗應とともに大坂城まで来ていたのであった。
「では、参りましょうか」
と、宗應は柔らかな声で促すと、玄蕃とともに本丸の門の中に消えていったのであった。
長居にあった新堀城は、もとは石山本願寺の支城であり、東の高屋城との連携においても重要な役割を担っていたのではないかと、私は思っております。
大坂冬の陣において、家康が陣を敷いた茶臼山の南に位置したこの場所に強固な砦があれば…
と素人なりの想像が膨らみましたので、ここに「武器庫」という名の砦を築くことにいたしました。
そして本多正純が踏みにじる『禁断の逆鱗』とは…
奥平信昌にゆかりがあるという事で、既にお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、その逆鱗に触れたことで、本多家の没落が決定的となったと言ってもよいのではないかと私は思っているのです…
さて、次回は秀頼と宗應、玄蕃の面会のシーンからになります。
これからもよろしくお願いいたします。




