第18話
翌日、鉄志は、おもちゃ屋みやしたのガラス製の扉の内側に、外から見えるように、本日休業という看板をかける。
いちまには、一日外出して、考えを整理してくるとだけ告げた。
いちまの考えは、分かった。自分を犠牲にしてでも、おもちゃ屋みやしたを続けてくれという強い気持ち。また、鉄郎の意見は、非常に分かりやすく、なるようになる、したいようにしてくれ、ということ。これは、ある意味はっきりしている。薄情という訳ではない。鉄郎は、元々、昔から、おもちゃ屋みやしたを特別視しているという訳ではなかったのだから。実に一貫性のある、列記とした意見。
その二人の意見のはざまで、鉄志は揺れ動いていた。
一方で、自分の意見は、実にふんわりとしていた。店を続けたい、いちまは渡したくない、でも今浪人生だし、そもそも大学に行くことを目指してるんじゃないのか、それなら、店を続けたいと言っても、結局大学四年間は鉄郎にやってもらうことになるのか、などなど。
その意見を固めるため、今日は、時計屋や肉屋といったお世話になった人達のところへ話を聞きに行こうとしていた。説得などするつもりはない。それは、あまりに今さらだから。
まず、歩みを進めたのは時計屋。鉄志はこれまで、時計屋はショッピングモールの建設に反対だと考えていた。何故なら、あれだけ一生懸命に、機織感謝祭の日程を三日間維持することを応援してくれていたからだ。真意がどこにあるのか話を聞くことは、鉄志にとって、気持ちの整理の上で必要なことだと思われた。
時計屋に到着し、話を聞くが、やはり、意見は変わらず、時計屋はショッピングモールの建設に大賛成までとはいかずとも、あまり否定的ではないということが分かる。
「──じゃあ、なんで機織感謝祭の日程は三日間したいってあれだけ熱烈に応援してくれたんですか……?」
その鉄志の疑問に、時計屋は、ああ、と申し訳なさそうに言う。
「それは、ショッピングモールの建設と機織感謝祭は別のことでしょう? だから、ショッピングモールが建設されるからといって、日程を少なくするのはおかしいなと思ったからね。鉄志くんの熱心な姿を見ていればおのずと……。それに、この商店街で機織感謝祭をやるのは最後になりそうだったから、ね……」
「そんな……」
鉄志の口からはそれ以上の言葉は出てこなかった。つまり、鉄志の頑張りはきちんと見てくれていた。だが、その頑張りは機織感謝祭にのみ向けられたものであったと思われていたという訳だ。空振り、とまではいかないが鉄志にとってみれば、実にもったいなく、残念で、何より歯がゆい結果。何故言わなかったのか、何故、裏で色々なことが進められているということに頭が行かなかったのか。目の前のことにのみ食らい付いていた自分に腹が立つと共に、やるせない気持ちがどうしようもなく駆け巡る。
「ごめんねぇ、鉄志くん」
「えっと、その、じゃあ、時計屋さんはなんでショッピングモールの建設に賛成できるんですか……?」
なんとなく、答えは分かっているが、一応確認のため聞いてみる。
「それは……。もう私もこんな年だしね。時計屋って言ったって、時計が売れることなんてほとんどない。ごくたまに修理を任されるくらいだよ。ほとんど趣味の域なんだ。妻にも苦労させてるし、その、この土地を渡すのは少し忍びないことではあるけれども、いつかは、そういう時が来ると覚悟はしていたからね」
力なく、はは、と笑う時計屋。
現状を受け入れた、なすがままに受け入れた、というその時計屋の様は、決して美しいとも格好良いとも思えないものだった。しかし、そこに罪がないことを鉄志は分かっていた。こんな、悲しそうに笑っている人に罪がある訳がないと感じていた。
だから、怒りという感情はほとんど沸いてこなかった、というより、沸いてきたものの、それを表に出すことは余りにも難しかった。その怒りは、実に利己的なものだったから。
「すみません、お時間取らせてしまって」
胸に抱えた色々なものを吐き出す術もなく、そう言って立ち去ろうとする鉄志に、時計屋は問いかける。
「次は、どこへ行く気なんだい?」
「次は……肉屋さんにでも行ってみようかなと思います」
その答えに、時計屋は、一瞬どう答えようかと迷ったような素振りを見せたものの、顔に難しい表情を浮かべて、悩まし気に言う。
「それは、もしかしたら、鉄志くんにとって、うちに来た以上にきついことを聞くことになるかもしれないけど……それでも、行くの?」
なんとなく想像はついた。肉屋が、ショッピングモール建設に賛成の理由。けれども、それを直接、鉄志自身の目で、鉄志自身の耳で確かめることに意味があった。だから、
「はい、行きます。なんとなく、想像はついてますから……」
そう答え、時計屋を後にする。
時計屋を出て、肉屋に向かいつつ、商店街を眺める。平日ということもあるだろうが、人影はあまりない。残念ながら、これが休日に変わったところで、あまり大差は出ない。店も全てが全て開いている訳でもない。そもそも、商店街を既に捨てている人だってたくさんいる。そんな中で、今、ショッピングモールの建設に賛成している人だけが、鉄志に責め立てられるのはやっぱり違うと鉄志自身も思っていた。
そして、先ほどの時計屋の話は、分かってはいたが、鉄志の心をより攻撃するのに十分だった。祭りだけにかまけていた自分を。
そんなことを考えているうちに、肉屋につく。さすがに平日のこの時間には客もいないようで、肉屋は店の奥に引っ込んでいるようだった。惣菜の調理でもしているのだろうか。思いつつ、近づき、店の中を見てみる。
「よお!」
と、中から現れた肉屋に話しかけられ、鉄志はびくっと身体を震わせつつも、挨拶を返す。
「あ、ああ。おはようございます、肉屋さん。少し、話を聞かせてもらいたいなと思いまして……今、時間大丈夫ですか?」
鉄志の訪問で、肉屋も流石にショッピングモールの件についてだろうと気づく。
「あー、うん。もちろんだよ、いいよ。さっき常連の方々は買い物済ませてたし、もうしばらくお客さんも来ないだろうからな。中入っちゃって。座るとこあるから」
肉屋に、店の中に入るように指示され、鉄志はそれに従う。店内はコロッケを初めとした様々な惣菜の匂いが充満しており、食欲をこれでもかというほどそそられる。
店の中で、簡素なつくりの円形の椅子に二人ともそれぞれ座り、鉄志が話をはじめようとしたその時、鉄志が言葉を発するより先に、肉屋が、座ったままではあるが、深く頭を下げる。
「申し訳ない、鉄志くん──!」
謝罪。鉄志は、慌てて、手をあたふたとやり場に困らせる。戸惑っている鉄志に対して、肉屋は、顔を上げ、鉄志の方を見ながら続ける。
「本当に、鉄志くんには申し訳ないことをしたと思ってる。鉄志くんが、機織感謝祭で繊維戦隊ホワイトファイバーになって商店街中を歩いて、宣伝活動をしようとしていたことが、商店街の活気を取り戻そうとしてしたということは分かっていた。俺自身も、商店街を昔のように、もっと賑やかにしたいと思ってた。俺が引っ張っていかなきゃとも思っていた」
そして、間が空く。鉄志は、問う。
「じゃあ、どうして」
その言葉に、肉屋は、うんうんと何回も頷き、その疑問はもっともだ、というような態度を示しつつ、話を続ける。
「実は──」
その内容は、鉄志にとって、ショックであると共に、肉屋の明確な意思が伝わってくる内容だった。肉屋は、現状の商店街に収まる器じゃないということは、確かに、客の入り方を見ても分かることで、その肉屋がさらに上を望むのは、当たり前の権利でもある。鉄志は、時計屋の時に引き続き、怒りを表に出すことは出来なかった。
「これは、うちだけじゃない。たとえば、居酒屋なんかは、ショッピングモールっていうある程度人を集めることができるような建物の中なら、さらに強みを増すだろうからな。そうやって交渉をされた店も何件かあるって話だ……鉄志くんには、申し訳ないと思ってる。だけど、俺は、この選択自体を、俺の行動自体を申し訳ないとは思ってないんだ。商店街の人皆が商店街を続けたいって言ってるならまだしもな」
肉屋のその言葉は、鉄志の胸に強く突き刺さる。反論の仕様もなく、ただただ受け止めるほかない。これは、事実であり、鉄志自身もしっかりと認識していたことなのだから。本人から聞いたら、それ以上鉄志がどうこう言ったところで、なんとかなる問題でもない。肉屋だけならともかく、商店街内で、鉄志を除く、全ての店は、どこもショッピングモールの建設に反対していないのだから。
肉屋は、何もマイナスな感情でショッピングモールの建設に賛成している訳ではない。むしろ、向上を求めて、賛成している。そんな人に、鉄志がどうこう言うことは出来なかった。
「すみません、わざわざ来てしまって……」
鉄志は、すぐにでもこの場を離れたいとさえ思っていた。もうたくさん、もう結構、もう分かった。色々なもやもやとした感情の整理が追い付いていなかった。そんな力ない様子の鉄志が椅子を立ち上がることを、肉屋は止めることをしない。代わりに、背中に言葉をかける。
「また今度来てくれよ、サービスするから」
何を言っても、鉄志を傷つけるかもしれない、そう思いながらも放った一言は、純粋に鉄志の頭に収められた。また今度という言葉は、暗にショッピングモールの中にできても、ということを指しているのだろう。すでに、肉屋は鉄志よりもずっと前を見ているということを意味していた。
重いのか、ふらふらとしているのか、そんな足取りで、何も考えられない疲れた頭で、鉄志は帰路についていた。
店につき、まだ閉店時間までは何時間かあるので、一応、開店の札をかけておく。お客さんはどうせこないだろう、なんていうネガティブな、投げやりな考えで。そのままレジ前の定位置に座るが、ため息をついて、店の外を眺めるばかり。悲しいのでもなければ、辛いのでもない、ただ無気力。悪い意味で、なるようになるさ、というような気持ち。
いちまはそんな鉄志を心配そうに見てはいたが、どう声をかけていいのかも分からず、ただ見るに留まっていた。
そんな時間がしばらく過ぎ、もう少しで閉店時間となりそうな時間帯、店のガラス製の扉がゆっくりと開く。その開閉速度の遅さは、扉を開ける主が非力な子供であるこを意味していた。
わいわいと何か話しながら、三人の子供──小学生の男の子が入ってくる。
意外な訪問者に、鉄志は驚く。そして、鉄志に勝って驚いているのは、いちまだった。びくっと身体を動かし、人形のふりをすることを思い出す。鉄志は、うなだれていた身体をしっかりと起こし、笑顔で挨拶をする。
「いらっしゃいませ~」
子供たちは、それに対して、各々、
「こんにちは~」
と返してくる。たまに一人でふらふらと来る子はいるが、三人の小学生の集団が店に入ってくることは珍しい。ランドセルなどは持っていないことから、学校帰りに来たという訳ではなく、一度家に帰ってから、集合して遊びに来たという感じだろうか。
子供たちは、店の中をそれぞれ回っていたが、一人が目的のものを発見したようで、
「こっち、こっち! あった! 売り切れてない!」
と言って全員に集合をかける。そして、集合されたのはカウンターのすぐ近く。トレーディングカードゲームのコーナーだ。
「店員さん、これ、下さい」
「はい、ありがとう~」
鉄志は、子供からお金を受け取ると、会計を済ませる。他二人もそれに続く。カードゲームは確かに人気のあるおもちゃだが、どうしてまたこんな店に──自分で思っていて悲しくなりつつも、鉄志は聞いてみる。
「それ、人気あるの?」
さっき一人が言った、売り切れてない、という言葉が気になったからだ。
「そう! これ、めちゃくちゃ人気でさぁ、どこも売り切れてたんだよ~」
そう言えば、この前来た客も少し買っていっていた気がする。比較的人気のあるシリーズだが、今回は、目ぼしいものが多い新パックが発売されたのだろうと予想する。
「あ、お兄さん、ここで開けてもいい?」
一人が聞いてきたので、もちろん、と了承する。客は他にいないし、きちんと買ってもらった商品なのだから何も問題はない。ビリビリと外装が破られ、それぞれが、歓喜の声、悲しみの声をあげる。
「俺、もう一パック……!」
「あ、俺も!」
皆がそれに続き、何パックか、そのやり取りが続く。おもちゃ屋みやしたでおもちゃを買ってはしゃいでいる子供を間近で見るのは久しぶりのことだった。今回は、たまたま、他の店中で売り切れるような人気のある商品があったおかげだったが、それでも、鉄志は楽しかった。
そうして、子供たちが帰ると、店は静まる。
さっきの賑わいとは一転して、静まり返った店で、一人にやにやと笑みを浮かべ続けるのは、いちまだった。
「いちさん、なんか嬉しそうだね」
そう話しかける鉄志の声に、いちまは、にこにことしながら答える。
「やっぱ、子供んらぁの笑う顔見るの嬉しいでかんわぁ~!」
鉄志も、その意見には同意だった。