第11話
「いちまちゃん、鉄志を頼むよ」
時は少し遡り、鉄志が図書館などに行っている時、鉄郎といちまはこんな会話をしていた。
「うちも、そうしたいのは山々なんだけどもねぇ」
鉄郎は、いちまと長く話し合いをしていた。
「正直、俺自身は、店がどうなろうと構わないんだ。でも、今のところ、話を聞いている限り、いちまちゃんの願いというのは、おそらく、鉄志が心のどこかで本当に願っていることと一致してるんじゃないかと思うんだよな」
鉄郎はいつになく真剣な様子だった。対するいちまは、いつものように、非常に落ち着いて、ゆったりと鉄郎の話を聞いている。場所は、おもちゃ屋みやしたのカウンター。鉄郎は、カウンターに座って、店番をしながら、そうしていた。
「そうかもしれんねぇ」
その言葉はどこか暖かさを帯びていた。
「──という訳なんだよ、どう思う? いちさん」
鉄志は、店のカウンターに力なくつっぷしていた。今日もおもちゃ屋みやしたは休まず営業中であるのだが、相変わらず客はほとんど来ない。この日は昼を過ぎたが客はゼロ。
午前中は、勉強に集中していた鉄志だったが、午後、ついに昨日のことをいちまに話しておきたいという思いを押し殺すことができなくなり、いちまに昨日の説明会のことの顛末や最近の商店街事情を話していた。
人に話してみると、案外、自分の頭の中が整理されるというのはよくあることで、鉄志は、いちまにこれまでにいちまがいない場所で起きていたことを事細かに説明することで、徐々に状況の整理がついてきていた。
これは、いちまが聞き上手ということもあるかもしれない。いちまは、鉄志が色々と話しているのを、落ち着いて聞いてくれた。それでいて、興味あるようにして聞いてくれたのだ。
けれども、同時に、状況が見えたが故に、自分がするべきことがあまり明確に見えなくなってしまった。ただ、何かを頑張りたい、という思いはある。商店街を守りたいという思いはある、けれども、具体的にどうすればいいのかが分からない。
「どうすればいいのかなぁ」
鉄志の自信なさげな言葉に、いちまは返す。
「そりゃ、おまえさんが決めることだで」
「ごもっとも」
そうだよなぁ、と鉄志は思った。相手はなんで表れたのかも良く分からないただの人形。そこに意見を求めるのがおかしいのかもしれない。
「ただ──」
いちまが、そう言うのを鉄志は聞き逃した訳ではない。その呟きに対して言葉を発しないのは、いちまの次の言葉を待っているからだ。そんな鉄志の目線に答えるように、いちまは話始める。
「うちは、うち自身が何したいんか、よぉーく分かっとるでよ」
決してその先を言うことはない。ただ、その事実を伝えただけ。
しかし、鉄志はその先が気になった。まさか、世界征服とでも言う訳でもあるまい。鉄志は、メリッサという夢を叶えつつある人間と少しの時間ではあるが接してきた。そして、今、自分の目指すところがもう少しで見えるか、見えないが、本当に微妙なところにいたのだ。当の本人は、この事に気づいていない。だが、今、いちまという実に不思議な存在を前にして、いちまを知りたいという気持ちがわいた。
そういえば、と鉄志は考える。
メリッサに対しても、自分からメリッサについて、その場しのぎの質問ではあったが、何かを知ろうとしたから、メリッサのことを知れたのだ。当たり前だが。そして、偶然にもそれによって、鉄志は刺激を受けることが出来た。
では、このいちまに対してはどうか。
これまで、鉄志はいちまに対して何か深く知ろうとしてきただろうか。いや、残念ながらほとんどしていない。いちまを、呪いの人形、理解不能なものと、どこかで決めつけていて、理解しようとしてこなかったのだ。この事実に気づいて、鉄志ははっとしていちまを見る。そして、問う。
「いちさん。いちさんのしたいこと、聞かせてくれないかな?」
その目は真剣だった。
いちまは、これまで、自分から鉄志に何かを言うことはなかった。それは、いちまが隠したかったからという訳ではない。聞かれなかったから言わなかっただけ。けれども、実は、鉄郎に対しては違った。鉄郎はどんどん自分について聞いてきたのだ。踏み入ってきた。だから、鉄郎にはその多くを話した。
そして、今、鉄志が自分のことを知ろうとこうして問いかけてきていた。聞かれたら、答える。それは、ごく自然で、そこに駆け引きなんて必要ない。
「うちは──この、おもちゃ屋みやしたに元気になってほしい。うちは、おもちゃ屋みやしたに助けられた存在だもんで」
鉄志は、その言葉を聞いて、色々な疑問が沸く。
何故? 助けられたとはどういうことだ? 人形が助けられた?
疑問を解決するには、鉄志が色々と考えたところでそれはただの推察でしかない。それなら、どうするか、聞くしかない。
「助けられたって? 人形であるいちさんを、おもちゃ屋みやしたの店主が代々受け継いできた、とかそういうこと?」
「いんや。違う」
「じゃあ──」
「まあまあ、落ち着きゃーせ」
いちまは、やけに突っ込んでくる鉄志を一旦落ち着かせる。鉄志も、それで一旦落ち着く。変に、重要なことに気づいてしまい、興奮状態にあった心を一旦落ち着ける。焦りだとか、マイナスな感情ではない、ただ、良かったなという興奮を。
「どこから説明すりゃあええかねえ……」
迷ういちまを見て、鉄志は言う。
「全部、かな。俺、いちさんのこと何にも知らないし。そもそも、いちさんがなんで動き出したのかとか、いや、それどころか、何で動いているのか、とか」
呪いの力、と一言で適当に言ってしまえばその通りだろう。事実、メリッサは、きっとそう決めつけている。彼女は、この人形が、いちまだろうがいちまじゃなかろうが、動いているということに興味があるのだ。だから、それでいい。
だが、鉄志はこれまでそのレベルにも達していなかった。彼は、いちまが動いていることを、ただそこにある事実としてそれ以上深く掘り下げることもなく、慣れという一言で片づけてしまっていたのだから。いちまという存在を認識しつつ、動いていることに興味を持っている訳でもないのに、いちまと雑談を適当にしたり、隣で勉強していたり、当然にあるものとして扱っていたにも関わらず、不思議な事実を、不思議なままにしていた。例え、それが不思議なままでもいいが、一応は聞いてみたり、調べてみたり、考えてみたりするべきだったのである。
「全部……わかった」
いちまは姿勢を整えると、鉄志に向かって話し始めた。
「うちは、いちま。この身体は……実は、人形だなてもよかったんだけどもね……たまたまそこにあったで借りてるだけだもんで」
「借りてる……?」
まだまだ理解が追い付かない。
「うちはね、この店に昔ようけ来てた子供んらぁの心、というか、雑念というか。難しい言葉で言やあ、残留意志、みたいなもんでね。だもんで、この店が、また、元気になればっていう思いがどえれぁあ強いんだわ。とろくさい思うかもしれんけども、嘘はついとらんでよ」
そう言うと、いちまは、鉄志に向かってにへと笑って見せる。これまでにない無邪気な表情に、鉄志は、どこか懐かしさを覚えた。無邪気さが、子供に見えたからだろうか。昔、自分がもっともっと子供だった頃の周りの顔を思い出させるような表情だったのだ。
「って言われても……すぐには信じるのは無理だけどさ。でも、信じるよ。てことは、昔見てた景色をもう一度見たい、ってそういう感じなのか?」
話を聞くには、呪いや霊の類ではあるのかもしれないが、誰か一人の霊という訳ではなくて、大勢の子たちの意志が集まったような形なのだろう。そう考えると、やはり、目指しているのはその頃、ということだろうかと推測して、そう質問する。
いちまは、少し考えていた。まるで、自分の中の何かと相談しているかのように、慎重に考え、
「んー……それとはちょいと違うかもしらんねぇ、どう言やあええかなぁ、別に、昔に戻る必要はないんだわぁ」
「というと?」
「このおもちゃ屋にまた賑やかささえ戻ってくれりゃあ、そんでええ。子供んらあだけじゃなても、前みたいに、おもちゃ求めて、わざわざ来てくれるような大人んらあ賑わっても、そこは気にせんね」
なるほど、と鉄志は思った。
「てことは……やっぱ、俺の夢と結構似てる、のかな?」
「そうかもしれんねぇ」
「いちさんが外行って宣伝活動でもしてくれたら、きっとものすごい数の人が押し寄せてくるかもよ~?」
本気で言ってなどいない。ただの冗談。
「あぁ~、そう、うち、この店を離れたら、多分、動かなくなってまうもんで、それは無理や」
淡々とした説明だった。鉄志は、へぇ、と思った。地縛霊みたいなものなんだろうか。さっきの説明からすると、なんとなく辻褄は合う。だが、次の瞬間、これが重大な問題だということに気づく。
「!? てことは、やっぱり、あの青山さんという人に渡したらダメってことだ……!」
渡すということは、当然、この店から出なければいけないということだ。それは即ち、いちまの死を意味する。
「あれ……でも、待てよ、それなら、この事を青山さんに話せば……って、そんなんで信じてもらえないか」
容易に想像できる。むしろ、それなら、試してみましょうとまで言ってきそう。
「でも、なんで? 一応その理由を聞いといてもいい?」
自然現象に理由があるのかはわからない。けれども、聞かないでそう決めつけるのも良くないかと思い、鉄志は聞いてみる。いちまは、少し悩んでから、
「わからせん! うちも、うちが何なのか、ほんなわからへんくてな。しばらくして、ようやくなんとなしにうちが何者なんか、ぼんやり頭に浮かんできたんだわ」
そう言ういちまの顔は、何故だか、楽しそうだった。自分自身が一体何者なのか、ぼんやりとしか見えていない。確かに彼女はそう言ったのだ。けれども、それは彼女にとって、悲しみではなかったということだった。
「そっかぁ……でも、とにかく、いちさんは、絶対に渡さないよ」
鉄志のそんな言葉に、いちまは笑顔を浮かべる。
「ありがとう」
「よし、じゃあ、いちさんは、呪いパワー高めてどんどん客呼ぶんだよ!」
「あー、それ、多分使いすぎると、しんでまうわ」
「えぇえ!」
適当に言ったついでに、衝撃の事実を伝えられる。なんだこの呪いの人形。全くパワーないじゃないか。ていうかもう数回使っちゃったけど、大丈夫なのか……。色々な不安が鉄志を襲う。
「いちさん、なんかいっつも落ち着いてるよね……」
「人形だでな」
この人──人形とは、ちょっと別の世界を歩んでいるようだと再認識した鉄志だった。
時計屋は困っていた。時計屋は、ほとんど客が来ない故か、普段は店の奥の居住スペースにいる。客からの呼び出しがあった時に、表に出るという形だ。
「さてさて、どうしたもんか……」
時計屋は、実のところ、肉屋と違って、そこまで強く、ショッピングモールの建設に反対している訳ではなかった。ショッピングモールをこの場所に建設するということは、この土地や店を手放すということだ。しかし、それにしたってタダで手放すという訳ではないだろう。それ相応、いや、本来の価値以上のお金を払ってもらえるかもしれない。
もちろん、時計屋がお金に困っているという訳ではない。一番の要因は、息子から、もう時計屋を畳んでうちに来なよ、と言われていることだった。今でなくとも、いつかは、息子夫婦の世話になることを考えていた。その時期が少し早くなるだけのこと。
ゆえに、さほどの大反対を唱えるというモチベーションも沸かないのだ。かといって、賛成という立場にもない。それは、商店街の皆を裏切る行為だと思っていたし、何より、できる限りはこの時計屋を続けたいという意思も少なからずあった。
立場としては、中立。といっても、誰にその立場を話した訳でもない。
そんな時、時計屋の店先の電話が鳴る。立ち上がり、電話に向かいながら、
「あれあれ、珍しい、待って下さいね、待って下さいね……」
独り言は誰に向けられるでもない。電話越しの相手に向けて、なんとなく。電話に出ると、電話越しに、聞き覚えのある職員が名を名乗り、用件を言う。
「えー、機織感謝祭の日程についてなのですが、改めて、話し合いの場を設けさせていただいてですね、そこで、どのように決めていくかを話し合おうと思いますので、出席の方をですね──」
時計屋は、電話を終えて、意志を再確認する。商店街の存続については、まだどちらの立場につくべきなのか分からない。だけれども、今目の前に迫っている機織感謝祭の日程については、三日間頑張りたいという意志を。