第一章 甘い時間(9)
フードコートに戻ると、朝影はまだ本を読んでいた。だが、黒神が戻ってきたことに気付いた朝影は本屋で貰ったであろうしおりを本に挟んで、袋の中に入れた。
「結構長いトイレだったわね」
朝影はさらさらの青髪を弄りながら、訝しげな表情で黒神に尋ねる。
「え、ああ……部長から電話がかかってきてな」
藤原との電話自体は隠すことではない。そう判断した黒神は正直に伝えた。
「部長って、この前指揮をとってた人かしら?」
「そうだよ。まあ、大した話じゃなかったけどな」
黒神は椅子に座る前に、朝影に何か食べたいものが無いか尋ねた。すると、彼女は黒神に任せると言った。
この場合、男の責任は重大である。任せると言いながらも、やはり彼女にも好き嫌いはあるはずだ。
「じゃあ、カレーにしとくか」
「ふふ、無難なものを選んだわね」
「デート慣れしてねえんだ……勘弁してくれ」
朝影は楽しそうに微笑んでいる。どうやら、選択は間違っていなかったようだ。
黒神は席を離れ、カレーを売っている店に向かった。
思い出せば、神原との戦いの後初めて朝影が作ってくれたのもカレーであった。あの日から、家事の殆どは朝影がやってくれている。黒神としては非常に助かっているし、同世代の女の子と同棲できるという夢のような生活をしている。
「えっと、カレーセット2つ」
店員の女性は笑顔でレジを打っていく。表示された料金を払うと、小さなトランシーバーのようなものを2つ渡された。カレーが出来上がったら、これで知らせてくれるらしい。
「ん、人が増えてきたな」
時刻は11時34分。そろそろ昼飯を食べに客が集まってくる時間帯だ。先ほどまで疎らに人が座っていたフードコートが、段々と賑やかになっていく。
黒神はトランシーバーを持って朝影の所に戻った。
「それは?」
「料理が出来たらこれで知らせてくれるんだってよ」
「そこは外界と変わらないのね」
朝影と他愛の無い話をしていると、数分後にトランシーバーから料理が出来たことを知らせるアナウンスが流れてきた。
「意外と早かったわね」
「確かに……」
黒神がカレーを取りに行こうと立ち上がると、朝影も一緒に着いてきた。流石に2人分を黒神1人で持っていかせるわけにはいかなかったのだろう。
店に行くと、先ほど接客してくれた店員が笑顔のまま立っていた。彼女は黒神の姿を見つけると、カレーと野菜が乗ったトレーを2つ、前に動かした。
「……ごゆっくりどうぞ!」
店員は一緒に来た朝影を見て、黒神に対して先ほどとは意味の違う笑顔を見せながら言った。具体的には、ニヤニヤしながら。
2人は席に戻り、カレーの批評をしながら昼食をとった。
「これ、私が作るのと具が少し違うわね」
「でも、美味しいからいいんじゃないか?」
「こういう時は、『お前のカレーの方が美味しいよ』って言ってくれればいいのに……」
朝影は不満げな表情を浮かべてみせた。黒神は思わず咳き込み、オロオロしていた。その様子が面白かったのか、朝影は口を押さえて笑っていた。