第四章 介入、それが引き金(3)
今回の話はとても不愉快な気持ちにさせてしまうかもしれません。苦手な方はブラウザバックを推奨いたします。
研究室は静まり返っていた。
入り口の近くの壁に体を預けて立っている黒神でさえ、腕を組んだまま俯いている。この状況を作り出したのは彼なのだが、張本人までも暗くなってしまえばこうなるのは自明だろう。
「……わ、私ちょっとお水飲んでくるね」
重い空気に耐えられず、木霊はそう言って誰とも目を合わせず逃げるように研究室から出て行った。
彼女は休憩室に向かう。
黒神天明から聞かされたのは、所長・支倉と彼の上司である新木による計画。
ある男を対象とした、『超能力』の発現、そしてそれを利用した戦争の終結。
これだけ聞けば彼らは戦争を終わらせようとしているだけだと思う者もいるかもしれない。だが、そこに意味があるのだ。
もし戦争終結に際して彼らが他国を制圧してしまったら?
彼らの思惑が日本のそれとは到底思えない。そう、彼らは『英雄』になろうとしている。そしてその地位を利用して、否、超能力を利用して世界征服を企んでいる。
世界征服、これは冗談ではない。本当に起こるかもしれないことである。
「恵の理論を盗用して、世界征服……そんなの許されるわけがない」
休憩室にたどり着いた木霊は共用のコップに水を汲み、喉を潤す。
ところで、来栖の理論を盗用したことにも意味があるということにお気づきだろうか。
つまり、計画が失敗すれば彼女に全責任を押し付けることが出来るのだ。『超能力』の理論を生み出したのが来栖ならば、当然の理。さらに、彼女は直接手を下さず所長を利用して実験を行ったとでも主張されれば、彼女は最早表社会で生きていくことは許されない。
ここまでで、木霊と親しい人物が2人も計画に巻き込まれている。
実行犯=上月大河、首謀者=来栖恵。
最悪の未来が容易に思い浮かぶ。
「……もしかしたら、所長室に何か手がかりが残ってるかも」
ふと思い浮かんだ1つの希望。木霊は水を飲み干し、所長室へと歩いた。
所長室に行くには上月の研究室の前を通る必要があるのだが、彼女は迷った末に黒神や来栖には何も言わないことにした。
もし証拠隠滅のために研究室が襲撃されたら、そこに黒神がいた方が抵抗は出来るだろう。
研究室の前を通り過ぎ、所長室へと向かう。
所長室にたどり着くと、やはりドアは外れていた。外れたドアは木霊と黒神で移動させた位置に置いてある。つまり、あれから誰も来ていないということである。
「えっと、何かあるなら所長のデスクかな……?」
そう思って支倉のデスクに近付こうとした瞬間、トロフィーなどが飾ってある棚が動き、壁が開いた。驚いてそちらに視線を向けると、階段が現れていた。
そしてそこから3人の人物が上ってくる。
体が強張り、動くことが出来なかった木霊は最初に出てきた男と目が合った。すなわち、支倉慶吾。
「なっ、木霊君――!?」
「所長……どうしてそんな場所から?」
支倉のうろたえ方が尋常ではない。もちろん、黒神の話を聞いていたからか木霊の表情も引きつっている。お互いが、お互いを警戒しているのだ。
「おいどうした支倉……はぁ、面倒なことになったな」
後ろから、軍服を着た男。恐らく彼が新木だろう。
この2人がいるのが偶然だとは思えない。これは、必然だ。
直後、木霊は更に驚愕した。
原因は、最後に現れた人物。手術のときに患者に着せる服を纏い、彼は不思議そうな視線をこちらに向けている。
「……た、たい……が?」
「ちっ!!」
舌打ちをした新木が、動けずにいる支倉の巨体を押しのけ、木霊に突進してくる。
彼は懐から拳銃を取り出し、グリップで木霊の頭を力いっぱい殴りつけた。
「えっ……」
一瞬、視界が暗転する。気付けば、彼女の体は背後に回った新木によって拘束されていた。
抵抗できない。そのように絞めつけているのだろう。
「おい支倉、もう1本あるだろ」
「え、ああ……だが、これ以上は!」
「関係ない。知られてしまった以上は、この女を逃がすわけにはいかないだろう」
「そ、そういうことだ。済まないね木霊君……」
支倉がポケットから注射器を取り出した。中には何かの液体が入っている。
木霊の体が警報を発する。逃げなければ。
「た、助けて大河!」
だが、上月らしき人物は呆然と立ち尽くしたまま動こうとしない。そこで気付いた。彼は上月のような見た目をしているが、上月ではない。
年齢が違う。
あれは、高校生のときの上月だ。
「え……じゃあ、大河は……」
支倉の巨体が迫る。2人の男に密着され、彼女の体は小刻みに震え始めた。
そして、注射器が木霊の綺麗な首筋に。
「あ、ああ……」
刺さる。
入ってくる。
次の瞬間。
「あ、ああぁぁぁぁぁ! 嫌っ、大河! 助けてぇぇぇぇぇぇっ!!」
悲痛なる叫びは届かず。
彼女は体を釣り上げられた魚のように跳ねさせながら床に倒れ伏した。目からは涙のような液体を、口からは唾液のような液体を。
首を必死に掻き毟りながら、彼女は声ならぬ声をあげ続ける。
だが、それでも彼女は意識を失わなかった。
ここで、意識を失っていればどれほど幸せだったか。
それは体の拒絶反応の苦しさだけではない。この後に控えていた絶望が、彼女の心を壊してしまうからだ。
すなわち。
「おい支倉、よく見たらこの女上玉じゃないか」
「新木……まさか」
「たまには良いだろ。それに、この女はもう壊れ物だ。寧ろ最後に女としての喜びを与えられることに感謝して欲しいくらいだな」
「…………ふふ、そうだな」
男たちは彼女を連れ、所長室の近くにある裏口から外へ出る。
そして、逃走用の車に乗り込み――必死に抵抗しようとする彼女の、誰もが羨む体を本能のままに貪った。




