第二章 私を選んで
私を選んで。
胸に当てた手を強く握り、震えながら朝影はそう告げた。いつも冷静な彼女の瞳が揺れている。その姿に、黒神は心を打たれた。
だが、彼女の真意に彼は気付く。
「やっぱり……朝影、お前は……」
「ええ、現状は貴方の敵になるのかしら。私は轟王牙たちのいる『楽園解放』と繋がっている……そして、エデンを破壊しようとしている」
『エデン破壊論』。それに対する彼女の姿勢は変わりない。だが、どちらの『楽園解放』に属しているかによってその意味がまるで変わってしまうのだ。
神原嵐の率いる『楽園解放』の場合は、『エデン破壊論』を支持しつつもその実、エデンの実験を崩壊させるという内容となっている。だが、もう1つの『楽園解放』に属する場合は『エデン破壊論』を全面的に支持し、エデンそのものの破壊を目的としている。
そして、その結末も異なるものになるはずだ。
「私にはお姉ちゃんがいたの」
朝影の言葉に、黒神は思わず唾を飲み込んだ。
「ただ1人の家族だった……でも、お姉ちゃんはエデンによって連れ去られてしまった。今も生きているのかどうかさえ分からないわ」
だから、彼女はエデンを憎んでいる。たった1人の家族を奪われ、人生を狂わされた。
「エデンのデバイスの性能は知ってるわ。だからこそ、お姉ちゃんの消息が分からないのは不自然すぎる。きっと、お姉ちゃんはもう……だから、私はエデンを壊すと決めた。そうね、復讐……と言っても間違いじゃないわ」
ゆっくりと、太陽の輝きが失われていく。
「……朝影、お前は勘違いをしてる」
「いいえ、たとえそうだったとしてももう遅いわ。私は退けないところまで来てしまった」
朝影は黒神に近づき、彼の顔に両手を当てた。そして、吐息がぶつかるほどの距離で、
「私はエデンが憎い。エデンでのうのうと暮らしている人間も。でも……貴方だけは憎めないの。最初は憎かったけど……一緒に過ごすうちに、私は貴方のことを……」
そこで、彼女は1度顔を逸らした。そして、白い息を数回吐いてからもう1度黒神の顔を見つめる。
「私は、貴方を好きになってしまった。今も、貴方を見てると他のことがどうでもよくなってしまう」
熟れたリンゴのように真っ赤に染まった頬、潤んだ瞳。艶っぽい表情は、果たして何人の男性を射止めるだろうか。
黒神も、呼吸が苦しくなるほど心臓が跳ね上がっている。だが、彼は上手く言葉を継ぐことが出来ない。ドキドキしすぎているからではなく、何を伝えるべきか迷っているからだ。
「朝影……俺は、いや、お前は! 大きな勘違いを……!!」
「答えて欲しいのは、ただ1つ。私を選んでくれるか、否か……一応恥ずかしいんだから、早くしてくれないかしら……」
頭が回らない。答えが浮かばない。目の前の少女にどう声をかけるべきか。
(お前の姉を、俺は知ってる! でも、それを伝えたところでどうなる。信じてもらえるのか? それに、ああくそっ!! どうして俺はこうも甲斐性が無いんだ!!)
黒神は搾り出したような声で、こちらの顔をしっかりと見つめている朝影に対してこう言った。
「――俺は、お前を選ぶことは出来ない」
その言葉に、朝影の瞳から大粒の涙が流れ始めた。
「そう……」
か細い声は、夜の闇の中に消えていく。
「分からないんだ。自分の気持ちが……」
黒神は力を失い両手をぶら下げた朝影の両肩を掴み、言葉を搾り出す。
「でも、これだけは曲げられない。俺は、エデンを守りたい。エデンに住む人たちを傷つけることは出来ない」
「……ふふ、やっぱり貴方は強いわね。それに……男女の関係ではまだ諦める段階じゃなさそうだし……分かった。これで私と貴方は明確な『敵』。だから――」
涙を拭い、赤くなった目で黒神を見つめながら朝影は1歩退いた。
そして、青いオーラを纏う。
「おい朝影!?」
「言ったでしょ、もう退けないところまで来てるって。ここからは、私情は関係ない。貴方が敵である以上、私たちは戦わなければならない」
そう言った彼女の両手には氷の渦が出来上がっていた。
(朝影と戦う!? そんなこと出来るか!! でも、向こうは……!)
戦いは避けられない。覚悟を決めるしかないのだ。
「朝影……」
黒神は拳を握り締め、戦闘態勢をとった。その姿に、朝影は微笑む。
「行くわよ」
氷の渦はやがて剣の形となり、朝影は2本の氷の剣を手にしていた。そして、黒神に向かって突進してくる。
振り下ろされる2本の剣に向かって黒神は両手をそれぞれ構える。『氣』の光線で剣を吹き飛ばそうとしているのだ。
だが。
そこで気付いた。
『氣』が纏えていないということに。