第3話
鉄郎は、かなりデキるタイプの男だ。だからといって、それを誰に自慢するでもなければ、今、浪人中である息子に押し付ける訳でもない。
おもちゃ屋を、鉄郎の父親、つまり、鉄志の祖父が営んでいた頃は、一流企業でバリバリと経営コンサルタントとして働いていた実績を持つ。
商店街の連中には、色々と押し付けられそうなので面倒くさくて言っていないが、この事を鉄志はよく知っていた。家にいったいいくらの貯金があるかは分からないが、おもちゃ屋みやしたには、きちんと新しいゲームだのプラモデルだのカードゲームだのがきちんと納品されてきていることを考えると、やはり、ある程度ゆとりはあるのだろう。
また、今も、おもちゃ屋みやしたの店番を鉄志に任せている間、どこで何をやっているのかは詳しくしらないが、相当頼りにされているようで、正社員でもないのに、夜、残業を何時間もして帰ってくることも多い。そして、今日もそうだった。夜ご飯は、鉄郎が「飯は俺がつくる」と言い張るため、鉄志は鉄郎が帰ってくるまで、夕飯を食べることができない。
ただ、夕飯の時間は、男二人ながら、会話は盛り上がる。しかし、今日、この時は、男二人という訳にはいかなかった。おもちゃ屋みやしたの二階は、居住スペース。そこの一部屋、畳にちゃぶ台というものすごく昭和な雰囲気の中での夕食。いつもと違うのは、小さなおかっぱ黒髪の人形のように整った顔立ちの──というか、人形の──和服の少女がいるということだ。
「うちは、いちま。よろしゅう」
「ああ、これは、これは……よろしくお願いします、鉄志がお世話になっております。おい、鉄志、ちゃんと彼女ができたら紹介しろって前から言ってるだろ! 父さん、お前の言う事に反対したことなんてないだろ。最初は少し小さすぎるかなとも思ったけど、これもお前の選んだ道なんだ、胸を張りなさい」
「彼女じゃないよ! というか、適応力高過ぎだよ! 気にしてよ!」
きっと、鉄郎がこの日本社会でおもちゃ屋みやしたを生き残らせることが出来ているのも、この適応力の高さに由来するのだろう。しかしながら、鉄志としては、あまりに自由放任主義過ぎる父親にもう少し考えてもらいたいとも思うのであった。
「まー、ほんと鉄志は細きゃーことをぴーちくぱーちくと……。おとっつぁんを見習やーせ」
「ああ、ところで、いちまさん。いちまさんは、一体どうやって動いているんです?」
さすが鉄郎。きちんと、この目の前にいる人形が、人形であるということを見破っていたようだ。それでいて、全く動じないのだから恐ろしい男である。実は、この人、自分が思っていたよりも、かなりすごい人なんじゃと改めて父親に尊敬の念を抱く鉄志。
「夢と~、希望や」
「ああ、それはそれは……鉄志も見習わないとな!」
突っ込みどころか、まさかの指導を受けちゃったよ! と驚きつつも、もう口には出さないでおいた。なんだか、思うツボな気がしたからである。ちなみに、いちまはご飯を食べずに──人形なので当たり前だが、鉄郎と談笑している。
「おもちゃ屋みやしたも、人気がなくならしたねぇ……これでやってけやーすかね?」
「ええ、もう、鉄志が頑張ってくれてますから! 今は、ネットでの売り上げがほとんどなので、人は全然来ないですけどねぇ!」
お話を盛り上げてもらう分には構わないのだが、とご飯を食べながらその会話を見守る鉄志だが、鉄郎の口調が──
「親父、その、まるで彼女かのように扱う口調やめてくれよ……」
「んん、ああそうか? じゃあ、まぁ、いちまちゃんって呼ぶようにしようか?」
「いや、そこじゃなく……ていうかそれじゃ余計彼女っぽいだろ」
しかし、抗議する一方で、鉄郎がこの謎の人形に変に打ち解けてくれてパニックにならずにいてくれることは良かったのかもしれない。なんだこの不気味な人形は! といって捨てられようものなら、なんだか目覚めは悪い。そんなことをするような人間ではないのは分かってはいたが。
「そんなことより、鉄志。あっちの仕事はどうなんだ、繊維戦隊ホワイトファイバーの」
そんなことって……呪いの人形そんなことにされちゃったよ。きっと世に出たら全国放送の戦隊もの以上に注目されるのに、よくわからないご当地ヒーローの話題に対してそんなことって言われちゃったよ。
「あー、今度は……えっと、確か、機織感謝祭の時かな。今度は舞台」
その話に食い付いたのは、鉄郎ではなく、いちまだった。
「おぉ、機織感謝祭はまだやっとらしたかね!」
「……へぇ、いちさんは、機織感謝祭知ってるんだ」
ふと、疑問に思い聞いてみる。ついでに、呪いの人形のことはいちさんと呼ぶことにした。いつの間にか、いちまの存在に慣れてきている自分が怖い。これも鉄郎の血を引いているということだろうか。
「そりゃあ知っとるがね! 機織感謝祭といえば、よーけ人が集まって、あだこだー、あだこだーと、もぉ~楽しいで!」
なんか何をいっているのかわからないところがあるが、要するに、たくさん人が来て楽しいという点ではあっている。この呪いの人形が、なんとなく、過去のものだということが分かった。
「よし、鉄志、頑張れよ! ホワイトファイバーの手に、この商店街の復興はかかってる……とまでは言わないけどな、まぁ、商店街の爺さんたちの楽しみなんだ、頑張ってやれ」
鉄郎は、繊維戦隊ホワイトファイバーという若干時代遅れな町興し企画には、実のところあまり乗り気ではないのだが、他の人がやりたいことを邪魔するという発想は彼にはないらしく、また、鉄郎にも、この本町商店街を元気にする画期的なアイデアは思い付かないようで、その活動をある程度は応援しているようだった。
もとより、ネットで、自分の店の経営をもたせるくらいなのだから、商店街というところにはあまりこだわっていないのかもしれないし、自由奔放な生き方をしている鉄郎にとって、商店街がどうだという事は、あまり関心がないことなのだろうか。
「ん? なぁにぃ、本町商店街は今、元気がないやか?」
そう不思議そうに言ったのは、いちま。
「そうやぁ……昼間もお客さん、来おへんかったねぇ……」
気づいていなかったのか、その事を思い返し、元気がなさそうな様子だ。鉄郎よりも、今日動き出したこの人形の方が商店街の心配をするというのは、少し滑稽ではあるが。
「いちさんの頃は、どうだったの?」
鉄志の口から発せられたことは、ごく自然な疑問だった。また、心のどこかで、この目の前の人形が言っていることを少しずつ信じかけている証拠でもあった。その問いに、いちまは嬉しそうに、話しだす。
「そぉりゃぁ、昔は、よぉおおさん子供んらぁがみやしたに来とらしたよぉ! 朝はおらせんかったけども、昼過ぎやぁ、休みの日やぁ、もぉよぉさん来とった!」
いちまは身振り手振りでいかに大盛況だったかを語る。
「あぁ、そういえば、お前のじいちゃんの頃は、このおもちゃ屋で生計きちんと立ててたからな。父さんが子供の頃だけど、その頃は、父さんの友達もいっぱい来てたな。駄菓子なんかも売ったりしてな。その頃は、もっと商店街にも色々店があったんだけどなぁ……」
今じゃ、シャッター街とまではいかずとも、シャッターの数は徐々に目立ちはじめており、半分くらいは店を畳んでいる。かつて栄えていた時があったという話を聞いても、その時代を見たことがない鉄志からしてみたら、それはもう夢と何も変わらない。
自分が今、持っているかどうかもわからない夢のような何かと、かつて栄えていた商店街は変わらないのだ。鉄志だって、本町商店街に元気になってほしいという気持ちはある。しかし、鉄志自身、その元気な商店街を見たことはなく、こうして伝聞で少し聞く程度。目標が見えていない、と言われても仕方がない状態。
「あ、そうだ、鉄志。今度から、商店街の集会、出席頼むわ。父さん、仕事忙しくなってきてるしな、今の仕事結構楽しいんだ、これが」
「ん、ああ」
以前にも、何度か代わりに出たことがあった商店街の集会。何もそんなに高い頻度で行われる訳ではなく、何もなければ月一回、ほんの数時間で終わる。内容は、この先商店街をどうするかだとか、各店の前の歩道スペースや屋根等々、商店街全体で統括している設備の老朽化がどうだとか、そういった事で、出席者が鉄郎だろうが鉄志だろうがさほど大差はない。ほとんどが、これまで維持してきているものをこれから先維持していくにあたっての費用のお知らせといった事務的な連絡事項ばかりで、さらに、この先商店街をどうするか、といったことについては、一応毎回議題には上がってはいるらしいが、大した打開策を誰が出すでもないのだ。
ちなみに、一番最近出されたのが十数年前の繊維戦隊ホワイトファイバーの企画で、これが議題に上がった頃は、確かにご当地ヒーローといえば真新しさがあったのだが、あれよこれよと企画から実行に数年の月日を要しているうちに、全国でもさほど珍しいものでもなくなってしまった。
これらの事情からして、鉄志にもさほどプレッシャーはない。とりあえず、出ておけばオッケー程度に思っていた。心のどこかでは、こんなんじゃだめだろうと思いつつも、だ。
「……ああ、あとなぁ、鉄志……」
より、深刻そうに口を開くもんだから、少し驚いて、食べる手を止める。一体どんなことを言うのだろうか、注目して父親を見つめる。
「……その、な」
ごくり。いきなり調子が変わるもんだから、余計に驚く。
「たぶんな、いちまちゃんは、赤ちゃん作れないかもしれないけどな」
ぶふっと吹きだす。良かった、食べるのを止めていて。口に何か入っていたら間違いなくオールエスケープしていたに違いない。
「い、いやいや! だから!」
「いいんだ、分かってる。父さんな、鉄志が幸せならそれでいいんだ。なに、このおもちゃ屋みやしたの歴史がここで終わろうとも……」
「だぁから!」
「違うてえ!」
この変な方向に進みつつあった話を否定するのに加勢してくれたのは、いちまその人だ。
「うちは、子供たちの夢と希望がつまって動いとるだけ! 鉄志とは何も関係あらせんよぉ?」
「ん、ああ、そうなのか……」
息子の言うことにはあまり耳を貸さず、人形の言うことは全面的に信じる父親を少しだけ信じれ無くなりつつも、ともあれ事態が収まったことに安堵する鉄志。
「それは、冗談でな」
しかし、冗談だった。
「仕事やってる時に耳にしたんだが、近々、本当に、この商店街がどうこうなるって噂を聞いてなぁ……。鉄志、お前がどうしたいのか、よく考えておけよ」
そう言う鉄郎の目は、いつになく真剣で、先ほどの冗談がこの真剣な話を言うためだったということがよく分かった。
「えっ、どうこうなるっていうのは……」
なんとなくは、鉄志にも想像ができた。客足もほとんど伸びず、大きなイベントといったら機織感謝祭くらい。機織感謝祭は人口をある程度抱える稲宮市の中央で行われるイベントであるということもあり、毎年多くの人が集まってはいるものの、年々、少しずつだが、人も減ってきている。そんな状態である本町商店街は、常に、経営的には逼迫している状態にあることは、鉄志でも分かっている。
「なんでもなぁ、まだまだ、噂程度でしかないんだが、この商店街の一帯を買い取って、大型ショッピングモールにする、とかいう話があるみたいでなぁ」
「ええっ!?」
いきなりの話なので、なかなか良くわからないが、あり得ない話ではないだろう。この商店街一帯は、当然ながらほとんどが一軒家。店によっては、居酒屋のチェーン店であったり、何かの会社のオフィスとして使われている、つまり、貸しだされている家もあるが、それにしても、所有者は個人だ。
それに引き換え、腐ってもベッドタウンとして強く機能している稲宮市中央部の他の地帯においては、マンションやアパートといった複数の住人が住むところが多い。立地から見ても、居住者の性質から見ても、本町商店街は大型ショッピングモールの敷地を確保するという点においては、最適と言っても過言ではない。
「ま、そしたら、色々金も入るだろうし、田舎暮らしでもするか!」
はっはっはと笑う鉄郎。きっと、鉄郎は本気でそう考えているのだろう。さしておもちゃ屋に執着がある様子でもないように見えた。空元気という可能性もあるにはあるが、そうではない。この鉄郎という男は、ものに執着せず、己の力量を信じて生きる男だった。
「…………」
そんな様子を黙って見守るいちまの顔は、心なしか、表情が薄く、鉄志には、どこか怖く見えた。