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脱出作戦②挑戦

………

……

季節はどんな場所でも等しく巡る。

例えそれが罪人の配流地であったとしてもだ。


そしてそれは紀伊の国の山深い小さな村にもやってきた。


「お父上、九度山の山あいにあっても、綺麗に花が咲きましたね」


そう話しかけたのは今年で齢三十一、まさに今が男盛りの真田信繁であった。


「ああ…そうだのう…」


そう気のない返事をしたのは、信繁の父親である真田昌幸。まだ齢五十を超えたばかりで、徳川家康や島津義久と比べれば、十歳以上も若いにも関わらず、髪は白く、顔のしわも深いのは、関ヶ原の戦い以降、急速に老けてしまった結果といえよう。


では、なぜ昌幸はこれほどまでに急速に老けてしまったのか。

それは、彼が「挑戦」することを奪われてしまったからであった。


昌幸が、あらゆる情報に神経をとがらせ、策を巡らせて、時の権力者へ「挑戦」していたのは、全て「保証されていない明日」を確かにするためのものであった。

そして戦の敗者となった今、徳川家康の手によって、「保証された明日」が与えられた。

それは昌幸が喉から手が出るほど欲しかったものだが、その代償として「挑戦」する事を奪われ、その結果、まるで糸の切れた凧のように、行き場の失ったその魂は、昌幸の体を離れて、ふわりふわりと配流地である九度山の周りを浮遊しているのであった。

それが示す事は、昌幸の「挑戦」がいつの間にか、彼の生きがいとなっていたことを意味していたのである。


そんな昌幸を元気づけようと、信繁は引きこもり気味であった彼を屋敷の外へと連れ出して、こうして満開の桜を見に来たのである。


「ところで父上。兄上から書状が届きました」


そう信繁は一通の書状を昌幸の前に差し出した。

その送り主は、信繁の兄、真田信之。

関ヶ原の戦いで父や弟と袂を分けて徳川家康側につくと、沼田城を本拠地として、本領を安堵されていたのだ。


「お前が読んでくれ…」


と、昌幸は信繁にその書状を突き返す。


「かしこまりました。では、失礼します」


うやうやしく書状を開いた信繁は、それを口に出して読み出すと、その書状には、本領に加え、元は父昌幸の領土であった信州上田も領地に加えられたこと、そして昌幸の元の家臣たちや家族たちは、信之の元で息災であることなどが書かれていたのだった。


「なんと喜ばしいことでしょう!」


と、信繁は読み終えると大いに喜び、それを満面の笑みで表した。


兄の無事は、真田の家の存続を意味している。

そのことを信繁が自分のことのように喜んだのは、彼が根っからの奉公人であったからで、それは、自分の立身出世よりも、自分の当主、友人や兄の繁栄を望んでいたからに他ならない。

もっと言えば、「目の前の人が笑う」、それが彼の心を満たすものだったと言えよう。

そしてそれは、たった今目の前にいる父に対しても同じであったが、そんな彼の気持ちなど露とも知らず、昌幸はその暗い表情をしたままだった。


「つまらんのう…」


「父上。つまらん、とは随分な物言いではございませんか?」


「つまらんことを、つまらんと言って何が悪い?」


「兄上のご出世がそんなに面白くないのですか?」


信繁は、心ここにあらずといった父の様子を、何とか変えようと、なじるように問いつめる。

そんな彼をちらりと見た昌幸は、再び虚空を見上げると、


「信之のことではない。つまらんのは、わし自身のことだ…」


とつぶやいたのだった。


その昌幸は、根っからの挑戦者であった。

彼は「真田を守る」という名目をかざして、その実、彼は自分の力が、時の権力者にどこまで通ずるものかということを、常に挑戦していた。

それが彼が自分が何者であるかを示し、また自分に何が足りないのかを教えてくれる、言わば師匠のような存在であったのだ。

そして今の彼は、その師匠から見放されたような、絶望の谷底にいた。

もう何かに挑戦することはかなわない…

それがこの地に来て確信と変わった今、彼は全てが「つまらなく」なってしまったのだった。


もちろんその事は、息子の信繁にも痛いほど分かっていた。

それでも彼は、父に新たな生きがいを見つけて欲しく、何かにつけて外に連れ出したのだった。

そう、彼は根っからの奉公人であったからだ。


しかしこの九度山の配流地での生活は、貧乏ではあったが、想像以上に平穏そのものであり、無為に過ごすこの日々が、昌幸の命の源を吸い取り続けていた。


そんなわびしさを感じさせる花見の席に、その波紋は訪れた。


その来訪を報せにきたのは、昌幸の家臣であり、信繁の義理の父にもあたる高梨内記であった。


「殿!殿!大変でございますぞ!」


内記は、春先の穏やかな昼下がりとは似合わない、慌てようで昌幸と信繁のもとまでやってきた。

そんな彼をつまらなそうな目で見た昌幸は、


「なんだ?騒々しい。こうして静かに花を愛でているのがそなたには見えぬのか?」


と、抑揚のない声で叱りつける。


「やや!これは失礼いたしました!」


と、どこまでも真面目な内記は、即座に頭を下げる。


「冗談だ。本当は花になど全く興味などない。だが、騒々しいというのはまことだ」


「これは…殿もお人が悪い」


「もうよい。たいした用事がないなら、早く帰れ」


と、昌幸は他人とは関わり合いを持ちたくない、というように内記を追い払おうとした。

しかし内記は、他人の言葉の裏を読むということに、長けている人ではない。


「殿!その用事でございますが、とあるお方が殿をたずねてここまでお見えにございます!」


「すまんが、わしは留守にしておる。例え徳川家康だろうと、追い返せ」


実はこれまでにも彼のもとには、多くの人が訪れていたのだが、その全てを彼は門前払いにしている。

なぜなら彼はこの時既に気づいていたのだ。

もう数年もすれば、世の中は徳川家康の手中に収まり、天地がひっくり返っても、それに挑戦することなどかなわぬことを。そしてその数年の間であっても、そもそもこの九度山の地にいる以上は、昌幸が何を考えようとも、彼に挑戦など出来ない。

しかし、彼をたずねてくる人々は、彼をこの地から出そうと考えてやってくるわけでもなく、単なる興味本意で「徳川を二度破った男」がどんな人物なのかを知りにきていることを、彼は承知していたのであった。


だが今、彼をたずねにきた人物は、全く異なっていることを、彼はどうして知ることができよう。


そしてその人物は、彼の断りなど待たずに、彼の前までずかずかとやってきたのであった。


「カカカ!徳川を二度破った男とは思えぬほどに、しけた面構えだのう!昌幸殿」


いきなりの侮辱の言葉にも、枯れた昌幸の心は動かされることなどない。


「口が悪い死に損ない軍師か…時代に取り残された者同士、昔の傷でも舐め合いますかな?黒田如水殿」


そう、彼の目の前に現れたのは、九州から大坂に戻った黒田如水であった。

彼は既にその所領を全て息子の黒田長政に譲り渡し、わずかな家臣とともに、伏見にある彼の屋敷に戻って、もとの隠居生活を始めたのであった。

無論それは表向きの話ではあるが…

そしてもっと言ってしまえば、彼は「表向き」は、徳川家康に恭順している。

こうして堂々と大罪人である真田昌幸を訪れることができたのも、家康からの「表向きの信頼」が得られている証に他ならなかった。

もちろん家康とて、如水の恭順など薄氷のようなものであることなど百も承知だ。だが、昌幸を晒し者とすべく、家康に忠誠を誓っているものであれば、昌幸をたずねる事を禁じなかった為に、如水だけを禁じることはかなわなかったのであった。


「カカカ!残念だが、わしには舐められるほどの傷を体につけてはおらんからのう」


「ほう…そうは見えませぬが…」


「まだまだこれから傷はつけるつもり、ということじゃよ」


「それは精が出ることで…このような蟄居の身には、羨ましい限りじゃ」


「ふむ、それは傷つくことを望まれている、との裏返しにも聞こえるが…どうなのじゃ?昌幸殿」


如水の目が鋭く光った。

その目を見た信繁は、とっさに危険を察知した。

如水は父に対して、明らかな揺さぶりをかけてきている…

そしてそれは、徳川家康が父の真意を確かめようと送り込んだ刺客のような気がしてならなかったのである。

もし父の対応次第で「未だに徳川に対して敵意あり」と如水に伝わってしまったら、今度こそ死罪は免れないのではないか、そんな風に信繁は危ぶみ、


「黒田様、父上はお体が優れぬゆえ、今日のところはお引き取り願えませんでしょうか」


と、暗に如水をこの場から退かせようと試みたのだった。

だが、そんな息子の気遣いなど、全くお構いなしに昌幸は、如水の問いかけに素直な心情を吐露した。


「ははは!傷つくことを望む馬鹿はおりますまい!

しかし傷つくかそれとも傷つかせるかという緊迫した場に身を置きたい、という気持ちは今でも持ち合わせておる」


それを聞いて如水は、ほっとした表情を浮かべたのを、信繁は見逃さなかった。

そしてこの時点で、一つの疑惑が胸の内に湧いてきたのだが、それが次の如水の言葉で確信に変わったのだった。


「その相手が強ければ強いほど胸が高まる…この気持ちを理解出来る人を探しておりましてな…

昌幸殿なら、その事について語り合えると、思って参ったのですが、いかに?」


黒田如水…

徳川家康に「挑戦」するつもりか…


信繁の胸の鼓動が、なぜか速くなる。


なぜだ?


しかしその答えは、隣の父の瞳を見た瞬間に、明らかとなった。



父が喜んでいるーー



それが信繁の興奮に、そのまま繋がっていたのであった。


だが、昌幸は努めて冷静に、如水を見極めている。

まだ確信ではない。

徳川家康と黒田如水が手を取り合っていないことを示す「何か」が欲しい、と昌幸は考えていた。


「語り合う…か…しかし、語り合うには、『つまみ』が欲しいところじゃのう」


「それなら、これはいかがかな?」


と、如水は一つの書を昌幸の前に広げた。


それは…


徳川家康が豊臣秀頼に対して、戦勝報告をした時の内容を書き記したものであった。


それはすなわち、徳川家康からの名目上の「天下人」である豊臣家に対しての挑戦状、そのものであった。


それを目にした昌幸と信繁の瞳の奥に火が灯る。

無論その一方は「喜び」であり、もう一方は「怒り」と、全く異なる火であったのは、言うまでもないことであろう。


しかしそれでもまだ、喜びに高まる胸を抑えた昌幸が、如水にたずねた。


「これを見た者の名を挙げて下さるか?」


この問いかけは、如水には想定内だったようで、彼はすらすらと挙げだした。

そこには豊臣七星と淀殿、そしてそもそもこれを記した片桐且元の名が挙げられた。


そして、次の名を聞いた瞬間、昌幸の顔が明らかに変わったのだった。


「長満…おっと今は、浅野紀伊守幸長であったか…」


それはこの九度山も含めた紀伊を治める、浅野幸長その人の名前であった。


その事実が持つ意味が分からないほどに、昌幸は落ちぶれてはいなかった。


「如水殿。語り合う場所が、この山奥というのは、ちと窮屈だのう…」


その昌幸の言葉に、如水はニタリと口もとを緩めると、一方の昌幸の顔にはどす黒い影を映した。

その二つの波が混ざり合って、さながら大きな黒い渦を巻いているようで、二人の様子を静かに見ていた信繁は、戦慄を覚えていたのだった。


昌幸の言葉に、如水が問いかけで返す。


「では、どこがお望みで?」


「それは次どこで戦うかによるであろう」


「カカカ!よいよい。ではその準備が出来たら、また参ろう。それまで達者でな」


そう言うと、如水は真田親子のもとを後にして、山を下りていったのであった。



黒田如水と真田昌幸…



二頭の龍が手を組んで、大きな時代の流れに逆らうようにして、挑戦するその時が、いよいよ迫ってきた瞬間であった。











真田昌幸と黒田如水の協力は実現するのでしょうか…

そして浅野幸長への内応に暗躍しているのは…

話はまた少しずつ進んでいきます。


どうぞこれからもよろしくお願いします。

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