第2話
昼時間に客が来るということは、ほとんどないのだが、それでも一応、他にやることもないので、鉄志は、カップ麺を手に再びカウンター前に戻る。カップ麺を美味しく作るコツはまさしくその待機時間にある。
何分がおいしいか、ではない。自分にとって、どれくらいのでろでろ具合がおいしいかがポイントなのだ、などと無言で考える。そんな暇があれば英単語の一つでも覚えればいいのだが、言うまでもなく、そんな気になれない鉄志がそこにはいた。カップ麺をすすりながら店内を見渡す。
一昔前に改装したきり、内装を変えていないため、どうしても内装は古臭い。しかし、鉄志は、その古臭さが客足を遠ざける原因になっている訳ではないことを知っていた。
これはこれで、近所に住む人にとっては親しみやすいものであるのだ。また、店に所せましと並ぶ、プラモデルや人形は古いものがどんどん奥へ奥へと押し込められて行ってしまうのだが、ゆえに、今、それらの商品の中から一部プレミアがつくものが出始め、実のところ、この店、結構な資産価値があるものを沢山おいてあったりする。まさに、急がば回れ、いや、違うな。
そんなことを考えているうちに、カップ麺を食べ終わる。スープは半分くらい残す。さすがに頻繁に食べていると、あまりそういうのを飲み過ぎるのはよくないかなとなんとなく思うからだ。
午後。昼食後だからか、眠たい。いつものことだが、この眠気を打ち払って、勉強に打ち込むことができなければ、自分はきっとまた落ちるんだろうなぁと思う。結局、敵は、外ではなく内にあるのだ。うとうとする。カウンターに座ったまま、ほんの少しだけ、と上半身を机に預ける。
顔を腕を枕にして沈めると、抗いがたく、眠りに、落ちる。と、その前に、タイマーをセットする。十数分だけ寝ようと思った。昼寝は無理に我慢するくらいなら、ほんの十数分だけ、完全に横にならないような姿勢で取るのが良い。と、インターネットの記事で読んだことがある。
……もっとも、それを言い訳にして、結構な頻度で十数分で起きることに失敗してしまっているのだが……。
──短い睡眠では、夢を見やすい。それは、夢とは眠りが浅い時に見るからだ。
悪夢かと思った。
そこは夢の中だっただろうか。
ぬっと自分の顔をのぞき込む何かが、レジの横、つまり、自分の顔の目の前にいた。動けない──夢だからだろう。金縛り? あやふやな意識の中で、目だけをなんとかその顔の方へと向ける。大きく叫びたくなる。
「うわぁあ!」
あれ、叫べた。ついでに、身体も跳ね起きる。立ち上がり、その何かが一体何なのかを見定める。
目の前にいたのは、日本人形。そりゃあ誰だって驚くだろう。起きたら目の前に日本人形がいるのだから。怖いし。顔が怖い。なんでこんなに怖いんだよ、と思わず日本文化に抗議活動をしたくなる。先祖様、不気味の谷ですよ、不気味の谷ってインターネットで検索して、人形を作るときは是非きをつけていただきたいと、心の中で叫ぶ。そんな、いきなり立ち上がって、叫んだ十九歳男を見ていた日本人形は、
「のわぁああ!」
と、鉄志に負けない音量の、甲高い女性の声を発した。きぃいんと店内に響くその音は、一人と一体を両方ともパニックにさせる。
「うわぁあああ!」
「のわぁあああ!」
「うわぁあああああああ!」
「のわぁあああああああ!」
「うるせー!!」
ついに鉄志が我を取り戻し、自分のことを完全に棚に上げてカウンターの上に立っている日本人形に向かって言い放つ。
「おみゃあさんの方がやかましいて!」
むっすとした表情で、両手の拳を腰にあてるえっへんポーズで鉄志を見上げる日本人形。カウンターの高さも合わさって、ちょうど日本人形の目線と鉄志の目線は同じような高さにあり、にらみ合う。日本人形のむすっとした表情がしっかりと見て取れる。しかし、怒りたいのはこっちだし、何より、あれ、人形動いてる。こわっ!
「いやいやいや……!」
どこから突っ込んでいいのか分からず、手を額に当てて考える。夢か? 夢じゃないだろう。意識がはっきりしているし。いや、やっぱり夢だろうか。さっき、店の奥で日本人形をまじまじと見てしまったから、こんな夢を見てしまっているのだろうか。考えられる。その可能性が一番高い。
「よし!」
鉄志はそういうと、再び着席し、顔を伏せて、腕にうずめさせ、寝ようとした。目を閉じて、しばらくしたら、きっと平和な自分の店が戻ってくるだろう。
げし、げし、と頭部に感触を感じる。げし、げし、げしと止まらない。
ああ、そうか、寝ている時に客が来たのだろう。客なんてほとんど来ないのに珍しいこともあるもんだ、
「すみません、ああ、寝ちゃっていまし──」
しかし、顔を上げた先にあったのは、やはり日本人形。今度は自分が座っているので、ちょうど見下ろされるような形になっており、その日本人形の足──白い足袋をはいている──が、自分に対して攻撃を繰り広げているのだということを理解する。
「なんだよ! 何が呪いの人形だよ! なめるなよ! こちとら繊維戦隊ホワイトファイバーだぞ! お前も真っ白にしてやろうか!」
とおっと上半身のみ決めポーズを取ってみる。テンションが少しおかしいのは、きっと目の前の恐怖に対してドーパミン全開放出されているからに違いない。呪いの人形対ヒーローって、よくある話……ではないような気もするけど、呪いの人形といったらなんとなく悪属性な気がするし、正義属性を持つ繊維戦隊ホワイトファイバーが負ける訳がないのだ。いや、大丈夫かな、一人なんだよな、せめて五人で袋叩きにしたい……。
「そのー、繊維戦隊ほわ……なんちゃら、というのは、なにぃ?」
「に」のところにアクセントがある。祖父母が良く使っていたような発音だなぁとぼんやり思う。というか、敵意はないのだろうか……。攻撃してくる様子はない。いや、まてよ、相手は呪いの人形だ、呪いで攻撃するのに物理的な攻撃は必要ない。
「おい、おいて! おいて! 鉄志!」
頭を抱えて悩んでいる鉄志は、日本人形に自分の名前を呼ばれて、さらに驚く。
「お、おぬしはだれだぁ!」
もう居ても立っても居られなくなり、再び椅子から立ち上がり、ホワイトファイバーの戦闘ポーズを取ってみる。そして、ひらめく。
「はっ! もしかして、お前あれだな、機械! マシン! アンドロイド!」
そうだ、今の日本の科学技術なら、この大きめの日本人形一つくらい動かせるし、言葉を話させることだって出来るだろう。これは、何か、そう、実験! この俺、宮下鉄志をどっきりさせちゃう日本ロボット研究協会みたいな感じの秘密組織の研究に違いない。そのくらい受験生の俺にはお見通しだ! 本町商店街だけの平和じゃなく、日本の平和までも守って見せるぜ。
そう考えると、鉄志は、目の前にいる日本人形の腰あたりをもってひょいと持ち上げる。一メートル程あるその大きさにも関わらず、その重さは意外にも軽い。持ち上げた日本人形を近くでまじまじと目を凝らして観察する。そのおかっぱ頭になった黒い髪の毛は、長く、艶があり、まるで生きているようだし、その瞳、口、何より表情は、店の奥にあった時とは比べ物にならないほど、豊か、というか、怒っている。だからか、不気味という感じはほとんどしない。まるで生きている一人の女の子の腰をもって持ちあげているよう。
「お、おぃ! おろしゃあて!」
降ろせと言っているようだが、構わず、着物の中を覗き込もうとする。胸部はきっちりと隙間なくうまいこと着せられているため、仕方なく、下から覗こうとさらに高い位置に上げようとして──ばちっと手にものを持っていられなくなるほどの痛みを感じて、思わず日本人形を離してしまう。
「わぁ! いった!」
「な、なんて乱暴な……! 鉄志、そんな子じゃなかったがね!」
きっとこちらを睨んでくる日本人形。この人形の仕業だろうか……いや、そうに違いない。下手に逆らってはいけないようだ……。
「って、もう、一体何者なんだよ……」
もうこうなったら、素直に対話という人間にとって最も合理的且つ理性的な交渉手段で挑むしかないと考える。変な呪いでもかけられたらたまったものではない。
「うちは、いちま。市松人形に……んー、なんて説明したらえーかねぇ、夢と魔法がつまっとる!」
いきなりドリームな世界に吹っ飛んだ。こんな雑な説明を許すな。妥当、適当な説明。
「そう言うのいいから! ちゃんと、ほら、ちゃんと言って!」
「男のくせにひーろーのくせに、こまかいこときにしせすと……あー、そうじゃ、さっきの店の奥、見に行ってみやぁせ」
そう言って店の奥を指さす。そうだ、そういえば、さっきあの店の奥、物置きにいた日本人形。あれがあそからいなくなっていたら……夢と魔法はともかく、呪いのようなミステリーパワーでこの目の前の人形が動いているということが、事象としては説明ができる。理由にはなっていないが。
鉄志は、いそいで店の奥へ足を運ぶ。さっきの物置き。ものをかき分けがつがつ進む。薄暗くて、怖いし、さっさと少しは明るいところへ戻りたいという恐怖心もある。何故こんなホラー展開に巻き込まれないといけないのかと思いつつ、そんなことを考えていると余計に怖くなってしまうため、気を紛らわすために、日本人形でなくくるみ割り人形のことでも頭に思い浮かべながら。くるみ割り人形の実物を見たことはないが。しかし、ないのはそんなことだけではなかった。
「な、ない……」
ないのはくるみ割り人形ではない。視界に入ったのは、それまでの精神を落ち着けるための思考を全て吹き飛ばすような事実。
「だで言ったやろう?」
「うわぁ!」
今度は控えめに驚きの声をあげて振り返ると、案の定そこには日本人形。名前は、そういえば、いちまとかなんとか言っていたか。市松人形だからいちまなのだろう。どこかの地方では、市松人形のことを、いちまさんと呼ぶらしいから、そこから来ているのかもしれない。
そこにあったはずの日本人形は、見事に姿を消していた。あるのは、ただガラスのケースのみ。
「えっ! どうやって出た!?」
上には、荷物が置きっぱなしになっており、そう簡単に開けて出られるという状態にも見えない。
「なんでかわからせんけど……あー、愛と、正義の力……?」
出力の源が呪いとは正反対の方向に行きつつある。それが本当なら、いちまは呪いの人形ではなく愛と正義の人形になる。いやいや。
しかしながら、こうして力を目の前に見てしまった以上、動かぬ物的証拠がある以上、いちまが言うこともある程度は信じないといけないようだ。自分の力の正体がいまいちわかっていないようなところが気にかかるが……。
事実を確認した鉄志は、仕方なしにもう一度店の表へと戻る。その後ろをてくてくといちまがついてくる。その大きさ、そして着物という衣装の性質上、一歩あたりの距離が小さくなり、よって、歩数はより多くなる。てとてとと歩くその様はなんだか愛らしい。
「ぷっ……」
思わず笑みをこぼす鉄志だったが、油断してはいけないと気を引き締める。気を引き締めたところで何ができる訳でもないので、ひとまず、席に座る。ああ、そういえば、客が来ていないのが唯一の救いだ。こんなところを人に見られたら、一体どう思われることか。
顔に表情が加わっているためか、目の前の日本人形は、あまり人形に見えず、小さな女の子だと勘違いしてしまうようなできた造形。ゆえに、より、危ない。こんな商店街に、それも、着物を来た幼女が一人で表れることなんて、稀有も稀有。稀有に稀有がのって稀有稀有だ。受験前に犯罪者扱いされようものなら大変なことになる。ご当地ヒーローとしてではなく、ご当地犯罪者として新聞に載ってしまうのはごめんだ。
「てことは、出てってもらうしか……」
足元にちょこんと座っているいちまを見てそう考える。いちまは何を考えているのか、無表情。無表情になると、やっぱりなんか怖い、気がする。
「いちまさん、いちまさん、うちにいてもらっても困るので、出ていってはもらえないものでしょうか……? あの、神社とか、近くにあるんで……」
先ほどまでの威勢はどこへやら、控えめに聞いてみる。いちまは顔を鉄志の方へと上げると、何を言っているんだ、という顔をして首を思いっきり傾げる。長く黒い髪も一緒に動く。
「なに言っとりゃーす?」
だめだ、やっぱり、家を出ていくということは思考の外らしい。