第5話
だが、残念なことに、いちまの力は限られていた。
「これ以上やると、存在が消えてまう」
らしく、いちまの力だけで店を復興しようというのは、難しい。
しかしながら、鉄志は、店の必要性を再認識した。
「やっぱり、密着型サービス? のようなものを考えないといけない、よねぇ……」
客のいない店内で、白いノートを開きながら、いちまに話しかける。
「んん……? んん~そうやねぇ~」
そういうことはあまりわからないのだろうか、いまいちピンときていない様子だ。
「クリスマスとか子供の誕生日だとかに、最近の流行りを聞いてくる人いるし、そういう層はある程度取り込めてると思うんだけどなぁ……」
それらの層というのは、おもちゃ屋みやしたにとって貴重な顧客であり、そして存在意義の一つでもある。
「うーん……」
しかし、最終執着点が見えない。真っ白のノートには、特にこれといった文字列が書き込まれることなく、クリスマス、誕生日などといった単語のみが暇つぶしに置かれる。
「繊維戦隊ホワイトファイバー……」
つぶやいたのは、いちま。
「あー、うん、繊維戦隊ホワイトファイバーねぇ……。おもちゃ屋としては、人気が出て欲しいところだけど、戦隊ものなのに何故か一人だし、繊維の街だから色もほとんど真っ白だし、手抜き感すごくない?」
退屈そうに言う鉄志と違い、何故か、いちまは目を輝かせている。
「清き繊維の白き心が、平和を求めてふんふふん~!」
いちまがいきなり歌い出すものだから、鉄志はきょとんとする。
「……で、この先は?」
「あぁ~! 何かと思ったら、テーマソングかぁ……申し訳ない! いちさん! そもそも、ふんふふん~のところもちゃんとした歌詞あるんだ」
「あの歌、でぇらいかっこよかったで、日本中で人気ある思ったがねぇ」
日本中どころか、この街中でもまだ知らない人がいるくらいである。
「繊維戦隊ホワイトファイバー、うーん。ああ、そう、いちさん、言ってなかったけど、俺がやってるんだよ」
「!?」
すると、いちまは酷く驚いた顔。目を見開いている。そんなに衝撃的だったのか。鉄志は、そういえば、姿を見せた事ないなと思い、いちまにそこで少し待っているようにと告げると、家の裏から衣装探しだすと、着て表に出てくる。
「うぉおお!」
そのあまりの歓声に、若干引きつつも、
「ほら、ね。あんまりかっこよくないでしょう? いちさんから見ても」
と聞いてみる。鉄志は、繊維戦隊ホワイトファイバーが嫌いな訳ではない。だけれど、心のどこかでは、こんなもの流行らないだろう、やるだけ無駄だろうと思っているのは確かだった。
「これが流行ってくれれば、もしかしたらもう少し本町商店街も注目されるのかもしれないけれど。繊維戦隊ホワイトファイバーの中の人は俺な訳だから、もし人気が出るなら、店の宣伝もできるしなぁ。ただ、俺の力じゃどうする事もできないんだよねぇ……」
「なんでえ?」
アクセントは「で」。いちまは、当然の疑問だというように問う。鉄志もまた、いちまのその疑問に疑問を覚える。なんでなのか。それは、
「なんでだろう……。だって、全国にこんなご当地ヒーローなんていっぱいいるし……」
「ほんでも、流行っとるヒーローもぎょーさんおるんでしょう?」
そう言われたらその通りなのだが……。
「鉄志は、自分が本当はどうしたいのかを考えないかんて」
いつになく真剣に言ういちまの言葉。鉄志はもやもやとする。しかしながら、その言葉が違うとも思わないし、反論することもできない。
「鉄志は、もっと自分に自信持ちゃーよ! おもちゃ屋みやしたの店主は鉄志なんだに! なんとなしにやっとたらかん!」
その言葉が、びっと鉄志の頭を貫く。曖昧とした、ふわふわとした日常の中に思考が溶け込みそうになっていた鉄志の脳を、刺激した。まだ数日、このいちまという存在と一緒にいただけなのに、その言葉は重かった。
何故なら、鉄志は、いちまの言う通り、なんとなくやってきていたからだ。いちまがたまたまその言葉を鉄志に突き付けたのか、それとも意図的につきつけたのかは分からない。けれども、鉄志は、なんとなくやってきた。
それは、浪人生活が物語っている。特にこれといって行きたい大学がある訳でもないが、まわりが大学に行くからなんとなく進学を決め、なんとなく浪人を決めた。
「でも……」
なんとなくな決定ばかりだった人生だが、一つ、鉄志がまわりの人間とは違うことがある。それは、おもちゃ屋みやしたに生まれたということであり、それの延長として、繊維戦隊ホワイトファイバーの仕事を引き受けたことだ。
「うん、そうだね、いちさん。俺、ちょっと考えてみるよ」
鉄志は白いノートに色々書いていった。なんとなく書かれた単語ではなく、自分でしっかりと考えた単語を、そして、文章を書いていった。
商店街の集会。この日は、そろそろ機織感謝祭ということもあり、いつもより幾分か出席者は多い、といっても、二十前後だが。そして、その中に、鉄志もいた。
「えー、それでは、まず初めに今年の機織感謝祭の実行委員についてですが……」
ゆっくりとした落ち着いた声で話を仕切るのは、商店街の一番年長者である時計屋の店主、年は六十を超えている。決められるのは機織感謝祭の実行委員。実行委員といっても、さほど大変な訳ではない。毎年あまり変わり映えのない行事をするだけなので、市への許可申請等々の雑務を去年と同じようにこなすだけだ。全体の準備などは、結局、日雇いの業者を雇ったり、商店街メンバー全員で行うので、実行委員の仕事は全体を取り仕切ること、ちょっとした指示出し、お役所仕事といった程度のものなのである。
ゆえに、誰がやっても変わらないただの面倒な作業であり、ほとんど誰もやりたがらない。毎年、順番か何かで決まっているようだった。
「実行委員は今年も三人程度お願いしたいと思っています。えー、テナントに入ってる一般企業の店の人たちは、居酒屋さんたちも含めてほとんどが祭りの日には店を休日にして、特に何も参加しない、とのことですので私たちだけで、進めていかないといけません」
これも、ある意味例年通り。商店街の外にある居酒屋ならともかく、昼から夕方にかけて三日間行われる機織感謝祭では、あまり居酒屋に影響しないし、そもそも出店などの影響で店を開けられるような状態でもなくなる。また、他に入っている学習塾やなんらかの企業の事務所といったものもほとんど同様であり、それらが地域の祭りに参加しないというのは、当たり前というか、住み分け、というか、そういった状況だった。この商店街の一つの問題でもあるのだが、ここに深く入りこむことは難しく、現状は住み分けをするしかないというのが昔から商店街に店を構える人達の意見であった。
「そして、今年から規模をもう少し縮小してはどうかということで、三日間行っていたものを、二日間にしないかという案も出ています。これについては、追々決めていくものとしましょう」
おいおい、なんだそれは、と鉄志は思う。そんな話聞いていないし、何年も三日間やってきたものを二日間にするというのは相当重要な決定のはずだ。にもかかわらず、追々などと簡単に先送りにしてしまっていいのか。そう思うのなら反論しろとも思うのだが、なかなかどうして、意義を発するまでには至らない自分がもどかしい。
「という訳で、それらも含めて決めていかないといけません。立候補はいますか……?」
その声に反応する手は、ない。何より問題なのが、住み分けだの、高齢化だの、そういうところではなく、この意欲のなさ、諦めムードにあるのだと鉄志は考えていた。もちろん、自分自身もこの輪の中にいるのだから、自分には責任がないとは思わない。この結論は、前、店でノートに問題点やこれからどうするかなどを書き連ねていったときに出た答えだ。
時計屋は少し待つと、誰も手をあげないことを確認して、
「えー、だれもいないようなので──」
と、閉め切ろうとする。ここしかない、と鉄志は考えていた。なんとなくを抜け出す手段が、最善手が一体何なのか。そんなことは分からない。けれども、何かしなくちゃいけないというがむしゃらな思いが鉄志を動かしていた。そのがむしゃらさは、若さゆえ、出来たことかもしれない。鉄志は、恥じる事なく手をあげていた。
「ん、ああ~、えっと、みやしたさんとこの、鉄志くん? やってくれるの?」
商店街メンバー一同は、さすがというかなんというか、その年齢故か、非常に落ち着いていて、鉄志が思っていたような驚きの声が上がるなんていうことは特になく、へぇ、えらいね、というまったりとした称賛がちらほらと聞かれるくらいだ。ゆえに、鉄志も、なんだ、そんなものかと少し安心できる。
「はい、せっかく、ご当地ヒーローの仕事もやらせてもらっていることですし、少しでも力になれたらなと思いまして……」
「おぉ、それは助かるよ~。えっと、そうだな、じゃあ、鉄志くんはまだ不慣れだろうし、その意味も込めて、もう片方は私がやらせてもらおうかな。後一人は……んー、そうだね、妻にでもやってもらうから、今年は他の皆さんは別のところでしっかり力を貸してもらうということで……」
時計屋がわずかにやる気を出した瞬間である。相変わらずまったり声ではあるが、仮にも商店街最年長者であることを考えると、鉄志としても心強い。最年長者ということは、この本町商店街に対する思い入れもきっと強いものだろう。そういう人の力を借りることができるかもしれないと考えると、ありがたい限りだ、とこの時はそう思った。もちろん、商店街メンバーも、ありがたい限りだと考えていた。自分が実行委員をやらなくていいという消極的理由ではあるのだが……。
「では~別の議題で……えっと、何があったっけな」
時計屋が戸惑う声に、まだあまり年がいっていない──といっても、四十そこそこではあるが、魚屋のお兄さんが声をかす。
「時計屋さん~! あれだよ、ほら、取り壊しがどうこうとかいう!」
そんな重要な話題を忘れて大丈夫か、時計屋さん……と心配になる鉄志。
「ああ、そうそう。この商店街を取り壊して、大型ショッピングモールを建設するという噂がちらほらと流れていますがぁ……まだ確定情報ではありませんし、何より、私たちは、まだまだ商店街を支えていきたいと思っている所存です。これについて、何か意見がある人はいますか?」
鉄志は、まわりの様子を見てみる。それぞれが、そんなのダメよね、だとか、反対だ、と雑談しているのが目に入る。賛成という人はほとんどいないようで、怒声などは聞こえないものの、反対の声はやはり大きいようだ。
そりゃあそうだ、自分の店を奪われるなんて、普通反対するに決まっている。
「反対よ、ねぇ。困っちゃうわ」
「駅前だからってな、そんな都合のいい話があるかってんだ!」
普通反対するに決まっている、その思いがこの場を支配していた。鉄志は同時に、少し不安になる。この人たちは、実のところ、なんとなく反対しているのではないか、と。それならば、あやしい。実にきわどい。
けれども、だからといって、賛成している訳ではないのだから、一応は安心したい。安心したいと自分に言い聞かせた。
そのうち、一人が司会である時計屋に質問を投げる。
「それはぁ、市がやってるんかい? それとも、なんかの企業?」
「うーん、それがねぇ、あんまりはっきりとは……噂で聞いただけだからねぇ」
はっきりとしない返事。鉄志も気になるところではあった。
「市がどうしても推し進めるってなら……ねぇ」
という空気が辺りに流れる。この商店街、特に、機織感謝祭という一大イベントに、手をかしてくれているのが稲宮市だ。その市が推し進めるというならば、少し反対もしづらくなるというのが言いたいところだろう。
だが、それに反論する人もいる。
「いや、だけど、俺は市がどうであっても、この商店街を守りたいですよ」
そう声をあげるのは魚屋。そうだねぇという賛同の声がちらほら、そうはいってもねぇ、という声もちらほら。結局のところ、やっぱり、どっちつかずなのだ。客観的に見て、なんとなく。
そうこう意見を交わしているうちに、断固反対派といっても、単なる噂に対して何かしらの対策をあげることもできず、なんとなく一致団結し、なんとなく反対という立場でまとまり、段々と雑談ばかりになっていく。
そのうち、やれ息子がどうだとか、いい病院はないかだとか、ただのお茶会のような状態になったのを見計らって、時計屋が解散を宣言し、この日の集会は終了した。
誰一人として、この後待ち受ける、大きな波乱を予期することなく。
商店街の入口に立つ者が居た。
ダークブロンドの胸ほどまでの長さ──セミロングの髪をなびかせて。彫りの深い顔は、日本人固有のそれではなく、明らかに外国の血が混ざっていることを思わせる。
服はシンプルにシャツとジーンズ。そのシンプルな服装ゆえに、より、その女らしい体型が強調されて見える。
「お待たせしました、ジャパニーズ商店街!」
そう言う日本語は流暢で、どこか、外れていた。