第一章 束ノ間ノアレコレ(5)
「……久しぶりに、帰ってきた気がするな」
「ここが、焔さんの家ですか……」
とあるマンションのとある部屋のドアの前に佇む2人の男女。膨らんだハリセンボンのような形の金髪をした中肉中背の少年、赤城焔と彼のパートナー的存在であるミディアムの黒髪眼鏡少女、氷川葵である。
お互いに、お互いの学校の制服を身に着け、赤城はコート、氷川はそれに加えてマフラーや耳当てをつけており、氷川に至ってはパンパンに膨らんだボストンバッグ持ちだ。中に何が入っているのか赤城が尋ねた際には、大きな黒眼で睨みつけながら『女の子には色々あるんです!』と怒鳴ったらしい。
赤城としては、こいつウチに泊まる気じゃないだろうなとか心配しているわけだが。
「とりあえず、氷川ちゃんがこのドアを開けた直後に言う言葉を予測してあげようか?」
「…突然なんですか? 風が冷たいので早く中に入れていただきたいのですが……」
若干楽しみそうにしているのは置いておき、赤城はポケットから家の鍵を取り出す。白い息を吐き、ドアをゆっくりと開けながら、彼女が言いそうなことを呟いた。
「『きたなっ! どんな生活してたんですか!』」
「きたなっ! どんな生活してたんですか! ……あ」
玄関には靴が散乱し、生ゴミこそ無いもののキッチンの近くにはペットボトルの入ったゴミ袋が複数。床も埃だらけで、ちょっと変な匂いもする。
確かに彼はここ最近家に帰れていなかったが、それにしても酷すぎである。
「と、とりあえず換気です換気! ベランダの窓を開けてきてください!!」
最初の言葉を当てられた少女は何故か少し落胆したような表情を浮かべ、赤城に向かって怒鳴るように指示を出す。自分は散乱した靴を揃えたり、近くに置いてあった(放り投げられていた)小さなホウキを手に取り、埃を外に掃きだしたり。
独り暮らしの息子の家に来た母親のようである。
「全く、少しの掃除は覚悟していましたが……ん?」
今は朝。空は雲ひとつなく晴れ渡っている。故に、電気を点けずとも開けているドアから入ってくる太陽の光で足下はぼんやりと明るい。
そこで彼女は見た。ペットボトルの詰まった袋の下を掃こうとそれを持ち上げた瞬間に。日の光に照らされて、黒く光る物体を。外の冷気のせいではない、嫌な寒気が全身を襲う。
否、これは物体ではない。この長丸のフォルム、長い触角、不快感ばかりを煽るこの生き物は――
「き、きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああっ!? ご、ごごごごごごご、ゴキぃぃぃぃぃぃ!!」
「ど、どうしたんだ氷川ちゃん!」
「どぉぉぉしたじゃぁぁぁぁありませんよぉぉぉぉぉぉ! なんですか、私に対する嫌がらせですか!?」
「え? ああ……ゴキブリかよ。しかも死んでるし……まあ、真冬だしな」
「そういう問題じゃありませんよ! どどど、どうにかしてください!」
氷川からホウキを投げつけられた赤城はキャッチに失敗し、顔面に痛みを覚えながらも既に息絶えている黒い生き物を外に掃き出す。正直、この廊下を通るものにとっては迷惑でしかない(と言っても、隣が角部屋であるため通るのは1人しかいないが)。
数分後、怪獣黒光りがいなくなったことにより落ち着きを取り戻した氷川が赤城に説教をかましたことは言うまでもなかろう。
時が進むこと更に30分。とにもかくにも、ようやく人が生活できる程度の空間となった赤城家。
冬だというのに汗を拭いながら、2人は居間で立ったまま顔を合わせる。
「……その、ありがとう氷川ちゃん。これは、本当に」
「いいですよ、別に。私も生活することになるんですし、連帯責任です」
「やっぱり泊まるの?」
「これからのこともありますし……えっと、ダメなんですか? でしたらホテルなどに……」
哀しそうな表情。小声になる氷川に、赤城は罪悪感を抱いた。
何より、ここまで世話をしてもらっておいて拒否するのはまずい。男としての何かを失う気がする。いや、泊めたとしてもまずい気はするが。
「1日だけだぞ。終夜と話すのにも同席してもらわなきゃいけないしな」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて……よろしくお願いしますね」
最早、この世界に『表』も『裏』もない。しばらくの間『裏』に身を置いていた2人は今この場所で何を思うのか。少なくとも赤城は、親友との久しぶりの再会を控え、身を震わせていた。




