回想 そして伝説(ニート)へ
弘化元年(1844)、歳三の母代わりでもあった姉ののぶが佐藤彦五郎の元に嫁いだ。
佐藤彦五郎は日野宿の名主である。
これを期にのぶと歳三の縁が薄れたかというとそんなことはなかった。
「おう、おめーがのぶの言ってた歳三か。こいつは悪そうな面してやがるぜ」
初対面での第一声がそれであったが、不思議とお互い気を許しているようで、歳三は度々彦五郎の元へ訪れ、彦五郎もまた歳三のことを可愛がった。父の跡取りとなった喜六は忙しく、もう一人の兄為次郎は病気により、視力が無くなったこともあり、本当の兄のように感じられたのが彦五郎だったのだろう。彦五郎にとっても実際に会ってみた歳三はのぶの言うとおり、を通り越してとんでもない人材だ、と思った。
ことあるごとに何かを教えてみれば、綿が水を吸うように吸収していくのを目の当たりにすれば育てがい、だろうか、教える方も楽しくて仕方がないといった様子で、のぶからすれば手間のかかる弟が2人になったような気もした。
浅川の氾濫により、家が流され、家を移したりといろいろと事件はあったが13歳になった頃、歳三は奉公に出た。末子の歳三は当然ながら家を出て身を立てていかねばならない。彦五郎の元へ通う度にのぶに心配をかけるのも嫌だった。
丁稚のころから才覚を現し、旦那に気に入られるも、番頭らから目を付けられ、あることないことを押しつけられたり、言いつけられたりとうんざりすることが多かったが、姉に心配をかけたくないがために10年間の奉公を勤めあげたのだった。
しかし、歳三が抱いたのは「虚しさ」であった。
結局のところ、奉公に言った先でもあの様である。
商人としてやっていこうと思えばできないことはない。
だが、それほど「やりがい」があるとはとても思えなかった。
23歳の歳三の展望は果てしなく暗かった。