脱出作戦④『過ぎる』男たち
◇◇
浅野幸長という武将は、何を持っても「やり過ぎる」節のある人であった。
一度父親がわりである太閤秀吉から能登に蟄居を命じられたこともあり、その名目は太閤に謀反の疑惑をかけられて、自刃に追い込まれた豊臣秀次の罪の連座とされている。
というのも、彼の正室と秀次の正室が姉妹であり、秀次と昵懇の仲であったことを疑われた為とされたのだが、実のところその原因は全く別であり、それは秀次の作った連判書であった。
なんとそこには幸長の名前が記されており、秀吉の怒りを買ったわけである。
しかしそれは幸長本人によるものではなく、元家臣が、幸長を陥れる為に偽造したものであったらしい。
では、なぜその元家臣は幸長を陥れようとしたのか。
それは至って単純なもので、「浅野幸長が憎い」という感情からであった。
その元家臣は幸長の逆鱗に触れたことで、彼から苛烈に追い込まれた。すなわち幸長はその元家臣を「追いこみ過ぎた」のである。その結果彼は出奔し、それを仇で返したという訳だ。
またそれまで仲の良かった伊達政宗とも、幸長が頑なな態度を取り過ぎて仲違いをしたり、朝鮮の役においては、次から次へと敵将を討ち果たすも、敵陣に深入りし過ぎて、逆に窮地に追い込まれたり…と、後にも先にも、一度心のたがが外れると、度が過ぎるほどにやり過ぎてしまう癖があったのだった。
そして今、徳川家康の本意が垣間見える書を見た時、彼の心の中で外してはならないたがが音を立てて外れてしまった。
それは彼が今後とことん家康と対峙していくことを意味していたのだ。
そこにはもはや利害を超えた何かが存在しており、それは亡き太閤秀吉が遺した大切な何かを守りたいという正義の心のようなものだったと思われる。
そして隣にいる福島正則にとっても同じ事が言えた。
だが、黒田如水はそんな忠義心溢れる彼らに対してであったも、豊臣秀頼の「中身」が未来からやってきた少年であり、この後の未来を見通すことが出来る事実は伏せておいた。
なぜならこの話がどこからどう漏れるかが分からず、万が一徳川家康の耳に入りでもしたら、一大事となると思われたからだ。
「では、お主らは今後何かあった時は、秀頼殿のために駆けつけてくれるな?」
と、如水は二人にその覚悟を問いかけた。
「当たり前だ!!徳川家康め!謀りおったな!」
と、正則が興奮気味に大声をあげれば、
「許さん…何が『秀頼公の御為』だ」
と、幸長は怒りのあまりに声が逆に小さくなっていたのであった。
「よし、では今宵はこの話はここまでじゃ。
今後お主らに力を貸して欲しい時には、虎之助から話があるであろう。その時まではくれぐれも軽はずみに事を起こすでないぞ」
と、如水が念を押したのは、ひとえに彼らは何かにつけて真っ直ぐに突き進み過ぎるきらいがあるからで、特に浅野幸長には注意を払っておかねばならぬと考えていた。
福島正則の方はとても素直な性格であり、命じられた事を素直に受け入れ、それを実行するだけの大きな度量があるから、この念押しで十分であると如水は思っていた。
しかし幸長はそうはいかない。
もちろんそれは清正や正則と比べると彼が若いという年齢的な部分もあるのは確かだ。だがそれ以上に、一度心のたがが外れてしまうと何をしでかすか分からない危険性をはらんでいるからである。
三日前に清正より、正則と幸長の名前が挙がった時は、正直言って如水は迷った。
もちろん大事を打ち明けた後の影響を考えてのことだ。
なぜなら「徳川家康との大げんか」には、一度の失敗も許されないと考えていたからであり、もし打ち明けたうちのどちらかが失態をおかし、家康に大なたを振るう格好の言い分を与えてしまったなら、たちまち豊臣家は窮地に立たされるに違いない。
それだけは避けなくてはならなかった。
それほどまでに家康は急速に力をつけており、もはや豊臣家は濁流の中に立つ一本の細木のような存在であった。
それでも如水は、その細木が時代の濁流に飲まれることなく、立派な大木となる事に賭けていた。
それは豊臣秀頼の「未来を知る知識」という実利だけのことではない。
亡き太閤秀吉が見た夢の続きを、軍師として常に傍らにいた自分がかなえなくてはならない、という使命感によるところが大きかった。
そんな状況であることから、彼は慎重過ぎると思われるほどに、慎重に一手一手を打っていったのである。
だが、同時に彼は焦りも感じていた。
ーーのんびりなどしていられないのだ…
そう、慎重に事は運ばねばならないが、時間をかけて進める事は、彼には許されなかった。
それは史実が全て物語っているはずだ。
わずか三年後に病によって生涯を閉じる彼の運命を…
そしてその事は、如水をいつの間にか「急ぎ過ぎる」結果へと導いていく。
この先、幸長の「やり過ぎ」と、如水の「急ぎ過ぎ」は、「過酷過ぎる」運命へと秀頼を導く事になるのだが、この時すでにその運命の歯車は、その歯をしっかりと噛み合わせ、ゆっくりと動き出してしまったのだった。
◇◇
九度山を含む紀伊国を治める浅野幸長を調略した後にあって、黒田如水が真田親子に会いにいくのは、さほど難しいことではなかった。
あえて言えば、麓にある村とはいえ山道を行かねばならぬことが、少し体にこたえることであろう。
しかし彼はその体をどれだけ削ることになろうとも、足を止めるわけにはいかなかったのは、先ほどの通りである。
そんな彼が訪れてきた後、真田親子は久々に酒を二人だけで囲っていた。
幽閉されている身であり、酒を飲むことなどあまり喜ばしいものではないのは、親子ともに承知している。それに彼らは仮に酒を飲むことを許されても、そのような気分になれなかったのだ。
ただ実際のところ、屋敷内での飲み食いに関する監視や締めつけは特になく、手に入るものであれば何でも口にすることは許されていた。
だが、わずかな仕送りの中で屋敷内にいる人々を食いつなぐことは容易なことではなく、酒を買う余裕などなかった。
今、こうして酒を囲っているのは、何か特別な祝い事があった際に開ける予定であった酒樽を開けてのことであったのだ。
話を切り出したのは、息子である信繁の方であった。
「いよいよ徳川内府殿がご覚悟を決めたようにございますね」
ちらりと横目で信繁を見た昌幸は、肩を落として吐き出すように言った。
「あの男は最初からこうなる事を見込んでいたのだ。今さら話題にするような事ではない」
穏やかな微笑みを携えた信繁は、その表情を変えずに父に問いかけた。
「ほう…最初から…とはいつからでございましょう?」
昌幸は酒のつまみを嚙りながら、息子の問いかけにぼそりと答えた。
「最初からじゃよ…最初から…」
「その最初から…とは、太閤殿下がお亡くなりになられた頃からでしょうか?」
「もっと前じゃ」
「はて…では、織田信長公が本能寺にて討たれてからにございましょうか?」
「もうよい…徳川家康という男が作られたのは、信玄公に完膚なきまで叩きのめされた時からじゃ。
あの時が、『最初』と言えよう」
「なんと…それは随分と辛抱強過ぎるお方ですな、徳川内府殿は…」
そう表情を全く変えずに、言葉だけでは驚嘆する信繁。昌幸はそんな息子を見て、口もとを緩める。
「勘違いをするでない。奴は辛抱などしておらん。
『時代』という名の馬にまたがり、実にのんびりとその歩みを進めていたまでのこと」
「なるほど…無理せず、急がず、といったところでしょうか」
「その通り。馬に乗る極意とも言えよう。
あまり最初から無理をさせると、言うことを聞かんわ、すぐに汗をかいて走らなくなるわで、全く進まなくなる」
「確かに遠駆けした時に、それで苦い思いをしたことがございます」
「馬の腹を蹴るその時を見極める…これが出来ぬ者に、天下を治める器などない。
もっとも騎乗している馬が名馬であるかないかは、くじ引きのようなものだ」
「では、父上は、外れくじを引いた…と」
心なしか信繁の微笑みの口角が上がったような気がして、昌幸は眉をしかめた。
「まあ、そんなところだ。わしとて当たりを引いておれば、徳川ごときに、このような山中に流される事などなかったわ」
「ふふ、命があっただけ、当たりというものです」
昌幸はそう微笑む信繁を見て、体の向きを彼の方へと向けた。
何か大事を打ち明けそうなその雰囲気に、信繁の身が引き締まる。
「とにかく、『時代』という馬を遠くまで駆けさせるには、その腹の蹴りどころを見間違ってはならぬ。
源二郎、それを絶対に忘れてはならんぞ」
「かしこまりました。よくこの身に覚えさせまする。
ところで父上。そのような話をされるという事は、父上にその腹の蹴りどころが巡ってきたという事でしょうか?」
無論、信繁が『蹴りどころ』と称したのは、如水の来訪の事を言っていることは明白であり、如水の誘いに乗って九度山を脱出して、徳川と対峙していくものだと信繁は思っていた。
しかし昌幸は首を横に振った。
「源二郎!わしはそんなに安い男ではない!」
この強い言葉にはさすがの信繁もその表情を変えて驚いた。
「父上!?それはどういう…」
「はん!言葉の通りよ、源二郎。
わしを舐めてもらっては困るというものだ!」
「それでは黒田殿のお誘いには乗らない、という事にございますか?」
その言葉にも、昌幸は首を横に振った。
「そうは言っておらん。わしとて、こんな隙間風がふくようなボロ屋敷からは早く出たい」
「では、黒田殿の話に乗った後に慎重に動くという事でしょうか?」
「馬鹿者!ここを出た後、のんびりしとったら、徳川に見つかって、次こそは本当に死罪であろう。
そうではない!黒田の話には、乗るだけの値打ちがあるかを見極めてから乗る、ということだ」
「…ということは、その値をつり上げるだけ上げておいてから、乗る…と?」
その信繁の問いかけに、昌幸はニンマリと笑みを浮かべる。
「その通りだ!わしは決して自分を安くは売らんぞ!どれだけの値を出してくるか…楽しみだ!ははは!」
本当に久しぶりに、心の底から笑っている父を見た…
それだけで信繁は十分に満たされると、自然と彼にも笑みがこぼれる。
信繁にとっては、例え生活が貧しくとも、心が貧しくなければ、それで十分であり、それ以上の何物も望まなかった。
父が笑い、妻や子供たちが笑う。
大坂城にいるであろう、秀頼様も笑っておられるだろうか…
ふと頭をよぎったのは、『握手』をして別れたあの時だった。
もう一度会って話がしたくなるような、不思議な魅力を持った方であったように思えて、もし叶うなら、一日でもよいから自分もこの九度山から脱出して、大坂城に入ることが出来たら…
そう思えてならなかったのだった。
そして彼の脳裏にもう一人の人物がよぎる…
表情は穏やかでも、なぜかその瞳の奥には孤独と寂しさを宿したその女性――
その女性の瞳に、信繁はいつも吸い込まれそうになっていた。
そして今、脳裏に浮かんだその顔の瞳を見ただけでも、意識が遠のくような不思議な感覚に陥る。
信繁はその瞳に恐怖していた。
しかし、同時にその瞳を求めてもいた。
それゆえであったのか思わず言葉が漏れる。
「あのお方も笑っておられるだろうか…」
二人に酒を運んできた、彼の正室…すなわち大谷吉継の娘が、その信繁の言葉を聞いて、
「あら、信繁様。なんだか鼻の下が伸びているようにございますが?」
と、言葉穏やかではあったがその目を鋭くして指摘した。
「ややっ!?そ、そんなことなどない!」
いつもの冷静沈着な彼とは思えない狼狽ぶりに、昌幸が大きな声で笑う。
「ははは!源二郎も男になったものよのう!」
「父上!違います!」
「よいよい!今宵は気分がよい!もう少しだけ、酒を口にしようではないか!」
言葉の上では否定をしていた信繁であったが、心の中ではなお、その女性の優しくもあり、妖しくもある笑顔が離れないでいた。
そしてその事は、彼の大坂城への想いを強くする。
だがもし彼が、この先に彼を待つ「壮絶過ぎる」運命を知ったなら、同じように脱出を望んだであろうか…
無論そんなことなど、知るよしもなく、彼は引き続き大坂城の風景を心に描きながら、久々に旨い酒を口にしていたのであった。
ばらばらと種をまいた回で、あまり動きなく失礼いたしました。
史実における浅野幸長という人物の人物像が意外と掴みづらかったので、表現に苦労いたしました。
(結果、完全にフィクションとなり、彼のファンの方々には申し訳なく思います)
また、真田信繁の正室で、大谷吉継の娘の本名は、未だに不明なようで、小説によって異なるようで、たったワンシーンでの登場ではありましたが、その表現に困った次第にございます。
七星の一人である大谷吉治とは兄妹となりますので、今後絡みが出てくるかもしれません。
さて、次回は黒田如水と真田昌幸の対談が中心のお話になります。
加えまして、今後もしばらくは「種をまく」話が多くなるかと思われます。
(主人公の秀頼が大坂城から出られずに、話に絡んできていない今までも、種まきと言えば種まきなのですが…)
心躍る展開はしばらくお休みとなりますが、どうかご容赦いただけると幸いにございます。
今後もよろしくお願いいたします。




