第五章 私の心をあなたに(8)
早織の腕時計から彼女は聞いたことのない声が聞こえた。その声に早苗は動きを止めた。どうやら彼女のイヤホンからも聞こえていたらしい。今まで指示を出していた声とは違うそれに、多少困惑しているようだ。
「これは、一体……」
早織も困惑していたが、朝影と黒神はその声を知っている。そして、声の主はこう言った。
『テメエの友達を助けるんだろォが!!』
骨が何本折れたのかも分からない。内臓が無事であるとも思えない。
だが、それでも。
(俺は覚悟を決めたじゃねぇか……2人を助けるって。それが何だよ、このザマは)
このままでは早織が殺されてしまう。神原のおかげでまだ動きは無いが、恐らく数秒後には決着が着いてしまうだろう。
(まだ意識はある。だったらこの体も動く。ただ激痛が伴うだけだろ。動け、立て!! 俺は、2人を助けるんだ!!)
たとえこの身が朽ち果てようとも、などと綺麗ごとを吐くつもりはない。しかし、今は立たなければならない。自分を頼ってくれた少女のために。その拳を握らなければならない。
「ひゅ、ご、がふっ……おぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
口からは赤黒い粘々した液体が止め処なく流れてくる。体全体に激痛が走る。
だが、少年は、黒神終夜は立ち上がった。決してカッコいいポーズではない。
背を丸めて腹を片手で抑え、片足を引きずりながら彼は咆哮した。
「黒神君、ダメだよそんなの……」
早織は泣きながらか細い声で呟いた。確かに彼に助けを求めたのは自分だ。しかし、彼がここまで傷つくのは見ていられない。
彼のことを想うからこそ、これ以上は戦ってほしくない。
しかし、彼はこう言った。
「約束しただろ、助けるって!! それに、そのコートも返してもらわなきゃいけないしな!!」
その言葉に、早織は悲しい表情を見せた。
「いいの、もう。私が死ねば黒神君たちは助かる。それでいいの!! なのにどうして……どうして分かってくれないの!!」
「分かってないのはお前だ!!」
普段の彼からは想像も出来ないほどの怒声に、早織は体を強張らせた。
「今の早苗を助けられるのは、お前しかいないんだよ早織!!」
黒神は歯噛みしながらそう叫んだ。
2人を助ける。そう決めたのだが、早苗を助けられるのは自分ではないと理解したからだ。
彼は『強制執行』を知らない。だが、今の早苗の状態は何となく分かっている。
(早織を殺せっていう指示を遂行するだけの状態、自我が完全に失われてる。この状況を打破したいなら、早苗の自我を取り戻す必要がある!)
その鍵となるのは黒神でも朝影でもない。早苗と同じ遺伝子を持ち、14年間を共にしてきた早織以外ありえないのだ。
「だから、お前が諦めるな。本当に死にたいのなら勝手にしろ……でも、早苗と一緒に普通の生活がしたいんだろ。それがお前の望みなんじゃないのか!!」
「…………」
早織は静かに頷いた。そして、未だに止まっている早苗を見る。
「それは早苗だって同じだ。ただ、その方法が違ってしまっただけなんだよ。お前が諦めるって事は、早苗の願いすら無下にしてしまうってことなんだよ!!」
『氣』は所有者の意識のあり方に左右される。黒神がここまで叫べているのは『氣』のおかげだろう。そうでなければ、あんな状態で叫べるわけがない。現に、彼の体を包む白いオーラの色が濃くなっている。
「早織、覚悟を決めろよ。ここで死ぬか、早苗を助けるか!!」
そう言うと、黒神は早苗に向かって突進した。それに気付いた早苗はようやく体を動かす。
だが、黒神の狙いは早苗との戦闘ではない。そもそも、戦ったところで今度こそ殺されるのがオチだ。それくらい彼も分かっている。
だから、彼の目的はただ1つ。早苗の拘束だ。
早苗の動作はワンテンポ遅れていた。黒神は早苗が振り回した剣を避け、彼女を後ろから羽交い絞めにする。
「ぐっ、くそ、流石に……」
いくら叫べるほどに『氣』がフォローしているとはいえ、暴れる早苗を完全に抑えるほどの力は残っていない。況してや、早苗も攻撃をしてきているのだ。数秒も持たないだろう。
だが、そこにもう1つのサポートが来た。
「『冷却』」
朝影光。彼女が早苗の足を凍らせ、動きを止めたのだ。その隙に彼女も立ち上がり、黒神の体を支えるような格好で早苗を抑える。
「朝影、ありがとう」
「そういうのは終わってから言いなさいよ」
最後の舞台が整った。
あとは主役が登壇するだけだ。




