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第一章  何度でも(5)

 騒然としていたホームが、突如として静寂に包まれる。

 それは駅に響いた1つの原始的な音が原因だ。全ての視線が2人の男に集められた。


「がっ……!? こ、上月さん……」


 武田の荒れた肌は、右側が赤く腫れていた。彼は痛みに頬を押さえ、涙を貯めた目で拳を振りぬいた格好のまま停止している上月の顔を眺めた。


 だが、その腕の後ろにある彼の表情は見えない。

 震えは、一体何から来るものなのか――


「武田ぁ……ふざっけんなよ!! 何考えてんだお前っ!!」

「――っ!!」


 腕を引く。

 大きな黒眼が怒りに燃えているのが分かる。立ち上がった上月は、未だ動けずにいる武田の胸倉を掴み、勢いよく持ち上げた。


「何でこんなことを……なんて、聞くまでもねぇよな」

「かはっ……やっぱり、分かってるんじゃ、ないですか! だったら、どうして止めるんですか!!」


 もがきながら、喚く武田。彼を睨みつける上月。そして、どうしていいのか分からず側でオロオロしている木霊。


 事態はすぐに駅員へと伝わったらしく、上月が何かを言いかけた瞬間に仲裁が入った。そして、彼ら3人は駅の事務所へと誘導される。


 到着するまでの間、会話は一切無かった。












「んー、とりあえず自殺しようとした彼を君が助けたってことでいいのかな?」

「ええ……まあ」


 対応に当たった初老の駅員の男性は困った顔をしていた。

 事務所は狭く、その殆どが1つのテーブルに占領されている。そして現在、上月・木霊・武田の3人は駅員と向かい合うようにして椅子に座っていた。


「あー、うんうん。まあ特に重大な遅延は無かったし、こちらとしてはもう帰ってもらってもいいんだけど……外に出た瞬間喧嘩されるのも困るから、ここで終わらせてもらえるかな?」


「ご迷惑をおかけして、申し訳ないです」

「うん、全くだね。じゃあ、気が済んだらそのまま帰ってくれて構わないから。それじゃ、お疲れ様」


 軽く手を振って、駅員は事務所から出て行った。扉が閉まる音の後に、その扉の前に何かを置く音がした。『立ち入り禁止』の札でも設置したのだろうか。


 束の間の静寂。

 そして、上月が口を開いた。


「なあ武田、その……つい熱くなっちまった。すまん」

「……上月さん。自分こそ、お礼も言わずに……」


 先ほどとは正反対の雰囲気。木霊はほっと胸をなでおろした。


「僕、耐え切れなくなったんです。何もかも……」


 武田はゆっくりと言葉を継いだ。拳を強く握り締め、唇を振るわせる彼は今にも泣き出してしまいそうだ。


「僕たちって、何のために科学者をやってるんでしょうか。人の役に立ちたいと思ってこの道を選んだのに……」


 研究させられるのは、兵器に応用できる最新技術。詰まるところ、人殺しの道具。

 他の研究所がどうかは分からないが、上月たちが所属する研究所はそのような研究しか行っていない。


 元々は普通の研究所だったのだが、第三次世界大戦が始まるや否や今の路線へと急旋回した。職員の数も、上月が入りたての時に比べて相当数減っている。


「上月さんは、どうしてまだ研究を続けているんですか?」

「……どうして、だろうな。理由なんて考えたこともなかったなぁ」


 割り切ったからこそ、精神が崩壊することは避けられた。

 だが逆に、割り切ってしまったからこそ、そこに何の意味も持たない空っぽの理由だけが存在してしまっている。


「そう、無理矢理言うならば……生きるため、か」

「生きるため?」

「俺にとって、研究は人生そのもの。これが無くなっちまうと、それこそ俺自身が終わってしまいそうなんだよ」


 もちろん、上月はまだ若い。こう断言するには早すぎるはずだが、それでも彼はそう言った。

 今はそれでいい。理由なんて後から探せる。上月は自分に言い聞かせた。


「僕だって、人生を捧げるつもりでした。でも……」

「武田、お前は優しいんだよ」


 上月は髪型を整えるように右手を動かして、武田の潤む瞳をじっと見つめながら告げる。


「独立しな。独立して、お前はお前の研究をするんだ。そりゃ大変だと思うけど、人生を捧げるんだろ? それなら、このまま悩むよりよっぽどいい」


 だから、と言って彼は微笑む。



「生きろ。死のうなんて2度と思うな。お前の命は、消えるためだけにあるんじゃないだろ?」



 よく見ると、上月の隣に座っている木霊の表情も明るい。

 釣られて、武田の口角が上がり、瞳からは大粒の涙が零れ始め――











 科学者は壁にぶつかる。

 何度も、何度も。

 だが、何度でもそれを乗り越えていくのだろう。

 時に、誰かの力を借りながら、何度でも。


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