第10話
質疑応答はますます熱を帯びてきていたその時、鉄志は、声をあげる。
「ちょっと──」
手をあげて、声を出し、意見をしようとしたその時だった。鉄志の声を遮るようにして、一人の男性が突如、後ろの方の席から立ち上がり、前の説明者の席へと移動する。八百屋と肉屋の声が止む。
「盛り上がっているところ、失礼……」
男は、突如として表れた訳ではなかった。ずっと、一番後ろの席に座っていたのである。その男が、場の白熱っぷりを見て、ついに重い腰を持ちあげたということだ。
男は、きちっとスーツを着こなしている。凛々しい顔つきは、美しいという表現が適当だろうか。年は、四十少し。若く見えるのに、威圧感は強く、ピリピリとした空気が室内にばらまかれる。凛としたそれは、市の職員のこれまでにしてきたおざなりな対応をなかったことにさせるよう。
「商店街の皆さん、お初にお目にかかります。私、青山征修と申します」
その声は、まるで征服者のようにおどろおどろしい低い声。低いにも関わらず、遠くまで良く通るのが、この場にいる人間をより静かにさせる。シンとした会議室内には、空調の音だけが響く。まるで、征修という男の力を全体が認識したかのように。
鉄志は同時に感じる。青山、どこかで聞いたことのある名前──と考える間もなしに、すぐ、後ろの席を振り返る。そこにいるのは、メリッサ。説明会が始まる前に見たのだから、当然なのだが、彼女も同じように話を聞いている。
そこで繋がる。ああ、そうか、親族だ。父親かどうかは分からないが、とにかく、苗字が同じでこの場にいるということは、そうに違いないと確信する。古墳に異常な熱意を示すだけの怪人古墳女だと思っていた鉄志だったが、それだけではなかったということだ。厄介なことになりそうだと頭を抱えつつ、視線を前へ戻す。
「この度、ショッピングモールを建設を提案させていただいたのは私です。そして、私は、何も強引にそれをしたい訳ではない。皆さんの意見は、先ほどの質疑応答でも聞かせていただきました」
そう言うと、再び全体を見渡す。言うまでもない、この人は、経営者。そして、ただの経営者じゃない。余程の人物だろう。この場にいる誰もがそう思った。そして、その人が、意見を聞かせてもらったと言ったのだ。その言葉に、肉屋も、八百屋も、少しほっとしてしまう。しかしそんなことではいけないと、二人とも、キッと前を見る。別に相手が魔王という訳じゃない、同じ人間だ。ただ、スーツ姿で、経営者らしいというだけのこと。二人からしてみたら敵なのだ。そして、それは鉄志にとってもそう。だから、気で負けていてはいけない。
「私は、皆さんと協力したい。聞けば、すでに高齢化も結構進んでいるようです。今、見渡してもそうだ。……若い人も、ちらほらいるようですが……」
そう言う征修と鉄志の目が一瞬合う。鉄志も負けじと視線をぶつける。
「しかし、無理にお店を続けることはないでしょう。後十年後を考えてみてください。この中の何人の方が、お店を続けているでしょうか? それが少し早まるだけのこと」
ここまで言われたところで、肉屋がようやく気力を取り戻したのか、口を開く。
「ちょっと、ちょっと、青山さんとやら。待ってくれよ、そんなことを言ってるんじゃないんだよ、俺たちは!」
鉄志は心の中で応援する。いいぞ、やってやれ、おやっさん! 心の中で声援を必死に送る。
肉屋の言葉を聞いた征修は、キレのある言葉で、その意見に反論する、かに思われた。この場にいたほとんどの人はそう思っていただろう。しかし、その期待──いや、恐怖は裏切られる。
「……そうですね。あなたの仰る通りです。私も、無理やりに店を閉めるなんていうつもりはありません。世の中には、そんなけしからんことをするような会社もあるでしょう。しかし、私は違う。皆さんに納得して頂きたい」
そう言うと、にっこりと笑みを浮かべて、商店街のメンバー全員を見渡す。拍子抜けした商店街メンバーは、誰も言葉を発することはない。それは、鉄志とて例外ではない。けれども、不気味さは感じていた。
本当に、心の底からそう考えているのだろうか。仮にそうだとしたら、何故この場でわざわざ前に立ち、話をしたのだろうか。笑顔の裏には悪魔が潜んでいるのではないか。そんな憶測が頭を駆け巡る。
「そうですね、では、今日のところはこれでいったん解散、ということでいかがでしょうか? 皆さんも長い説明を聞かされてお疲れになっていることでしょうし……。今後、何かある場合は、また、こちらから連絡致しますので、その時は、よろしくお願いします。では、お疲れさまでした」
征修はそういうと、一礼をし、会議室から立ち去っていってしまう。
この時、鉄志が感じたのは、やはり妙だという感触。また、先の、こちらから連絡という一言は、まさに、この青山征修という男と、市が協力体制にあるということを明確にする一言だと気づく。
征修が立ち去ったのを見届けて、説明者の立場を奪われていた市の職員が再び口を開く。
「えー、では、今回のところは、これまで、ということで……失礼いたします」
そう言うと、商店街メンバーがどうこう言う間もなく、去っていってしまった。
すぐに、室内は騒めき立つ。
「一体、あの男はなんだったんだ」
「あれが、ショッピングモールを立てるという会社の責任者なんでしょう?」
騒めき立つ室内の中で、鉄志は、そういえば、メリッサはどうなったのかと思い出す。メリッサに何か聞いて、少しでも情報を確保したい。どう考えても関係者なのだから、その関係者と知り合いというメリットを活かさない意味はない。
そう思い、すぐに後ろを振り返る。しかし、時すでに遅し。メリッサの姿は一番後ろの席にも、その他、室内のどこにもない。まんまと逃がしてしまったという訳だ。
「くっそ……!」
ああ、でも、と鉄志は思う。そういえば、あの人は、いちまを狙っているんだった。そして、また来ると言っていた。連絡先などは一切聞いていないが、必ずあちらからアクセスしてくるはずだ。
いちまを交渉に使う訳にはいかないが、この時ばかりは、いちまの存在に感謝する。
「おい、鉄志くん!」
そんなことを考えいると、肉屋が鉄志に話しかけてきた。
「あ、はい、なんですか?」
「俺は、応援してるからな、機織感謝祭。なんかあったら頼ってくれよ! それは、俺だけじゃない、商店街のメンバー皆だ。皆、一致団結して商店街を守っていこうと思ってる! あんなよくわからん連中に口を出させるか、ってんだ! な!」
にかっと笑って、鉄志の肩をバンバンと叩いてくる肉屋は、今の鉄志にとってとても支えになった。この人がいれば、きっと大丈夫だろう、と無責任にそう思った。
事実、肉屋はすでに反対勢力の意識を次々と高めていた。
商店街で一番とは言わないが、かなり繁盛している方の店なのだから、それだけ力を入れるのは、ある意味自然だ。それに、彼も言っていたが、鉄志よりもよっぽど長い時間、肉屋として店を支えてきたのである、鉄志としては、当然信用するに値する先輩なのだ。
「はい、ありがとうございます! 頑張ります!」
鉄志は、素直な気持ちを肉屋に伝えた。
大丈夫、絶対できる。機織感謝祭も二日になんてさせてたまるか、と思った。何が何でも三日やってやるんだ、と。今、鉄志が目指しているのは、商店街を守ることももちろんのことながら、目の前に迫る機織感謝祭の日程を是が非でも例年通り三日間行うということ。
もしかしたら、市と対立することになるかもしれない、青山征修という男と対立することになるかもしれない。
鉄志自身に何ができるかは分からない。けれども、やり遂げるのは、鉄志一人だけじゃないということに鉄志は気づいたのだ。商店街のメンバーがそこにいる、と。
にかっと笑う肉屋、一緒に準備を手伝ってくれている時計屋、色々な人達の力を借りれば、絶対にできると鉄志は思っていた。
青山征修は、部屋から出て、役所外に停めてあった白の高級車へと移動した。運転手に、行き先を告げ、ほくそ笑みながら言う。
「いやぁ、いいところだね、ここは。絶対に手にしたい」
それを聞きとめるのは、メリッサ。
「……」
けれども、返事は沈黙。あまり興味なさそうに、窓の外の景色を眺めている。
メリッサが興味なさそうに話を聞いていたが、それを征修は特に気にしていないようだった。それは、別に普通だという態度。
「メリッサ。メリッサがずっと来たがっていた日本は、どうだい?」
その問いに対しては、メリッサは沈黙でなく言葉で返す。
「ええ、ありがとう、パパ。とても楽しいわよ、それに、とても面白いものを見つけたの」
にっこりと笑顔で返答するが、その笑顔はまるで顔に張り付いたお面のよう。だが、征修は満足げに返事をする。
「それは、よかった」
ぎくしゃくしているようで、けれども、これは実に調和のとれた姿なのだ。間違っているようで、間違っていない、そんな家族なのだ。