第四章 介入、それが引き金(19)
『氣』。
それを強くするのは、先述のように使用者の心である。しかし、その逆も成り立つ。つまり、それを弱くするのもまた、使用者の心ということだ。
具体的には、戦意喪失状態。こうなってしまっては、『氣』は発動できない。使用者が虚実の勇気を出したところで、心がそれを拒否しているのなら、白き光は現れない。
では、上月は何故戦意喪失に陥ったのか。
答えは明白であろう。戦いたくないのだ。幼馴染の、世界で最も愛する女性とは。たとえ彼女が狂ってしまっているとしても。
彼を包むものはなくなり、まず初めに凍てついた空気が肌を襲ってきた。溢れる涙は凍り、体は機能を鈍らせる。
次に、眩い光を纏った木霊の拳が彼の顔に突き刺さった。
悲鳴すら、出せない。『氣』の無い彼は一般人。ノーバウンドで数メートル吹き飛ばされた彼の体は、木の幹にぶつかってようやく止まる。
その衝撃は、上月の体をくの字に反らせ骨を砕いた。
為す術も無く凍った大地に倒れ伏した彼は、ぴくりとも動かない。
意識は辛うじて残っていたが、最早体が言うことを聞かぬのだ。無理に動かそうとすると、筆舌に尽くしがたいほどの痛みが走る。
(情け、ないな……結局、救えないんじゃないか。俺は、誰も……)
ぼやける視界。
人型の白い光がゆっくりと近付いてくるのが分かる。
一体、どうすれば良かったのだろう。どうすれば、この結末を回避することが出来たのだろう。
研究所で、『原点』を止めることが出来ていれば。さらに遡って、支倉からの電話の時点で黒神に相談していれば。いや、あの電話を無視して木霊との話を優先していれば。そもそも、この研究所に入らなければ。
何より、もっと早く木霊に想いを伝えていれば。
これまで、様々な選択肢があった。なのに、彼は誤ったものを選び続けてきた。それが、この結末を招いたのだ。
IFを述べるなら、いくらでも出てくる。だが、現実は1つ。過去に戻ることなど出来ない。未来に向かって進むしかない。
だったら、今目の前にある選択肢だけは間違えてはならぬ。
今までがバッドエンドルートだったとしても、この一手でハッピーエンドに持っていける可能性は残っている。
(でも……力が……)
分かっている。選ぶべきものは見えているというのに、今度は物理的に選択できない。
光が、迫る。
そこへ、
「やらせない……先輩は殺させない……!!」
どこからか走ってきた、白衣の女性が木霊の前に立ちふさがる。両手を広げ、震える体を鼓舞し、上月を庇うように。
(バカ、じゃないのか!? 今の芽衣の前に立ったら……!!)
そんなこと、来栖だって分かっている。何の力も無い彼女は、ただの一撃で事切れてしまう。それでも、立ち塞がった。これが彼女の選択。
さあ、次はお前の番だ。
見えている選択肢は3つ。
1.このまま何もせず、全てを受け入れる
2.来栖を突き飛ばして、自らが犠牲になる
3.もう1度立ち上がり、木霊と戦う
選ぶべきものは分かっているだろう。あとは、お前が心を奮い立たせるだけ。
最後くらい、主人公らしくしてみせろ。
最後くらい、カッコよく決めてみせろ。
最後くらい、限界を超えてみせろ!!
「お、おお……」
全身に力を込める。
とてつもない激痛。だが、諦めない。折れてしまうくらい歯を食いしばり、体の中から逆流してくる大量の血を吹き出しながら、立ち上がる。
骨は砕けていても、関係ない。拳を握れるのなら、それでいい。
たった1発。その力さえあれば。
それだけで、お前は英雄になれる。
「おおぉぉぉぉぉぉぁぁぁぁぁぁぁァァァァァァァああああああああああああああっ!!」
咆哮と共に、白き光が蘇る。
天に向かって吼える上月の体を包み、彼に力を与える。そして『氣』は右手に集中された。
「先輩……!?」
眼前に立つ来栖を多少強引に後ろに退け、歩みを止めた木霊と対峙。
「芽衣、俺は決めたぞ。お前がなんと言おうと、連れて帰る。だから……」
もう、痛みは感じない。体は思った通りに動く。
上月はボロボロの顔で、笑ってみせた。笑み、そして木霊に向かって突進。
「一発だけ、我慢してくれ!!」
――その瞬間、木霊が微笑んだ。
――その瞳は、ダイヤモンドのような輝きを取り戻していた。




