第13話
商店街の集会は、いつになく盛り上がった。
司会は、変わらず時計屋。にこにこ笑顔なのは、肉屋や八百屋。テンション高く、早くも勝利宣言をしている。
「いやぁ! よかったねぇ! 鉄志くん! ありがとうね!」
声高く、バンバンと鉄志の肩を叩く肉屋に、鉄志も好感を覚えるし、ありがたいと思う。
「えぇ、皆さん、それでは、各店舗に、署名簿を設置していただくという形でよろしいですね?」
ここにいるのは、商店街メンバーのうち、企業ではなく個人店舗を持つものだけだったが、それでも、商店街の客の多くから署名をもらえるであろうことは明確だ。中には、
「来る人、来る人、全員に署名をさせてあげるからね!」
などと言う人までいたりして、その気合の入りようは、鉄志も驚くばかりだった。皆、こうして具体的にやることがあれば、きちんと行動してくれるんだと考えると嬉しくもなった。
鉄志が引っ張っていくという訳ではないにしても、何かできることがあれば、自分から積極的に意見を発信したり、行動したるする必要性を感じた。そうしたら、商店街の人達はしっかり応援してくれる。これは、以前の説明会の時、肉屋にも言われたことだ。そのことは、確かに事実だったということを確かめられたのである。
「よろしくお願いします、ありがとうございます」
という鉄志に、商店街の人達は口を揃えて言う。
「こちらこそ」
と。皆、三日間の開催を望んでいる。その事実を確認できただけでも、今回の集会は非常に有意義なものになった。
ざわめきが収まったところで、時計屋が次の話題を出す。
「あぁ、それと、鉄志くんが、今回、繊維戦隊ホワイトファイバーとして、三日間、祭りの時間にクーポン券を配ろうという企画を出してくれてね。これは、商店街全体に関わることだから、そういった券を配ってもいいかどうか、賛否を問いたいんですよ」
鉄志も、発案者として、付け加える。
「クーポン券は、商店街全体の店舗案内と地図を印刷した広告用紙につけようと思ってます。中にはクーポン券を用意するのが難しいお店もあるかもしれませんが、もし可能であれば、ご協力していただきたいと思ってます。えっと、これは、機織感謝祭で集めたお客さんが、この後も、本町商店街に来てくれるように、という意味を込めた活動なんです!」
うまく伝わっただろうか。その結論は、商店街メンバーの反応を見れば明らかだった。
「おおっ、今年は一味違うなっ!」
「これは、何が何でも二日なんかに縮めちゃいかんね」
「うちはクーポン券つけていいよ、値段とか決めないとな」
どの人達も乗り気で、すぐに、どういった内容のクーポン券をつけるのかという話し合いが始まってしまうほど。特に議題が続けてある訳でもないので、時計屋も、
「それでは、このままクーポン券の内容設定へと移ってしまいましょうか」
と仕切り、話がとんとん拍子に進んでいく。
結局、全店舗で使える数百円分の券と、残りは、各店舗頑張れるだけ、もしくは、出したいだけの券をつけることになった。肉屋は、各段気合を入れているようで、
「うちは、特製コロッケ1つだ! 一度食べたら絶対にリピーターになるからな!」
と息巻いている。外部からのファンもいる肉屋がこうして前面に立ってくれるというのはなかなか頼もしい。
なるべく早く来て欲しいという思い、そして、効果をすぐに実感できるように、と使用期限は決めておく。祭りに来る人自体は、きっと市内の人間が多いだろうから、それによってよほど困るということはないだろうと考える。
こうして、準備は整っていく……。
各店舗による署名活動は、精力的に行われた。その頑張りもあってか、署名の集まりは上々だった。
機織感謝祭までの差し迫っている日付の関係上、たった一週間と少しで果たして、無事目標の数、集めることが出来るか不安だった。
そんな鉄志の不安は、良い方向で裏切られていたのだ。
残りまだ三日を残して、中間集計でなんとか日付以内に集められそうな目途ができた。
「これなら、いけそう、かな」
署名を集計して、提出できる形にするのは、鉄志の仕事だ。鉄志は、おもちゃ屋のカウンターで作業をこなしながら、呟く。それを聞くのはいちまの仕事。
「ようわからんけど、ええ調子だがね」
相変わらず、おもちゃ屋みやしたに来る人は一日に一人から二人といった少なさではあったが、日常生活で使う系の商品を売っている店は、鉄志が思っていたよりよっぽど客が入っているようだった。
「ようわからんけど、いけそうです!」
鉄志も気分上々で、いちまは、思わずにこりと微笑む。これならいける。市に訴えることができる。目標の署名数さえ集まれば、後は市がなんとかしてくれる、と信じていた。
仮に、何か文句を言ってきたとしても、こっちには市民の署名という心強い味方がつくことは変わりないのだ。これまでの商店街メンバーだけによる主張とは違う。説得力のある、確固たる主張。
この大量の署名を丸々無視するということは、民意を完全に無視するということに繋がる。市としても、そう簡単に力押しで切るような決断ではないだろう。強い交渉材料なのだ。
しかし、そう簡単に事は運ばない。鉄志の考えは、甘かったのである。
二日後。
「……足りない……」
提出は明日の朝。残すところ半日といったところだろうか。
昼前に、各店舗から署名を預かり、集計してみたが、どうしても足りない。伸びが明らかに悪くなっている。原因は──そう考える鉄志は、肉屋が言っていた言葉をふと思い出す。
「……リピーター、だ」
答えは、単純にて、明快。そう、最初の数日は、皆署名をしてくれるだろう。初めて見る人ばかりなのだから。きっと、こんな会話でも繰り広げられたのではなかろうか。
「お客さん~今年もそろそろ機織感謝祭でしょお? お客さんも来るよね、来るよね? でもさ、ほら、市役所の人がさ、いきなり二日に日程を減らすだなんて言ってきやがってよぉ」
「そいつはひでぇ! なんだい、どうするんだい?」
「そこで、こいつの出番だよ、じゃじゃーん、署名~! ここにお客さんが署名してくれるだけで、機織感謝祭の血となり肉となるんだよぉ!」
「オーケー! 分かった!」
だが、これは一度きりの会話。その客は数日後にまた来た。その時はどうか。
「お客さん~今年もそろそろ機織感謝祭でしょお? お客さんも来るよね、来るよね? でもさ、ほら、市役所の──」
「人がさ、いきなり二日に日程を減らすだなんて言ってきやがったんだろ?」
「なんだい! 超能力者かい!」
「いーや、違うよ、お前さんがボケてんだよ」
ってなもんだ。つまるところ、二度目は、ない。
鉄志は、最初の数日のペースが、残りの数日も続くものだと思って計算してしまっていたのだ。それは大きな、大きな、誤算。詰めが甘い。甘すぎた。
「……どうしよう……! どうしよううう! いちさん!」
「……ん?」
いちまは、ぽけっとした表情で、一人でパニックになっている鉄志の方を首をかしげながら見る。
「あの、署名が、集まらなくて、あのあの」
「まぁ、まぁ、落ち着きゃーて。深呼吸、深呼吸」
ふんふんと首を縦に振るいちま。鉄志は、このまるで他人事かのように物を言う人形の言うことに大人しく従い、一度、深呼吸をする。
「すー、はー、すー、はー、ふぅ~……」
「それで?」
「いちまさん、その、あの、署名が集まらなくてですね……!」
けれども、慌てふためく鉄志とは対照的に、相変わらずいちまの態度は落ち着いている。ん~と少しだけ考えてから、
「署名が集まらなんだら、集めに行きゃーええがね」
落ち着いているからこそ、ごく当たり前のことを、ごく当たり前に指摘することができる。鉄志は、ああと頷く。
「そ、そうだった! そんな簡単なこと、忘れてました! よし、じゃ、行ってきますから、店番頼みます!」
がたがたと忙しそうに椅子から立ち上がり、用意をする鉄志。もはやいちまがまるで生きている人かのように扱っているのは、慌てているからなのか、それとも、いちまと接しすぎたからか……。
「行ってりゃ~せ~」
手を振って見送るいちまを置いて、鉄志は店を飛び出すのだった。
残されたいちまは、ぽつりと呟く。
「……店番、できるかねぇ……」
普段落ち着いているいちまであったが、この時ばかりは少し険しい表情をしていた。
駅前。商店街から徒歩十分程度の位置。駅ビルはしばらく前に改築され、この駅の利用者が多いということを示す。
少し高さのあるビルが何件かポツリポツリと建っており、その隙間に低めの建築物。飲食店の中でも飲み屋が多い。理由としては、やはり、ここ稲宮市がベットタウンということがあげられるだろう。
鉄志は駅前を歩きながら、次々と人へ声をかけていく。平日の昼過ぎということもあり、あまり人は多くないが、それでも、さすがは駅前といったところで、声をかける人に困らないくらいには人がいる。
鉄志自身、こんな経験をしたことはなかったが、無我夢中というのは怖いもので、気がつけば、一人、二人、となんだかんだ言って署名が集まっていく。もちろん、中には、何かと理由をつけて去っていく人もいるが、この時間帯だからか、多くの人は足を止めてくれる。
一言で言えば、順調。
署名は次々と集まり、この調子で行けば、これから人が増えることも合わせれば、目標の数を優に上回るだろう。
みるみるうちに増える、という訳にもいかない。けれども、数は着実に増えていく。
日が暮れ、夜。
夜になると、思ったよりも勢いは落ちる。無視されるというより、疲れ切った男たちが帰っていくところにはなかなか声をかけずらかった。また、酔っている人たちも多くなってくる。
夜の駅前の主役は、サラリーマン。鉄志がもしかしたら将来歩むことになるかもしれないその姿。
そんなことを考えながらも、署名を次々と集め、ついに、夜八時を回る頃、目標の数に達成する。明日の朝、最終回収する分も含めれば、多少、不備があったとしても、目標数には十分達成するだろう。
そうと分かれば、早く帰って、提出用に編集作業をしなければいけない。
「最初から、こうしとけばよかったんじゃ……?」
と、鉄志は思うが、そんな訳にはいかない理由をこの時になってやっと思い出す。
「……あ! いちさん……!」
しまった。本当に失敗だった。あまりに慌てて飛び出てそのまま無我夢中で署名集めを行っていたもんだから、自分の店のことをすっかり忘れていた、ということを思い出す。署名を外にまで集めに行かないのは、各々が各々の店を持っているからという理由がきちんとあった。
加えて、少し冷静に考えれば、何も一人で飛び出さなくても、時計屋に相談したりすれば、もう少し人手が集まったかもしれない。あんまり猪突猛進に突っ走るもんでもないなと少し反省する鉄志。
一方で、今はまず、いちまのことが気になるし、心配であった。客入りがいつものようになければいいのだが……。そんなことを考えつつ、おもちゃ屋みやしたの正面ガラス戸越しには、何の姿も見えない。
まさか……まさか、いちまがどこかへ連れ去られてしまったのか。大変だ、とんでもない。メリッサの仕業か、と少し小走りで扉に手をかけ店に飛び込んだ鉄志の耳に、カウンターの奥の方からか、言葉が聞こえる。
「おかえり~おかえり~」
いちまの声だった。連れ去られてはいないということが判明し、少しほっとする。
「なんだ、そんな、心配させないでよ、いちさん……って、どうしたの!?」
近寄って見てみる鉄志の視界に移ったのは、カウンターの鉄志がいつも勉強道具を置いている個所、ちょうど店外からは影になって見えないように倒れこんだまま動かないいちまの姿。仰向けで、目線だけを鉄志の方へと向ける。身体は、人形そのものであるかのように、動いていない。
「どうしたの!? おーい!」
倒れているいちまの肩をゆすってみると、それに伴って黒い髪も一緒にふわふわと揺れる。少し経ち、いちまは、笑いながら答える。
「おぉい、やめやぁ、やめやぁてぇ~ちょい疲れてまっただけだで!」
本当にそうなのか、鉄志には確かめようはないのだが、いちまがそう言うのなら、そうなのだろう。全く動かなくなったという訳でもないし、きちんと言葉は喋るし、こっちが言っていることも理解しているようだ。
多分、問題はないのだろう。明日になったら元に戻るはず、そう鉄志は考えた。
勝負の日──機織感謝祭三日目をかけた市との話し合いの場は、明日、目前に迫っていた。