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恋草は炎となりて

作者: 朝里 樹

 あなたは私の髪先を撫でて、戯れにでも言ってくれた。「一緒になろう」と。幼い私は、その言葉を愚直に信じ続けていた。

 あの時あなたに胸を刺されたときも、私の中に流れるあなたへの熱情がその傷口から流れてしまうことはなかった。むしろその痛みが、熱さが、私のあなたへの想いをさらに大きなものにした。それほどまでに、私はあなたが好きだった。

 一六になった頃、私はあなたと再会した。初めて行った京の都で、あなたは一人歩いていた。十の年月を過ぎてもあなたは変わらず、しかし私は変わっていた。私はすぐにあなたのことが分かったけれど、あなたは分からなかった。幼子だった頃よりもずっと伸びた黒髪を、あなたは知らなかったからかもしれない。

 だけど私は私のことをあなたに告げなかった。あなたが私の胸を刺したのは、私を殺したかったからだともうその頃には分かっていたから。

 今の私も、あなたに殺されるのならば構わない。形はどんなものであれ、あなたが私のことをおそれほどまでに思ってくれていると感じながら死ねるから。でも捨てられることだけは嫌だった。あなたが私の元から去ることが許せない。

 それなのに。

 あなたは幾度目かの契りを交わしたとき、私の胸の傷の由来を知ってしまった。あなたが付けてくれた愛しい傷痕を。だけどあなたにとってのこの傷痕は、あなたと私とがともに過ごすときの終わりを告げるものだったのだろう。

 あなたは逃げた。私から。私を愛してくれている言ったのに。私と一緒になろうと言ってくれたのに。私に背を向けて去ろうとした。それが、許せなかった。

 私は駆けた。今までにないほどに必死に彼の遠ざかる背を追った。だけど女の足では彼に追いつくことはできなかった。だけど私は走り続けた。諦めることなど到底できなかったから。

 そして私の彼への執心は、私の体をも変えてしまった。走り続けるうちに足は消え、ひとつの蛇の尾となった。体は赤い鱗に覆われて、口からは吐息の代わりに緑色の炎が吐き出される。

「愛おしや、安珍様……。恨めしや、安珍様……」

 私の熱情は炎となって夜空を焼き尽くす。土も岩も川も、今の私にとっては何の障りにもならない。私はただひたすらにあなたを追い求める。

 やがて辿り着いたのは道成寺。あなたの姿は見えず、ただ静寂が寺社の中を包む。だけれどあなたの温もりは、匂いは、寺の梵鐘ぼんしょうの中にあなたがいると私に知らせていた。




 蛇体となった私は、愛しさと憎しみ故にその鐘に巻付いた。あなたがそこにいるのに触れられない。あなたはもう私の傍にいてくれない。

 それならばあなたの命尽きるその時まで、あなたに私のことを思っていて欲しい。だから……。

 私は梵鐘に向かって炎を放った。あなたへの想いを表すように、それは凄まじい勢いを持って渦と化し、やがてあなたの命が私の炎の中で尽きるのを感じた。炎は辺りに燃え移り、やがて寺全てを包み込もうとしているようだった。

 その中で燃え尽きた鐘の残骸を見つめ、私は思う。

 私はあなたを殺した。あなたはこの世から消えてしまった。己の選んだこと、悔やむことはない。そしてあなたを殺した私の行く末も、もう決めていた。

 あなたを殺したその時から、私の心は死んだのだから。

 私は蛇体のまま日高川へと向かう。あなたを追って渡ったこの水面みなもに、私はこの身を沈めよう。

 冷たい水が私の体に触れる。寺を燃やす緑色の火が水を染めている。私は自らの犯した悪行にも、己が化け物になったことにも何の感慨も抱けなかった。あなたがいないこの世の中では、何を考えても意味はなかったから。

 体が水の中に沈みゆく。ただ心地良いと思った。やがて意識は遠のき、これでやっと終わるのだと思った。あなたへの因果に囚われ、人の身さえも捨てた私のときが、やっと切れるのだと。

 だけれど死に行く私の手を取ったのは、灰色の鬼の手だった。鬼は私を岸へと運び上げた。

 それが私と大江山の鬼、茨木童子の出会いだった。



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