第二章 場が整う時、全ては動く(6)
1人きりの研究室で、上月の声が響いていた。椅子に座っている彼の耳に当てられている電話からは、黒神天明の野太い声が聞こえてくる。
来栖の正式な入室は明日。よって、現在彼女はその準備に出ているのだ。
「世間話はこれくらいにしよう」
『ああ、そうか? 俺としてはもう少し話していたかったんだが……』
「重要な話なんだ、我慢してくれ」
内心、お前軍人だろなんでそんなに暇そうなんだよ、と思った上月だったがそれを喉元でぐっと抑え、言葉を継ぐ。
「なあ天明、何か変わった事はないか?」
『変わった事、ねぇ。あー……悪い、心当たりはねぇな。というか、俺らは常に非日常の中だから、何が変わった事なのかがよく分からねぇんだ』
最もな意見である。科学者も非日常の中にいるが、彼らはまだ日常との接点がある。対し、軍人にはそれが無い。
つまり、何が非日常なのかが分からないだけでなく、何が日常なのかも分からなくなっているのだろう。
だから、上月は質問を変えた。
「お前たちの生活の中で、変わった事は無いか」
そう、何が基準なのかが分からなければそれを指定すれば良い。
つまり、上月は黒神に対して自分たちの生活を『日常』としろと言ったのだ。
『そうさねぇ……あ、そう言えば』
「心当たりがあるのか?」
『いや、うーん。そうだな、変わってるっちゃ変わってるか』
「歯切れが悪いな。機密事項なら別に根掘り葉掘り聞くことはしないが……」
『まあ、大河は信用できるから良いか。実はな、近々特殊任務が発令されるみたいなんだよ』
「特殊任務……?」
それは、とある新兵器をルーシー領土に運び込むというものらしい。それだけ聞けば、至って普通の任務のように聞こえるのだが、問題はその先だった。
『俺たち空軍は、ルーシー領土到達後、兵器の「護衛」をしなくちゃならないんだ』
「……護衛って、ちょっと待てよ、持って行くのは人間じゃなくて兵器だろ。その表現はおかしくないか?」
『そうなんだよな。防衛なら分かるんだが……』
新兵器。上月の勘が正しければ、それは支倉が開発したものだろう。それはいい。それは分かる。
だが、やはり『護衛』という単語に引っかかってしまう。
もちろん、護衛という言葉の対象が絶対に人というわけではない。物に対して使われることも間違いではなかろう。
だとしても、わざわざこの単語を使うだろうか?
兵器に対して使うなら防衛、もしくは護送でいいはずだ。
「天明、何か嫌な予感がする」
『奇遇だな、俺もだ。こりゃ、何か裏にあるぞ』
「そうだ、さっきお前の所の……えっと、確か新木? っていう中将に会ったぞ」
『新木中将だと!?』
その名を聞いた黒神の声が荒くなる。
『あの人は俺の直属の上司だ。師匠と言っても過言じゃないくらい。だが……中将がそっちに行くなんて聞いてねぇぞ!』
「身内にも極秘の訪問だったのか……でも、新兵器の件だって言ってたぞ。どうして情報が回ってないんだ?」
『考えられる可能性は2つ。1つは、連絡ミスで単純にまだ報告が来ていないこと。しかし、これは可能性が低いだろうな』
より高い可能性として、もう1つ。
それは、新木が空軍としてではなく個人として動いているということ。
『とはいえ、単独で動いているとしても、そこにどんな意味があるんだ?』
「……なあ天明。もしも、もしもだぞ。新兵器を私的に使用するなら、お前はどう使う」
『新兵器がどんなものかによるが、そうだな……それが最強の兵器だって言うんなら、易々と他国に支給したりしない。自国で保持し、日本の地位を高める』
数秒の沈黙。
それだけで、2人の男は互いに互いの意図を感じ取った。
「おい、これってマズくないか」
『ああ……予想が当たってるなら、大変な事になるぞ』
その意は、言葉にすれば軽く、されど内在するものは重く。
そのたった1単語で、戦況が大きく変化してしまう。
だから、2人はこれ以上の話は止めておくことにした。
確信があっても、確証が無い以上更なる議論は無意味。それどころか、自分たちの立場が危うくなる可能性がある。
上月は周りを見渡し、部屋の中に誰もいないことを確認した。否、確認せざるを得なかった。たとえ、誰もいないと分かっていたとしても。
恐らく、電話の向こう側の男も同じ行動をしただろう。
そして、2人は少しだけ世間話をして電話を終えた。
上月の知らぬ所で、盤面が整っていきつつある。ともすればそれは――




