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第五章  私の心をあなたに(9)

 早織の両親は彼女が3歳のときに交通事故で他界している。それがある意味引き金だったのかもしれない。

 とある研究員によって身柄を引き取られた早織は、その年に早苗と出会った。当時は妹だと紹介された。

 もちろん、両親が死んだのに何故妹がいるのかという疑問は浮かぶだろう。だが、早織の年齢や両親がいない寂寥感を鑑みれば、それを受け入れたのも当然であろう。


 確かに年齢を重ねるに連れ、研究所に対して疑念を抱くようになっていった。しかし、それに比例するように早苗への想いも大きくなっていったのだ。

 実験がないときは早苗と遊んでいたかった。仲良くしていたかった。だが、早苗は逆だった。そう、実験こそが早織との仲を深める遊びだと思っていたのだ。

 このすれ違いこそが早織の精神を疲弊させていった。


 早織は実験を続けたくない。早苗は続けたい。共に、お互い仲良くしたいという同じ目的で。

 そう、2人とも目的は同じだったのだ。だが、そのすれ違いが14年も続けば、溝は確実に広がる。たとえ相手も同じ気持ちだと分かっていても、それを認めることが出来なくなってしまう。 






 そこまで考えて、早織は気付いた。

 早苗はいつも受身だったではないか。実験での戦闘の際も、そもそも彼女の仲の常識すらも的場から教わったものではないか。

 いつだって彼女が能動態となったことはない。

 そんな早苗が、たった一度だけ能動的になったのはいつだ。


(――私を、殺したくないって言った時)


 全てが受身だった彼女が唯一譲らなかったこと。


(……私が諦めれば、早苗の願いまでも無下にしてしまう、か。ありがとう黒神君)


 早織にだって譲れないことがある。早苗がそれを主張したのなら、今度は自分の番だ。


(これは私にしか出来ないこと。私だからこそ出来ること)


 今まで押し殺してきた気持ちを、その全てを早苗にぶつける。それが早苗を救う唯一の方法だ。

 もちろん、それで早苗が正気に戻るとは限らない。もしかしたら、黒神と朝影も巻き込んで殺されてしまうかもしれない。


(でも、後悔はしたくない。ここで本音を伝えなきゃどんな結末になっても絶対に後悔する。そんなの、嫌だ!!)


 早織は震える体を抑え、一歩一歩しっかりと踏みしめて羽交い絞めにされている早苗に近づく。

 そして。



「早苗」



 その名を呼んだ。それだけでもがいていた早苗の動きが止まる。


「私は、早苗を本当に殺したいと思ったこともある。1回じゃない、何度も何度も。早苗を殺せば私も楽になるんじゃないかって。でも、出来なかった。早苗が寝てるときに包丁を握ったけど、出来なかった!!」


 早苗は自我が失われているはずなのに動こうとしない。それを見た黒神と朝影は各々手を離した。


「だって、私は早苗のことが大好きだから。たとえクローンだとしても、私にとっては唯一の家族だから!! そんな人を殺せるわけがない……」


 次第に彼女の瞳から涙が零れだす。


「学校に来て欲しくなかったのは早苗を見ると実験のことを思い出すからってだけじゃない。早苗がクローンだってことがバレて、みんなから早苗が批判されるのが怖かったの。早苗のことが大切だったから!」


 早苗の光の宿っていない瞳からも涙が零れ始めた。


「私は早苗が大好き。家族として、大切な人として!」


 早織はそこまで言うと、一呼吸し、早苗に体当たりする勢いで抱きついた。


「だから戻ってよ早苗。いつもの早苗に。そして――」


 黒い翼が手に触れるが関係ない。早織は早苗の耳元でこう囁いた。



「また一緒に遊ぼう?」



 直後、早苗は右腕を振り上げた。その手には『闇創剣』が握られている。だが、その剣は右手を振り下ろしている最中に消えてしまった。

 そう、彼女が右手を振り上げたのは早織を殺すためじゃない。

 一瞬死を覚悟して目を瞑った早織を、早苗は抱きしめ返したのだ。


「……さ、早苗?」

「お姉ちゃん、私も大好きだよっ」


 黒い翼は消えていた。そして、瞳には光が戻っていた。今度こそ、完全に自我を取り戻したのだ。

 そこからしばらくの間、2人の少女は抱き合いながら泣いていた。









 そして黒神は彼女たちの姿を見つめながらその場に倒れ、意識を失った。

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