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脱出作戦③太閤の遺児たち

◇◇

慶長5年の年末まで話は遡る。


九州において激戦が繰り広げられている最中、京や大坂では、「戦のその先」に向けて、いよいよ次なる動きへと移っていった。


徳川家康は、本拠地である江戸の整備を息子の徳川秀忠と老中の大久保忠隣に、各大名たちとの調整や未だくすぶる九州と東北の仕置きを本多親子と井伊直政らの譜代の家臣たちに任せた。

そして家康本人は、ここにきて豊臣家の「外堀」を埋めるべく、行動を加速させる。


まずは豊臣家自体と、京に学府を築いている石田宗應への監視の目をより厳しいものとすべく、京に所司代を置き、その役目を生真面目さでは徳川随一と評価している板倉勝重に任せた。

そしてほぼ同時期には京から江戸までの街道、すなわち東海道を大幅に整備し、五十三次を史実同様作らせたのである。

これにより江戸から京までの情報伝達力が格段に増した。

これらは全て「狭域」における豊臣家への抑えつけであったが、これに加えて「広域」での抑えつけも開始する。

それはすなわち軍事的な抑えつけとして、要所に城を作り、譜代の家臣を城主としようとしたのである。


近江の国の膳所城を手始めに、岐阜あらため加納の地には加納城、そして丹波の国には篠山城の普請と、次々と大坂城を包囲する形で築城を計画し、準備が整ったものから普請を開始したのであった。


いわゆる「天下普請」と呼ばれるものの始まりであった。


その築城のほとんどの縄張りは、藤堂高虎なる築城の天才が担ったが、普請にあたっての物資や費用を担当したのは、豊臣秀吉公の遺児たちとも言える、西国大名、すなわち豊臣家譜代の家臣たちだったのである。


つまり家康は、豊臣家自体だけの締め付けにとどまらず、西国大名たちの締め付けにも全力を注ぎ続けたのだ。

それは、軍事力の締め付けを関ヶ原の合戦で、政治的な締め付けを転封で、そして経済的な締め付けを天下普請で行ったのである。


しかし徳川家康という男は、単に締め付けを強めるような恐怖政治を敷く事を「否」としていた。

その為に、軍事、政治、経済の三点の締め付けは、それぞれ時期をずらし、その合間に「飴」を与えたのだ。

それすなわち、領土、婚姻、一字、官位といったもので、それらは全て西国大名たちの心を掴み続ける為の「飴」だったのである。


時代が移り変わっていく中にあって、太閤秀吉の末期から続く「振り回し」に、精神的な疲労が頂点に達していた西国大名たちにとって、時々与えられる「飴」こそ心の救いとなり、それを与えてくれる徳川家康という男に対して、ある種の偶像崇拝に近い、絶対的な忠誠心を持ち始めていたのであった。


これらは全て、史実と同じ動きであったのは言うまでもない。


この後、全て史実の通りに事がすすめば、九州と東北の仕置きがひと段落するとともに、徳川家康は征夷大将軍となり、江戸に幕府を開くことになる。


そしてその数年後には、全国の大名たちの軍を動員して、大坂城を攻め落とすことになるのだ。


もちろん「史実の通り」であればの話だ。


しかし現実としては、今、史実の顛末を知っている豊臣秀頼のもと、大坂城に顔を揃えている面々は、その「史実」に逆らおうと、水面下でこちらも動きを加速させようと画策していた。


もちろん表立って動くことはかなわない。

その為、彼らはあくまで水面下で、だが大胆にそれを進めていくのであった。


彼らが進めた最初の計画は、至って単純なものであり、それは「味方を増やす」ことであった。

その為に豊臣秀頼は、九州で黒田如水と加藤清正、そして桂広繁を暗躍させて、立花宗茂と島津義久の徳川への降伏を阻止させ、彼らに恩を売った。

さらに、民を味方にすべく、彼らの豊かな生活を実現する為の研究機関を、石田宗應と明石全登に作らせる事とし、海運整備の為に堀内氏善と大谷吉治には新たな船の発明を命じていたのだった。


そして九州の件がひと段落した為に昨年末から大坂に戻っていた加藤清正と黒田如水に対して、秀頼から新たに命令が下された…


「真田親子を味方につけよ」


「豊臣恩顧の大名たちを一人でも多く、味方に引き入れよ」



特に後者の方は、秀頼にとっては必ず成し遂げたいものであった。

なぜなら彼らの動向は、初期の徳川政権において非常に重要なものであったと思われるからであり、大坂城において身動きがとれない秀頼、そして時勢にうとい淀殿にあって、関ヶ原の戦い直後における彼らの切り崩しが実現しなかったことは、豊臣家を崩壊に導いた一つの要因のように思えてならなかったからだ。


もし一人でも多くの豊臣秀吉の遺児たちを、早いうちから味方に引き入れていたならば…


これは秀頼自身も想定がつかないことではあったが、勢力図を大きく変えるような要素になりかねない、と目論んでいたのであった。



………

……

早速動き出したのは、加藤清正であった。


慶長6年(1601年)1月――

各大名が年賀で豊臣秀頼と謁見の為に大坂城へ集まる中、彼は以前より親しかった「豊臣秀吉の遺児たち」とも言える、豊臣恩顧の大名たちと酒を酌み交わそうと、各々を書状で誘っていた。


もちろんその意図は明確で、徳川家への忠誠を図り、つけいる隙があるかを見極める為だったのである。


そして彼は、福島正則、浅野幸長、加藤嘉明、池田輝政、細川忠興、黒田長政の六人をその酒宴に誘ったのだった。


彼らは豊臣恩顧の大名たちの中でも「武断派」と呼ばれた勇猛な人たちで、みな幼少期は、太閤秀吉の元に預けられ、彼の正室である寧々によって育てられた旧知の仲だ。

なお同じく寧々に育てられた「文治派」と呼ばれたのは、宗應(石田三成のこと)や小西行長といった人々で、彼らは関ヶ原の戦いにて徳川家康に敗れ、今は「反逆者」として扱われている為、その場には呼ばれていない。


こうして一月のとある日、清正の屋敷に懐かしい面々が顔を揃えた。

それは実に、関ヶ原の戦いが始まる前の、石田三成の襲撃事件以来のことだったのである。


だが、そこには黒田長政と細川忠興の姿はない。

彼らは新たな領土の整備に忙しいので国許に帰るとのことであったが、実のところ、

「細川がいるなら、酒がまずくなるので失礼する」

「黒田がいるなら、気分が悪いので失礼する」

と、犬猿の仲の彼らが互いに清正から酒宴の席に呼ばれたのを聞いて、出席を辞退したというのが真相のようだ。


かくして彼ら二人を除く、五人は清正の屋敷で、久々に忙しさを忘れて、酒と話に興じたのであった。


もちろん清正は密命を帯びており、彼だけはその酒に身を任せる事は許されない。

それだけではなく、今後豊臣家の敵となるのか味方となるのかを見極める、大変重要な役割を担っているのだ。

清正にとって、それは初めての経験で、責任の重さに自然と顔が強張ってしまうのも、やむを得ないというものだ。


「ややっ!?虎之助(加藤清正のこと)!顔色が優れぬようだが、もう酒が回ったのか!?」


と、そんな清正に声をかけてきたのは、市松こと福島正則である。

酒を水のように飲んでいたためか、既に彼の顔は赤い。


「心配におよばぬぞ、市松。それよりもお主の方が、ずっと酔いが回っているようだが、なにか嬉しいことでもあったのか?」


「がははは!これはかなわぬ!お主は相手の顔色で気分を読めるようになったのか?」


「いや、市松。お主が分かりやすいだけだ」


そう答えた清正であったが、確かに彼はここ最近、冷静になって相手の顔を見極め、その考えや気持ちがどんなものであるかを、何気なく推測する癖を身につけていた。

やる事なす事全て自分の感情に素直であった彼からは考えられないものであるのだが、それはこの半年の間、常に黒田如水とともにあり、彼から小言を言われ続けてきた成果と言えるのかもしれない。

現に今宵の酒宴における密命も、その如水から「分かりやすい小僧どもの相手なら、お主一人で十分」とお墨付きを得て、如水抜きで進めることとなったのである。


こうして今、彼には自分でも驚くほどに、ここに集まっている面々の感情が手に取るようにして分かっていたのである。


その面において、彼は確実に成長を遂げていた。


そして、彼らに十分な酔いが回ったのを見ると、いよいよ行動に移したのであった。


「さて、各々新しい国で民と上手くいっておるか?」


こう清正は切り出した。

というのも、関ヶ原の戦いの後、徳川家康は、政治的な締め付けをする為に、彼らに国替えを命じたからであり、その事に不満を感じている者がいないかを確認しようとしたのだった。


「はんっ!広島の方は、右見ても左見ても、毛利、毛利、毛利と言う奴らばかりで、鬱陶しくてかなわん!」


と、その問いかけに不満をあらわにしたのは、福島正則である。

彼は、尾張国の清洲城から、安芸国の広島城へと国替えとなることが決まっており、どうやらその領民との折り合いに苦労しそうなことを嘆いているようだ。


そんな正則を見て、


「これだから市松は、いつか改易になると申したのだ…」


と、孫六こと加藤嘉明が漏らした。

なお彼は、伊予国の正木城を本拠地としているのだが、なぜか加増はされたが国替えとはならなかった。


そして彼らは元来馬が合わないのだが、不思議とその仲は悪くはない。


「なんだとう!?孫六!お主は国替えにならなかったくせに、大口を叩くでない!」


「お主のような乱暴者が当主となるのだ…領民が哀れで仕方がない」


「なにい!?では、俺はどうすればよいのだ!?」


「単純なことだ。領民の為に善政を敷く。それしかあるまい。ひとまず検地を正しく行い、余計な税の負担を下げてみればよい」


「なるほど…」


と、先ほどまでの勢いは、鳴りを潜めて、嘉明の言葉にいたく納得した様子の正則であった。

現に彼は、この年の三月に広島城に入ると、早速検地を行い、領民から慕われるようになるのだが、それはまた別の話である。


「ははは!あまり深く考えないのが一番よ!ぼちぼちやればよいのだ。ぼちぼちのう!」


と、答えたのは古新こと池田輝政。

彼は、三河国の吉田城から、播磨国の姫路城へと国替えとなっている。

しかし、彼は幼い頃より、あまり細かい事は気にしないたちであり、その大らかさゆえに、民からの陰口などには気を払っていない様子であった。


「古新の言う通りだ。何も気にしなければ耳にもつまらん話は入ってこない」


と、同調したのは、長満こと浅野幸長であった。

彼は、甲斐国から紀伊国の和歌山城へ移されている。


しかしその幸長の言葉に、輝政は穏やかな笑顔のまま抗議した。


「長満のそれは、単に国の民の声に耳を傾けていないだけであろう。俺の言うこととは、ちと意味が違う」


「言うな、古新。俺も色々と忙しいのだ」


「どうせ女にうつつを抜かしているだけであろう?」


「ぐぬっ…侮辱されているのに、嘘ではないので、怒ることも出来ん…」


そう、浅野幸長は好色で知られており、あまり国許には帰らず、その政治を家臣に委ねていたのではないかと輝政は考えていたのである。

そのつけが回ってしまったのか、後年になって幸長の治めていた紀伊では、彼亡き後に大規模な一揆が勃発する事になるのだが、それもまた別の話だ。


さて、この問いかけで、ひとまずは福島正則に、不満がたまっていそうな事が分かった。


そして次なる問いかけを清正はその場に投じた。


「さてさて、佐吉(石田三成のこと)の件も片付いたし、お主らは何を次の目的としておる?」


この問いかけでは、彼らが次の矛先を何に対して向けているかを確かめるものであった。

有り余るほどの情熱と行動力のある彼らだ。

太閤秀吉の存命中は、彼の覇業に心血を注ぎ、彼亡き後は、「逆賊石田治部を討つべし」という点にその意識を移した。

かく言う清正もその一人であり、彼の場合は、幸か不幸か関ヶ原の戦いにて謹慎を申しつけられた為、その矛先を「秀頼公を守る」という一点に変えることがかなった。しかし彼らは違う。

今は国許の政治の事で頭が一杯であったとしても、熱意を預ける目的がなければ、生きていけないような彼らであるからこそ、現時点でそれが「なし」というのであれば、それを「徳川討伐」に向けさせるのは難しいことではないと、清正は考えていた。


そしてその問いかけに対する答えは、真二つに分かれた。


「なし」と答えたのは、福島正則と浅野幸長であった。


一方で、池田輝政が、


「姫路城を天下一の美しい城にしようと考えているのだ」


と言えば、加藤嘉明は、


「俺は新たに勝山に城を築こうと思っている」


と言った。

二人ともまるで口裏を合わせたかのように「築城」と答えたのである。


なお、史実においては、輝政が情熱を注いだ姫路城は言わずもがな、天下の名城となり後世においても高く評価され、嘉明のそれは勝山城、後の松山城と名を変えて、こちらも松山という地名とともに後世に残ることになるのであった。


この二つの問いかけによって、清正の見極めは、徐々にその形をはっきりとしていった。

そして最後に彼は、決定的な問いかけをすることにした。


「ところで『目的』と言えば、先の一戦で、徳川内府殿は大きな『目的』を得たように思えるが、いかがかのう?」


その問いかけにいち早く反応したのは、加藤嘉明であった。


「ああ、そうであるな。秀頼公が立派に成長するまでは、徳川殿が中心となって泰平な世を作る、徳川殿にしてみれば、その決意を固くしたであろうな」


いつでも冷静沈着と評された彼らしい、客観的な意見である。

しかしそれに福島正則が食いついた。


「やい!孫六!それではまるで、徳川内府殿が秀頼公に代わって、しばらく天下を治めるような物言いではないか!?」


「その通りかもしれぬな…だが、これも時代の流れというものだ」


そんな嘉明の言葉に反応したのは、浅野幸長であった。


「うむ…だが、時代の流れとはいえ、筋が通らないことは許されるものではない。

あくまで天下は豊臣秀頼様のものであり、徳川内府殿は、その配下である事を誤ってはならん」


そんな幸長の言葉に、今度は池田輝政が反応した。


「ははは!固いことは気にするな!太閤殿下が存命のうちでも、政治は佐吉、軍事は俺らに任せてくれておったではないか!

執政として徳川殿がその腕を振るわれても、定められた上下に変わりはない。

それだけで十分ではないか!」


「ふん!!徳川殿の娘が妻のお主には、もはや徳川殿と秀頼公のどちらが天下を治めても変わらない、ということなのでは!?古新」


と、正則が食いつくと、


「ははは!そういうお主も、世継ぎに徳川殿の養女を嫁に迎えているではないか」


と、輝政はあっさりとそれを返したのであった。


さてその後も酒宴はしばし続いていたが、この時清正の腹の内では、既にある事が決まっていた。

それは、彼が三日後に、再びこの屋敷に呼ぶ相手である。


彼はその事が決まると、ほっとしたのか、ようやく酒に身を委ねて、旧友とともに過ごす時間に浸る事が出来たのであった。


………

……


そして酒宴の三日後、清正の屋敷に、二人の人物が呼ばれたのだが、それは楽しかった宴の続きを行うものではなかったのは、その場に黒田如水もおり、酒が用意されていなかった事で明白であった。


その二人の人物とは…


福島正則と浅野幸長であった。


彼らは、国替えの結果として領民の陰口を面白く思っておらず、関ヶ原の合戦後に確固たる目的も持たず、徳川の天下取りを面白く思っていない。

程度の違いはあるにせよ、共通している部分がおおきかった。


そんな彼らを仲間に引き入れるのは、さほど難しくはないと、清正は判断し、彼と如水の本心を打ち明けることにしたのであった。


「げっ!軍師殿!?なぜここに!?」


と、青い顔をしたのは福島正則である。

彼もまた清正と同様、黒田如水のことが得意ではなかった。


「ふんっ!わしとて小僧の顔など滅多な事では拝みたくもないわ。わしが会ってやっているのだ。

その意味をちとは考えてみよ」


「何か大事があってのこと…ということかな?」


と、浅野幸長が顔を引き締めて問いかける。


「ふんっ!長満が一丁前に澄まし顔しおって。だが、その歳になってもまだ女の尻ばかりを追いかけていると言うではないか」


「ややっ!?軍師殿には何を言っても揚げ足を取られてしまいますな」


「ふんっ!大事を打ち明けるには、足りぬものが多すぎるお主らが心配なのだ。

ただでさえ虎之助一人でも、ぼろが出ないように苦労しておるのに…」


と、如水はため息をつくと、その言葉に正則が食いついたが、その矛先は清正であった。


「やい!虎之助!お主は何か存じておるのだな!?その大事というやつを!なぜ俺たちに黙っておった!?」


「お主はいちいちうるさい!いつからそんな女々しくなった!?」


「おい!二人ともよさんか!それよりもその大事を軍師殿から聞こうではないか」


と、幸長がたしなめると、三人は如水の顔を覗き込むのだった。


「三つ子の魂百まで、というが、本当にお主らは変わらんのう…まあ、よいわ…そんな部分もあの太閤殿下の遺児らしい。手のかかる子供ほど可愛いというものか」


そう諦めたように漏らすと、如水は彼らの目の前に一つの書を広げた。

無論それは徳川家康が関ヶ原の戦いの後に、豊臣秀頼と謁見した際に、彼に向かって「宣言」した内容を記したものだった。


食い入るようにしてその書を見る正則と幸長。

正則の顔は真っ赤に染まり、幸長の顔は青くなっていく。


しかし色は違えど、それは同じ感情からくるものであったのは言うまでもない。

如水と清正はその二人の様子を注意深く見ていた。


――もしこの書を見ても何も感じないようであれば、それでお終いである。その時は、相手が敵となることを覚悟せねばならない


そう事前に如水が話していたからだ。


そして全てに目を通した二人のうち、正則の方が拳をわなわなと震わせて、何か叫び出そうとしたその時であった。


――ダンッ!!


なんと幸長は腰に差していた短刀を抜くと、その書物に突き刺したのだ。

これにはさすがの如水も目を丸くした。


そして、彼は小さな呟くような低い声で言った。


「許さん…売った喧嘩が高くつく事を、徳川に思い知らせてやる…」


外は昼にも関わらず暗くなり、冷たい雨がしとしとと降りだした。

さながら天が「頭を冷やせ」と言わんばかりであったが、幸長の激昂したその頭は、既に燃え盛る怒りの炎で包まれて、その温度を低くすることはかなわなかったのであった。







今回は「武断派」の人々の様子を主題といたしました。


さて彼らは史実の通りに、徳川政権に飲みこまれていくのでしょうか。

それとも秀頼とともに、逆らってのるかそるかの大博打を打つのでしょうか…


次回は、浅野幸長という人物についての話と、真田親子の目論みについての話になります。



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