第三章 最終実験(5)
早織は時折巻いている毛布を気にしながら、話を続ける。
「学校でもランク戦とか、実験を思い出させるようなものはあった。でも、歓談部……あそこに行くためならそれも我慢できた。嫌な事も全部、忘れていられたから」
そこに早苗が現れてしまっては、実験のことを忘れられなくなってしまう。だから、彼女は早苗が学校に来ることを拒んだのだ。
実験の成果を重視する研究者たちとしても、早織が反抗するのは避けたかったのか、それを承認した。
「なあ、月宮。今日の夕方のことなんだけどさ」
「何?」
「9672回目って呟いてたろ。あれってやっぱり……」
早織は毛布を強く握る。
「そう、実験の回数。この13年間で行われてきた、実験の」
「どうしてそれを俺に伝えたんだ?」
「……それは」
早織が何かを言おうと瞬間、部屋に呼び鈴の音が響いた。
「こんな時間に……神原か?」
黒神は立ち上がり、玄関へと向かう。大晦日の夜に神原が訪ねてきたことがあったし、最近の来客といえば彼くらいしかいない。なので、黒神も朝影も、神原が来たのだと考えていた。
だが、来客は彼ではなかった。
「ここにいたんだね、お姉ちゃんっ」
「月宮妹!? どうしてここに!」
月宮早苗。月宮早織の遺伝子から造られたクローン。しかし、そのことを知っていなければ
どこからどう見ても普通の人間である。
白い長袖のワンピースを着た少女はこう告げる。
「いやあ、お姉ちゃんが帰ってくるの遅かったから心配して、先生に連絡したらここにいるって聞いたからっ。迎えに来たよっ」
早織と同じ容姿の少女は笑顔でそう言った。
(先生……多分、研究者のことだろうな。それに、さっき月宮姉がデバイスを弄られたって言ってたし、発信機のような機能でも追加されてるのか)
「って、お姉ちゃんなんで毛布にくるまってるのっ?」
早苗はあくまで普通の会話をしていた。直前に行われていた実験のことなど微塵も気にしていない様子だ。
「なあ月宮妹、さっきまで遊んでた……んだよな?」
「えっ? うん、そうだよっ。あ、もちろん大人の人も一緒だったから大丈夫っ」
当然といった表情で早苗は答えた。彼女の顔や服に、一切の汚れは無い。
「そうか。それで、姉の方なんだが――」
「ごめんね早苗、一緒に帰ろう?」
後ろから聞こえてきた早織の声に、黒神は驚きを隠せなかった。振り返ると、毛布を外して破れた制服姿になった彼女が立っていた。
「おい、月宮」
「早苗がいるときは名前……でしょ?」
朝影は止めようとしない。それどころか、クローゼットから勝手に黒神のコートを持ってきて、早織に半ば無理矢理着せた。
「さ、早織。お前、それでいいのか!?」
「うん。どこに逃げても同じなら、せめて誰も巻き込まないようにしないと……それに、実験ももうすぐ終わりだから、あと少し我慢すればいいんだよ」
笑っていた。
その台詞を言うのに、どれほど苦しんだだろう。ここで助けを求めていれば、その苦しみから解放されたかもしれない。
だが、それでも早織は戻ることを選んだ。
「黒神君、ありがとう。少しの間だけでも、心が軽くなった気がする。それから、朝影さんもありがとう……あ、このコートは必ず返すから」
そう言うと、早織は靴を履いて外へと出た。
「……私、頑張るから。だから黒神君、全部終わったらまた話そう。また、部室で」
可憐にはにかんでみせた早織の目には、薄っすらと涙が浮かんでいた。黒神も、それに気づいた。
「早織、待てよ。それじゃお前は!!」
「もう、いいの。黒神君、また来週会おうね。あはは……それじゃ、今日は本当にありが……とう」
掠れた声で、早織はそう呟いた。そして、早苗を促し2人は自分たちの家へ向かった。
黒神は早織を引き止めるために伸ばした手を動かすことが出来ず、ただ彼女たちの背中を見ているしかなかった。




