第14話
鉄志は、今、市役所前に立っている。これで、三度目。
手に持つのは市民の声。隣に時計屋を携えて──正確には、時計屋に鉄志が携えられて、市役所へと乗り込む。
案内された先の部屋で、担当者と互いに礼をしあって向かいあって座る。顔ぶれは前回と変わりなし。
開始早々、鉄志は、署名を卓上に広げる。
「これが、嘆願署名です。短い期間ではありましたが、目標の数、集めることができました」
短い期間というところを強調することで、いかに頑張ったかという点を少し攻撃的に伝えてみる。担当者は全員、少し驚いた顔をしつつも、その署名を手に取り、軽くパラパラと捲り、中身を簡単に確認する。目線を鉄志と時計屋へと移し、
「ありがとうございます。これで、上へと三日間開催の要求をすることができます」
と、力強く言う。
時計屋は満足気だったが、鉄志はまだ簡単には話を終わらすことはできなかった。その言葉だけでは、どうしても安心できなかった。
「要求……ってことは、これだけの署名を集めても、もしかしたら、二日間の開催にしなくてはいけない、という決定が下される可能性が残っているっていうんですか!?」
少し語尾が強くなってしまい、思わず、最後に小さく、すみません、と付け足す。鉄志はそれだけ強い疑いを持っていた。何故なら、これまでずっと味方だったと思っていた市が、商店街を潰してショッピングモールを立てたい、などという一方的な説明会を行っていたからだ。
その説明会をした人とは違う担当者であるとはいえ、同じ市の職員という立場に所属している以上、要求する、という言葉だけでぽんぽんと事が順調に進むとも思いにくい。なんなら、ここで、三日間の開催を約束して欲しいとさえ思っていた。それくらいのことをしてくれないと、信頼することは難しいと考えていた。
「すみません、私どもとしても、三日間の開催をこの場で約束したいという気持ちは強くあるんですが……こればっかりは、一度上に言わないと……」
それでもなお、煮え切らない様子の鉄志を見て、担当者はさらに付け加える。
「必ず……とはいきませんが、私ができることは全てします。それに、これだけの数の署名があって、商店街側が強く三日間開催を希望しているにも関わらず、一方的に二日にするということは、あってはならないことだと思いますし、そんなことには、ならないと思うんです。信じてもらえませんか……?」
そう話す担当者の顔を鉄志は見るだけで返答しない。代わりに時計屋が返事をする。
「あー、その、鉄志くん、ね。担当者の方もこう言ってくださっている訳だし、大丈夫ですよ。信じましょう?」
時計屋にそうなだめられてはこれ以上強く言うこともできない。それに、事実として、この場でこれ以上どうこう出来ないだろうというのも理解はできる。鉄志は、すっきりとはしないながらも、ひとまず感情を抑えることにする。
「早ければ、今日の夜にでも、お電話差し上げますので」
という言葉を担当者からもらい、時計屋と鉄志の両名は市役所から引き揚げた。
後は待つのみとなった鉄志は店に戻ると、店番を再開する。
市役所に行く前に、午前臨時休業としていた張り紙をはがし、開店。開店したからといって、だれが来るでもない。
いちまは、昨日動かなくなってどうしたものかと思ったが、今日の朝にはすっかり調子は戻っており、今もこうして鉄志の傍に座っている。
鉄志は、さすがにこんな状況では勉強も手につかず、かといって、天に祈りをささげ続けている訳にも、いちまとの会話をずーっとしているという訳にもいかず、昼ご飯を食べてからというもの落ち着かずそわそわし続けていた。
いても立ってもいられず、発送業務をし終えてしまうと、普段は鉄郎がほとんどを担っている出品の業務へと着手して、ばりばりとこなしていく。少しでも身体を動かしていた方が、まだ考えても仕方のないことを考えないで済むからだ。
それでも、考えてしまうものは考えてしまう。機織感謝祭が二日間になってしまったらどうしよう、ということ。今日の夜に、市の担当者から電話をもらった時計屋から電話が来るはずだ。その時に、二日間になったと言われたら、どうしよう。
考えはぐるぐると頭の中を巡る。大人しく諦めて、二日間を最大限に頑張るべきか、いやいや、そうじゃない、すぐにでも市役所に行き、断固抗議をするべきか。その時には、商店街メンバーをなるべく沢山呼んで、皆で乗り込むべきだろう、等々。
そうして仕事に熱中しているうちに、日も落ち、ついに、おもちゃ屋みやしたの電話が鳴る。鉄志はすぐさまカウンター奥にある電話に駆け寄り、数回のコールも許さないほどの速度で受話器を取る。
「もしもし! おもちゃ屋みやしたです!」
その気合満々の声に返答するのは、鉄志の期待通り、時計屋だった。
「あ、あぁ、鉄志くん? 元気だね?」
時計屋の声の調子は非常に明るい。鉄志がこれまで不安に思っていたあらゆる思考を全て消し去ってくれることが期待できた。
「え、ええ! それで、その……!」
鉄志のそれでもなお少し不安げな声に、時計屋は答える。
「大丈夫! 三日間開催できることになったって! 商店街全体と市民の声を無視する訳にはいかないから、って」
「……!」
市役所に突撃することを含めた計画は、今のこの瞬間、全く必要のないものになる。
鉄志は、少し拍子抜けしつつも、素直に喜んだ。何かもう一山、二山あるものと思っていただけに、その実感はまだ強く心に表れないが、時計屋としばし喜びを分かち合い、今後の予定などを少し話あって、電話を終える。
受話器を置き、意気揚々といちまへと報告する。喜ばしい、嬉しい、楽しい、そんな気持ちがすべてのったような声で、
「聞いてた? 機織感謝祭は、ちゃんと三日間できるって!」
「良かった良かった」
鉄志はこの日、喜びをかみしめつつ床についた。
翌日から、機織感謝祭の準備は忙しさを増す。残り数日になり、三日間無事行われることも決まり、鉄志は実行委員としての仕事だけでなく、繊維戦隊ホワイトファイバーの舞台上の劇の練習や、祭りの期間中に配るクーポン券の用意などにも奔走する。
店は、任されられる時は、なるべく鉄郎に任せた。鉄郎は、鉄志が行っていることを応援したという思いから、その申し出を快く受けてくれたため、宮下一家はまさに商店街のために動きまわっていることとなった。
鉄郎がどうしても仕事だという時は、仕方がないので休みにした。本当は毎日きちんと客を受け入れたいところではあったが、機織感謝祭の実行委員として、今は、そっちを優先したかった。
繊維戦隊ホワイトファイバーの劇の練習にも一際気合が入る。当日、舞台の上に上がるのは、ホワイトファイバーだけではない。ゲストとして呼ぶその他の着ぐるみキャラであったり、芸人であったり、色々なライバルが立ちはだかるのだ。
機織感謝祭の規模は小さい訳では決してない。その中での舞台で大きく目立つためには、中途半端な完成度で演じる訳にはいかなかった。
「おいおい、ホワイトファイバー気合はいってんな……」
劇の通し稽古の回数は決して多くないのだが、そんな稽古の最終、敵役をしてくれるバイトの人たちにもそう言われるくらい、鉄志は気合を入れていた。舞台で目立てば、クーポン券を受け取ってくれる人も増えるに違いないし、この商店街にホワイトファイバーありと知らしめることにもなる。
あわよくば、全国、いや、県内くらいで、どこかからお呼びがかかるかもしれないし、宣伝活動に行くくらいの知名度を身につけることが出来れば、商店街の助けになるだろうと思っていたし、それは決して見当はずれな希望でもない。
繊維戦隊ホワイトファイバーのテーマ曲を暗唱で歌えるようになった頃、祭りの準備はいよいよ本格的に開始されていく。
祭り前日。
鉄志は、いちまに、今日は一日外にいるからということを伝えて、店を開けずそのまま外に出る。店のシャッターには、臨時休業の文字。
この日、商店街はいつもより格段にひっそりとしていた。というのも、今日は、商店街全体が臨時休業日であるということを前もってあらゆる店が告知していたからだ。事前より、祭りの開催日はしっかりと告知されているし、毎年のことだ。商店街に間違えて来る客はほとんどいない。
「では、皆さん、いよいよ、明日が祭り当日です!」
仕切るのは、時計屋。隣に立つのは鉄志。商店街の人々は、商店街の入口にそれぞれ揃い、二人の話を聞く。
「仕事の振り分けは私たち二人と、私の妻の三名で行っていきますので、皆さん、大変ですが、今日一日、準備の手伝いの方、よろしくお願いしますね」
パチパチと拍手が鳴る。
祭りの準備をするのは、商店街の人達だけではない。年のいった人が多い商店街メンバーだけでは、力仕事を賄いきれないため、市の職員数人や、アルバイトの人たちも加わる五十人にも及ぶ大所帯。これらのメンバーによって、祭りのための設営が今日一日かけて行われる。
大きな仕事は商店街の真ん中の舞台の設置から始まり、商店街全体の装飾がそれに続く。また、トラブルが起きた時などに活躍する本部テントの設置であったりも始まる。
そして、何より、出店。出店は、商店街の人達が行うものも多くあり、祭りを賑やかにさせるものでありつつも、商店街の人達の貴重な収入源ともなる。これは、夕方、舞台等の設営が終わった後、次々と準備されていく。
一連の作業は、鉄志や時計屋らの指示によって、順調に進んでいく。鉄志は、自身が指示を出しながらも、身体を動かす。ホワイトファイバーの稽古で気合を入れすぎたからか、若干の筋肉痛が残っていたりするが、それでも、負けじと身体を動かした。
普段の、落ち着いた商店街の姿は、みるみるうちに賑やかなものに変貌していく。まるで祭囃子でも聞こえるかのような賑やかさは準備する人達の気分も高揚させていく。
出店も次々と立ち並んでいく。鉄志も小さい頃は、参加者側だったことを思い出す。あの時のわくわくを思い出す。
「あいつら、何してるのかな」
思い出したのはそんなこと。中学生の時、高校生の時、一緒に遊んでいた友人とは、浪人生活をしている間に、ほとんど連絡を取らなくなり、縁がなくなってしまった人達との思い出。今度は、鉄志が思い出を作る側の立場にいた。誰かの想い出を作ったからといって、自分が幸せになるとは限らない。けれど、鉄志は、今、そうしたかった。
出店の準備が終わるといよいよ祭りの準備も終わり。日はほとんど沈み、明日の開催を待つばかりとなる。
タイミングを見計らって、時計屋が全体に集合をかけていく。鉄志も手伝い、再び、商店街の入口に人々が集う。集まったところで、明日の注意事項等々を伝え、
「それでは、後は明日から三日間、しっかり祭りを運営出来るように頑張りましょう! 皆さま、お疲れさまでした」
という言葉で、祭りの準備は締めくくられる。
商店街の入口は、もうすでに祭りが始まっているかのように賑やかに装飾されており、帰宅途中の人達がにこにこと微笑みながら見ていた。その中の何人が来てくれるのかは分からないが、この付近に住んでいるのなら是非とも来てもらいたいなと思いつつ、鉄志は挨拶をしたりする。
駅を初めとして、色々なところに張られた広告等、祭りの注目度は市内でもかなり高い。
「さ、鉄志くんも、家に帰って今日はゆっくり休みなさい」
商店街の人達が去るのを見送ったり、会話をしたりしていた鉄志も、最後となり、時計屋にそう声をかけられて、はは、と笑いつつ返事をする。
「はい、ありがとうございます……。あ、えっと、本当に、今回、色々お世話になって、ありがとうございました」
そんな鉄志の言葉に、
「それは、祭りを無事終わらせることが出来たら、しっかり聞かせてもらうよ」
と、にっこりと返す時計屋を見て、鉄志は少しかっこいいなと思うのだった。
同時に、明日の祭りは、必ず明るく、楽しく、来た人皆──とまではいかずとも、何割かを商店街の今後の客として取り込めるような祭りにするぞ、と決意を新たにした。