第7話
メリッサが去ってから数日が過ぎた。その間、目に見えた変化はなく。客足もさして変わりない。一日に一人来るか来ないかの日もあれば、子供が数人来るという日もあった。その時は、いちまがいつになく嬉しそうな表情で見守っていた。動かないことはきちんと守っていたので、依然として、メリッサ以外の人に、いちまが動く奇妙な人形であるということはばれなかった。
その間、鉄志は何度か時計屋に機織感謝祭についての打ち合わせと称して呼ばれたりした。打ち合わせに呼ばれたときは、一応店を閉めてから行く。いちまを連れていく訳にもいかず、待っていてくれと言えば、特に嫌がるそぶりもなく、了承をしてくれる。
「ああ、久しぶり、鉄志くん」
時計屋は会う度にそう言ってきたので、ボケてるんじゃないかと失礼な疑問を抱きつつも、やるべきことはきちんと教えてくれる。やるべき準備は思っていた以上に単調で、これなら一通り教えてもらえれば自分でも十分にこなすことが出来ると分かる。
ある打ち合わせの時、鉄志は、かねてより考えていた繊維戦隊ホワイトファイバーの企画について、時計屋に相談することにした。時計屋が台所スペースから一服のためにお茶を運んできてくれたところで話しかける。
「あの相談があるんですけど」
場所は、時計屋の店先スペースから奥へ行った居住スペース。ここでいつも作業をしている。畳の部屋に、タンスや机といった木製の家具が並んでおり、非常に落ち着いた部屋だ。卓上にこれまでの機織感謝祭の時に使われたであろう各所への電話番号や伝えるべき内容をメモした資料がまとめられたバインダーが数冊広げられている。今日やるべき機織感謝祭の関連仕事は全て終わっていた。
「どうしたの? 鉄志くん」
時計屋は、お茶を机の上に二人分置きつつ、落ち着いて聞き返す。本当は実行委員として奥さんも最初のうちは一緒に作業をしたりしていたが、実際三人も必要なのかといわれたらそういう訳でもなく、今日は病院に行っているらしい。年を取ると大変だよ、と言っていた。祖父祖母は、鉄志が若いうちに高いしてしまったために、その辺りのことにそこまで詳しい訳でもないのだが、商店街そのものが高齢化しつつあるため、近所づきあいで自然とこういう話は耳に入ってくる。
「ああ、時計屋さん、えっとですね……僕がやらせてもらってるホワイトファイバーってあるじゃないですか?」
「ん? あー、あの、ひーろーさんね? なんだっけな、白い!」
あれ、もしかして、繊維戦隊ホワイトファイバーってそんなに認知度低い? いや、いや、忘れてただけだよね、年だし……。
「はい。それ、えっと、機織感謝祭では、舞台で少し劇をやるって話になってると思うんですけど、それだけじゃなくて、感謝祭が行われている最中、空いている時間で、商店街を歩いて、挨拶をしたり、記念撮影をしたりっていうのはどうかなって思いまして……。もちろん、運営に負担をかけないようにやりますし、僕が一人でやりますから」
それを聞いて、時計屋は少し間、なるほどねぇ、ふんふん、と考えていた。鉄志は、やっぱりこういう自主的な取り組みは反対されるのかなぁと考えていたが、そういう訳ではない。鉄志の長文をゆっくり時間をかけて理解しているに過ぎない。つまるところ、考えすぎである。
「……だめ、ですかね?」
「いいと思うよ、なに、少しくらい問題が起きても、若い人のしたことだからって言えば大体なんとかなるさ」
その目は優しい。
「問題なんて、そんな。ただ商店街の中を回るだけですよ? あ、何かこれしたらいいんじゃないか、とかありますか?」
鉄志の問いに、時計屋は再び思考時間へと入る。数秒の間を空けて、ああ、と何か思い付いたらしく答える。
「それなら、会った人に、後日使える商店街のクーポン券とかを配る、って言うのはどうだろう?」
「ああ! なるほど! それはすごいですね、それなら、祭りの人の多さをその後の商店街のお客さんにそのまま伸ばすことができるっていうことですか!」
「うん、そう、そう」
さすがは長老の知恵というか、何故思い付かなかったかというか、とにかく、こうして人に相談することで、一つアイデアが増えた。
「そうなると、やることも増えるかなぁ?」
そう言う時計屋の顔は、けれども、言葉とは裏腹にとても楽しそうだ。
商店街の全体のクーポン券に関する規約などの資料を探しながら、そういえば、と時計屋が口を開く。
「あのー、例の、商店街がショッピングモールにっていう話の噂なんだけど、市役所で働いてる息子がいる友人がね、言ってたんだよ」
「といいますと?」
手を動かしながらも、どうしても気になり、あまり集中できない。見逃さないように、ゆっくりとめくりながら、鉄志は時計屋の言葉に耳を傾ける。
「あのねぇ、外資がどうとか、言ってたなぁ……。外国の企業さんが、日本の投資系の……なんだっけ」
「えぇ! ちょっと、それ大事な話だと思いますよ!?」
しかしながら、確かに、外資だのなんだの、と言われても鉄志でもあまり分からないのだから、ずっと時計屋一筋でやってきた時計屋のおじいさんには少し難しい話かもしれない。それでもしっかりしてほしいものである、ボケ老──もとい、商店街の長老として。
「あー、でも、市がやるって訳じゃないんですかね?」
「うーん、聞くには、ショッピングモールが駅前にできれば、その分税収はアップするから、市としてはやっぱりショッピングモールを応援するかもしれない、とかなんとか……困ったねぇ」
「困ったねぇ……じゃないですよぉ、しっかりしてくださいよぉ」
多分、本当に困っているんだろう。だけども、焦りとなってはいない。まるでなるようになるだろうといったような態度に少しいらいらと覚えつつも、息巻いて反論するという訳にもいかない。一応反対の立場でいてくれるんだろうから。
しかし、情報が市の職員となると、話は、実のところ、結構急を極めているんじゃないか、と思えた。そして、この機織感謝祭を少しでもいいものにしなければいけないというプレッシャーが鉄志の肩にのしかかるのだった。
だからといって、今の鉄志にどうすることもできない。それが、さらにもどかしい。今出来るのは、目の前の機織感謝祭に向けて、全力で頑張ること。闇雲に頑張るというのは、あまりいいことじゃないかもしれないが、鉄志にできるのはそれだけだった。
その日、鉄郎が休みで、今日は俺が店番をするから、自分の部屋で勉強でもしておけ、と言った。ついでに、いちまちゃんに話し相手になってもらうから今日一日お借りしていいかな、などと言ってきたため、恐らく目的はそっちなのだろう。鉄志は、いちまの大人びた態度──特に、普段から人形のように落ち着いている様子を考えると、鉄志よりも鉄郎の方が話し相手としては適切なのかもしれないと、嫉妬という面倒くさい感情ではなく、ただ純粋に思ったりもする。
いちまの話し相手が夕飯の時などを除いて、昼間などは自分しかいないことを考えると、いちまにもたまには違う相手と話させてあげた方がいいのだろうかと思え、鉄志は気分転換にその言葉に従うことにした。
自室で勉強するも、案の定、午前が終わった頃、
「……集中できない」
となる。
カウンターでいちまを片側に置きながら勉強することに慣れてしまっていたのだろうか。静かなところで、一人で勉強するというのは実に当たり前で、受験生たるものできなければいけないことなのだが、どうしても集中が続かない。
人がいて、静かなところはどこか。
そう考えて出た結論は、
「図書館に行こう」
だった。幸いにも、図書館は駅ビルが建設されたとき、駅ビルの中に移転していた。まだ一度も利用したことはないが、学習室がきちんと完備されていて、比較的利用者も多いと聞く。人がいて、かつ、静か。そして、勉強をする場所といえば、図書館。
そう考えると、昼飯を適当に済ませて、勉強道具をもって図書館へ行く。
受付で、学習室の利用を伝えると、特に何の問題もなく許可は降りた。
学習室は静かだが、人が何人かいる。建物が新しいことから、その雰囲気は綺麗で明るく、また、冷房が効いている点からも学習にはもってこいだ。これから時々、鉄郎が休みのときは、いちまと店を任せてここに勉強に来た方がはかどるかもしれない。
利用者は若い人がほとんどだろうと思っていたが、意外とそうでもないようで、おじさんやおばさんの姿もちらほら見える。何をしているのかと気になり、自分の席に座りに行くすれ違いざまに様子を見てみると、なるほど、図書館の本を何冊か持ちより、ノートに色々と書きとめている。調べ事だ。学習室という名前ではあるものの、このような利用方法もできるようだ。本を借りるには冊数の制限があるため、色々な本から少しずつ情報を取り出しすために利用しているではないだろうか。
自席につき、勉強を開始する。
あれよあれよと時間が過ぎる。
時間の流れは、スマートで、ふと時計を見るともう一時間は過ぎている。こうして時間を意識せずにある程度まとまった時間がいつの間にか過ぎているというのは、よほど集中出来ていた証拠だろう。一旦休憩、と背伸びをし、身体をほぐす。
立ち上がり、なんとなく本棚の方へと行ってみる。目に入るのは、勉強に役立ちそうな参考書。学習室の近くだからか、そういった本がかなりの数置いてある。後で借りて行こうかなと思えるようなものも多く、図書館の素晴らしさを再認識する鉄志。さすが、人類の英知を詰め込んだ建物である。
ネットで解決、とは言うものの、こうしててくてくと歩いてみると、色々な本があって楽しい。また、インターネットとは違って、自分が意図的に探そうとしていないものも一緒に目に飛び込んでくるため、たまには外に出てみるのも気分転換になっていいなぁとしみじみと思ったりもする。
本棚は学習関係の本から変わり、経済関係の本が多くあるところへ。こういう本を読めば、商店街をなんとかする方法も分かったりするんだろうかと少し手にとってみたくもなるが、今はまだ我慢だ。
経済関係の本棚を過ぎ、歴史関係の本棚のところへ差し掛かった時だった。見覚えのある後ろ姿。ダークブロンドのセミロングの髪の毛がうなじをうまいこと隠しているが、後ろからでも、その女性らしい体つきは良く分かる。言うならば、尻。
いや、そんなことはいい、これは、ああ、そうだ、メリッサの後ろ姿。店を出ていく時に見せたそれ。別に鉄志はそれに対して感動している訳ではない。見つかりたくないと思っている。見つかれば、また何か言われるに違いないし、あのアメリカンな押せ押せガンガンな雰囲気はどうにも付き合い辛い。
鉄志は、コミュニケーションを取ることが苦手な訳ではなかったが、商店街というコミュニティーでずっと暮らしてきたためか、ああいうガツガツしたのはあまり好まないのである。
幸いにも、メリッサは本を探すのに夢中なようだ。手に抱えている本は十冊を超えているのではなかろうか。コフーンとかハニーワとか言っていたし、そういう関連の本なのだろうかと思いつつ、気づかれないうちにそっとその場を去る。そそくさと学習室に戻り、再び勉強を再開することにした。途中、試しに参考書を一冊選んで、机に持ってきてみる。
一度集中を切らして休憩に入った後なので、少し心配ではあったが、やはり集中できた。この集中は本物だ。とてもいいことだ、とてもいいことのはずだ。
しかし、それは長くは続かなかった。起きて欲しくないことは、案外起きてしまうものである。いや、今回に関しては、鉄志の警戒心が足りなかったといってもいいだろう。
この不幸については、鉄志が、メリッサが何冊も本をチョイスしていたことや、学習室に来た時、この学習室を利用するのは何も勉強している人だけではなく調べ物をする人もいるということを知っていたにも関わらず、その知識を活かして警戒行動を取れなかったことが敗因である。
警戒心を最大限に働かせれば、鉄志が避けたかった事態は容易に回避することが出来たのだ。けれども、それは叶わなかった。
「あ、鉄志さん!」
両手に本を持ちながら嬉しそうに鉄志に声をかけてきたのは、紛れもなくメリッサその人だった。
「何してるの~?」
そう言って、無神経に、無遠慮に、鉄志が答える間もなく、鉄志の机を覗き込んでくる。あ、これだ、これが、押せ押せだ、と冷静に分析しつつ、鉄志は止む無く答える。