第三章 それぞれの戦い、それぞれの想い(10)
安心院の能力は、『速度超過』。身体強化の一種で、力ではなく速度を強化するものだ。その速度は、正に目にも止まらぬものへと化し、相性の良い能力者であれば敵は何もできずに敗北するだろう。
だが、どうやら二宮との相性は最悪だったようだ。
「おいおい、マジかよ。これでも結構本気出してるんだぜ?」
白いオーラを纏った安心院は高速で蹴りやパンチを繰り出しているが、その全てを二宮は避け続けている。右に、左に、時にはのけ反り、屈みながら。
激しい動きにスカートが捲れたりしているのだが、スパッツを履いていたためかそれとも避けるので手一杯なのか、彼女は全く気にしていない。
「その目、能力だよね。可愛い子だからと思ったけど、とんだジョーカーを引いたみたいだ」
安心院は苦笑いを浮かべた。だが、その苦笑いすらも爽やかに見えるのは、彼の容姿のせいだろうか。
「ところで、どうしてさっきから喋らないのかな?」
2人のスピードに、周りには砂塵が舞っている。それは徐々に2人を包み込んでいき、まるで2人だけの空間が生み出されていくようだ。
「喋る余裕が無い、かな?」
その言葉に、汗まみれの二宮の顔が歪む。図星のようだ。
「喋る余裕がある俺が少しだけ優勢のようだね」
少しずつ、安心院の攻撃のスピードが上がっていく。速すぎて、常人には寧ろ止まっているように見えるのではなかろうか。
二宮がそんなスピードについていけてるのは、妖しく光る茶色の目が理由だ。
彼女の能力は『視力強化』。自身の動体視力及び視野を強化するものである。つまり、能力だけ見れば彼女の方が有利なのだ。
しかし、根本的な所で、その優勢は崩れている。
それは、そもそもの体力の問題だ。
男女差――それもあるだろうが、それ以上に経験の差である。
能力者とはいえ、二宮はまだ学生。対して安心院は『楽園解放』という所謂軍隊のようなもののメンバーである。戦闘経験の量も違えば、これまでに訓練をしてきた時間も違う。
このままでは、二宮が体力切れを起こし、安心院のスピードについていけなくなる。
「まだ俺の限界は先だぞ!!」
速くなっていく攻撃に、二宮の体が段々と遅れをとってくる。彼のパンチが頬を掠り、蹴りがわき腹を掠めていく。
(正直、限界……!! あたし、負けるのかな)
二宮の頭に、敗北の2文字が浮かぶ。
「もう限界かい? 俺はもっと速くなるよ!!」
その言葉通り、更に安心院のスピードが上がる。
そして遂に。
安心院の高速の右拳が二宮の腹を捉えた。
「がっ、ふぅっ!?」
高速の拳は普通の拳よりも大きな破壊力を持つ。つまり、安心院の能力はそのスピードを強化することで同時に威力も強化していることになるのだ。
砂塵が一気に吹き飛び、二ノ宮の体が外に投げ出された。2・3回後転し、彼女は膝をついたまま顔を上げた。
「いやあ、ここまでついてきたのは君が始めてだよ。大体本気を出す前に決着が着いてしまうからね」
長い金髪を揺らすようにして首を鳴らしながら、安心院は言う。砂塵が吹き飛ばされた時の風圧が原因か、彼のオーラも激しく揺れている。
「鹿島みたいな能力者だったら俺はまず勝てないね。まあ、スピードを生かしてあいつの視線から外れ続けるって手はあるけど、俺が攻撃するときは接近しなきゃいけないからジリ貧だ」
そう、実は『速度超過』は相手との相性の差が激しいものなのだ。
「だからこんなパターンは初めてだよ。能力の相性を悪いけど、戦闘には勝利する……」
二宮はぜえぜえと息を切らし、額から大量の汗を垂らしながらも安心院を睨みつけている。本当に体力の限界なのか、彼女の足は生まれたての小鹿のように震えている。
「可愛い女の子を倒すのは気が引けるんだけど、仕方ないか」
そう呟いた直後、余裕の表情を浮かべていた安心院の金色の目が大きく見開かれた。だがそれは二宮に向けてのものではない。
彼の仲間である鹿島がノーバウンドで数メートル吹き飛ばされたことにその目は向いていた。
「なっ……鹿島が!? あのチート能力者が負けるなんて!!」
苦笑いまでしかしてこなかった安心院が、初めて悔しそうな表情を見せた。唇を噛み締め、慌てて二宮の方に顔を向ける。
「悪い、とっとと君を倒さなくちゃいけなくなったみたいだ」
「…………」
鹿島の敗北を見た二宮は、大きく息を吐いた。そして、大きな光が宿った目で安心院を見る。
(蒼真は勝った! だったらあたしだって……)
彼女の脳裏に浮かんだのは、鏑木との約束。
それは、お互いに負けないこと。
「あたしも、勝つ!!」
先ほどまで重かった体が突然軽くなり、息も整った。二宮はゆっくりと立ち上がり、拳を握り締める。
今なら、もう一度安心院の攻撃を見切ることができる――!!
「奇跡の復活? いや、そんなことは関係ない。文字通り、高速で終わらせる!!」
そう言った時には、安心院の体は二宮の目の前にあった。だが、見えている。
彼の高速の攻撃が二宮を襲う。だが、見えている。
(ぐっ……まだ、まだ耐えろ。あたしの攻撃は今じゃない!!)
二宮はやはり避けることしかできない。上下左右、様々な方向に体を動かしながら安心院の攻撃を紙一重で避けていく。
白いオーラ、金色の髪、そしてショートカットの茶髪。様々な色のものが激しく揺れ、そして再び砂塵が舞い始める。
「いい加減にしてくれないかな。さすがの俺も鹿島が負けて苛立ってるんだよ」
安心院は、鹿島に信頼を置いているようだ。最初の会話からはあまり仲が良くないようにも思えたのだが、彼なりに尊敬をしていたらしい。
だから、彼は怒りを覚えている。
(まだ、もう少し……!!)
二宮の足が震え始める。汗が目に入る。息をする度に喉に粘々した液体が溜まっていくのが分かる。それでも、彼女は安心院の攻撃についていく。
「ああもう……いい加減にしてくれよ!!」
そして、安心院のスピードは最高に達した。
それを知ってか知らずか、二宮は確信する。
「ここだぁぁぁぁぁぁああああああああああああ!!」
砂塵の中で、二宮の雄たけびが響いた。
彼女がとった行動は簡単だ。最高速度で繰り出された安心院のパンチを右手を使って後ろに受け流したのだ。
「なっ……あぁぁぁぁぁぁあああああああああっ!?」
柔道の背負い投げは、相手の拳の勢いを利用することが多い。それと同じ要領だ。
力は要らない。
向かってきた拳を受け流し、少しだけ勢いを加えれば十分だ。
それだけで、自身の最高速度の拳に安心院の体は引っ張られてしまう。時速100キロの車が急に止まれないように、彼の体もブレーキが利かず、自らの勢いに――
砂塵が吹き飛び、轟音が響いた。
それは、安心院の体が駐車場にある破壊された車の山に激突した音である。そして同時に、それは二宮の勝利を知らせるゴングであった。
「はぁっ、はぁっ……!!」
両手で膝を抑えたが、我慢ができずに地面に尻餅をついてしまった。もう動けないことを理解した二宮は、同じく近くでうつ伏せに倒れている鏑木に視線を移した。
彼の側では、藤原が彼を回復させている。
意識は戻っているようで、鏑木も二宮の視線に気付き、こちらを向く。
「……お互いボロボロだな」
「ふふっ、あたしの方がまだ余裕あるし」
勝利の笑み。
お互いが約束を果たしたことを、2人は喜び合った。
「はいはい、2人とも同じくらいボロボロだよ」
藤原が、ため息を吐きながら言う。その言葉に、2人は時折咳の混じった笑いを響かせた。
さあ、残るは2組の戦いだけだ。